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賽の河原に積んである石積み(ケルン?)は
どういう意味があるのでしょうか?
崩したら呪われるのでしょうか?

A 回答 (3件)

おはようございます。



先ず、「ケルン」は登山用語で、先に登った登山者が後進の登山者の為に、頂上や登山路を示す為に積み上げた石山のことです。こっちは壊すと、道標が無くなって困っちゃいますね。まあ、登頂記念に作っていくパーティーなんかもいたりします。

そして賽の河原の石積みですが、説法の一つに逆縁で親より早く夭逝した子供たちは、親不孝をしたと言う罪により、賽の河原で石積みをせねばならないとされており、親を思いながら一つずつ積んでも、その罪により積んだ端から地獄の鬼に壊されなければならず、いつまでも賽の河原で石積みをし続ける・・・と言うものがあります。
その子達を憐れに思う人、子供が夭逝してしまった親などが、その子の負担を軽くしようとして、実際の河原などで石を積んだりしているんですよ。

崩したら呪われるどうのと言う事ではなく、その積んだ人の心を思えば、崩すことは出来ないものだと言う事ですね。
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積み石はあれは「卒塔婆(塔)」です。


卒塔婆は、仏教では“釈尊の遺骨を納めた塚”。そこから転じて、“不偏なる大宇宙の真理”を象徴するものです。
詳しくは、以下の回答No.5を参照してください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2251693

五重塔や五輪塔・宝篋印塔・卵塔など、塔にはさまざまな形がありますが、いずれにせよ塔を築くことは真理を具現化する行為として、その功徳が説かれました。
そこで、自分自身のために、または他者に成り代わり塔を建てることが行われます。
特に死者を追善(故人に成り代わり善行を行うこと)ために塔を建てることが行われ、石塔を墓石に用いたり、板状の卒塔婆を建てる事が広まります。ですから仏教徒の墓石は単なる記念碑の類ではありません。

さて「賽の河原」ですが、「賽」とは境界線を意味し、三途の川の「川」は、ここでは聖俗、生死を区切る結界を意味します。
もともと賽の河原や三途の川はインド思想や仏教には無い死生観で、日本で発展した考えです。古くから日本では、川から向こうは神霊・祖先が集う他界(死の世界)と考えられ、川を渡るのはその流れで罪や穢れを清める必要があります。川を挟んで寺社が建立されるのは、川の向こうを神聖視する考えからです。
そこで、子供は人間になる手前の存在と考えられ、そこから賽(境界線)に子供が集うと考えられたのでしょう。

死んだ子供はそこで生きているうちに行えなかった善行を積むために、石で塔を築く。そこで子供を失った肉親が子供に成り代わり石塔を築くという民間信仰が生まれました。
なお、地蔵菩薩が子供の守り本尊とされるのも、日本で地蔵尊が境界を守る仏として信仰されたから、中間的存在である子供を守るとされたのでしょう。
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「賽の河原」という(幻)の場所の石積みであれば、それは地蔵和讃で歌われているものだと思います。


積むのは幼くしてなくなった子供たちで、壊すのは地獄の鬼です。

登山者のケルンとは意味が違うと思います。そちらの意味はわかりません。一般的に河原で普通に積んであるとしてもそれを間違って崩したこと=呪われるなどではないと思います。よほどの怨念が籠もったものじゃなければ。

↓地蔵和讃

参考URL:http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/jizouwasan.htm
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