プロが教えるわが家の防犯対策術!

甲子園で優勝した、駒大苫小牧高校が、野球部長が部員に暴力を振るったとして謝罪しました。明徳義塾高校も上級生から暴力が原因で出場を辞退しました。

確かに暴力は許せません。しかし、先生の私怨によるものでない体罰なんかは、私が学生の頃は、普通に平手打ちとかされてるのを見まし、両校の話を聞くと、たかがそれくらいで大げさな・・・って思う事が多いのですが、それは私が古いからかな?

しかも、発覚したのは両方とも保護者からの通報との事、駒大苫小牧高校の場合はベンチ入りできなかった部員の保護者かららしいですし、なんだか逆恨みっぽくも思えます。(被害者の保護者は30~40発殴られたと主張してますが、普通素手でそんなに殴ったら拳の方が先に潰れると思うんですが・・)被害者の名前こそ出ていませんが、校内であれば、ある程度知れ渡ってると思います。被害を訴えた部員は、今後学校出れるんだろうか?と人ごとながら心配です。

体育会系であれば、少なからず精神論もありますし、指導に熱が入ったあまり、つい手が出ちゃうっていう事はあると思います。私は、それを一律に暴力として否定するのはどうかなぁと思います。みなさんはどう思いますか?

A 回答 (21件中1~10件)

40歳台男です。



私の中、高校生時代は体罰常識でした。特に高校は私立男子校で忘れ物といえば殴られ、修学旅行で遅くまで起きてたといってはひっぱたかれ、マラソン大会でも水も飲めず、髪が長いと指摘されては強制的にバリカン、と今からは考えられない学生生活でした。あの頃はそれが当たり前でした。「スリッパで頭ひっぱたいた」なんてお笑いもいいとこですよ。

部活はバレーボールやってましたが、特に他校の強豪女子バレー部なぞはそれはそれはものすごい修羅場でしたよ。「体罰禁止」なんて言ったら春校バレー出場校なんか、ほとんど出場停止ではないでしょうか?(たぶん今でも・・・)誰もホントのこと言わないだけ。「それで強いなら仕方ない」という空気が蔓延してますよ。私もフジテレビ某女子アナのお父さん(八王子某校の監督さん)の強烈な場面を何度も目撃してますよ。

多分、高校野球の強豪校でも体罰が一切無い!と言い切れる高校がいくつあるでしょう。今回の駒大苫小牧なんか、タレこみで発覚しただけ。みーんなやってることですよ。

それでそれがいけないことか?と問われると、実は私も「多少の体罰は「愛のムチ」で仕方ない」って考えています。もちろんスポーツは根性だけで勝てるとは思いませんが、誰にも負けないくらい練習をした同士が対決したら、最後の最後は根性勝負だからです。

小学校だって今は先生はなめられてますよ。「静かにしなさい!」って言われても「へん!どうせ先生は怒らないし、ひっぱたかれることもねえよ」って小学生に言われてしまう世の中ですからね。だから「学級崩壊」なんて起こってしまうんですよ。

つまりあの事件を「体罰だ!事件だ!」などと言ってる人は、多分運動部の経験がない、単なる理想主義の方でしょう。一切の体罰なしに(もちろん言葉の暴力も)全生徒をきちんと指導し、不良を100%根絶し、運動部を全て全国優勝させる、できますか?

私の考えとしては「指導のためには多少の愛のムチは仕方ない。ただ生徒と先生の信頼関係ができていることが大事。今回の事件は単なる過剰な反応。他の事件も生徒同士のレギュラー争い、全国大会出場をめぐる学校同士のチクリ合戦も多々あり。」ってとこですか・・・
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ちょっとひっぱたいても、暴力は暴力です。


人間の力自体がボタンひとつでコントロールできるなら、
「よし、今怒るなら、弱の-2にしょう!」とコントロールして、
平等に叱ることができるでしょう。
しかし、人間、人それぞれ力の度合いが違い、手がでちゃう場合でも
相手側が当たりどころが悪い場合は失明したり、怪我を負わす事も
ある訳です。よくベビーシッターや、幼児を虐待して捕まる人達も
当人からしてみれば、「言う事きかないから注意してはたいた、または
はたきすぎた」と言って幼児をせっかん死させたりします。
まかりなりにも教育者の立場であり指導する人間が子供と同じ目線になって
怒ってどついているのなら、その辺の街のチンピラと変わり
ありません。もし、教育の一環としてやったのなら、そういう発表をすれば、いいのです。「教育の一環としてやりました」とつきとうせば良いのです。
しかし、どうでしょう?騒ぎが起こったとたん、手の平変えて民事、刑事裁判起こされたら来年に響くので、すぐ和解しましたよね。ようするに
いきすぎた暴力行為を認めたわけです。
島田紳介の件にしてもそうです。島田紳介は素行が悪い従業員にひっぱたいた
のですが、訴えられました。手を出したのは悪いと泣いて記者会見してましたよね。そんなに泣いて謝るのならはなからやるなって事ですよね。
みっともない。そんなにどつきあいしたいのであれば、極真空手か、柔術
でもやれば、いいのです。その時は契約書として、死亡時の場合保険が提示されます。そういう団体の方がとてもはっきりしております。
>つい手が出ちゃうっていう事はあると思います。
つい手がでてまかり通るよのなかであれば、痴漢行為でも「すいません、
つい手がでてしまいました」と許せてもらえるし、かーとなって、
飲み屋で客とけんかしても、全て「つい」「うっかり」で許されて
しまいます。仕事しっぱいしても「つい」で...。
まず、暴力をふるって傷害事件で、賠償犯した事の無い、ぬるいやつは、
暴力を肯定したりします。1発殴ろうが、40発殴ろうが暴力は暴力です。
1円盗んでも1千万盗んでも、泥棒行為は泥棒行為です。
少しの暴力でも肯定するのであれば、例えば、会社勤めならいつも、
後輩を仕事の指導の一環として何人かの人間をひっぱたけば良いと
思います。そこで、もし、訴えられた場合、「指導の一環でやっております」
とやりあえば、ここでアンケートをとるより明確な答えが出ると思います。
体罰の一環としてやっても、必ずしもそれが、力の度合いにより
そうならない事があると思います。最近の事件では、------------------
京都府京田辺市で1日、地元の少年野球チームの中学2年の男子生徒(13)が、試合に負けたペナルティーとして科された約3時間におよぶ特訓中に倒れ、熱中症で死亡していたことが7日、分かった。
数年前まで高校野球有力校の監督を務めた経験を持つ総監督は、「取り返しのつかないことで悔いが残ります。綿密な練習メニューであっても、人の体のことは分からないものです。申し訳なくて、頭の中が真っ白です。優秀な子で将来はプロにも行ける素材だと思っていたので残念です」-----------------
そんな事言わずに「私のやったことは愛のムチです。教育の一環です」と
言えば良いものを、後悔してどうすんだと思います。
人の命奪うほどの事してるのだったら腹くくってやってほしいです。
高野連では「暴力のない高校野球を目指す声明」を緊急に出した。しかしその日に、岡山城東高校の監督の暴力問題が表面化し暴力行為が広く行われていることをうかがわせる。
日本のスポーツ界には、強くなるために「しごき」「愛のムチ」は当たり前とする空気が強く、学校のクラブ活動でも、指導と称して体罰的暴力が繰り返される傾向がある。生徒の人権を踏みにじる暴力行為はきっぱりと否定する精神風土を培う必要があると思います。
少し、きつい回答をしましたが暴力はあってはならいと思います。
そうした行為がやられたからやりかえすという風潮を呼び、それが
大きくなると、世の中、沢山の権力争いなどで戦争も起こっています。
私の場合、ANo.1 さんの意見と同様です。
野球は球を使う球技です。スポーツです。拳を使う空手とボクシングとは
違います。武士道精神学を学んだり、50人組み手して身体で覚える
のと訳が違います。野球の先生も生徒も、球技について、スポーツ力学を
研究し勉強をもっと注いだ方が良いと思います。
今回の件は指導能力の欠如ともいうべき問題だと思います。

参考URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051007-00000 …
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生徒や人を教育する立場の人が手を上げる等の「力」による指導をするとするなら、「指導力」が掛けているからです。

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最初に、暴力を肯定する意志はありません。



今回の件について指導と暴力は紙一重の存在であると考えます。
「被害者」とされる部員と「指導者」である部長との間に信頼感
があったな暴力沙汰にはならなかったでしょう。

前年夏の優勝チームとして駒大苫小牧(以下駒苫と略す)は今年の
選抜大会出場したものの、二回戦であわやノーヒットノーランの
一安打完封負けを喫し、その後5月30日春季全道大会回初戦に敗退
し、一回目の「暴力」のあったのが6月2日です。リベンジを期した
一週間後の練習試合で同じ相手の白樺学園の「返り討ち」に遭います。
チームとしてはどん底の状態でした。

チームの一員としての自覚があればチームの置かれている状況を認識
しているはずです。練習中のエラーにもふざけた態度であった事から
推して知るべしでしょう。
「腐ったみかん」を放置すると士気の低下、他の部員へ悪影響を及ぼす
ために排除する必要がありました。
ただ、手段を熟慮する事に欠けていた事は否定できませんが。

大会中の「二回目」については、暑さに負けないスタミナ維持として
香田監督の指示により、ごはん三杯のノルマにもかかわらずおかわり
するふりをして残したご飯をおひつに戻したのが理由とのこと。
これとても、体調不良で食欲がないと申し出て免除してもらう事も
出来たと思います。指導に従わない反抗的な態度もあったのでは
ないかとも思います。信頼関係がなければ後は暴力と受け取るのみ
でしょう。

大会前にこの件に触れた学校としては報告するか否か苦渋の選択
だったと思います。
今回の駒苫の不祥事を糾弾する意見もあるようですが、その回答者が
仮に駒苫の学校側の立場としたならどんな選択肢があったのか、どの
ようにするのが良かったのかお聞きしたいものです。

裁判のように過去の判例、前例をいたずらに踏襲することなく個々の
事案として慎重に取り扱うことが望ましいと思います。
できることなら「大岡裁き」を望んでやみません。

チームのまとめ役として苦悩の日々を送った林主将とチームの
エピソードをご覧ください。

http://blog.nikkansports.com/baseball/yoshi/arch …

http://blog.nikkansports.com/baseball/yoshi/arch …

参考URL:http://www5.hokkaido-np.co.jp/sports/komatoma200 …
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口で分からない輩は、身体で分からせる必要もあると思います。

先生は怖い人位の認識でいいと思います。
生徒が先生をなめてるから、授業中騒ぐ子が出てくるんです。

部長がその3年生のその生徒だけ叩いたらしいですので、その生徒の方に問題があったのでは?
2ヶ月前に叩かれて今頃病院行っていますって、堂々とインタビューに答えるバカ親。この親にしてこの子ありです。

部長が叩いた理由を明確にして、「コレは暴力ではない。指導の一環だ。」と言っちゃえばいいんじゃない?
「暴力は全て悪いです。学校の責任です。」なんて弱気なことを言えば優勝旗を返還しないといけなくなってしまうし。

被害を訴えた部員は、登校しにくいでしょうね。
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駒大苫小牧は明らかな違法犯罪行為を二重に犯しました。


部員に対する複数回の暴力行為。
それは今大会明徳義塾が出場停止になった事件発覚以降にも平然と発生しています。
自覚なき悪質なもので、また事態知りつつその事件を 組織的に「隠蔽」し、高野連に報告しなかった野球部・学校側の罪も社会的、道義的に見て大きいとおもいます。

罪は加害者の暴力野球部員とそれを隠蔽した学校・野球部員関係者双方にありますが、野球部全体が代表して罰せられるべきだと思います。
「優勝が決定した後ですから・・・」
「試合に直接関係ない部員達の問題だから~」このような声が道産子の町で聞かれましたが、勘違いも甚だしいでしょう。

今回に限らず、過去暴力行為や未成年飲酒喫煙・不正などの違法行為を 犯した野球部は全校出場辞退の制裁を受けています。
駒大苫小牧だけが違法行為の責任から免除される理由があるでしょうか?。
先頃のアテネオリンピックでの砲丸投げ選手の不正行為発覚とその後の処罰を思い出してみましょう。
本人は事実否定の虚証言をしていたが、最後は認め、試合後金メダルは剥奪され正当な競技者に渡されました。当たり前の話である。
高野連は内部規約にもとずき、今回の犯罪行為を罰するのが当然でしょう。

更に道産子が言う、「試合に関係ない者達の起したことだから無罪」と言う見苦しい言い訳には全く呆れるとしか言い様がありません。
レギュラーでなく試合に参加 しない部員と言えども野球部に所属する者として、ルールや法は守るべきで、 事実過去に補欠部員の不祥事を起した学校はきちんと処罰を受け入れています。

駒大苫小牧はそのような見苦しい言い訳をしてまで優勝旗を飾りたいのでしょうか?
今後の高校野球界に悪しき汚点と悪の事例を作る事は許されるのでしょうか?
北海道民全体の品位と良心を、一野球部の不祥事で汚す事になっても良いのでしょうか?
ここは謝罪だけでなく優勝旗をちゃんと返還し、スポーツマンとして潔く然るべき態度をとるのが筋であり望ましいと思われます。
高野連・駒大野球部は 全国高校野球球児の汚れなき夢を、間違った処罰と取り返しのつかない悪しき前例 を作る事で汚す過ちだけは、今夏絶対に犯してはならないと思います。
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私は体罰はあってもいいと思っています。


実際に自分も高校のときは担任に張り手をもらったこともあります。
ですが、それは自分でも納得してもらいました。
授業を出席カードだけ出し、その後こっそり帰ったのがばれたからです。
職員室に呼び出され、先生「なんで呼び出されたか分かってるな。」 私「はい、すいませんでした。」 先生「じゃ~俺のやり方は分かってるよな。」 私「はい。」
っで、ビンタを一発もらいました。
私は正直、ぜんぜんそのことに対して怨んではいません。
それどころか、高校を卒業して20年以上経ちますが、今でも一番思い出に残っている先生です。

生徒のために一生懸命にがんばって、しかもそれを私達に見せないよう影でこっそりがんばっていてくれるような先生でした。
クラスで催し物があったときなど、「自分がいたら思いっきり楽しめないだろうから」と気をきかし、一人職員室に戻り、ころあいを見計らって最後の方に来たりもしてくれてたんです。
卒業式の日の夜には、自分の奥さんが夜の店のオーナーをしていて、そんなに大きな店でもないので順番に10人ずつ呼んでただで飲ませてくれたり(未成年なので大きな声では云えませんが。。。)
本当にクラスのみんながそんな先生が好きだったと思います。

生徒が悪いことをしたら先生は叱る。
それは当たり前のこと。
ただ、そこに愛情があるかどうか。
本当にその生徒に分かってもらいたいがためにしてるものなのかどうか。

その担任の先生は、最近ではこういいます。
「最近の子供達はお前達みたいな生徒が少なくなった。こっちが云っても返ってこない」と。
本当に寂しそうにそうもらしていました。

今の子供達は体罰は100%悪いこと!と認識していると思います。
それをいいことに悪さをしてもどうせ先生は口でしか怒らない。ということを知っているんです。
まるで男性が女性に暴力を振るわないように。
女性に手を上げる男なんて最低!という認識と同じレベルかもしれません。

それでも今なりの教育もあるかもしれませんが、今の子供達はどこまで分かろうとしているのでしょうね。
自分さえ良ければいい!という感情だけがどんどん強くなってきているような気がします。
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私は、地方の公立中学・ド三流高校を経て、そこそこ名門とされる大学に入った者です。


大学に入ってみて、たしかにこういう子たちなら、「話せば分かる」だろうなあと思いました。しかし、私がいた中学・高校には、とても人間の言葉が通じない人間がたくさんいました。

こういう子たちは、言葉の指導をしつこく受けると情緒が不安定になりました。逆に、体育会系の武闘派の先生の鉄拳で規律よく礼儀正しくなり、そういう振る舞いを続けるうちに、日常生活もよくなってたりしました。私自身は、すぐ殴る先生が嫌で嫌で仕方なかったのですが、少なくとも彼らには有効な教育法ではあったと思います。

スポーツ専門の高校なんかは、どうもこの手の子が多いのは事実かと思います。

さて、駒大苫小牧の場合ですが、他校とのバランスの問題もあると思います。みんな言いませんが、甲子園に出場するような高校で体罰のない高校はたぶんほとんどありません。おそらく、凄いでしょう。だとしたら、駒大苫小牧は、たまたま告発者がでて露見しただけのことですよね。これで苛烈な処分をするのは、不公平な感じがします。私自身は、こういう文化が嫌いなので、お勉強の世界で生きてきましたが、逆に言えば、そうではない文化もあるんでしょうね。少なくとも、現に夏の甲子園で2連覇したところを見ると、指導は正しかったのでしょう。結果が証明していますから。
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殴らなきゃ指導ができないのは要領が悪いからです。

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教師から殴られたことも、息子を殴り飛ばした事も有る40代です。



暴力と体罰の違いについて思うことは、やられる側の意識にあると思います。
なぜやられるのか、原因が自分にあると納得(自覚)してる場合、
指導者の愛のムチとなりますが、理解できない(しない)場合単なる暴力
と受け取られるのではないかと思います。

根っこの部分で双方のコミュニケーションの問題のような気がします。

もっと問題なのは、近頃のもっと陰湿な暴力でないでしょうか?
仲間はずれにする、無視する、話をかけない、これらの精神的暴力の方が
ダメージが深刻なような気がします。
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