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今、学校の世界史でオスマン=トルコをめぐる情勢についてやっています。それで、1853年~56年にクリミア戦争が起こりましたが、その戦争のきっかけがよく分かりません。
授業のノートには、列強のトルコ領への進出により列強間の対立激化(exp:露vs英)⇒クリミア戦争(露vs土・英・仏)、と書いてあるのですが、何故トルコの進出をめぐって対立が激化していたのに、クリミア戦争にトルコが参戦しているのでしょうか??
少し、分かりにくい説明ですが、よろしくお願いします!!!

A 回答 (3件)

イギリス・フランスがトルコを支援するという形をとれば、トルコ領内の人々から見て、ロシアは侵略者、イギリス・フランスは協力者になります。


それでイギリス・フランスは、ロシアを破ればロシア勢力を後退させて危機を克服できると同時に、トルコから代償(利益)を引き出すことが出来ます。
トルコ領をめぐる戦いに、トルコを無視して戦ったら、両者ともただの侵略者になってしまいますよね。
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この回答へのお礼

私は、今までフランスとイギリスもトルコ領に進出しようとしていたのかと思っていました・・(^_^;)だから、何故そのトルコ領をめぐる戦いにトルコが参戦していたのかが分からなくて・・o(><;)(;><)oでも、回答をいただいて、理解することが出来ました☆★
ありがとうございました!!!

お礼日時:2006/07/01 10:35

 これは、ロシアという国の地理的位置(歴史・政治を見るのに、経済・地理は欠かせません。

)を考えて見てください。

 大陸国家ロシアが領土を拡張し、その社会的遅れを克服して、列強としてイギリス・フランスの地位に近づこうとしている状況(つまり、周辺地域へ勢力拡張=侵略)の中で、崩壊しつつあった巨大帝国がオスマン=トルコです。

 オスマン=トルコのヨーロッパ領土であったバルカン半島から黒海沿岸にかけての地域は、ギリシャ正教会=スラブ人が多数住む地域で、スラブ民族の強国ロシアはギリシャ正教会の保護者として、この地域に対する立場の優位を主張していました。

 更に、農業国で陸軍国であったロシアは、平時では穀物の輸出の安全確保のために、軍事ではイギリス・フランス対抗する力を持つために、海軍力の増強を図ろうとしました。

 さて、ロシアの地図を見てください。ロシアはフランスやイギリスのように大きく大西洋に開けた海はありません。ロシアが海に進出できる所は、全部で4ヶ所(もう1ヶ所、アフガニスタンからイランを抜けてインド洋に抜けようとしますが、これはちょっと距離がありすぎですね。)、バレンツ海・バルト海・黒海・日本海です。

 北極海(バレンツ海)に面して港がありますが、北過ぎて貿易には不向きで海軍の展開にも不自由です。特に冬季には相当の制約を受けます。

 次にバルト海。流氷の影響を受けますし、スウェーデン・デンマークの海峡では、陸上から砲弾が届く距離を通らなければなりません。海峡閉鎖を受けたり、艦隊の行動は全て筒抜けになることを覚悟しなければなりません。

 極東のオホーツク海・日本海。オホーツク海は冬季流氷の影響を受け凍結。1858年清との間で結んだアイグン条約で、日本海に面する不凍港のウラジオストックを利用できるようになりましたが、1853年のクリミア戦争のときは利用できない状態でした。(というより、クリミア戦争に負けたので、仕方なく遠くではあっても、南に進出できそうな極東に方向を変えたのです。それが、クリミア戦争5年後のアイグン条約締結です。)

 さて、大本命の黒海ですが、トルコ帝国の首都イスタンブールの目と鼻の先、ボスポラス海峡とダーダネルス海峡で地中海への出口を絞られています。
 どちらの海峡も大変狭く岸から海峡通過中の船に、砲撃可能なのです。

 帝国主義イギリスの生命線
 イギリスよりも生産力があったといわれるほどのインド。インドからイギリスへの海上交通路がイギリスの生命線。中でもエジプトのスエズ運河地帯(スエズ運河はまだ工事前)の安全確保が、当時のイギリス最大の国益。(物資は一度陸揚げして、陸上運搬。)

 帝国主義フランスの生命線
 フランス本国から地中海を越えて北アフリカの植民地への海上交通路の確保。

・地中海の海軍覇権をめぐって
 弱体化が進むトルコに対して、ロシアはボスポラス、ダーダネルス海峡の軍艦の通行を、自国に有利になるように画策を続けます。
 それに対してイギリス・フランスはロシア艦隊が、地中海に進出してくることを、断固阻止しようとします。

 自国の国力が衰えているトルコは、自国独自の確固たる戦略を取ることができず、状況の変化でイギリス・フランス・ロシアそれぞれの間を行ったりきたりです。

 クリミア戦争は、トルコがフランスに対してパレスチナ管理権を認めた(カトリックの聖地があるので、カトリックの保護者として。)のに対し、ロシアがトルコ国内のギリシャ正教徒の保護権を要求し、トルコがそれを拒否したことにより、始まりました。

 イギリスは、既に帝国主義の国家の間では、一人勝ちに近く、現状維持=通商優位のイギリスの勝ちの状態でしたので、ロシアの進出に対抗して、トルコに味方して参戦しました

 
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クリミア戦争を考える場合、ロシアとイギリス・フランスの立場を分けて考える必要があります。



ロシアは、長年トルコの支配するウクライナに進出攻勢をかけていました。
トルコから、ロシア人と関係の深いウクライナ人の解放が名目となっています。
ウクライナの場合は、他国との対立もありませんでしたが、ウクライナを開放した後、バルカン半島への同一名目での進出をはかります。

一方イギリス・フランスは、トルコに勢力を侵食し、数多くの利権を持つようになっていました。
また、イギリスは、ギリシャ独立に際して協力し、ギリシャにも多大な利権を持っていました。
ギリシャは、ロシアと同じ正教を信仰する国ですから、ロシアの勢力がギリシャ近郊に及ぶ事は、ギリシャを失う可能性が有りました。

そんななかで、ロシアがトルコに宣戦布告し、ルーマニアの一部を占領するに及び、イギリスやフランスが、トルコ支援に乗り出し、クリミア戦争が起こります。
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