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大相撲ファン歴二年の未熟者です。
私が相撲を観るようになった時には、すでに朝青龍のひとり横綱時代に入っていました。素人の私の目にも、朝青龍は他の力士と比較にならないほど「強い横綱」として映っていました。

そこで質問なのですが、横綱になる前の朝青龍の活躍ぶりを、(主観・客観問わず)教えてください!!
・初優勝したときの番付
・北の富士さん始め、解説者の方々の批評・期待
・印象的な取り組み
なども併せて教えていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします!


ちなみに、私は白鵬の大ファンです(笑)
先月の名古屋場所で、横綱昇進の厳しさを改めて思い知りました。
朝青龍のことは・・・まあまあ好きです(笑)

A 回答 (2件)

1・・・初優勝は大関で大関昇進2場所目です。

14勝1敗でした。
2・・・北の富士さんは基本的に朝青龍が嫌いなようでw
    ただ、舞の海などは好意的に評価しているように思えますね。
3・・・あれだけ勝ってる力士ですからねえ・・・
    変な取組を挙げるとすれば2004年の7月場所での琴乃若戦ですかね・・・
    琴乃若が上手投げで朝青龍を裏返しにしたところを廻しをも持ち続けて
    琴乃若がかばい手をしたのに取り直しになった相撲ですかねえ・・・
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この回答へのお礼

1・・・初優勝は大関だったのですか。もっと前かと思っていました。
2・・・北の富士さんって、好き嫌いがミエミエですよね(笑)私はそこが面白くて気に入っています。でも、朝青龍を嫌っているとは感じたことなかったです!(私がニブイだけかな!?)
3・・・琴の若戦は私も観ました!!あれは琴の若が気の毒でしたね。

早速のご回答ありがとうございました!!

お礼日時:2006/08/02 09:57

本題とは、直接関係ないのですが、北の富士さんがお好きのようなので、この人のエピソードを(面白い人なので)。

私は、柏鵬時代からの相撲ファンで(因みにアンチ大鵬でした)、北の富士さんは、「若手三羽烏」と呼ばれた頃から知っています。

行司の付け人になった。これは、「見込みなし」との烙印を押されたのに等しい。この行司は、出羽海部屋所属の式守鬼一郎(後の24代木村庄之助=私の幼少時の庄之助)です。おそらく、行司の付け人から横綱になった人は、この人が初めてでしょう。

昭和の三大誤審(これは私が勝手に名付けたものであり、特に定着した語ではありませんので念のため)の当事者(他の二つは、北の洋・栃錦戦=「ヒゲの伊之助」涙の抗議、大鵬・戸田戦=誤審で大鵬の連勝止まる)。北の富士・貴ノ花戦。北の富士の攻撃を貴ノ花が耐え、反り技で貴ノ花に軍配。ところが物言いがつき、北の富士の手は「突き手」ではなく「かばい手」と判断され、行司差し違いで北の富士の勝ち。立行司25代木村庄之助は、この場所限りで定年を待たず辞職。この相撲、写真や映像を見る限り、北の富士に分が悪く、「死に体」に見えながらも、貴ノ花が反撃しているのですね。

そして、この場所だったと思うが、前代未聞の「不眠症」で休場。

協会に断らず、ハワイで遊んでいるのをスクープされ、協会に叱られるというのもあったなあ。

ライバルの玉の海が虫垂炎で入院した際(当時は、協会全体の巡業ではなく、「北の富士」班と「玉の海」班に分かれていた)、「玉の海」班の巡業に出て、「不知火型」の土俵入りを披露した。「雲竜型」と「不知火型」の両方の土俵入りを披露したのは、北の富士が唯一だろう。

その玉の海に死なれたことが、北の富士の力士寿命も縮めましたね。11勝が関の山ということで、「イレブン横綱」と揶揄されました。でも、10回優勝していますから、横綱としては合格点です。

親方になってから、理事長を狙ったが、それが成らず、陣幕(九重部屋は千代の富士に譲っていた)親方を返上して退職。以後、NHK専属解説者となる。
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この回答へのお礼

おぉぉ・・・!詳しく教えてくださってありがとうございます!
相撲を観始めてまだ日が浅いので、私には知らないことだらけでした。特に行司の付け人だったなんて驚きです。
北の富士さん、ほんとに面白い・・・(笑)

お礼日時:2006/08/04 10:03

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