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三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (13件中1~10件)

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。


ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。
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三八式が長く使われたのは、先賢の述べた通り小銃(ライフル)としては、日本人向きに適した性能だからでした。

  3.75Kg(1貫目)6.5mm銃弾と軽く故障も少なく、その割りに長銃身で命中精度がよかったからです。  
接近戦で活用される短機関銃は各国では活躍しましたが、日本では研究も活躍も芳しくありません。   100式(1940)短機関銃がパレンバン油田への空挺部隊に使われたほか、空挺作戦には多少使われましたが、肝心のジャングル作戦に使われた様子はありません。   多量の銃弾消費に補給が追いつかぬ、日本の工業力の弱さが露呈しました。 
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WW2時代では最新式に近いからです



   各国の主力銃
米国:M1903スプリングフィールド(1903年)
     ↓
1943年頃からM1自動小銃に更新開始
英国:エンフィールド小銃(1888年)
ドイツ:マウザーKar98k(基礎設計1898年・改良1933年)
イタリア:カルカノM1891小銃(1891年)
ソ連:モシンナガン1891小銃(1891年・改良1933年)
日本:三八式小銃(1905年)
    ↓
   1939年から九九式に更新開始
フランス:M36小銃(1936年)

この中で新しい順に置いてみてください
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失礼、質問とは直接関係内のですが、他の回答者の方の書き込みに間違いが多いので勝手ながら訂正させていただきます。



>補給の混乱を防ぐ為に前線には送らず内地の部隊にのみ配備していたようです
中国大陸や満州などでは三八式のままの部隊が多いのですが、激戦区である南方には九九式歩兵銃と九九式軽機関銃に更新された部隊が多いです。戦後、インドネシアやベトナムが独立戦争に使っていますしね。

>そりゃあ銃を失くしたらボコボコにぶん殴られるはずです。
どちらかというと、菊の御紋章が付いているせいだと思いますが。「恐れ多くも陛下からお預かりした」武器ですので。

>狙撃銃は、目的が異なりますから、高性能の銃が使用されました
「高性能の銃」というと別の銃のようですが、要は三八式の中でも特に精度のいいものを抜き出してスコープを取り付けたものです。ただでさえ長い三八式をさらに長くした九七式狙撃銃もありますが。

>こうなると重機関銃用の7.7mm弾と小銃用の6.5mm弾に互換性が無くなってしまうため、共通の弾丸を使用する小銃が必要になります。
九ニ式重機と八九式固定機銃/旋回機銃(航空機用)の弾薬はセミリムドの九ニ式実包、九九式歩兵銃と九九式軽機、一式重機の弾薬はリムレスの九九式実包で、弾薬の互換性はありません。ちなみに海軍の九ニ式旋回機銃(ルイス)と九七式固定機銃(ビッカース)はイギリス軍と互換性のある7.7mmリムド。
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三八式歩兵銃は、日露戦争で使用された三〇年式歩兵銃を、戦訓もとに改良したものです。

この銃は口径6.5mmの弾丸を使用しており、弾道性能が良く、遠距離での命中率という点で優れていました。制式後はとくに不都合もないので改良はされませんでした。1914年に制式化された三年式機関銃は三八式歩兵銃と同じ弾丸を使用するもので、弾丸に合わせて小銃を改良する必要はありませんでした。
第一次世界大戦で、重機関銃の有効性が確認されました。このとき遠距離でも威力が落ちず、重い銃尾作動機構を確実に動かすことができる7.7mm弾が銃弾の世界標準となったのです。しかし日本は幸か不幸か塹壕戦には参加せず、7.7mm弾を使用する重機関銃の登場は日華事変開始後の1932年に制式化された九二式重機関銃を待つこととなりました。
こうなると重機関銃用の7.7mm弾と小銃用の6.5mm弾に互換性が無くなってしまうため、共通の弾丸を使用する小銃が必要になります。こうして開発されたのが九九式歩兵銃で、制式化は1939年のことでした。これは標準公差の概念を導入した日本初の小銃で、生産性が高かったのですが、当時の日本の工業力では生産が追いつかず、十分に行き渡らないまま太平洋戦争に突入してしまったのです。
ですから、三八式歩兵銃を使い続けたことによる真の問題点は、古いことでも、性能が悪いことでもなく、銃弾の補給体系が二重になってしまったことにあります。機関銃弾丸が山積みされていながら戦闘に使えないなどという間抜けな事態が生じ得たわけです。
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明治38年式だから旧式というのは実情に無知なことを公言しているだけです



大東亜戦争当時のUSAの制式拳銃はコルトのガバメントモデル、採用は1911年です、三八式と大差ありません

銃の基本的な性能は、ほとんど変わりません
130年以上前の製品であるウインチェスター73は、今でも充分実用になります

それから、軍用の場合、性能もさることながら、安定性、保守の容易さの方が重要です
微妙な調整をしなければ性能を発揮できないようなものより、ラフに扱ってもそれなりの性能を発揮するほうが望ましいのです

また、他の回答にもありますが、補給が追いつかなければ、弾薬を多量に消費する銃は宝の持ち腐れです

携行できる弾薬の量は限度がありますから(当時は人力での携行が主です)自動小銃のようなものは嫌われました

狙撃銃は、目的が異なりますから、高性能の銃が使用されました
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もひとつネタを提供しましょう。


当時の日本製品というのは、欧米先進国のものに比べると工業製品の質は著しく劣っていました。例えば、腕時計はおおむねよく狂うのが普通でしたし、戦後の話ですが、それまで軍用の光学機器を作っていた今のnikonが「戦争も終ったので、軍用製品を作っていた高い技術を生かしてこれからはカメラを作ろう」と思い、当時最も優れていたドイツのライカ社のカメラを取り寄せてみたら、あまりの緻密さに「こんなすごい製品はとても作れない」と途方にくれたそうです。

それが38式となんの関係があるのかというと、当時、工場から出てきたばかりの銃は製品のバラつきがあまりに大きかったのでそのままではとても使えないのでひとつひとつ職人さんが手間ひまかけて調整してから出荷されたのです。そりゃあ命中精度がいいはずです。ひとつひとつが手作りみたいなもんですから。
そりゃあ銃を失くしたらボコボコにぶん殴られるはずです。職人が丹精こめて作ったんですから。

メーカーの管理用語に「QC」というのがあります。クオリティコントロール、つまり製品の質を維持するための様々なノウハウをさす言葉なのですが、この「品質管理」という概念は戦後進駐米軍によってもたらされたものなのです。

ちなみに、あの有名なゼロ戦の栄エンジンも工場出荷時は製品のバラツキが大きく、ひとつひとつ整備兵が調整してからでないと使えなかったそうです。そのくらい当時の日本は生産性が悪かったのです。
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三八式銃はなかなか優れた小銃でした。


単発ですが、狙撃性能もよく実戦での射撃距離の300~500mでの命中精度は良かったのです。

これは照準装置が山型照門であったこともあります。

弾薬も長射程に対応するようになっていました。
しかし一方致命的ともいえる欠陥も有していました。
同一規格でありながらパーツの交換性が乏しく名人芸の職工の調製が必要で大量生産に問題がありました。

重量が3.95Kgと日本人の体格にあった重量であることも有利でした。  全長127cmで銃剣を装着して使用するにも具合が良かったのです。

軍の制式銃は一端決まるとその変更は大変です。
弾薬を含めて生産ラインは変更の間生産はストップし投資も必要です。 また新小銃への変更が完了するまで混乱が起きます。
兵士の訓練も必要で戦争中に出来ることではありません。 
後継銃として開発された九九式小銃も前線に送られず内地部隊だけに配備されるだけでした。
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当時の日本の生産力で、340万丁が生産(うち100万丁程輸出)された三八式を、太平洋戦争開始の二年前に採用された九九式に完全更新できるわけがありません。

しかも弾薬の口径も違いますからね。
だいたい、同時期のドイツの主力小銃であるKar98kは1898年採用の小銃を改良し短くしたもの(第一次大戦では長いGer98bが主力)ですし、アメリカのスプリングフィールドが1903年採用、ソ連のモシンナガンが1891年採用、、イギリスのリー・エンフィールドなんて1888年生産開始と、1905年採用の三八式だけが(全長が長いままですが)特別旧式なんてことはないのです。(アメリカだけは、その後M1ガーランドを急速に普及、全面更新させていきますが)

ちなみに、軽機関銃に銃剣が取り付けられるようになっているのが白兵戦用というのは全くの誤解で、これは銃口を重くして射撃を安定させるウェイト代わりに使っているのです。
http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/kikanjy …
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>大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。



戦時の兵器生産はそれ程簡単ではありません。新兵器を量産するには新たに製造ラインを造る必要があり、先ずこれに時間が掛かると同時に、生産量を増やすまでに前線に供給する数量を確保する為、旧式兵器も生産を続けなければならないのが実情です。戦時に最前線で使用する兵器の更新を行う事は中々難しいのです。実際、日本軍でも99式短小銃と言う自動小銃は開発されていましたが、構造上の理由で使用弾薬が38式と違う事もあり、補給の混乱を防ぐ為に前線には送らず内地の部隊にのみ配備していたようです。
さらに、対する米軍の方も、M1ガーランドなどの自動小銃は殆どヨーロッパ戦線向けに回されており、太平洋方面の部隊は第一次大戦スタイルのボルトアクション小銃が主力でした。米軍ですら全軍に自動小銃を供給するまでには至らなかったのです。
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