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No.3ベストアンサー
- 回答日時:
西郷隆盛という人は情の強い人でした。
理論で物事を判断するより情念に流される人で、自分の考えが採用されないと地位も身分も弊履のように棄てて引退する位です。
自分の命も征韓のためなら投げ出す覚悟でした。
少し冷静に事態を分析するような人は付いていけないと思うのは無理ありません。
冷徹な大久保が西郷と訣別したのも、それほどでなくても西郷従道や大山が離れていったのもみな同様であったと思います。
明治もこの頃はカリスマより理論的分析家を必要とするようになって来ていたのです。
西郷従道の台湾総督としての采配、大山のその後の陸軍指揮振りを見ても良くわかります。
そして西郷自身それを良しとする恬淡とした所があったと思います。
彼には薩摩の下級武士階級に対する特別な感情がありすぎました。
それは大久保などには理解出来なかったでしょう。
惜しむらくは戊申戦争で戦死しなかったことです。
『西郷自身それを良しとする恬淡とした所があった』というのが西郷の魅力のひとつだったのですね。その磁力で薩摩の不満分子が一発で解決したというのも皮肉ですよね。
お返事が遅くなってしまいましたが、ご回答ありがとうございました。またよろしくお願いします。
No.4
- 回答日時:
歴史が歴史となるのは事実を客観的に見れるようになって始めて歴史となりますよね。
ちょっと前なら、西郷隆盛や乃木希典などを下手にいじると大ヤケドする場合があったようです。
さて、西南戦争の首謀格となった西郷は美談として捉えると・・・
1.自らを慕う桐野等の先鋭的イケイケ思想に付き合わざるを得ず・・・
2.自らを犠牲的扱う事により「リストラされた武士達不満」の区切りを付けようとした
というところが西郷の英雄性を高めているところだと言えます。
さて、冷静に新政府が立ち上がった直後を考えると・・・
1.徳川幕府の崩壊による新政府の確立。
2.強固な中央集権国家の成立を目指し廃藩置県&武士階層の解体
3.そして・・・自由民権運動へ
この様な流れになることは、必然の流れとして知識層は理解していたと思います。
政治の中心で活躍した西郷も当然このような流れは理解すべきところ。
が、結果として反乱の首謀者となる。
笑い話として、島津久光が維新直後に周囲のモノに「ところでワシはいつ将軍になるのだろう?」と聞いた・・・
とありますが、意外に西郷自身も「薩摩幕府」を夢見ていたのかもしれないですよね。
さて、この「西南戦争」を現代風に置き換えて考えれば・・・
「郵政民営化」の必要性を説いたかの様に見えた安部晋三氏が下野し、
郵便局員を集めて民営化に対する抗議デモを始めたようなもの。。。とも見えてしまいます。
こうやって考えると大山や従道をはじめ、多くの国政の中核を担う者がついていけなかった・・・というのもある意味当たり前と思うのです。
しかし、「不平士族」の最後の幕引きとなるのが大久保利通の暗殺であったのは歴史の皮肉とも言えますよね。
ご回答ありがとうございます。郵政民営化との比較はおもしろいですね。西南戦争は西郷は勝つ気があったのでしょうか?とも思ってしまいます。歴史の妙味でしょうか。本人の意思がどこにあったかは別として、結果として維新において西郷が巨大な英雄であったのは疑い所でしょうか。
大久保はもう少し長生きしてくれていたらとも思いますが、歴史の必然なんでしょうか? 勉強になりました。
またよろしくお願いいたします。
No.2
- 回答日時:
大久保は西郷に後事を託してヨーロッパ視察に出かけたのですが、帰国してみると西郷が江藤等にかつがれて自分の思った方向とは違う方向になっていたと感じ、それが最大の不満だったようです。
それで、帰国後公職から退いていましたが、征韓論のときに岩倉等から引張りだされたのですが、そのときに西郷がこのまま江藤等に担がれて方向を改めないのなら決別もやむをえないということで権謀術策を弄して、知られている通り非征韓派の勝利となりました。
ご回答ありがとうございます。西郷の性格として担がれやすい所があったのですね。それが魅力と所謂、懐の深さでしょうか? 当時の西郷の力(政治力など)をもってして征韓論を実行するのはカンタンだったはずですが、時勢にある程度従ったのでしょうか? 勉強になりました。ありがとうございます。
No.1
- 回答日時:
西郷の意見(征韓論)についてゆけなかったというのが最大の理由だと思います。
二人とも西郷の個人的な引立てによって新政府での地位を得た人ですが、しかしその義理や情誼を勘案しても、なおかつ国を危うくする西郷の意見には乗れない、と考えたのでしょう。また、当時の薩摩出身者の多くが「維新後、西郷はかわった。よくない取巻き(征韓論派の江藤や板垣、桐野のような陸軍の若手将校)に騙されている」という意識も持っていたようで、西郷個人に対してはともかく、彼の取巻きに対して感情的齟齬があったようです。西郷はいいが、桐野のようなやつといっしょに何かするのはいやだ、という思いが、大久保派とまではいえないにしろ、積極的に西郷についてゆく気もしない、という中間派を形成していたようです。
早々にご回答ありがとうございます。お礼が遅くなりまして申し訳ございません。なるほど西南戦争までに親西郷派と中間派、大久保派と薩摩閥も形成されていたのですね。さすがに薩摩の人材の層は厚かったですね。
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