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1872年に廃藩置県が起こりながら、
なぜこの時点で琉球には県が置かれなかったのですか?

A 回答 (4件)

明治新政府には薩摩藩の人材が主要な位置にありました。


当時琉球は日清両国と臣従関係にあり、その地位を薩摩は利用して利益を上げていましたし、実質武力で占領していたこともありその実情をよく知る薩摩出身者は廃藩置県を行う際に現状維持を願った方が薩摩に有利とみたのです。

廃藩置県は当初、旧幕府の藩制度のママ移行しその後整理統合する漸進制度でしたから急激な琉球政策はとれなかったのです。

明治政府が実力をつけるに従い日本への併合を決意したのが琉球処分でした。
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この回答へのお礼

皆さん有難うございました。

すっきりしました☆

お礼日時:2006/12/28 17:59

貿易の為、薩摩藩は琉球国を、日中両属と言う地位にしたからです。


薩摩の属領ですが、中国の属領でもありました。
これで自由に貿易が出来た訳です。

もちろん、完全な日本の領土ではありません。
ここで維新政府は、琉球処分と言う形で強引に併合しています。

既に1609年に島津が侵略を開始していますが、外様であったので
石高を上げる事(占領)を幕府が認めなかったのが球王国が生き延びた原因なのではないでしょうか?

さらに詳しい事は専門家さんが解説してくれると思います。^^
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琉球は1879年の沖縄県設置まで薩摩藩(1872年からは鹿児島県)の属国という立場の外国だったからでしょう。

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実質的には鹿児島藩の属領でしたが、いちおうは独立した国として、正式に日本の一部として扱われていなかったからです。

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