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テレビの番組で時々使っているので気になっています。
細木数子先生が、時々「ふざけろ、このやろう」みたいなことで文句をいいます。
「ふざけるな」と文句を言うことはあると思うのですが、細木さんの使い方でも間違ってはいないのでしょうか。横に徳光アナウンサーがいるのに指摘をしないということは間違いではない気もします。まねして使いそうです。

A 回答 (13件中1~10件)

 下らない発言に対して「言ってろ」と言うことがありますよね?


 これは取るに足らない戯言を「一人で言ってろ。そんな話は取り合わない」という意味だと考えればよいかと。
 転じて「ふざけろ」は「勝手にふざけていろ。こっちはそんなことに関わりたくない」という意味と考えれば納得できると思います。

 ま、いずれにせよ綺麗な日本語じゃありません。
 しかしTV番組で平然とそんな発言する人は見ててイヤですね。
 そういう事を言う人に「先生」なんてつけることはないと思います。
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No.7です。


ここまできて、多くの回答は「ふざけろ、このやろう」を文法的に解釈しておられるようですが、当事者はいちいち文法に照らし合わせて話しているのではないことは確かです。
言葉はほとんど習慣的なものいいが口をついて出てくるもので、そのときに当事者の言語癖が表面にあらわれるのではないかと思います。
正しい標準語を使うと言う観点からすれば、どんなに理由をつけても「ふざけろ、このやろう」はないと思います。「ふざけるな、このやろう」が正しい言葉遣いでしょう。(^^;
強引に解釈するのは、このをカテゴリを見ている中国や台湾,韓国の方々を混乱におとし入れるのではないでしょうか?
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『国語大辞典』(小学館)によれば、「うそをつけ」の「つけ」は命令形です。



嘘を吐(つ)け
うそをつくならつけ、こちらにはわかっているぞという気持で、相手の言ったことが本当でないのをとがめて言う表現。うそを言うな。
*雑俳・柳多留‐一五「うそをつきなさいと袖でたたく也」
(引用終り)

出典の『誹風柳多留』は1765~1840年に順次刊行された川柳集です。
http://www32.ocn.ne.jp/~senryu/yanagidaru.html
『国語大辞典』は、日本最大の国語辞典『日本国語大辞典』(古語も収録)を要約して編まれた辞書です。
日本国語大辞典第二版
http://www.nikkoku.net/index.html

……しかし、1つの質問に3つも回答して、3つ目は辞書の受け売りという私は、「おととい来やがれ、このすっとこどっこい」ですか?
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No6です。

古文風に言うと、うそこそつけ、ばかこそいへ、今こそわかれめ、というように、已然形が命令形に見えることがあります。(係り結び)そのような流れから生まれた表現では?
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【ANo.9 の補足】


ご質問はテレビでの発言に関するものなので、差別表現について補足しておきます。差別表現は罵り言葉の一種でもありますが、私は(マスメディアでは特に)差別表現は避けるべきと考えています。従来使われていた言い回しでも、差別的であるとして、別の言葉で言い換えられるようになって来ています。
それに対し、「言葉狩り」と批判する人たちもいます。彼らは、「この言葉は差別語ではない。私は差別主義者ではない。言葉狩りが日本語を貧しくする」と縷々言い募るわけです。確かに、差別語リストの中にはくだらない選定も見られるし、「差別表現を自主規制しても差別がなくなるわけではない」にも一理あるでしょう。
しかし、日本語は差別表現を禁じたら痩せてしまうような、虚弱な言語ではありません。差別語を除いても罵り言葉の語彙は強力で、「他の人には言っても私には言って欲しくない」言葉が沢山あります。そもそも、文化とは「偽善の体系」に他ならず、「反差別は偽善的」と絡んでも仕方ありません。「言葉狩り」論者は、差別の恐ろしさを見くびっているのではないでしょうか。「差別の毒を免れた国民はいない」と言われるように、あらゆる国の人々が、あらゆる理由であらゆる差別をし、されて来ました。差別語は、その惨憺たる歴史の残滓でもあります。

「ふざけろ、このやろう」は差別表現ではないので、「むしろ日本語の面目躍如」と私は書きました。しかし、罵り言葉の華麗な(?)ボキャブラリーを、猥雑なまでに繁茂する言語の生命力として称えても、差別表現は容認できません。私は、「『ふざけろ』は誤用で口汚いだけ」とは思わないと同時に、「差別表現の規制は言葉狩り」とも思いません。
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これは誤用ではなく、「修辞法」の一種でしょう。


修辞法と改めて言うと、美文家の技巧などを連想しがちですが、(修辞学の素養のない)私のような人間でも、知らず知らずのうちに見様見真似で修辞を使っています。関西大学社会学部教授・雨宮俊彦さんのサイトに、修辞法の一覧があります。

修辞法の分類
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~ame/word/Rheto …

この分類において、「ふざけろ」は、
3.伝達のひねり(語用論的レトリック)→ 3.4.逆から言ってつたえる → 反語法(antiphrasis)
に該当すると思われます。
漢文の反語は問い掛ける形をとりますが、ここでの反語は、皮肉、あてこすり、「言葉と逆の意味が込められている」表現です。ポイントは次の2つです。
(1)本当に言いたいこととは反対の表現をする
(2)反対の表現によって、むしろ強調されるという効果を生む

この(1)、(2)を満たす表現としては、次のようなものが挙げられます(命令文以外も含む)。
「ウソをつけ」(ウソをつくなの意)
「そうやってやってろよ、てめえ!」(そうするなの意)
「(私を)さあ殺せ!」(殺すな、殺せるもんなら殺してみやがれの意)
「おととい来やがれ」(二度と来るなの意)
「ぶぶづけ食うて行きなはれ」(長居をする客に「そろそろ帰って」の代わりに言う。「ぶぶづけ」はお茶漬けのこと。京都でこれを言われて、本当にお茶漬けをごちそうになる人は、野暮の極みとされるらしい)

「ぶぶづけ……」以外は汚い言い方ばかりですが、我らが日本語が多彩な「罵り言葉」を持っているのは恥ずべきことではなく、逆に語彙の豊饒さの証しとして誇っても良いことです。悪口表現が不足している言語なんて、不自由で血の通ってない貧寒な言語と言うしかありません。その点、例えば英語は、「最高最大の英語辞典」と言われる『オックスフォード英語辞典』の見出し語を集計しても、ほめ言葉より罵り言葉の方がはるかに多いそうです。
「ふざけろ、このやろう」という細木さんの啖呵に、私はむしろ「日本語の面目躍如」と感じます。ただし、占い一般については、宇多田ヒカルも歌ったように「占いなんて信じたりしないで」と思いますが……。

参考にした本、文章:
『国語大辞典』(小学館)、昔書いた拙文
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「勝手にふざけてろ、知らねーよ」


っていう意味だと思います。

違う言葉で言えば、冗談じゃないってことを言いたいんだでしょう。
「ふざけるな」より、インパクトがある使い方かもしれません。
「勝手にやってろ」って言いますよね。
そういう感じじゃないのかな。
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「ふざけているのだろう、このやろう!」


  →「ふざけおろう、このやろう!」
     →「ふざけろ、このやろう!」

細木数子女史は、言葉を明瞭に話せない方だと思っています。
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うそつけ、ばかいえ、などは命令形でなくて、已然形では?その流れからいくと、ふざけれ、となるのですが、「ける」の活用は不規則なので、誤用が生じたのだと思います。

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#4です



回答した後に疑問に思ったことですが
斉藤文敏って誰なんだろう?ってことです
先ほど紹介したサイトだとなんだか身内間の新用語のように思えるので

違うサイト(ブログ)を張ります(同じ疑問が書かれていたので)
http://sophyblog.exblog.jp/248502/

調べれば調べるほど良く分からなくなってきましたorz
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