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先日テレビを見ていたら日本人が選ぶ歴史上のベスト100人という番組がありました。
最後まで見てましたが信長秀吉家康は全てトップ5近くに入っていました。
これに関して私は少し疑問に思います。
まず戦国時代ばかりに気をとられないでもっと幅広い視野で見たほうがいいのではないでしょうか。
また、彼らは何万、何千もの人々を殺していますが現代の凶悪犯罪者でもせいぜい人を殺したとしても10人かそこらだと思います。これだけたくさんの人を殺している人を英雄扱いにしてもいいのでしょうか。
大名の話(特に成功談)をそのまま鵜呑みにしないで民衆の苦しみとかにもっと思いをはせるべきだと思います。自分の野望を果たすために多くのものを犠牲にしているとは思いませんか。
合戦にまきこまれて死んだ人々の苦しみを著しく軽視している気がしますが。

A 回答 (9件)

直接的な回答ではありませんけど・・・



~は本当に英雄か、というのにはまず「英雄」とは何か、というものを考えなければなりません。
人殺しは英雄なのか?それとも英雄ではないのか?

そして、改革のために流れる血は、血を流させるものは「悪」なのか、それとも改革のためには仕方がないことなのか。
改革のために何十万という血を流させることは本当に「悪」なのか?
また、その改革は本当に「善」なのか?なにをもって「善」とするのか、そして何をもって旧体制を「良くないもの」とするのか?本当に旧体制というものは良くないものなのか、本当は改悪なのではないか?
改革によって本当に民衆は解放されたのか?それとも別の概念に縛り付けられただけなのか?もしくはさらに悪くなったのではないか?

さて、今までいろいろ例を挙げましたけど、回答者さんの答えはいかがでしょう?
もし答えがでたら、その基準で出てきた人があなたにとっての「英雄」なのです。
結局、英雄というのは概念でしかありません。本当の英雄はいないですし、またどこにでもいるのです。

人によって英雄は変わります。ある人はフランスのジャンヌダルクを英雄と挙げ、またある人は百年戦争においてフランスの敵対者であるイギリスのエドワード黒太子を挙げる。
ある人は織田信長を挙げ、またある人は彼に敗れた浅井長政を悲劇の英雄として挙げる。

現代でも同じです。たとえばイラク戦争でアメリカは自由をうたっていますが、フセイン政権のおかげで富を得ていた人や特権階級であった人からしてみればアメリカは「絶対悪」とでも呼べるものでしょう。
そもそも、人間にとって自分から何かを奪おうとしたり実際に奪う人は、奪われる当事者にとっては根本的に「悪」なのです。これはおそらく今も昔も同様で、そして未来永劫変わらないでしょうね。

信長を英雄であるという人がいます。しかしそういう人がいるのならば信長は間違いなく英雄の一人なのでしょう。しかし、当時彼と同じ時期に生きて、敗れ去った数多の人たちにとっては信長は絶対に英雄にはならない絶対悪です。
そして信長は英雄ではないという人がいます。それもまた当然の見方でしょう。

つまり英雄というのは個人の価値観でまったく違うものになるのですから、回答者さんが彼は英雄ではないと思っているのでしたら、やはり彼は回答者さんのなかでは英雄ではないのでしょう。
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この回答へのお礼

みなさんありがとうございました。
信長秀吉家康を少し見直しました。

お礼日時:2006/05/27 13:35

あくまで私見ですが、信長は現在なら自己愛性人格障害と診断される異常な人間だと思います。

信長不在時に寺詣でをしていた5人の侍女に激怒して、とりなそうとした住職ともども、切り殺したこと。 何十年も前に許した筈の裏切りを持ち出して、長年つかえた部下を追放し、野垂れ死にさせたこと。 妹を嫁がせて味方にしたはずの浅井が、裏切ったことに激怒し、のちに滅ぼした際に、妹とともに城を逃れた7歳の、信長にとっておいにあたる浅井の長男を串刺しにして処刑したこと。 浅井長政の遺体の頭蓋骨を塗って椀を造らせ、酒を盛って勝利を祝ったこと。その時にその酒を飲むことが出来なかった明智光秀を激しく叱責して衆人の前で足蹴にしたそうです。信長の超人的な発想や活躍も、普通の人間とは違った感性が生み出したものかもしれません。

 秀吉は、若い頃はやる気満々のアイデアマンですが、晩年は老人性痴呆にかかったと思われます。朝鮮出兵に追いやった武将の不在に、奥方を訪ねてはよからぬ行いに及んだということで、細川ガラシアはわざと短刀を胸から滑り落として覚悟を見せ、難を逃れたということです。若き日と、老いてからの落差がありすぎて、無残です。

家康は、彼のブレーンが我慢強く優秀でチームワークがとれていたという感じです。余談ですが、家康はしんがりを勤めた戦いで命からがら逃げ戻った時に脱糞していたそうです。

英雄って言うと、卓越した人格と実力人望を兼ね備えて、大きな危機から人々を救った人間、、をイメージしますが、この3人は私的には、かなり違っています。
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 歪んだ社会制度に虐げられて死んでいった人々の苦しみをいじるしく軽視していますね。

そんな歪んだ狭い視野でしか歴史を見ないという姿勢ではなく、もっと幅広い視野で歴史を見る訓練をしましょう。

 まず、視野を広げて世界史上での英雄を見ると、近代以前の人物は何万人何千人の死を結果としてもたらす動きをした人物です。「殺した」ではありません。自分の手で殺せる人数など、数十人がせいぜいです。にも拘らず「殺した」などと表現する点から、あなたにが妙なバイアスを持っていることが分かります。恐らく、OEM 元はマルクスでしょうね。
 そして、更に視野を広げてなぜそうなってしまうのかという構造に目を向けると、社会を変えるためには近代以前には軍隊をもってするという以外、選択肢が無いからです。選挙という手段で政権交代が行なわれことは、近代以前にはありません。従って、考え方の違う者が政権を取るには、実力行使しか無かったわけです。
 信念同士がぶつかったとき、話合いでの解決などは、あり得ません。
 その現実を知らず、社会を変えた偉人を英雄と認めたくないからといって、貶めようとする姿勢が他者の目に映るか、少しは想像した方がいいですね。
 ちなみに、あなたの信じるマルキシズムを信奉する国家は、かならず自国民を虐殺します。「考え方が違う」ということを共産主義は許容しないからです。

 マルクス史観をそのまま鵜呑みにしないで、歴史の流れというものにもっと思いをはせるべきです。それが、あなたが洗脳から覚める道ですから。
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「大名の話(特に成功談)をそのまま鵜呑みにしないで民衆の苦しみとかにもっと思いをはせるべきだと思います。

自分の野望を果たすために多くのものを犠牲にしているとは思いませんか。」

この表現に一番よく当てはまるのは、社会主義国の独裁者ですね。スターリン、毛沢東、金日成、金正日。皆、国民の何割かを強制収容所で奴隷とし、国民に極度の窮乏生活を強い、自分と取り巻きだけはおとぎ話の王様のような生活を満喫しました。

金正日は、日本海の向こうで現在もやっています。先日、北朝鮮の飢餓を逃れるために脱北して中国で性奴隷の苦しみを味わい、北朝鮮に送還されて収容所で言語に絶する虐待を受けた女性たちがアメリカで記者会見していました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060524-00000 …

金正日は、確かに「人々の苦しみを著しく軽視している気がします」。質問者様は遠い昔の信長秀吉家康ではなく現在進行形で暴虐を尽くしている金正日に怒りを感じませんか?

信長の偉大さについては、勝海舟が簡潔に述べています。「尾張の民は今(明治時代)も信長を崇敬している」と。信長は、敵対する者には容赦しませんでしたが、民を慈しみ、産業を興し、民に害なすものを厳しく罰する、中国の伝説皇帝のような立派な政治家であったようです。有名な逸話ですが、二条城築城の際に自ら工事現場を監督し、女性にいたずらをした兵士を一刀の下に斬り捨てています。

ある意味、犯罪者の人権ばかりが守られ、少年法に守られる少年が人を殺しても刑務所に行かない現代日本は、信長が治める地域より暮らしにくいかもしれません。
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彼らは”英雄”というよりも、”歴史に影響を与えた人物”という表現が適当かなと個人的に思います。


仮に「歴史上影響力のあった人物は誰か」という質問だとしたら彼らが上位にくるのもうなずけるような気がします。

日本国民(日本列島に居住する人)が総じて英雄であると認識した人物は、東郷平八郎などが挙げられるのかも・・・
最近では・・・荒川静香?WBC優勝メンバー?
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英雄と一言で言ってしまうのは間違いだと私も思います。


殺し合いが、良いとは言いえませんが、あの戦乱の世を
治めたということで、英雄としたのではないでしょうか?
結局、今の時代でも武力によって統治されてます。

悪い事すれば、発砲されてまで捕まえようとします。
しまいには、死刑です。
民衆の犠牲ももちろん、あったと思いますが
信長は、農民を、戦に出さず、戦専門の武士を雇い
その武士たちに、町民には手を出さないよう指令を出していたようです
手を出した輩がいたら、その場で打ち首です。
荒れた世を誰も治めずにいたら、日本は滅亡してたかもしれません。
現にその時代、天皇家は、家も修復できないほどでした。
日本を治め、法を統治し、争いを無くしたという点では、英雄ではないかと私は思います。
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戦国時代までの常識を考えないと答えは出ません。


戦国時代までは、寺社が武力を蓄え、関所を設けて通行人からお金を取り、僧侶が長刀を持って他のお寺を襲ってそこの僧侶を殺すことは珍しくありません。
農民も田畑を守るために武器を持っており、夜盗が来たら鋤桑を刀に持ち変えて戦い、村同士が水を求めて争うこともありました。
街道は危険に満ちているので、商人も屈強な男たちを雇って仕入れを行って商品を運び、船も海賊に備えて武器を積んで航海を行う。
アメリカの西部劇で、一般市民も拳銃を持って歩き回り、カウボーイが牛泥棒に向かって銃をぶっ放したり、普通の主婦がライフルを撃ったり、酒場で酔った男が銃を乱射したりしますが、日本もそうだったわけです。
これを正したのが織田信長で、武装した僧侶を全て殺したため、残ったのは経典をもった平和な僧侶だけになり、関所が廃止されたので、商人は自由に旅をし、道中の安全は織田の兵が守るので、用心棒を引き連れて仕入れに行かなくてもよくなった。
農民も刀を取り上げられたので、争いは無くなり、紛争があれば領主に訴えて裁いて貰うという、江戸時代の農民のスタイルが定着します。
これは一種の革命のようなもので、西部のように一般市民が銃を持って自分の身は自分で守り、暴力団がみかじめをせびる世の中から、商人はそろばん、僧侶は経典、農民は鋤鍬、大工は金槌と、武士以外は武器を持たず、暴力団のような非合法組織が街を守るのではなく、領主という警察が守るという社会が出現します。
これを推し進めたのが、豊臣秀吉、徳川家康です。
織田信長が虐殺をやらなければ、現在のイラクのように各勢力が武装して縄張り争いをやり、一般民衆も巻き込んで、毎日何人もの人間が死んでいく世の中になったかも知れません。
僧侶も、イラクのイスラム教の僧侶を見れば、平和とは程遠いことが判ると思います。
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なるほど。


マルキシズムに基づく人民史観で戦国時代を見た、信長・秀吉・家康への評価ですね。

現代の私たちの(それもかなり偏った)思想で、過去の人物を批評しても意味がないと、私は思います。

まあ、無条件に英雄視すればよいという見方には賛成できませんが、秩序が乱れに乱れた戦国乱世を収拾しようと努力し、一定の成果を上げたという観点では、私は評価してもいいのではないかと思います。
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3人とも長い戦国時代を終わらせ、破綻していた日本の社会や経済を改革した英雄ですよ。


民衆の苦しみも当然大いに減らしています。

手術をした外科医に、患者の体に刃物を入れた悪人だと言っているようなものです。
もしも三人がいなかったらどうなっていたのかを考えればよくわかります。

室町幕府滅亡前夜の日本の状況がその後300年続いていたらどうなっていたのか?
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