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素朴な疑問ですが、他は県なのに、どうして北海道は「道」なのですか?

A 回答 (3件)

 こんばんは。


 
 序ですから都道府県という行政単位の呼称の歴史と違いについても一緒に解説しておきます。
 
 “北海道”は本州・四国・九州とは異なった歴史を有しています。府県は明治政府が江戸幕藩体制の“藩”を国の直轄する地方機関である“県”や“府”に置き換えたものです。いわゆる“廃藩置県”です。
 
 しかし北海道、すなわち当時の蝦夷地には江戸幕府の支配は及んでおらず、藩も存在していませんでした。現在の渡島半島には“松前藩”がありましたが、他の藩とは別格の存在です。新しい一つの地方機関で管轄することになり、明治新政府はそれを“北海道”と命名しました。
 
 “北海道”の名の由来は、奈良時代から平安時代にかけて存在した“五畿七道”という行政区画を参考にしたようです。“五畿七道”とは山城・大和・摂津・河内・和泉の五国と“東海道”・“南海道”・“西海道”・”東山道”・“北陸道”・“山陽道”・“山陰道”です。皇宮周辺の五国は重視され、それ以外の地域は国の上に道という行政区分を敷いていた訳です。

 “府”と“県”は重要度の違いと考えるべきでしょう。“県”は訓読みでは“あがた”と読み、単に“地方”を意味する言葉ですが、“府”という言葉は古代から“役所”の意味で使われてきました。そこで明治政府にとって特に重要な東京(首都)・大阪(商業都市)・京都(旧皇宮所在地)だけは府”とし、 他は“県”と呼ぶことになったようです。

 “都”は戦時体制の生き残りです。戦前は“都”がなく、上記の通り東京も“府”でした。“東京都”は太平洋戦争中の1943年に東京市(現在の23区)と東京府の機能を統合して出来たものです。戦争中は国家総動員体制のため、各種の機関が統合されたのですが、これもその一つです。中央集権主義の当時、東京市は国家機関の一種とされていたようです。
 
 戦後の地方自治制度の再整備によって、都道府県の法的な差異は全く無意味なものとなり、単なる名称の違いだけになりました。北海道という名称は「北海+道」でも「北+海道」でもなく、強いていえば“北海道”という名称で“都府県”のような行政区分の名前と地方の名前を兼ねているということになります。厳密な意味では“都道府県”ではなく“北海道都府県”ですね。 
 
 また、北海道には支庁という制度があります。これは広域な北海道の行政区分を分割するものですが、これを一つの県と考えることも可能でしょう。実際にこの支庁を県として独立させることも検討されたでしょうが、北海道の人口は面積比にして少ないです。分割してしまうと、他の“都府県”との格差も大きいということで白紙にされたと思います。
 
 しかし東京都“Tokyo Metropolitan Government”を除いては、神奈川県も大阪府も全て“Prefecture”です。そこで北海道は“Hokkai Pref.”なのか“Hokkaido Pref.”なのか、言語学者の間では論争となっているようです。北海道庁は後者を採用しています。私は“Hokkaido District”を勧めます。その方が“道州制”施行後の名称統一がスムーズに行えると考えます。
 
北海道庁:http://www.pref.hokkaido.jp/menu.html
 
北海道庁>地方分権・道州制:http://www.pref.hokkaido.jp/skikaku/sk-ssnji/bun …
 
戸田孝の雑学資料室>「都」と「道」と「府」と「県」の違いについて:http://www.biwa.ne.jp/~toda-m/geo-hist/prefrank. …
 
>>
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地域の呼称であったのが1947(昭和22)年に施行された地方自治法により都府県と同じ地方自治体としての名前なったそうです。



参考URL:http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/gun/g-hokka …
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江戸時代の「五街道」の名残です。

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