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最近の疑問なんですが、芸術とは音楽、絵画、彫刻、映画、劇などはば広い意味があると思うのですが、なぜ人は芸術を生活の中に取り入れてるのでしょうか?私が思うには、人の気分や雰囲気を変えるためや歴史などの知識を得るため、あと商売のためだと思います。ほかの意見を聞いてみたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

臨床心理士の河合隼雄先生と詩人の富岡多恵子さんの往復書簡の中で、



人間は2分割したり、区分けし、規定することを好む。
(男と女とか、善悪とか、社会の役割とか、何かの組織とか)
その固まった区別をカキマゼルのが芸術だ

という話が出てきました。


知識を得るとか商売にするとかもあるかもしれませんし、結果的にそうなる場合もあると思いますが、根本的というか、最初はそういうもののためではありません。

鑑賞する側は「取り入れる」という感じでしょうが、創っている人のほうは芸術そのものが生活であり、人生なのだと思います。
外から取り入れるものではなく、(他の方もおっしゃっていますが)内側から勝手に生まれてくるものです。

岡本太郎さんとか読むと、画家の気持ちが書いてありますよ。
「芸術は爆発だ!」の意味が、この本でやっと分かりました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4413021 …
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絵をみたり、音楽をきいたりして、


時には良く、時には悪く、
気分が変わったりしますよね。

何か人間(でなければ世界)の中に、
いまだ人間が認知していないものがあって、
それを部分的には感じていて、
それが「芸術」として噴出している。

ってのはどうでしょうか?


もどかしく、なにやら感じられる「なにか」を
彫刻にしたのが岡本太郎だとします。
その彫刻を見て「なにか」をわれわれが感じたなら、
そこに芸術が形成されるのだと思います。
(「なにか」が曲解されることも含めて。)
彫刻をみてもらいたいのではなく、
その先にある「なにか」を伝えたいのでは?
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 K先生に出会っていなければ、絵を描いていなかったかもしれない。


 S先生に出会っていなければ、手紙を書かなかったかもしれない。
 M先生に出会っていなければ、音楽に目ざめなかったかもしれない。
 
 S先生に出会っていなければ、東京へ行かなかったかもしれない。
 T先生に出会っていなければ、日記を公開しなかったかもしれない。
 これらの先生たちに出会わなかった人生を想像することができない。
 
 ◇
 
 音楽は、女友達だ。機嫌の良いときならいいが、そうでない時には、
とても冷淡にあしらわれる。
 文学は悪友だ。味方だと気を許していると、とつぜん敵にまわるのだ。
 
 美術は、まるで兄弟のように、自分のいやなところをすべて持ちあわ
せている。どのあたりが他人にばれているかまで、知りぬいている。
 生前に売れなかった三人の画家が、いちばん人気が高いように。
 
 ゴッホは(仲間うちの画家に)一枚だけ売れたが、その理由は謎だ。
 ゴーギャンは(タヒチの土産物店で)絵葉書が一枚だけ売れた。
 モディリアニは、死の直後(画商に)すべて買いしめられた。
 
 ◇
 
 わたしは、一に音楽、二に絵画、三に文字を愛してやまない。
 これらは、日常生活で役に立たない芸術の序列である。
 役に立たないものほど、厳しい存在感を要求されるからだ。
 
 音楽や美術や文字で心やすらぐのは、作らない人たちだけだ。
 彼らは、芸術家が金ほしさに作ったと思いこんで、金を払った分だけ
うっとりする権利があると信じている。本人に払っていないのに。
 
(学楽同穴 ~ わたしの恩師論 ~ 20050727-1116 走りがきのメモより)
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人はパンのみにて生きるにあらず。


強くなければ生きてはいけない。優しくなければ生きている味わいがない。
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それは、人が豊かな感性を持った生き物だからではないでしょうか?  


       
私の大学の先生の話です。彼は、芸術なんて、しょせん娯楽的なもので、生きていくために必要ではないものなんだ。生きるか死ぬかの時になったら、真っ先に消される職業が芸術家だ、とずっと思ってたそうです。
 
しかしある日、戦争が続いて治安が悪く、今日死ぬかも分からない子供たちが無邪気に演劇や絵をやって、笑っていたのを見たそうです。そして「どうしてこんなこと、こんな大変な時にやってられるの?」という質問に、「違うよ。こんな時だからこそ、僕らは演劇や絵、音楽をやっていないと、自分たちが人間だという事を忘れてしまいそうなんだ」と答えたのを聞いたそうです。それを聞いて彼は、自分が芸術家であることに誇りを持つようになったそうです。
  
人は、言葉を持つ前に音楽や踊りで表現を始めました。文字を持つ前には絵や彫り物、本を持つ前には劇や語りをしていました。そうやって、人間は文明を築いてきました。つまり、芸術は、人間を他の動物と分ける、アイデンティティーの元も根本的なものなのではないでしょうか。
 
No2の方と似ていますが、芸術が「~に必要だから」始まったものではなく、ヒトの感性が発達してくるにつれて、自然に生まれてきたものなのだと思います。だから、芸術をこの世から消し去ることは、人が人でなくならないかぎり、不可能だと思います。
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こんにちわ。

芸術の中で音楽について書いてみますね。
以前、バンドをやっているときに思ったことですが、音楽と言うのは人間の内側から出てくるような感じがします。
つまり、根源的には「XXのために」と言うモノではないと思うのです。
例えば、地上から全ての音楽がなくなってしまったとしても、またスグに復活すると思うのです。


 
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わたしが思うのは、


「人はそれぞれ違っていて、それを交換し合うのは楽しいことだから」だと思います。

とはいえ、日常の生活では、
いつも、周りに合わせたり、集団の中でうまくやっていこうとするばかりです。たまに、疲れます、

芸術は、その人個人が(あるいはグループで)自分が生きてきた姿勢、情熱、えてきたもの、持ってるものを出すものだと思います。

鑑賞側--自分とぜんぜん違う他人がうみだしたものを鑑賞したりみたりきいたり、することで、自分もほっとするのではないかと思います。心の洗濯ってよく言いませんか

「異文化を楽しんでいる」ということだと思います。

作る側--言い表せない情熱や衝動や愛情があって打ち込むのではないかしら

身近な例しか思い浮かびませんが、
絵本を 人が読むのを聞く だけでも、
とっても楽しいです。作り話だとわかっているのに。
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