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最近話題になり始めている事で
「戦国時代は武田家でも騎馬隊はなかった」
といったような事が言われています。
これは日本の馬が小型だった事や
戦国時代のシステムが騎馬隊を組織できなかった事が原因だったようです。
では日本では合戦で騎馬が使用された事はなかったのでしょうか?

例えば日本刀が湾曲しているのは騎馬戦に合わせた為であったと言いますし
昔は騎射が戦闘の中心であったととも聞きました。

では戦国時代は殆ど使われなかったとして
それ以外の時代の戦争ではどれぐらいどのような用途で使用されたのでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

「戦国時代は武田家でも騎馬隊はなかった」という誤解は、


騎馬隊と騎兵隊の区別が付かない人が流した間違った俗説です。
騎馬隊が騎乗兵だけで構成されるなんてことはありません。
モンゴル軍でさえ部隊行動単位のなかに騎乗兵と徒歩兵が混在しています。
機動部隊と支援部隊は両方そろってひとつなのです。

この「教えて!goo」で検索しても
その話はごまんとでてきますから
過去の投稿を振り返ってその間違った認識をまず改めるべきでしょう。

日本の和馬が小型だった事は、西洋のように衝撃戦法を
使うなら不利ですが
日本では西洋とは別の戦術が用いられ
武器の発達も違う方向にむかったということです。
馬上の有利さは、数十キロもある鎧兜をつけて
歩かないでいいだけでなく
そもそも大鎧のようなものを付けて何時間も活動することは不可能で
高い位置は、それだけで位置エネルギーを与えるので
武士の主武器である弓にとって好都合で
太刀や薙刀で切りつける際にも有利に働きます。
日本の槍は他国のものよりも刃が長く
刺すだけでなく切ることができるものも多い。

和馬が小さいとはいっても、
人間が騎乗すると騎兵の全長は2メートルを優に超えるわけで
その心理的効果は無視することはできません。
源平合戦は個人戦でしたが、
南北朝の戦乱以降は集団戦となって
以後古今の記述に騎馬兵を先頭にした突撃の記述が随所に現れます。

戦国時代においても、長槍部隊が主力となったがゆえに
逆に側面の護衛や、その機動力を活かして敵の乱れに乗じるには不可欠な存在でした。

イッソスの戦いその優位性を発揮して以来、
世界各地で重火器と内燃機関が登場するまで
騎乗兵は偵察から奇襲、強襲、伝軍、追撃等々、
戦闘のあらゆる局面に利用されれてきたというのが
実際のところであって
日本も例外ではありません。
ネット上の両極端な意見、(ゲーム的発想の)騎兵の絶対優位性と
その反動で(根拠の不確かな「○○ではなかった」論の)騎兵は無力と考え、
両方とも全く馬鹿げた説なんです。

要するによく知りもしないで間違って
一部分だけを自分勝手に解釈しているわけです。
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この回答へのお礼

「騎馬だけで構成された」部隊はなくても
「騎馬と歩兵の懇請した」部隊は普通にあったわけですね。

しかしこちらの「教えてgoo」で「騎馬隊」で調べた時に見たのですが
「当時の騎馬は輸送には使えても鎧武者を乗せて突撃するには
小型過ぎて筋力も足りなかった」
といった回答が多く見られました。

また騎乗槍というのは実際に可能だったのでしょうか?
手綱を取りながらとなると片手で槍を振り回す事になりますよね。
まして馬上となるとバランスを取るのも難しいでしょうから
相当な技能が要求されたと思いますがどうでしょう?

お礼日時:2006/06/01 21:13

ま、誰の考えを信じようがあなたの勝手ですよ。


教えろとしつこく言って来たわりに
教えてやっても無反応というのもあなたの勝手。
私も過激なことを多少言ってますが、
それを含めて真に受けないことですな。
着眼点が正しくても、結論までも正しいとは
限らんわけで、納得するまで
勝手に自分で一から検証していけばいいんじゃないの。
ただ仮説は実証するのが非常に難しくて
いつまでたったも疑問符が付きまとうけどね。

ところで、私は鈴木真哉の主張について
ここでは反論を全く書いてません。

私が書いているその下の部分は
「回答に対するお礼」に対する返事です。
あなたが何考えているのかよくわかりませんが
勝手に読み違えて誤解しないでください。

鈴木説に関しては賛否両論、
ネットでも書籍でもいろいろ方々でなされているので
それでも勝手に読んでください。

手取り足取り教えてあげるほど私は優しくないので。
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「端的にいえば鈴木真哉の主張には根拠が希薄で方々から批判を受けていて、問題提起というよりも自分の著作を売り上げることが最大の目的ではないかなという気もするのであまり真に受けないほうがいいと思います。



というお話ですが、反論の内容を見ますと正しく「根拠が希薄」なようですね。専門家と称しておられますが、いったい何の専門家なのか不思議です。

批判なさっている鈴木氏の説の方が、具体的な根拠に基づいた考察がなされているように私には思えます。

「歴史群像シリーズ「図説・戦国合戦図屏風」学研」、これは役に立ちそうな本ですね。さっそく探してみます。ありがとうございました。
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日本には明治まで組織的騎馬隊はなかったと云えます。

    騎馬武者(騎乗武士)はいました。
源平時代から、武将は重い大鎧、兜、武器をつけたので、楽に移動するため、馬に乗りました。   護衛や荷物持ちに、徒歩の家来数人の供を連れていました。   当時の騎馬武者は弓を持っていました。  馬術と弓術に長けているのが、武将に必須でした。  那須の与一が例です。   両手を使わず馬を乗り回し、走りながらでも、弓を射る流鏑馬(やぶさめ)もありました。   合戦で矢が尽きれば、大太刀で戦い、徒歩になり組討もありました。
弓でなく、薙刀をもつ騎馬武者もいました。   薙刀、太刀どちらも切るより叩いたと云われています。
南北朝時代は弓が安価になり、徒歩武者にも普及したので、騎馬武者の武器は薙刀が多くなったようです。  振りかぶり兜を一撃して、脳震盪を起こさせたと云いますが、実験してみる必要がありそうです。
日本の馬は小柄でパワー不足で鎧武者を乗せては疾走できず、隊を組むのは困難だったようです。
以上には 川上 康著「源平合戦の虚像を剥ぐ」講談社 が参考になります。
戦国時代には 歴史群像シリーズ「図説・戦国合戦図屏風」 学研  が一番参考になります。   時代考証が問題ですが、慶長期に書かれたものや、江戸初期のものは、信頼性が高いと思われます。  
この頃の騎馬武者は弓を持っていません。  弓足軽、徒歩武者の担当になったのでしょう。   初期の図ではまだ薙刀が結構いました、あと槍、太刀です。   馬上ではなにも持たず、供に槍を持たせていたのも結構いました。   その後の図では槍が主流です。
長篠合戦図では武田騎馬武者は供連れで、これでは騎馬隊は出来ません。
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そもそも戦国時代にかかれたとはっきりわかる


屏風絵自体が少ない、
逆にいうと屏風のほとんどは江戸時代に描かれたもので
屏風絵やそのた絵画の流行が戦国時代よりも後なので
何をか言わんという感じですし、
そもそも絵画とは様式美であって
写真のような写実性が重んじられていないので
それがそもそも資料として適切かどうかはなはだ怪しいのです。

しかし、ま、そんなに知りたいなら時代を広げればないことはない。
岩国歴史美術館所蔵の川中島合戦図屏風なんかには
はっきりと槍で戦う騎乗兵の姿があるし
徳川美術館所蔵の長篠合戦図屏風なんかにも同様のものが描かれてますね。
非常に有名な作品で、見たことぐらいあるはずですが。
あとは福井県立博物館の姉川合戦図屏風にも。
ほとんどの合戦図には
「馬上で槍を用いて敵と戦っている」様子にみえる構図がありますね。
戦国時代に描かれたものではないと難癖はつけられますが
戦国時代の合戦をテーマに描かれたものです。

あとあなたが”棍棒機能”と命名しているのは
長槍のことでしょうな。
騎乗兵の槍は1間半から2間(2.7~3.6m)程度で
歩兵用のは長槍は3間半(6.4m)もあって
双方は同じ槍でも使い方も違います。
また切れるほど刃が長いのは南北朝時代の古い槍で
戦国時代のものは切る能力はほとんどなく
両鎌槍や笹穂槍は切るというより敵の刃を受けたり引っかく程度。
槍の主機能は突くこと、長槍が叩くのは
相手の戦陣を崩したり穂先を上げさせるためです。
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「槍を振り回す」と言う表現に拘っておられるようですが、では


「戦国時代を描いた屏風などの絵画資料で、「馬上で槍を用いて敵と戦っている」様子を示すものは存在しないと思います。そのような事例があればぜひお教えください」
と修正しますので、改めてお答え頂けますか?

なお、「徒歩の武士が槍で戦っている」様子を示すもの、「馬上の武士が兵を指揮している」様子を示すものは多数存在すると認識しております。

なお、槍の主機能は「相手と相手の武器を打ちのめすこと」、即ち棍棒機能であり、刃で突いたり斬ったりすることは副機能であったようですが。
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古今東西、刃物は”振り回して”使うものではありません。


刃物を振り回すのは頭のおかしい犯罪者が事件を起こしたときの描写ぐらいです。

馬上で槍を振り回すといういう行為自体が無意味というか
力自慢を誇示する程度の余興というか、
漫画的発想と言えるでしょう。

振り回して使える武器といったら
多節棍とか連接棍棒の類ぐらいでしょう。
日本でいうところの乳切木とか鎖鎌のようなものです。

当然ながら、地上で徒歩で戦っても槍は振り回したりはしないものです。
振り回したら、相対する敵から刃先を遠ざけるだけなので
その隙に敵に簡単に突かれてしまいます。
殺してくれといってるようなものでしょう。
振り回すという行為と戦うという行為が一致しないのに
どうしてそれが描かれるでしょうか?

それから近代騎兵の槍はそういうものではありません。
それは中世騎兵の話でしょう。
重装甲騎兵の衝撃戦術が流行した時代、
馬上試合が行われていた時代の話。それは近代以前のこと。

”近世”(言い換えると中世が終わるとすぐ)になって
ヨーロッパでは銃砲が主武器となったので
重装甲も護拳のついた馬上用長槍も廃れました。
以後は槍騎兵自体が少なくなりますが、
ナポレオン戦争でちょっとした槍のリバイバルがあって
一部の軍隊で再び採用されるようになりますが
その槍は突き刺すもので、ぶるかるものではありません。
まっすぐに構えてぶつかるというようなやり方は
十字軍前後の話でしょう。

あとサーベルも振り回しては使いません。
というか、「振り回す」という表現の使い方を間違ってるのかな。
振り上げている絵はあっても、振り回してる絵ってのは
ないと思いますよ。
サーベルを振り回して敵を倒す???
厳密に考えると変な行為だと気づきませんか。
これが変なんだから槍でも変だってわかるでしょ。
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「日本の馬上用の槍は片手でも扱える長さですが


基本的には両手を使います。」

戦国時代を描いた屏風などの絵画資料で、「馬上で槍を振り回して敵と戦っている」様子を示すものは存在しないと思います。そのような事例があればぜひお教えください。

なお、欧米の近代騎兵は確かに長い槍を装備していましたが、この槍は両手で振り回すものではありません。まっすぐに構えて、何かに「ぶつかる」方法で使うものです。

近代騎兵が振り回して敵歩兵などを倒す際の武器は、片手で使う「サーベル」です。これは、多くの絵画資料などで確認できます。
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端的にいえば鈴木真哉の主張には根拠が希薄で


方々から批判を受けていて、問題提起というよりも
自分の著作を売り上げることが最大の目的ではないかなという気もするので
あまり真に受けないほうがいいと思います。

騎乗兵が十分な訓練を要するのは当然です。
だれでもできるものではありません。
馬も高価ですし、維持費も高く、騎乗者の技能もいるために
軍隊における騎馬兵の比率は歩兵よりも低いのです。
これは世界的な傾向です。
クラウゼビッツなどは戦争論でわざわざ最適な歩兵と騎兵の比率を論じているぐらい。
戦士・騎馬文化を持つ民族では中世以前に
ゲルマンでもモンゴル、中世日本の武士でも
子供の頃から訓練を始めて、
育成に独特のやり方があるのが普通で
日本には流鏑馬という伝統がまだありますが
あれはまさに両手を離して矢を射るという技術の訓練のためのものです。

馬上で手綱を放せば落馬するなんてのは
鐙という発明が古代においてなされたということを
知らないのかなとしか思えません。
騎乗の仕方には大別して、両足を突き出して踏ん張るタイプ(フランス風)と
両膝をまげて股に挟むタイプとがあるそうですが
どっちにしても騎乗者は下半身をつかって
馬を制御します。

日本の馬上用の槍は片手でも扱える長さですが
基本的には両手を使います。
ただ誤解しないでほしいのは
馬で全力疾走しているときに
槍を使うような状況にはまずならないということです。
馬をよくマシーンのように誤解する人がいますが
馬のスピードは概して人間の移動速度よりも遅いぐらいで
戦場でもギャロップさせるのは僅かな時間、僅かな回数です。
(酷使すると馬は簡単にへばって死ぬ)
そして白兵戦が始まったら馬は
その騎乗者が戦っている相手がある場合は動かないでいいわけで
敵味方が入り混じっている周りで馬の移動はわずかですから
足で馬を制御できるわけです。
馬寄せして敵騎乗兵につかみかかって落馬させて
短刀で刺すというのは源平の頃からの戦法ですが
逆に言うと落馬しない技術がある者ほどすぐれた乗り手ということです。
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多分おっしゃってる騎馬戦とは騎馬武者同士の一騎打ちの事とおもわれます。

元来武者は馬を一騎打ちの際の格闘用の道具として考えており、その速さを十分に生かして集団で戦う概念はありませんでした。
それを変えたのは源 義経でしたが、その後も騎馬の集団運用が合戦の中心にならなかったのは、他の方も言っておられる”騎馬武者の周りに従者が付き従う”家単位のシステムがあったためです。(手柄の証拠として敵の首をあげるには家単位の方が有利)
ですから、戦国時代に限らず合戦では殆ど騎馬の集団運用はありませんでした。

No.4の方が答えられていた秋山 好古の騎兵第一旅団ですが、ロシアのコサック騎兵に比べ規模が小さかった(ロシアは騎兵軍団)事、司令部に騎兵の集団運用を知ってる人がいなかった事等もあり、結局偵察と後方かく乱活動以外は下馬しての陣地防衛戦が主体でした。
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