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電磁気力は光子が媒介するということですが、
電子A→光子→電子B
の様に電子Aが出した光子を電子Bが受けたとすると、
電子Aの運動量は光子の運動量分左向きに変化し、
電子Bの運動量は光子の運動量分右向きに変化するので
電子AとBの間に反発力が起きるのは良くわかります。

[質問1]
しかし、電子と陽電子間で引力が働く場合がわかりません。
電子→光子→陽電子
のように電子が出した光子を陽電子が受ける場合、
電子と陽電子に引力が働くためには、
光子の運動量が負でないといけないと思うのですが、
そういうのはありなのでしょうか?

[質問2]
電子と電子間は反発力、電子と陽電子間は引力が働きますが、
どちらの場合も光子が媒介するのだとすると、
電子は、光子が電子から来たものか陽電子から来たものかによって、
動く方向を変えないといきません。
光子に種類がないとすると、電子は、どうやって相手が電子か陽電子かを
判別しているのでしょう?

電場を導入すればどちらも当たり前のことだと思いますが、
光子が電磁気力を媒介するという話しを考えると、どうもわからないのです。
よろしくお願い致します。

A 回答 (8件)

光子は一種類ですが、量子力学的には正と負の波動関数を持ちえ、それらは光子が放出されたときの電荷によっている。

という説明になるかと思います。
通常はそれらを一つの光子が二つの性質を持つという風に考えて一種類の光子と数えています。

「一の実態の異なる側面を見ている」と「異なる実態をみている」は言葉の定義で、光子といったときには振幅の符号は一つの光子の違う側面という風に解釈されています。


この問題は深く考えると哲学の問題になってしまい兼ねません。なぜかと言うと光子は粒子のようでもあり波のようでもある量子力学でしか記述できないものなのです。+の振幅の波と-の振幅の波といってもこれを粒子の言葉で考えるのは難しいと思われます。また光子は通常の粒子と違ってゲージ粒子と呼ばれ、バンドル理論という非常に高度な数学をもって記述されるものです。そして、ゲージ粒子というのはいろんな物理的な解釈が出来るものなのです。例えばクーロンポテンシャルの解釈ですら光子が作っているのかどうかということは自明ではありません。あくまでゲージ場のある成分がクーロンポテンシャルだということが言えるだけです。私はクーロンポテンシャルを光子が作っているという立場で説明をさせてもらいましたが異なる見方もできます。

科学は数学の言葉を使って自然を記述するものなので、私たちの限られた日常体験に基づく理解では説明が難しいこともあります。一度電磁気学の本を読んでみたらどうでしょうか。砂川重信著 理論電磁気学 
なんかを読めば非常に参考になるかと思います。
光子と電磁場の関係は場の理論の本を読むと良いと思います。
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この回答へのお礼

なるほど、光子は2種類の波動関数を持つわけですね。たいへんよくわかりました。納得です。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2006/03/04 18:16

疑問点はよくわかりました。

確かに光子は一種類しか存在しませんね。それで、一種類の光子が電場をつくっているのに、+-と++で引力、斥力と区別される理由はなにかと言うことですよね。しかし電場は一種類といっても正と負の電場があります。クーロンポテンシャルと一言にいっても正と負のポテンシャルがありますね

V(陽子の作るポテンシャル)=+|e|/r
V(電子の作るポテンシャル) =-|e|/r

殆んど何も説明になってませんが、一種類だから力は一つの性質、引力だけとか斥力だけとかに限られる必要はないということは理解できると思います。もしも光子が力の大きさだけの情報しかもっていなくて常に引力なら符号は必要ないわけです。(重力は質量に働く引力ですが、負の質量がないために斥力というものが存在しません。)

そこで光子(ゲージ場)が作るポテンシャルには、そういった意味で二種類のクーロンポテンシャルがあります。そしてそのポテンシャルの中に電子や陽子がおかれると光子はそれらの電荷をみて、引力になるか斥力になるかが決まるわけです。

と、こんな風に説明しましたが、こういうことをあまり深く考えると私にはまだまだ分らない事がいろいろでてきます。例えば、陽子が作った電場中に突然電子をおきます。置いた瞬間に電子は周りにある電場を感じて力が働くような気がします、そのときに電場を作っている陽子はどうなっているんでしょうか? 陽子としては、電子が突然現れたからといってその存在が瞬時で分るわけではないので、電子からの光子が飛んでくるまでの暫くの間は動かないのではないかという気がします。こう考えると引力と言っても、お互いに相手の作った電場を感じて動くわけなので、電子が陽子に引かれ、陽子は電子にひかれるというよりも、お互いに相手の周りにある電場に引かれるような気もしてきます。結局おなじ事なのかもしれませんが・・ 。
電磁気が完成されたのは100年以上も前なんでしょうが、なかなかイメージというのはわかないところもありますね。
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この回答へのお礼

なんども付き合っていただき、誠にありがとうございます。

> そのポテンシャルの中に電子や陽子がおかれると光子はそれらの電荷をみて、引力になるか斥力になるかが決まるわけです。

わからないのはここなのです。光子は自分が電子から出てきたのか陽子から出てきたのかを覚えていないと、相手の電荷をみて引力にするか斥力にするか決められないと思うのです。光子はどうやって出自を憶えているのでしょうか?

お礼日時:2006/02/28 23:43

先ず、光子とは何かということの定義を知っておく必要があります。

次に解釈の問題ですが、解釈のことについて物理法則は多くを語りません。+と-が引き合い++、--は反発することについて電磁気学から納得のいく説明を得るのは難しいと思われます。物理法則とは「そうなる」といういくつかのルールに基づいて、そこから何か有益な情報を得るために使うものですから、ルールについて訊かれると困ってしまうのです。ここまで科学解釈に関する一般論で、以下に
shimasakonさんの疑問に出来るだけ答えたいと思います。(長くなりますが、簡潔に答えるのは私にはむずかしいので・・・)
========================
まず、ボルン近似とは古典的な計算に対応した近似です。つまりボルン近似の範囲内では引力と斥力を説明するのに、量子論的な効果は関係ありません。光子という考えを持ち出さなくても、電場があってその電場の中にある電荷同士が引き合うと解釈してもなんら問題はありません。どちらの解釈を持ち出してみても、このレベルでは同じ結果しか得られません。つまり光子という考えを持ち出さずに、クーロンポテンシャルで理解しても良いわけです。

=======================
次にクーロンポテンシャルについてです。これは量子力学では光子が作るだと考えられています。よって先ほどの「光子を持ち出さずにクーロンポテンシャルでも説明がつく」という考えは、量子論の立場では当たり前だということになります。なんせ(電場磁場も)クーロンポテンシャルも光子が作るものだからです。

少し正確にいうと、光子とは「電波を作る量子論的な粒」だというのが通常の定義です。また光子はゲージ場という場が揺らいだ時に生まれる粒子です。通常はクーロンポテンシャルはゲージ場がつくる場の様子、飛んでいくわけではなく、電荷の周りにひろがったゲージ場の形です。

(水面をイメージしてください、水面が揺れると波が出来ます、これが電波に対応しています。つまり古典的な電場や磁場です。クーロンポテンシャルもそういった場に対応していますが、クーロンポテンシャルは波のように飛んでいくわけではなく、電荷から広がる
1/rの勾配をもった場の様子です。

更に水面を激しく揺らすと、水滴が飛び散ることもあるでしょう、この水滴は光子に対応しています。
どちらも、元を正せば水面を構成する水が違う様子で見えただけです。どちらも元を正せば水です。)

話をもどして、つまり元を正せば、どちらも同じゲージ場という場の揺らぎ(飛び散り?)です。そういった意味で電場や磁場、クーロンポテンシャルも全てゲージ場に関係した光子が作っている場という見方ができます。
========================
最後に光子という考えが受け入れられている、つまり正しい解釈だと信じられている理由。

先ず電場も磁場も光速で広がるということから、電荷から何かが飛んでいく、または広がっていく様子だと思うのが自然でしょう。電荷が原点あって、その周りにクーロンポテンシャルが在るという状況も、実は電荷を置いた瞬間は電荷の周りにそんなものはなく、時間がたつと徐々に(とはいっても光速cで)広がっていくということが分っています。shimansekonさんの言う「電場によって引き合う」という説明の電場も、一瞬に広がるわけではなく、電子から飛んでいって電場を徐々に作るわけです。そうやって出来た電場は陽子に影響をあたえるわけですが、それを光子が飛んでいくことで電子と陽子がキャッチボールをしていると解釈できるわけです。(ただそれが引力になることは説明していませんよ、引力になることは電磁気学のルールを作った時に、+-では引力、++、--では反発力になるように作ったというのが正しいと思います。)
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この回答へのお礼

詳しい説明をいただきありがとうございます。
電場を光子がつくるというのは私もおそらくそうであろうと思います。ただ、わからないのは、電子が作る電場と陽電子が作る電場は性質が異なるが、1種類しかない光子がどうやって異なる電場を作るのかということなのです。電子から出る光子と陽電子から出る光子は同じものではないですか? 2つの電場の違いはなんなんでしょう? 引力になるか反発力になるのかが電荷そのものの性質によるのだとすると、光子*のみ*が電磁力を媒介していることにはならないと思えるのです。

お礼日時:2006/02/26 21:22

「引力が働くのは光子の運動量が負になるから」と考えるのは適切ではないと思います。

なぜならば下の図形で内線の光子の運動量は電荷の符号が同じときも異なるときも変わりません。

 \     /
  \   /
   ……
  /   \
 /     \ 

実際ラザフォードの公式を見ると、微分断面積は電荷の符号が異なるときも同じときも変わりません。微分断面積については基本的に引力と斥力の差はないのです。ポテンシャルをV(R)とすると、よく知られているようにBorn近似では振幅は <q'|V(r)|q> で与えられます。場の量子論ではグリーン関数をGとすると <q'|G|q> が相当します。そこでこの振幅のTree近似によって古典的論のポテンシャルが求められると考えられています。量子電気力学では各粒子の電荷をeとe'とすると非相対論的近似で
 <q'|G|q> ≒ ee'/r
となることが示されます(例えばランダウ=リフシッツ相対論的量子力学1§83)。これにより力は距離の逆二乗の比例し、電荷の符号が異なるときは引力であることが分かります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。疑問の半分がわかった気がします。
図のような電磁相互作用では電子でも陽電子でも関係ないんですね。例えば、電子/陽電子からシンクロトロン放射した光子を別の電子/陽電子にぶつける場合を考えると、光子は、電子から出たのか陽電子から出たのか区別がつかず、また、その光子を電子が吸収しても陽電子が吸収しても、確かに同じ方向に運動量を得ると思われます。なるほど。
が、疑問の残り半分がやはりわかりません。
ご回答の後半部分でポテンシャルを導入していますが、この場合は、電子が力を受けるのは電場からと考えるのが適当ではないですか? ここでの光子の役割はいったいなんなんでしょう?
元の質問のとおり、私の疑問は、光子が電磁気力を媒介するとはいったいどういうことか?(特に引力の場合) ということなのです。
ちなみに、Born近似とかTree近似とかはちんぷんかんぷんです。何か思い違いをしているようでしたらご指摘ください。よろしくお願いいたします。

お礼日時:2006/02/21 22:40

摂動の最低次で電子-電子散乱の振幅は次の図形(及び運動量を交換したもう一つの図形)で表わされます。


 \     /
  \   /
   ……
  /   \
 /     \      

この図形では光子が電子からのものか陽電子からのものかはもちろん区別していませんし、遷移確率は振幅の絶対値の二乗なので電子と陽電子の間に何の区別もありません。しかし電子-陽電子散乱では同じく摂動の最低次で光子交換型の振幅の他に次の生成消滅型の振幅もあります。
 \  /
  \/
  :
  :
  /\
 /  \ 

この過程があるために電子-陽電子散乱は電子-電子散乱と異なってきます。電子-陽電子相互作用は光子で媒介されると言うのは正しいが、光子が交換されると言うのは部分的にしか正しくないとと言えるでしょう。電子と陽電子運動量が最初ほぼ0であった場合、古典的には軌道を観測して距離が近付くにつれ運動エネルギーが次第に大きくなることで引力が働いているのを知ることができます。ところが量子論では古典的軌道という概念はなく、観測されるのが始状態と終状態の運動量だけとするとエネルギー運動量保存により始状態の運動量がほぼ0なら終状態の運動量の運動量もほぼ0ということになり、力が引力か斥力かさっぱり分かりません。これは私も不思議です。束縛状態を作れるかどうかは、引力か斥力かの一つの判定法になると思います。上の生成消滅型の過程のために電子-陽電子はポジトロニウムという束縛状態を作ることが示されます。また古典論に対応するのは場の量子論ではTree level(すなわちループを含まない図形)と言われています。古典論のポテンシャルがいかに再現されるかについては
Peskin, Schroeder; An introduction to Quantum Field Theory
の始めの方にあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
しかし、どうも納得できません。
電子と陽電子は生成消滅型の振幅というのがあるというのはわかるのですが、電子と陽子の場合はそういうのは考えられません。電子と陽電子との間の電磁相互作用と、電子と陽子の間の電磁相互作用は同じではないですか?(すごく近づくと量子論の効果が現れて違ってくると思いますが、たとえば両者が1cm離れているような場合)

お礼日時:2006/02/19 21:05

運動量を交換して引き合うというのは、たとえ話で、あまり正確な記述だとは思いません。

First_Noelさんが書いているように負の運動量を交換するというのも本当ですが、付け加えるなら、「大きさ方向が異なる全ての運動量を交換します」。それで私も大学の授業で最初に光子のキャッチボールを習ったときには納得できなかったですが、友人や先生に質問してある程度理解した後はそういう説明はあまりよくないという考えに落ち着きました。

まず、引力か斥力かは電荷によっていますが、交換する運動量だけでは++の斥力と+-の違いは説明できません。また重力は常に引力ですが、これも運動量だけに着目していると説明できません。重力が常に引力なのは重力子がスピン2だという事実に関係していますが、これを分りやすく説明するのは至難の業だという記事を見たことがあります。記憶が正しければ益川敏英著の「いま、もう一つの素粒子入門 パリティーブックス」にそんな話が載っていたと思います。

もしかしたらファインマン物理とかに良い説明ないですかね。手元に本がないので確認できません、興味があればファインマン物理を調べてみるとよいかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、スピンが関係してくるのですか。
となってくると、私が本当に理解するにはかなり難しいことのようです。
量子力学はほんのさわりしかわからないので。

お礼日時:2006/02/19 20:56

「場の量子論」「ゲージ理論」は詳しくありませんのでコメント程度ですが,



電子と陽電子(電子と陽子でも良いでしょう)とが光子を介して引力を感じるのは,
光子の運動量を交換してと言うのではなく,
光子の影響を感じれば,「電荷」によってその効果が変わる,と言うことでしょう.
この「電荷」と呼ばれる性質は,個々の粒子の「波動関数」で表現されるもののひとつです.

余談ですが,陽子と中性子とは中間子を介してくっついていますが,
この中間子は負の運動量を持っているとか何とか.
で,中間子を砕いてみれば,クォークと反クォークが1個ずつ対になっていると
理論では記述され,実際,理論からの予測は衝突実験でそれが検証されています.
ので,「負の運動量」と言うものはアリなのだと思います.
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ということは、電磁気力は光子をキャッチボールすることで発生するというのは、専門家が素人にわかりやすく説明するための方便ということなのでしょうか。

> 中間子は負の運動量を持っているとか何とか
なんと、それは初めて聞きました。それなら光子が負の運動量をもっても不思議ではありませんね。もしそうなら非常にわかりやすい。仮想光子の場合はありなのかな。

お礼日時:2006/02/18 22:41

私も理論は全然知らないのですが、


ニュートン力学的に、フォトンの運動エネルギーや運動量が電子に与えられる、ということでは無さそうです。
(光電効果は、似てますけどね。)

湯川秀樹が場(力、ポテンシャル)から中間子の存在を予言したのと同様に、電場・磁場の存在の説明にはフォトンという粒子の存在が必要なのでしょう。


あなたと丁度同じ疑問を持っていた人を見つけました。
氷の上でキャッチボールすることに例えています。
捕ったり投げたりする度にバックしていく・・・(笑)
面白いので是非読んでみては。相当頭の良い人だと思われます。
http://homepage3.nifty.com/gyakusou/sou4/kakuyu/ …
↑まずは、(3)節と(4)節は、飛ばして読んでください。
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この回答へのお礼

ご紹介のサイトを読んでみましたが(数式は全部パス)、残念ながらはっきりこうだという結論はよくわかりませんでした。
ともあれ、回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/18 22:34

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