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彼が全盛期の時のことをまったく知らないのですが、どういう雰囲気だったのか知りたいです。
聞いた範囲では、暗く冷めていた雰囲気があり、一番人気というよりは、一部の熱狂的なファンに支えられていて、2番手3番手の人気であったと聞いたのですが。
また漫才自体ではさしたる評価は出なかったと聞いたのですがどうだったのでしょうか?

A 回答 (5件)

漫才を「作品」としてみるなら、たけし(ツービート)の漫才の評価はそんなに高くないでしょう。


知る限り、ツービートの漫才がビデオ化されて後世(現在)に残っているという話は聞きませんし。
(これはたけしが拒否しているのかもしれません。今みても笑えない内容だと思いますから)

当時ツービートの漫才は、たけしが一方的に機関銃しゃべりで毒を吐きまくる、という感じでしたね。
いわゆる、笑わせる楽しい漫才、というのではなく、変なもの・反社会的なもの・破壊的なもの、そういうのをドカスカとなんにも規制なく喋りまくる。それを聞く快感で笑う……そんな感じと思います。その手法が新しかったということで、感性とか技法が格別新しかったという風には思いません。

芸風は多少デビューの頃の爆笑問題に似ていますが、たけしの方が破壊的です。爆笑問題はまだまだ世間に遠慮していた、というか、「笑い」の範疇にとどめている感じがしますね。
たけしは笑えないものも平気で喋っていたと思います。つっこみが口をはさめない暴走でした。
漫才の最中、本人はまったくニコリともしません。完全なポーカーフェイスで、危ないことを連発する。「暗く冷めていた」というか、「陰気で、何かにとりつかれたよう」って感じに思います。
それだけたけしの漫才は、別物だったという風に私はとらえています。

また、「コマネチ」というギャグや「赤信号みんなで渡れば怖くない」といった言葉は一般に広まり人気がありましたが、漫才自体は確かに一部の熱狂的ファンの支持が強かった、という感じだったと思います。

THE MANZAIという番組が当時の人気のバロメーターになっていたような気がしますが、その頃の人気としては、「やすきよ」がまず別格であり、伸介竜介、B&B、次あたりがツービートだったかなあ。その他、たくさんいましたが。
ちなみに、確かこの番組の最後の方で、ダウンタウンがやっと出てきます。
ダウンタウンはその漫才のすべてがビデオ化されてますね。今見てもおもしろい。ツービートの漫才は、やはり作品ではなく、当時の「現象」だったと思います。
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>2番手3番手の人気であったと・・・



全盛期というと今から25年ぐらい前の「ザ・マンザイ」「オレたちひょうきん族」、「笑ってる場合ですよ」などの番組があった頃だと思いますが、「B&B」という漫才コンビとトップの座を争っていた、という感じでしたよ。

当時はツービート、B&B、紳助・竜介、ザ・ぼんち、太平サブロー・シロー、のりお・よしお、といった人たちが売れていましたが、ほとんど眠る時間がないくらいの忙しさで、出番を待っている間も油断をしていると、立ったまま眠てしまいそうになるくらいの状態だったそうです。
ですから、漫才をしている時以外の時間は控え室でも他の漫才コンビと「おい、大丈夫か?眠てるか?メシ喰ってるか?」みたいな会話ばかりだった、といってました。

ですから、漫才以外の時間までサービス精神をだして、おちゃらけたり、愛想笑いをしたりする余裕なんかなかったのが実情だと思います。
そのへんを「暗く冷めていた雰囲気・・・」と評したのかもしれませんね。

また、漫才に関する評価は、その評価をする人の立場や好みでいろいろだと思います。昔からの常識を壊そうとする新勢力は、どんな分野でも辛口の評価を受けるのは歴史の示すところです。

ツービートやB&Bの漫才は、ロック風の表現で云えば、「縦乗りのスピード感」という感じで、それまでの漫才には無かったものと云えると思います。

爆笑問題の、司会ではなく漫才を見たことがあれば、あれにスピード感を加えたもの、というのが一番イメージしやすいかもしれません。
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人によって感じ方が違うんですかね?


私の記憶では当時大人気で子供からお年寄りまで幅広く人気がありました。確かにちょっと毒が強いので、小さい子を持つお母様方には嫌われていたのかも。
漫才も「コマネチ!」という一世風靡したギャグがありました。今のお笑いでいうと、爆笑問題の太田さんみたいな感じですかね?世相を斬るみたいなところも似ている気がします。
「俺たちひょうきん族」もたけしとさんまで持っていたようなものでしたね。
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 こんばんは。



 当時の漫才ブームを支えた一人ですから、評価は高かったですよ。
 感じとしては2人組みでは、B&B、ツービート、紳介・龍介の三組が同率一位じゃなかったですかね。
 漫才も才能があったと思いますが、紳介と一緒で合い方の能力との落差が激しすぎて、漫才と言うよりは一人芸と言ってもよかったですね。結局、それぞれひとり立ちしちゃいましたが(笑)。
 オールナイトニッポンのパーソナリティーもやってましたね。アレはおもしろかったですよ。その番組のネタで、本を数冊出したくらいですから。
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いったい誰がそんなこと言っているのでしょうかね?


かなりひねくれた見方であり、当時のマンザイブームを体験した世代としてはそうは思いませんでしたがね?
「暗く冷めていた雰囲気」ではあの当時の人気は出ませんね。

一部の熱狂的ファンでは無かったのは事実です。
「ツービートの「わっ毒ガスだっ」みたいな本まで出ていましたが。
少なくてもそれ以後のお笑いの方向性を「少し」変えたと思いますけど。
毒舌マンザイ(今から比べればおとなしいかなあ?)でしたね。PTAからはきらわれまくっていましたね。
「青少年に悪影響だ」って。
「コマネチッ!」「赤信号みんなで渡れば怖くない」なんか懐かしいなあ。

タマになつかし番組系で「THE MANZAI」の初期を見る機会が有れば良くわかると思いますよ。
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