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質問者:macaco_1974 「風と共に去りぬ」についてわかる人に質問
困り度:
  • 暇なときにでも
2回ぐらい見ました。
が、これが映画史上不朽の名作みたいに言われているのがまったくわかりません。
オハラがレッドバトラーを利用しまくるのは見てて不愉快だし、彼女は安野モヨコの「ハッピーマニア」の主人公の重田カヨコみたいで、とても軽はずみで不実な女性に見えます。
こんな女が暴れまくるのを延々見せられて、最後はレッドに振られて(当たり前だろ!)終わる。
もう、全然この映画の良さがわかりません。

あと、最後のレッド・バトラーのセリフ
(正直なところ、どうでもいい=Flankly,my dear,I don't give a damn)が「映画史上、もっとも印象に残ったセリフ」として1位に輝いたのも意味がわかりません。

別に映画をコキ下ろしたいわけではないのです。
が、あまりにもわからないので、この映画の良さがわかる人、教えてください。
質問投稿日時:05/09/21 14:16
質問番号:1663664
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回答

良回答20pt

回答者:isoiso0423 こんにちは。
ボクもあの台詞がなぜ支持されるのかはよくわまりませんね。どうして有名な”Tommorow is another day”じゃないのかなぁと思いました。

ところでmacaco_1974さんの質問の書き込みを見ると、主人公にまったく共感できないのがこの作品を好きになれない理由のようですが、そもそも「好きな映画」と「いい映画」とは違うものだと思います。
登場人物に共感できないからといって、善し悪しを判断する批評家のような仕事をしている人たちが「悪い作品」と決めつけたら、おかしいことになっちゃうと思うんですけど。
実在した犯罪者や殺人者が主人公なのに、映画史に残るような名作も多いものです。


ところで「風と共に去りぬ」が支持されるのは、まず作られた1939年という年代にあると思います。
この作品が1980年頃に作られたものだったら、こんなには評価されていなかったのではないでしょうか。

それに支持しているのはアメリカの映画関係者がいちばん多いように思います。先の「映画史上の台詞」を選出したAFIも、見る側というよりも作る側にいるような人たちでしょうし。

作る側にとっては驚異的な映画なのだと思います。
特にハリウッドは他国の映画の作り方と比べるとプロデューサーシステムといって、全権利をプロデューサーが握っています。この作品のデビッド・O・セルズニックは伝説的なワンマンプロデューサーで、「THE MAKING OF A LEGEND: GONE WITH THE WIND」というドキュメンタリーを見て、あっけにとられました。

で、ハリウッドを支配する現役のプロデューサーにとってはこのセルズニックは憧れでもあるので、「俺もあんなぐあいに、好き勝手に超大作をつくりてぇ〜」と支持するんじゃないでしょうか。
余談ですがソフィア・ローレンの夫としても有名な大プロデューサー:カルロポンティが60年代になって「俺もあんな映画をつくりてぇ」とMGMで作ったのが「ドクトルジバゴ」です。


ボク自身は劇場やTVを含め5回くらいは見ました。特に登場人物に共感することも毛嫌いすることもありませんが、マックス・スタイナーの堂々たる音楽、豪華なセットや衣装、再現は不可能にも近い大エキストラなど、総合的に見て、「いい作品」だと思いますけど。
ただもうちょっとストーリーの流れに「纏まり」が欲しかったと思います。
製作中にはセルズニックの意向で脚本家も監督も何人も変えられたそうで、先のドキュメントの中でも「脚本と呼ばれるものはセルズニックの頭の中にだけ存在していた」なんて言ってます。
これだけお金を掛けてむちゃくちゃですよね。

ついでですが、世界の映画監督が選ぶベスト映画という中でこの作品を挙げているのは、ジャッキー・チェンだけでした。
種類:アドバイス
どんな人:専門家
自信:参考意見
回答日時:05/09/22 00:56
回答番号:No.7
この回答へのお礼ほうほうほう!
映画トリビアも含めて、読み応えのある返答、ありがとうございます。

一番最後の文章、笑いました。

回答

良回答10pt

回答者:syobohige ちょっと長くなりました(^^;)。すみません。

作品の内容そのものについてというより、作品自体のスケールの大きさ(簡単に言うと美術装置などに莫大な費用がかかっている、という意味)からの評価が、現在では大きいんじゃないでしょうか。

1939年の時点で、4時間近い上映時間、まだ撮影には使いにくかった総天然色(テクニカラー)での見事な撮影効果、火事の場面に代表されるような大がかりなセット、などなど、とにかく作品の出来として“立派”なんだと思いますよ。なにしろ、トーキー(映画の「音」です)だって、長篇劇映画に使われるようになって10年程度の時期ですから。

余談ですが、日本の著名な映画関係者たちも、当時、日本の勢力下にあった上海やシンガポールなどでこの作品を観て(もちろん日本国内では1952年まで未公開)、あまりのスケールの大きさに打ちのめされたという話が伝わっています。「こんな大作を撮るような国と、戦うのは無茶だ」と思ったとかいうのは、戦後になって作られたエピソードかもしれませんが(^^)。

そういう“映画の歴史において意味のある大作”という面を除けば、ストーリーやキャラクター設定などは、力強いけれども図式的&通俗的かもしれません。また、本国では、アフリカ系アメリカ人とその状況に関する描写などが(たとえ原作がそうなっているのだとしても)、現代の視点からすると、大いに批判の対象になったりすることもあるようです。

特に、スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)の役をまったく許容できないならば、かなりキツい3時間52分でしょう(笑)。でも、善人/聖女の見本のようなメラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)が、たとえ全面的に肯定はしないまでも、ずっとスカーレットのそばに居るということで、スカーレットにもひとを惹き付ける、何らかの魅力があったんだろうな…とは、考えられないでしょうか。もちろん、まずは、とんでもなく美貌である、というのが彼女の一番の魅力なわけですけど。(原作の冒頭では、ちょっと違うように書かれていますが…)

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ちなみに、一般的な“映画ファン”からの支持は、今でもかなりあるでしょうが、批評家が選ぶ「映画史上のベスト」では、この作品はほとんど選ばれないと思います。

アート・フィルムではないから? いえ、別に娯楽色が強くても、アートとエンタテインメントとの高度な結合という意味で『雨に唄えば』や『めまい』などは高く評価されているわけですし、「映画史上のベストワン」の常連『市民ケーン』も、内容そのものは、通俗的と言えないこともないですからね〜。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:05/09/21 18:30
回答番号:No.3
この回答へのお礼1939年?!
私の親が生まれるよりも前に製作されたんですね!
すげっ!

技術やスケールの大きさで名作と呼ばれるようになったっていうのも共感します。
ケビン・コスナーの「ダンス・ウィズ・ウルブス」も、映画自体はつまんないのにスケールのデカさだけで立派な賞を取ってたし・・・。
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