質問

質問者:noname#24767 樋口一葉の辞世の句の意味
困り度:
  • 暇なときにでも
「さりとはの浮世は三分五里霧中」というのが、樋口一葉の辞世の句の最後の部分ですが、私の知識では、現代語に直すとどういう意味になるのかよく分かりません。「さりとは」は前の句を受けるものとして、「そうは言っても」でしょうか?「三分五里」は1センチ少しの長さですから「そうはいっても、世の中というものは、ほんの表面だけでも、理解し難いものだ」ということなのでしょうか?アドバイスをお願いします。
質問投稿日時:05/06/22 06:44
質問番号:1465117
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回答

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回答者:KoHal 「浮世は三分五厘」という、世の中はつまらないものだとの意味の慣用句と「五里霧中」を引っ掛けています。

 つまらないはずの世の中を思い惑って右往左往したものか

くらいの意味でしょうか?
一葉の暮らし振りを考えると、「浮世は三分五厘」には、わずかなお金に頭を悩ます生活に対する自嘲があるかもしれませんね。

話が前後しますが、No.1でnireisanさんが引用されている前書きを参考にさせていただくと、「さりとは」は前書きを受けると同時に「私が去ろうとしている」かな?

また前書きで自分を船にたとえたことが「浮世」の言葉を引き出しています。

以上あんまり自信なし。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:05/06/22 10:29
回答番号:No.2
この回答へのお礼アドバイスありがとうございます。ダブル、いや、トリプルミーニングがあるのですね。「つまらないはずの世の中を思い惑って右往左往したものか」という解釈には説得力がありますね。ただ、お金の工面のほかに、明治という男権時代に女性として生きねばならなかったこと、また、自分の意志に反して半井桃水との恋愛を表面的には諦めねばならなかったこと、父親が金で買ったものと言えども、一葉が誇りとしていた武士階級の出身者というものが零落してゆく明治という時代、そういうもの全てが、まさに流転する浮世というものであり、混沌としたものであったという意味もあったのではないでしょうか。それを「浮世は三分五里霧中」という短い言葉にまとめてしまったところが一葉の凄さだと思います。一葉の歌は凡庸だと言われますが、最後の最後に会心作を残したと思います。

回答

良回答10pt

回答者:nireisan この句は前書きがあるようですね。その前書きを受けて詠んだ句ですので、その前書きと合わせて解釈なされてはいかがでしょうか?

「身はもと江湖の一扁舟,みずから一葉となのって,芦の葉のあやうきをしるといえども,波静かにしては釣魚自然のたのしみをわするるあたわず。よしや海龍王のいかりにふれて,狂うらん,たちまち,それも何かは,

さりとはの浮世は三分五里霧中」
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:05/06/22 06:53
回答番号:No.1
この回答へのお礼ありがとうございます。私も、この前書きと共に「さりとはの浮世は三分五里霧中」を考えてみたのですが、浅学ゆえ、理解できません。アドバイスがございましたらお待ちしております。
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