プロが教えるわが家の防犯対策術!

 「一流大学に入ったからといって人生安泰って事にはならない」
 そんなこと充分分っていた。だから学生時代から将来を見据えて色々対策を立てた…TOEIC、資格取得、etc…
 大丈夫、今までだってうまく行ってきた、希望のゼミにも入れたし、しっかり準備を怠らなければ大丈夫、これからも大丈夫…
 …ところが、大学3年次ぐらいから…なんでだろう、歯車が上手く噛み合わなくなった、何かおかしい、何をやっても結果が出ない、傷口が広がる一方。
 あれ、あいつ学生時代ほとんど勉強しないで超一流企業内定…自分より後から勉強始めた人が自分より先に資格試験合格…
 どうして、どうしてこんなことになっちゃったんだろう…気づいたら独り、僕一人先に進んでない。確実に結果を出した友人とも少しずつ疎遠になる。恋人もいない、心が重い、体が動かない…
 …ここまでだったのかな、所詮僕はここまでの人間だったのかな…時々いわれてるけど、真面目な人間って社会じゃ役に立たないのかな…もう20台半ば…これからの将来に希望がないよ…生きていても…僕はもはや落ちこぼれ…
 世の中には僕のような人もいるんでしょうか?東・京・一・早・慶といった一流大学に入って、入学以降も真面目に取り組んできたのに結果が出ず、もがき苦しんでいる人、着実にエリート街道突き進む学生時代の友人と自分を比較して絶望感・挫折感に苛まれている人、ちゃんと立ち直ってますか?それともずっと落ちこぼれですか?エリート階段を転げ落ちた人が人生やり直した例ってないですか?助けてください…

A 回答 (39件中1~10件)

僕自身、理系ではありますが、小菅の里の一里塚出身で、


大学院卒業後しばらくの間、学者を目指した後、民間転向しました。
いわゆる一般社会経験無しの30台就職。いいところに決まるはずがありません。

むしろ、僕は、
大学院時にはcb2532さんの言う所の"超一流企業"に内定していたわけで、
それを断った挙句、結局は零細企業にたどり着いた
なわけですから、悔しさはcb2532さんどころではありません。
何せ、大学院時代は、"超一流企業"を3社受けて3社とも内定をもらっていたのに、
大学での研究後は中大企業は50社受けて全滅ですからね。
ベンチャーや零細を30社ほど受けて、やっと10社ほど内定を頂く程度が限界でした。
笑いがとまりませんよ、ほんとに。
(ちなみに、卒業直後に私立大助手の話があったんだけど、
それも、いきなり助手は時期尚早と思って断ったのが今となっては香ばしく懐かしい!)

それに、今までの回答のなかでは、比べることが無意味だという回答も多くありましたが、
そもそも、競争社会で生きてきた僕らには、比べるな、ということは無理なことだし、
そりゃ周りと比較するのは当然ですよね。
直接知りもしないアフリカの人と比べて、自分はまだ幸せだ、と思えるくらいなら、何も悩みなんて生じないわけですから。
僕は、周りの人達と比較してしまうのは当然です。

ただ、確かに、一流大学にはエリート素質のあるやつは多いと思いますが、
cb2532さんのように、ゼミがどうこうであっても、
大学院にも一流企業に入れることもなく、資格も思うように取れないやつは、
偶然その大学に入れただけであって、全然エリートじゃありません。
むしろ、その大学の一員を語ることが出来るだけでも光栄に思わなきゃ。
僕も、結局は、選択ミスをしてしまったわけで、
今は自分の出身大学の名に泥を塗っている恥ずべき卒業生だと思っています。
僕やcb2532さんのようなやつがいるからこそ、
「いい大学を出たからって…」
と言われてしまうわけです。すごいやつはやっぱり数多くいると思うけどな。

でも、そんな僕からしても、
cb2532さんのような弱気な態度にはちょっとやりきれなさを感じますよ。
スタートが恐ろしく不利でも、違うコースを走って、
彼らに追い付いて、そして追い越そうという気は無いのでしょうか?
そりゃ、真後ろから追っかけるようなやり方ではもう追い付かないでしょうが…
僕も、零細企業ではありますが、今の会社だからこそ学べることを最大限学びつつ、
だからこそ彼らが身につけることの出来ないことを身に付けて、
ゆくゆくは、彼らが、
「あいつはやっぱりすげぇやつだったな」
と言うようになるまで頑張ろうと思っています。

幸か不幸か、一流大学卒というのも、
(営業とか接客系などでは疎んじられますが)
事務作業や、技術系では重んじられますし、
スタートでは、同企業の他の人よりは有利な立場にあるわけです。

僕は結局就職活動も、ベンチャーから零細、大企業まで80社も、いろんな形で受けましたが、
同期の大学卒の中にはこれだけの経験をした人は居ないと自信をもって言えます。
多い人でもせいぜい5社くらいだし、
中には1社しか受けないのがザラでしたし。
だから、就活落ちまくったのも、
面接の経験にもなれば、就職業界の経験にもなったし、
いろんな会社の勉強も出来て、すごく勉強や経験・知識になったと思っています。

で、cb2532さんへの回答ですが、
本当は、"僕"と言いたいところだけど、
僕はそもそもエリート階段を転げ落ちたつもりなんて全然無いし、
(歩く道が違ってるだけ。ちょっと困難かもしれないけど。)
まだ、給料的には彼らに追い付いてないので、やり直したとも言えないと思うので、
そうは言えませんが、
近いうちに、絶対、やり直した、いや、やり直すっていうより、bestの選択をした、と言える日が来ると思っています、っていうか、来るように日々努力をしています。
そんな、弱音を吐いている人は、所詮エリートたる資格さえ無かったということだと思います。
僕もそのつもりですが、これからこそエリートを目指して頑張りませんか?
それが嫌なら、
価値観をがらりと変えるか、無理なら、
たとえ一時でも、エリートと机を並べて競い合えたことを光栄に思いながら、
不本意な人生を送るしかないと思います。

ちょっと思いっきり過激なことを書いてみたくなったので、(内容的に)見苦しい文章申し訳ありませんでした。
*ちなみに、文中のエリートや超一流企業は、いわゆる"エリート"、いわゆる"超一流企業"を指しているだけなので、その定義については深く突っ込まないで下さいね。
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この回答へのお礼

 本当にそうですね、僕は今まで偏った価値観にこだわりすぎてたのかもしれません。夢を諦める勇気、大切にしたいと思います。
 返信ありがとうございました!

お礼日時:2006/07/24 19:19

院試には疑問を感じる。


それほど落ち込むか?
留年すればいいだけじゃん。
1年の回り道か、他大になるくらいのデメリットしかないだろ。
司法試験だったらわかるけどな。
文章って思考回路が出るってつくづく思うわぁ。
俺にはわからんし、回答側にはどっちでもたいして変わらんか。

まぁ、自分が例えばだが、弁護士・国連職員・官僚が希望就職先の上位に来るような大学にいたとして、司法試験落ちて既卒だから就活も無理、とかだったら気持ちわかるわぁ。
それまで積み上げてきたものが、パァだもんな。
鬱になるどころか、狂ってしまうかもしれんよ。

しかし、どんなに人のアドバイスもらったって、現実は変わらん。
だいたい、優秀なんだから、選択肢が限られてることくらい、気づいてるんでないの?

腹括って決断し、行動しな。
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そもそも学歴というのはどういうものか、最近教育社会学で学んだことを説明します。



いわゆる学歴社会というのは近代産業化が始まろうとしてい18~19世紀の欧米で官僚任用制度を試験で選抜することから始まりました(例えばフランスのグランゼコールなどです)。
これに少し遅れ、日本でも明治に入り、この方法論を輸入したのですが、近代化の促進のために「まだ未整備であった学校の教育内容を試験によって統制したこと、さらに学校を通じて、上昇志向の高い学力優秀な人材を吸い上げ、近代化を速やかに押し進めようとしたこと(学歴主義」がその発端にあります。

明治の近代化が進み、身分制度が解体していくと、学問は特権者だけのものではなくなります。そして「旧帝国大学」を頂点とするピラミッド型の学校制度ができあがり、一見上昇志向があれば誰でも門戸は開かれているという現代に移行していくわけですが、その競争社会は様々な弊害を生みます。

OECDという教育調査団が1970年に日本を視察した際、日本の「大学入試」についてこのような報告をしています。

「18歳のある一日に、どのような成績をとるかによって、彼の残りの人生は決まってしまう」。

学歴主義社会は「身分制社会を打破するはずの競争選抜の制度化が、実は『学歴社会』という新たな『身分社会』をつくり出しただけというアイロニー」なわけです。

また、進学機会の広大につれ、意欲があっても経済的な理由によって進学を断念するという学生が多くいます。これは1968年から98年までの調査ですがまったく今日でも続いているのです。つまり小泉内閣がつくり出した「格差社会」は今に始まったことではないのです。


就職も偏差値で決められます。なぜか?その企業のニーズに合った能力は採用試験や面接がある程度の指標となりますが、実地に際して時間と費用がかかるからです。そこで属性のひとつである「学歴」がとって変わられる。しかしそれは企業側の「読み替え」です。本物の実力者をどれだけふるい落としてきたか、ということなのでしょう。

例えば高度経済成長期やバブル期などにはそのようなカタログ的な選抜をしたかもしれませんが、今の時代はさほどそうではないようですね。むしろ受験制度が根強い学歴主義であるという意見もあります。

説明が長くなりましたが、つまりそういうことです。くだらない国の政策。そもそも少し考えればおかしな学歴主義が幻想であると知ったのはバブル崩壊後のリストラでしょう。競争社会をサバイバルしてきた企業人は耐性は身についたでしょうが例えば今4人に1人といわれている鬱病などの精神疾患を患っています。
また引きこもりやニートなどは深刻な社会問題ですが、これもココロの問題なんです。そして彼らなりの無意識の「反抗」だと思います。また少子化も同様ですね。こんな殺伐とした世の中への、母性本能からの防衛が働いているのだと私は思っています。このような問題には現に国が考えこんでいるでしょう?身体を張った「犠牲者達」のささやかな復讐かと思いますが、他人事ではなく国=一人一人が問題意識をもたないとならないかと思います。

もっとも学校という現場も戦場です。イジメ、登校拒否、学級崩壊、校内暴力等々、様々な教育病理がいっこうに解決しないどころかついには生徒一人一人のアイデンティティ・クライシスにまで陥っています。「学歴病」(ドーアという人がこの言葉を用いすでに警鐘していた)の強者のストレスは弱い者が背負います。それは生徒間、生徒と教師、そして教師間という関係性を超えたものです。

そのように、学歴社会が政策の一部としてなら、学歴病理の結果がその原因にあるのなら、ここいらへんで国にケジメをつけてもらいたいもんだ。私はそう憤慨していますが(笑)。
たとえばゆとり教育というのは短絡的な合理的解決でしかないことは少し想像力を働かせば気づくはずなんですよね。

かくゆう私もご質問者様と同じことで悩んでいました。

>世の中には僕のような人もいるんでしょうか?
「嫌われ松子の一生」の松子なんかよりずっと悲惨な人生を送ってきてますよ(笑)。
それでも学びたいというのは、純粋な好奇心ゆえなんでしょうね。暴力的に勉強を押し付けられてきたときは本能から(当時はそのような理論に気づいてなかったがこのような背景に身体で気づかされたのでしょう)、反抗しいわゆる三流高校でも入れたのですが心身ともに限界がきて中退しました。
私の場合両親がその「国を挙げての幻想」に取り付かれていたからです。学校でイジメを受けても学校に首に縄をつけられて引っ張っていかされる。ホント地獄でした。

それも不本意であるのだが、高校すら出ていないと就職にさえ困るという現実です。そんな妥協から、通信制の高校を卒業し、今通信大学に通っています。
ここは無試験ですが卒業に際して自主性が問われるという欧米型の大学です。そして生徒さんはお年を召した方が多いのですが、「やる気」は若者学生よりもあります。まず講師連中がそれを認め「教える側もやりがいがある」とおっしゃってくれます。無名に近い大学ですが、生徒のやる気は皆一流です。皮肉なことに(?)「旧帝国大学」の講師がテキストを書いています。

上の学歴社会の実態も今の大学でとった教科ですが、私がずっと抱いてきた懐疑を見事解消してくれました。つまり当時自らドロップアウトさせられた背景をこちらから知ることで、自分の行動の原因には何があったか知りたかったのです。直感は正しかった、私は異端者ではなかったと知ったことは癒しになりました。そしてそこにそのような専門分野の恩恵がある、つまり学ぶことは自らを助けることができるとさえ思いました。

でもこれが本当の学びの場ではないのか、と日々実感しています。純粋に学問を愛し追求する者がいて、熱心にそれを学び取る学生がいる・・・。学校は本来そんな神聖な場所であるべきだと思っています。が、我が国の政策はそれをひっかきまわしているだけかと。物質至上主義や拝金主義の世の中、企業方針などにも問題がありますが、そこに送り込むための一過性のものとして義務教育後とその後の高等学校を利用しているだけではないかと。

私ごとですが「親」という言葉に私は「勉強しなさい!」と言い続けた彼らのセリフしか連想できません。
でもそれもずーっと悪しき遺伝として日本人に受け継がれてきたのですね。「ドラえもん」のノビ太の母のセリフは「ノビ太、勉強しなさい」くらいですからね(笑)。成績が悪いしジャイアンにはいじめられるし、でもノビ太は射撃の名手という得意技がありました。不二子不二雄がなぜそのようなエピソードを盛り込んだか・・・面白いと思います。

でも両親の世代もイケイケドンドンの高度経済成長期の申し子でしたから仕方がなかったのでしょう。私の親だけではなかったと思います。

でもやはり「子」がその犠牲になるのは耐えられません。
このサイトでも一度浪人した経験が挫折となってそれから立ち直れず200%の自己否定に押しつぶされそうになっている質問者の方がいました。歪んだ価値観の刷り込みの表れだと思いました。切なかったです。

この現状に適応する人もいる、できない人もいる。でも私はとうていできません。だって数字で振り分けして将来を決め、人を差別するツールとし、そして自己肯定感を削ぎ、アイデンティティ確立の邪魔をする・・・。誤っているのは見えざる敵の方だから。
でも今そのように、誰にも強制されないし好きなものを学べる・・・すごく楽しいです、充実してます。もともと学ぶことは好きでしたから・・・。そんなわけでずっと叶えられなかった小学生からの夢を実現すべく気張っています。

つまり・・・。
学歴社会、学歴主義は数の問題です。偏差値という数、学歴狂信者の数・・・。マイノリティの問題なんです。とかく少数派はその数において弱者となってしまう。
ただそれだけのこと。そして高学歴者の他人と自分とを比較級の幸福や価値に置くのも自分自身なんでよね。そこに置いてしまうと、例の質問者さんのように過去を振り返ることしかできなくなってしまう。

こんな複雑で情報過多の時代、本当にやりたいことを見つけることは困難かもしれませんが、たくさん時間がある若いうちに色々なことを経験してくうちに見つけることもできると思います。勉強が嫌いなのもひとつの個性です。それならば「書を捨て街へ出よ」です。街の方が本人のためになることがたくさん待っているかもしれません。そして純粋に学びたいものが見つかったとき改めて「書」に向かえばよいのです。その機会においてはいわゆる「年齢」は関係ありません。

ひとつの価値感に惑わされず、絶対的なものを見つける過程・・・それが可能性というものであり、真の「学び」であり、そして人生そのものであると思います。
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私は女性ですが回答します。

学生時代の同期を見渡しても大抵がその人にふさわしいポジションについてます。学歴だけ比べたらスタートラインは同じはずですが、やはり学歴(ペーパーテスト)でははかれないその人の実力は明らかに存在します。
判りやすいのが就職活動ではないでしょうか。同じ大学でもこの人はと言う人はあっさり一流企業に内定しますししかもいくつかから内定を貰ってたりします。
それが社会からの評価だと思います。そしてその事実を謙虚に受け入れた方がいいと思います。また、資格試験も一つの結果ですよね。やはり合否には何のバイアスもかかっていないのでたとえ自分より後から勉強していても本人次第ですから時期には何も関係ないのは判りますよね。(超難関の試験に片手間で受かっている人を身近に知っています)

「真面目な人間って社会じゃ役に立たないのかな」とかかれていますが、では逆に自分が誰かと組んで仕事するときに真面目な人と、とにかく結果を出す人とどちらを選ぶかを考えてみたらどうでしょうか。
真面目で結果を出す人ならいいですがもしそうでないとしたら?
そういう人と一緒に仕事したいと思うでしょうか。
また、これまでどうして真面目にしてきたのに結果が出せなかったのは何故かと考えたことがありますか?
社会にでるとよくわかると思いますが、結果を出す人は真剣に取り組んでます。結果を出すためにどうしたらいいかをいつも考えていますし、そのために努力してます。その結果、真面目な性格だったりするかもしれませんが、幼いころからそういう習慣が身についている人は案外肩の力が抜けていたりします。
多分真面目だけど結果の出ない人に欠けているのはこのことではないでしょうか。物事に真剣に取り組まない(取り組めない)事に対して、自分は真面目にしているんだからと言い訳にしているのでは、と思える人を何人か見てきました。これまでそういう重要なポイントをはずしてきたのでこれからその習慣を身につけるのが一番の近道だと思います。
もしそれが身に付いたら自然と道は開けるはずです。
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この回答へのお礼

 返信ありがとうございます。遅れて申し訳ありません。
「真面目」に勉強やってきたから今まで結果が出てきた。だからこれからもきっと上手く行く…
 ところがそうならなかった。きっと真面目な人間が勇気出して変わらなきゃいけないところなんだと思います。ありがとうございました!

お礼日時:2006/07/24 02:33

>ただやはり女性も、落ちぶれたどん底の人間より、社会的地位がある高収入エリートを好むと思うので、もう僕に恋愛する機会はないと思います。



だから、それが違うってば!

成功してきた人にはそれなりの魅力あるかもしれませんね。
生活の安寧だけ望む女性にはご希望通りかもしれません。

でも、人って、男でも女でもそんなものじゃないと思いますよ。
長時間勤務の中央官庁や一部有名企業でお父さんと子供が会えない家庭なんて、幸せな家庭と父子関係あると思いますか?

ぼくはうつ病で会社を1年休職して、出世ラインからはずれてからの家庭生活、職業生活の方が確実に幸せですね。

これは万人にお勧めするものではありませんが、日曜日にはきちんと教会のミサにも預かれていますし。

まあ、たしかに教会では神学生の方たちがある意味エリートかもしれませんが。

今の僕は、子供が歪みのないまっすぐなまま、本人の希望の病者救済の仕事に、信仰を大切にしていきながら、邁進していることが喜びでもあり誇りでもあります。

間違っても、お父さんの失敗の敵討ちにしてはいけないとも思っていますからね。

男女関係なら、恥ずかしいけど、経験書くので参考になりませんが。

21で家庭教師やってた生徒と仲良くなる。が、破局!
22で音大生とつきあう。これも、すぐ破局!
29で36のシングルマザーに懸想、失敗!
35でバツ一の税理士姉ちゃんと同棲、1年で破局!
37で今の妻(当時大学生22)とインターネットで卒論の相談で知り合う
彼女の卒業後、すぐ同棲、2年目に妊娠、結婚
今ではそれなりに幸せな家庭

そんなやつもいますから

みんな、それぞれですよ

勤務しているのは3流企業ですが、時間内で帰れる中では最高給ですし。(システム管理者だけど、メンバー揃えたから、自分で長時間や非常時出動の必要なし)

うつ病で1年休職もしました。

でも、それなりに幸せに暮らせていますよ。
1流はいらないんじゃないかと。
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この回答へのお礼

 返信ありがとうございます、うつで遅れてしまいました。
「幸せ」ってなんなんだろう…地位・学歴・収入・名誉
いや、そういうものじゃなくて人間関係・友達・家族・恋人…
色々考えてます。
 ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/22 02:09

こんばんは。


いろいろと私自身の言いたいことがないでもないですが、質問者さまの求めておられる「例」を一つ・・・。
私が大学受験の準備をしていた高校生時代に、親の知り合いで紹介してもらった現役大学生の家庭教師のお話です。
その先生は当時、関西圏では一流と言われている大学の2回生でしたが、一浪で入学されていました。
勉強の合間に先生の人生観なんかも聞いたりしていたのですが、その中に挫折~やり直しのストーリーがありました。

先生は高校生時代、地元では有名な進学校にいて成績もトップクラス、高校の担任からは関西でもっとも難関な大学(国立)を受験するようすすめられていたそうです。
でも先生は別の私学を目指していて、それはその大学でやりたいことがあったり、オープンキャンパスで見た雰囲気が忘れられなかったりということが理由だったそうなのですが、とにかく、その高校時代の成績ならどう転んでも合格間違いなしと、自他ともに言っていたそうです。
ところがどういうわけか、入試は不合格でした。入試当日は体調万全ではなかったものの、自己採点では十分得点できていたはずだったのに・・・。
ものすごく落ち込んだそうです。現役で入学できる大学入試がまだいくつか残っていたそうですが、気持ちが切り替えられずにいて、浪人1年生が決定してしまいました。
間もなく予備校への入校を考え、ある大手予備校の試験を受けたところ、数日後に予備校から呼び出されて学長(?)室に通され、VIP待遇で「是非とも我が校に」と懇願されたそうです。やはり予備校の試験結果を見ても、なぜ大学入試に落ちてしまったのか受験のプロが迷うくらいの好成績だったらしいです。
結局、先生はその予備校で二度目の受験勉強に取り組み、次の春には希望の私学に入学できました。このときにもやっぱり国立の方をすすめられたそうですが、頑固な先生は希望の私学一本で受験したそうです。
入学して間もなく、同級生ながら一つ年下の彼女もできたそうです。彼女は別に、先生のことを「一浪したから恋愛の対象外」なんて思わなかったし、私も女性ですがそんな部分で判断はしません。

残念ながら先生が家庭教師でいてくれたのは1年足らずだったので、大学卒業後の行き先はわかりませんが、少なくとも「受験での挫折」を乗り越えた、一つの例としてお話しました。
参考になれば幸いです。

余談ですが私は先生のおかげで30倍の入試に合格、現役大学入学を果たしたのですが、一年半で退学届けを出しました。
その後はバイトを転々として自分探し、24歳でやりたいことにたどり着き、2年経った今はその職種で管理職をやっています。
人生って、何がどうなるかわかりませんけど、がんばったことが無駄になることはありません。でもがんばったことが評価されないのはすごく辛いですよね。
だけど、自分のことを初めに評価できるのは自分自身しかいません。自分が自分をほめてあげる前に周りから言われるのは評価ではなくて、なぐさめや、薄っぺらい労いや、その場しのぎの調子のいい言葉、皮肉妬み・・・あるいは次へ、もっと上へ、というプレッシャーだったりします。
自分が自分を評価できたときにこそ、周りの人も認めてくれるし、また自分も素直に他人の賞賛を受け入れられるのだと思いますよ。
自分のことを評価できないでいるのなら、一時的にでもハードルを下げればいいと思います。
明日早起きして1キロジョギングしてみませんか?
近くの海や川辺で、1コでもゴミを拾ってみませんか?
調理師免許とか電気工事技師とか気象予報士とかカラーコーディネーターとか、考えたこともない分野の参考書を立ち読みしてみませんか?
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この回答へのお礼

 返信ありがとうございます。遅くなってすいません。 
 あなたもあなたの先生も意思の力が凄いですね。他人や世俗の価値観に流されないというか…
 結局やり直せるかどうかも僕自身の意思の問題なんだなと思いました。
ご回答ありがとうございました…

お礼日時:2006/06/14 19:22

#5です。

お礼ありがとうございます。

>今の競争社会でこんなことどうしたらできるんでしょうか?自分が上の方にいればそれは下の人間と自分を比較したりすることはないでしょうが、自分が下にいたら…上の人間と自分を比べてしまうのが人間というものではないでしょうか?

ご質問者さまのおっしゃっていることも然りですが、
他の方の回答にもあるとおり、
自分の価値観で、まずは自分のポジションや考えを
ある程度認識すべきかと思います。
上記は、そのためのアドバイスです。

いついかなるときも周りと自分を比較して
自分のポジションを捉えようとすると、
悪いところが目につきやすく感じると思います。

そんなことを繰り返していると、
ご質問者様が常々おっしゃる
「人間性や勉強面での否定」に繋がるのではないでしょうか?
何かに失敗しただけで、否定されてしまうのであれば、たいていの人は否定されてしまいますよね。
その失敗を悔やむだけじゃなくて、バネにして反省して這い上がっているから、みんな今の自分があるのではないでしょうか?じゃなければ、停滞・下降するのみです。


今は、ご質問者さまのおっしゃる「どん底」でとても辛い思いをされているのは、お礼文や補足からも伺えます。
人並みな言葉ですが、どん底ですから、
これ以上落ちることはないんでしょう?

ずーっとどん底でいるか、少しでも這い上がろうととするかです。

人間性の否定というのがどんなものかはわかりませんが、
ずーっとどん底でいるより、這い上がろうとする人間のほうが、人としてとても魅力あるように思えます。

>自分が上の方にいればそれは下の人間と自分を比較したりすることはないでしょうが・・・

すいません。なんか違うような気がしますが。

上の人のほうが、周りと比較して自分が優位にあることを感じることによって安心する人が多いような気がしますが。
だから、ある一部の人は、自分が上であることを力や言葉やポジション、お金なんかで誇示したがるんではないでしょうか?

ご質問にある、人生をやり直した例に関してはうまく例をあげることはできません。申し訳ありません。

このスレを締め切る頃に、ご質問者さまの心や行動が少しでも前に進めることを祈っています。

自分も落ち込んで苦しんでいるときに、
「頑張ってね」と言われたことがありますが、
それはうれしい反面、ちょっと苦しかったです。

なので、私のアドバイスとしては、
『無理をしないで今できることをすること』
です。

お礼で書いていただいた質問の回答とはちょっとずれてしまったかもしれません。すいません。
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No15です。



私には、cb2532さんが、「エリート階段」とやらを転げ落ちたとは、
全く思えないのですね。おそらく、たかだか1回程度、大きな失敗
があっただけ、なのではないでしょうか。

誰もが失敗はするし、挫折も味わうし、しかしそれを乗り越えて、
成功も掴んでいるはずです。1回の失敗で、全てが終わってしま
う、と考えるからおかしなことになるのです。七転び八起きのつ
もりで、転んでも何度も立ち上がり、あきらめずに戦いを続ける
中で、ようやく成功が掴める、というのが、本当の人間の姿だと
思います。成功を掴むことというのは、そんなに甘いことではな
いのです。

特に「受験」というシステムに骨の髄まで染まりきっている場合、
しばしば、「1回の失敗が全てが終わり」という思考に陥りがち
なのだと思います。必要なのは、「試行錯誤をしながら成功する
方法を見出す」という考え方ですね。

>この状況でも胸張って自分が幸せだと言えるHelfgottさんが羨
>ましいです。

「この状況」などと言われてしまいましたが(笑)、私はそんな
にひどい状況なのでしょうか。いわゆる世間一般の基準で見たら、
年収も社会的地位も、並以上の仕事です。まあ、大したことはあ
りませんが、それでも、一般的に見て、むしろ成功している部類
に入るくらいでしょう。私はそこそこ苦労をしているので、随分
出世したように思うくらいです。

私の友人と比べても、それほど焦りは感じません。
私の大学時代の知り合いの中で、一番尊敬している人たちは、一
流企業やらキャリア官僚やらで働いている人間ではありません。
そうした友人たちを、それほど羨ましいとも思いません。

例えば私の後輩の一人は、私の大学の卒業式の総代でした(総代は
首席で卒業する学生がやる、と言われていた)。私の大学で総代に
なるくらいならば、本気になれば、どこの企業であろうが、就職で
きたでしょう。
しかし、その人が就職したのは、小さな小さな出版社でした。その
人は、自分で追求していきたい問題があって、その問題を専門で扱
っている出版社に就職したのです。なんでも、新卒募集も何もして
いないところへ、自ら就職したいと飛び入りで志願していって、な
んとか情熱を認められて就職したらしいですね。本当に、大出版社
でもなんでもない小さな出版社で、その専門の業界以外では知られ
ていないような所です。

大企業に勤めている知り合いには引け目は感じませんが、そうし
た尊敬できる知り合いが私の周りにいて、彼らと比べて、自分は
何をしているのだろう、と比べてしまうことはあります。そして、
彼らに負けないように、自分を高めていきたい、とは思いますね。

話が色々飛びましたが、元に戻ると、1回の失敗で全てが終わっ
た、などという考えから自由になりましょう。明確な目標を持ち、
それを実現するために、何度も失敗を重ねながら、最終的な成功
を掴み取る、という過程を経験してください。
また、単なる世間的な序列に縛られない、本当の価値基準を身に
つけてください。振り返ってみると、20代前半の頃は、私もそん
な感じだった(cb2532さんと同じだった)ように記憶しているの
で、これから失敗と挫折を繰り返しながら努力を続ければ、乗り
越えられると思います。
頑張ってください!
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。
 「この状況」と書いたのは、「身近にすごく社会的地位の高い人が何人もいる状況」という意味で、決してHelfgottさんを見下したり、小ばかにするつもりがあったりしたわけではないんです。気を悪くさせてしまいすみません。
 最後の一段落、すごく力になりました。いつか「あの時の失敗で学べた事もあったかな」と思える日が来ればいいなと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/05 00:27

過去のやりとりを拝見するに、文系の大学院に進むことを目標にされて大学生活も勉強中心にしていたけれども大学院入試に今年は合格できなくて、思い通りにいかないのが自分を否定されたようで納得できないようですね。

大学院は専門職大学院じゃないですよね。だったら、受験した大学院の側が自分を正当に評価できなかったのか、それとも自分自身が評価に値しなかったのか、そこをご自身で振り返ることをおすすめします。そのような形で自説を検討した上で(定義も明確にし)、他者からの評価を考えたほうがよいと思います。前提とされていることが事実というよりも単なる視野狭窄に陥っているために生じた幻想のようにも見えますので。

この回答への補足

 二回も返信ありがとうございます。
 能力がなかったから落ちたんです、人間性が足りなかったから落ちたんです。努力も足りなかったんでしょう。
 
 前の瀬川さんの話、ありがとうございました。ところで、
>専門職大学院じゃないですよね。だったら…
専門職大学院だったら別のご意見があったのでしょうか?人生をやり直す一つの手段として会計大学院とか法科大学院とか進めてくれる人もいるんですが…、ま、それも合格するのは難しいんでしょうが…

補足日時:2006/06/04 14:37
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NO17で回答したオジサンですが、また書きます。


あなたは大学院へ行きたかったとのことですが、大学院で何がしたかったのですか。何かしたいことがあるから、大学院へ行きたかったんでしょ。まさか院の試験を突破することそのものが目的だったわけじゃないでしょ。
そこの大学院じゃなければあなたのやりたいことはできないのですか。ほかの大学の院ではそれはできないのですか、あなたが今行ってる大学より「格下」の大学の院へいくのがイヤということだけじゃないですか。あなたがやりたい「何か」をやるにはどうしたらいいか、そこから考えなおしてください。
でも、院へいきたかったということは、まだ何年か学生生活ができる経済的余裕があるんだ。親御さんに感謝しなさいね。
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