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『源氏物語』桐壷の巻に、桐壺の葬儀を「おたぎ」(愛宕;現在の東山区鳥野辺)で行ったとあります。この頃、既に「愛宕山(あたごやま)」に「愛宕(あたご)神社」があったとされます。同じ愛宕という地名で、「おたぎ」と「あたご」と読み方が異なるのはどうしてなのでしょう?

A 回答 (1件)

もともと、このあたりをおたぎと呼んでいました


ここは愛宕と書いて「おたぎ」と読ませる。古くは愛宕山も「おたぎさん」と訛っていた時期があるのだそうで、その旧称を使っているのでしょう。
もともと、おたぎのオタとは、葬送の地の呼び名で
東山あたりは、今でもお寺や墓地が多いのも葬送の地であったことからです。清水の舞台ももともとは、舞台から
遺体を放り投げて鳥葬するためのものです。

京都市の左京区付近はその昔は愛宕郡(おたぎ)であり、愛宕郷があった。六波羅密寺の付近である。この寺から東は鳥辺野に近く、葬送の地であった。
 一方、洛西の愛宕山登山口の清滝には化野念仏寺(あだしのねんぶつ)があり、ここはやはり葬送の地であったので、弘法大師が石仏を刻んで供養した地と伝わる。「あだ」は移り気、はかないの意味で、愛宕のアタに通じているのである。東の愛宕のオタも同じ意味。

愛宕念仏寺の紹介
今から約1240年前に稱徳天皇の開基により、
山城国愛宕郡(やましろのくにおたぎごうり)に愛宕寺が
東山の地に建立されました

愛宕は、おたぎから、あたぎ、あたごと呼び名も変わってきています。
愛宕という漢字は、いつの時代か、あてられた当て字だともいます。もともとは、漢字などはもともとありませんから、言葉が優先の当て字はどこいでもあります。
新しい時代から、一般的に読む愛宕という名前も知られてきたのだとおもいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。清水の舞台のいわれ、もともと漢字などはないという新しい知見を得、大変、勉強になりました。

お礼日時:2006/02/20 15:32

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