No.11ベストアンサー
- 回答日時:
再々補足です。
私は農村の貧富に立地の条件を強調しましたが東北地方の例だけでは不足ですので和歌山県紀ノ川上流の学文路村の庄屋大畑才蔵という人の「地方の聞き書き」を引用します。
この中の10人家族で2町5反を耕筰している例では米45石の収穫に年貢26石を納めて百姓取り分
米 18.96石
麦 40石
蕎麦4石
食事内容は一人当たりキビ粉0.14Lを雑炊にして朝食、夕食も同様。
昼食は一人当たり白麦2.5合となっている。
米を食べるのは正月盆5節句神事で年中26日だけと記されています。
米は肥料代などに当てるため換金するのである。
これが元禄期の紀州山間部の農村の一実態です。
この回答への補足
たくさんの方々に回答していただいてありがとうございます。これ以上は回答が集まらないようなので、一応締め切らせてもらいます。有益な回答がたくさんされているのに、二人にしか点数をあげれないのは残念です。
補足日時:2005/05/15 23:04「大畑才蔵」・・・また一つ賢くなりました。農民だけでなく武士にも、農業の品種改良に取り組んだり、農民を助けようと政策で工夫した人もいたんですね。特に大畑才蔵という人の才能は農業の発達に、ものすごく寄与して有名なんですね。
「江戸時代では、全国各地ではなく一部の地域で慢性的な貧困はあり、そういう土地では気候や藩の政策が悪ければ餓死者は出た。しかし、その現状は武士や農民の努力で農業がものすごく発達した。江戸の初期と後期とでは稲の収穫量も全然ちがう。そして全国の人口が着々と増えていってることから、その時代の豊かさを想像することもできる。」という江戸時代の捕らえ方になってきました。
No.10
- 回答日時:
江戸時代の農民の生活が豊かであったか?そうでないか?それを考えるとき私たち21世紀の人は21世紀と江戸時代を比較しがちです。
江戸時代の人は21世紀を想像もしないでしょう。過去、室町時代とか戦国時代と比べるでしょう。織田信長の時代や豊臣秀吉の時代に比べて今==江戸時代はどうなのか?と考えるでしょう。そうすれば「今(江戸時代)がとても豊かに成りつつある時代だ」と思ったと考えられます。歴史人口学によると「16・17世紀に急速な人口増加があった。これは農業社会で生じた経済システムの変化──市場経済化に伴う変化である」(『人口から読む日本の歴史』鬼頭宏著 講談社学術文庫)
21世紀の現代に比べればいくらでも「貧しさ」は指摘できます。しかし江戸時代とは、ぐんぐん豊かになって人口が増えていった時代だと考えます。なお、農民が米をどのくらい食べていたかは、下記サイトを参照して下さい。
この回答への補足
回答ありがとうございます
その時代の豊かさを想像するのに、現代の文化で比べるのは間違いなのかもしれない事がわかりました。しかし一体、何で豊かさを語れば良いのかわからなくなりました。もし「人口増加率=豊かさ」と判断するなら、現代は江戸時代や戦後に負けていることになります。戦後、半世紀をかけて日本は「豊かさ」を下げた可能性も出てきましたね(笑)。(笑い事じゃないですが・・)
No.9
- 回答日時:
再補足です。
東北地方の大地主は藩主を凌ぐ土地所有者で民謡に「せめてなりたや○○様に」と謳われる程です。
しかしそれも第2次大戦の終戦でアメリカの行った農地解放で小作が土地持ちに一夜にしてなりましたからこの地方では保守の傾向と同時にアメリカは恩人という意識が大きいのです。
米を食べないのではなく、食べられなかったのです。
収穫した米はまず年貢として取り上げられ、残りは換金のため米商人に売らねば成りませんでした。
残りは来年の為の種籾です。 飢饉の時種籾まで食い尽くすこともありました。
餓死者がでたのはこのような時です。
戦前東北出身の召集兵が軍隊は3度米が食べられる天国だと言った位です。
年貢も小作料も支配者の恣意的にさだめられましたから、一揆など多発した領主は家内取り締まり不届きと罰されましたが、それとても特殊な例外で鎮圧に成功すればお咎めなしです。
従って鎮圧にあたる武士側も必死でした。
小作料には不払いや「逃散」という集団脱走(耕筰の放棄)で対抗しますがいずれも懲罰されましたから命がけでした。
このような生活は当然長期的なもので、2.26事変も彼ら東北出身者を部下に持った下級将校が彼らの窮状に同情しその改善に立ち上がったのも一因でした。
それに比べれば現在の東北地方はまさに天国でしょう。
No.8
- 回答日時:
>娯楽に恵まれてたんでしょうか?
娯楽関係は聞いていないのでわかりません。ただ
高齢になっても学校通いをやめず.末っ子が生まれた時に1泊2日で(数値忘却)離れている(寺名忘却)の和尚に名前を教えてもらいに出かけた
という話しを聞いています。
一方.共同墓地に無縁仏が3つあります。このうち1つが妊婦で集落内で死体が発見されたものです。少なくとも隣接村内には該当するような人間はなく(地主が使いを出して調べたようです).駆け落ちして男に捨てられて追い掛けて行くうちに過労などで死亡したと思われます。服装からかなり裕福な家庭と思われます。
妊婦の話は、生活に恵まれていることが幸せに直結するわけじゃない事が、現代と共通してますね。
しかし、その老人のした学校通いや、わざわざ離れた寺まで通った行為を暇を持て余した人間のした馬鹿げた行為と受け取るのか、娯楽に身を任せず勉学に勤しんだ優しさのある人間の行動と判断するのかは、個々に任せるしかないことですね。
後世に、その人柄を伝える事は難しいのかもしれない事がわかりました。
No.7
- 回答日時:
追加のご質問に対し補足です。
農民の貧富については立地の問題は重要な意味を持ちます。
まず耕筰に欠かせない農具は鉄製のものを入手するのが容易であったかという問題があります。
近畿地方は文化も発達し、容易に入手出来ましたが、東北などは困難でした。 この為土地の生産力が大きく異なったのです。
また寒冷地、水利の悪い地方、山間部など条件の悪い土地は同様に不利でした。
土地の生産力が低いと言うことは農民にとって収穫の可処分量が少なくなる事を意味します。 税金は米納ですから米の残りがすくなくなり、換金できる余裕が減り、それが米価の変動、米相場に影響されれば益々苦しくなるのです。
これに冷害などで貧窮の度合いがひどくなり、「おしん」のようなケースも生まれるのです。
必要な支払いに充てる費用を富農に借りるには農地を担保にしなければならず、このようにして小作が生まれます。
東北地方に大地主が多く小作人が多かったのはこのような事情です。
農民は米は作るが米は食べないという生活は存在しました。
これに対し都会近郊の農民は綿作たばこなど換金作物の栽培、鉄製農具の普及など土地の生産量を高めることが出来、経営の自由度が高くて裕福に暮らせたのです。 また米の品種改良による収穫高の増加も可能で、施肥や農業技術の進歩もあった事は見逃せません。
大一揆として名高い久留米藩、上田藩、福井藩の一揆は藩の過酷な年貢取り立てが原因で藩庁の襲撃、富商の取り壊しなどがあり一応成功しましたが、取り締まり法の整備とともに過酷な刑罰を受けるようになり、首謀者は死を覚悟しなければならないので傘連判などで誰か判らないように対抗しました。
東北地方での小作人の事情がわかりました。ありがとうございます。なるほど東北地方は地主が多かったんですか。
歴史に残るような大きな一揆は農民と藩士ともに罰がくだるようなものもあったみたいですね。
しかし米を食べない生活は存在したかも知れませんが、その理由が食生活の違いなのか、摂れる米の量が少なかったたのかがわかりません。(非人道的な税を課すことは、課した人間も罰せられるために考えにくいと思います。それとも地主が法外な賃貸料を小作人に課していたんでしょうか?)しかも、その生活が短期的なものか、慢性的なものかと考えれば、農民の生活のイメージが全く違います。asada088ネットで情報を収集したんですが有益な情報を拾えませんでした。
ここまで微妙なことに結論をだすのは、今の歴史の研究具合からは無理でしょうか?
No.6
- 回答日時:
貧農と富農の差が激しいです。
たとえば.私の地区の地主は.羽織袴を着て足袋をはいていました。水田に入ったことなんて.せいぜい子供の時の遊びくらいでしょう(地租改正の時に地主の命令で測量をした人の息子の話し)。
ところが.小作になると.食い物がなくて.共有林での採取(非課税)で生活を送っていました。
ですから.人口あたりの水田の面積と森林の面積を見て.森林の面積が多いほど比較的豊かな生活を遅れました。
たま.森林が多いと租税逃れの隠し田がある場合があります。多くの場合.谷間の置くのちょっと広い沼地のような場所に種をまいて穂だけ収穫にでかけるような場所です。これを持っているか持っていないかで大きく暮らしが変わります。
貧困な場所は.主に武家が存在する集落です。参勤交代の関係で都市部での生活があるために課税額が多い・生活水準が高いためと思います。
回答ありがとうございます。
貧困も、いくつかの要因が重ならないと起こらないんですね。あまりにも貧困が酷いと、温和なもではない過激な一揆が起こると。しかし上に対しての反抗の仕方も色々で、集団で抗議という方法と、集団で夜逃げという方法もあったようです。
田んぼに入らない地主さんは何をして過ごしたんでしょうね。遊んで毎日を過ごす程、江戸時代は娯楽に恵まれてたんでしょうか?裕福な層の遊び方で江戸時代の文化の発達具合がわかるかもしれませんね。
No.5
- 回答日時:
ほぼ回答は出尽くしているようなので、蛇足をば。
能登の時国家の出納帳を丁寧に調べ上げたのが、先年無くなった網野氏の業績であり、発見したのが「水呑」が実は豊かな、海運業者であったということ。
耕地面積の狭さから「水呑」と分類されていたが、実際は船持ちだったり、優秀な商業者だったりした。
狭い棚田も前は「狭い土地で、苦しい農業経営」と説明されていましたが、極端なことを言うと「家庭園芸」(こんな事は網野氏は言ってませんが、私にはそのように見えます)
回答ありがとうございます。
網野善彦氏の名前を知りませんでした。また氏の本を読んでみたいと思います。過去の歴史を知る上で、とても参考になりそうですね。「百姓=農民」のイメージは偏見であることは間違いなさそうという事がわかりました。
No.4
- 回答日時:
<江戸時代の百姓はけっこう豊かだった>
まず食べ物に関して言えば米を主食にけっこう豊かな生活をしていたようです。「江戸時代の百姓はけっこう豊かだった?」をキーワードに検索して下さい。参考になるサイトがあります。ここでは、1723(享保8)年度の高知藩の、食糧生産と消費を対照した記録から考えて、百姓の主食は米であったと書いています。
着る物に関して言えば、木綿の普及により、江戸時代以前に比べればとても豊かな生活になりつつあったようです。これに関しては「木綿の普及が生活革命」で検索してみて下さい。参考になるサイトがあります。柳田国男著の『木綿以前の事』、永原慶二著の『新・木綿以前の事』、それに続く文章を読めば江戸時代の百姓はけっこう豊かな生活をしていた、と理解できるでしょう。
江戸時代には飢饉や一揆が多くありました。一揆に関して言えば、現代の春闘のような年中行事的な、あまり緊迫感のない一揆も多かったようです。「百姓一揆は命がけの暴動なのか?」で検索してみて下さい。
その他にも、「大江戸経済学」をキーワードに検索してみて下さい。参考になるサイトがあります。
回答ありがとうございます。
農民の生活の豊かさが伝わってくるような気がします。一揆も暴動という感じではなくて、現代のストライキとか市民運動を連想させればいいんですね。お互いの理にかなっていれば許されている事から、上流階級からの一方的な抑圧的な社会ではなかったと伝わってきます。
No.3
- 回答日時:
まず農民といっても色々で土地持ちの本百姓、小作、水飲み百姓など資産や身分で区別がありました。
従って収入に応じた生活は出来たわけです。
さらに地域別で見ると、寒冷地、都市近郊、平野部、山間部などによる立地の条件で収穫高や収入も異なります。
これに検地による年貢高の変更頻度、公課率の高下なども影響しました。
従って農民=貧困とは言えないケースも多かったのです。
特に都市近郊では換金出来る作物の栽培も出来るので比較的豊かな農民も多く、平野部では新田の開発もありましたから立地の影響は無視できません。
それよりも作柄により上下する米価、思惑による米相場の変動などの影響が大きかったようです。
この回答への補足
すいません。先の自分が書いたコメントで「もし農民が貧しくないのであれば、小作人という存在がでてくる理由に違和感を感じます。」と書いたのは、自分の無知を露呈しただけでした。
飢饉の原因は収穫量の増減もあったけれども、それよりも米相場の変動の方が大きかったんですね。農民が農地を手放し小作人になる理由は、大きくなり過ぎた支出に収入が耐えられなかった事もあった。自分は「農地を手放す」=「重税に耐えきれなかった」というのが先入観でありました。
せっかくss79さんがして下さった回答から、情報を読み取る読解力が足りませんでした・・・・。
回答ありがとうございます。
世界から見れば小さい島国の日本とはいえ、狭くはないんですね。地域によっては農業に向く場所とそうでない場所など色々あると。もしかしたら地域によっては「おしん」みたいな貧しい農民(極端に言えば)がいた可能性があるわけですか。・・・新しい疑問が出てきました。
米の値段の上げ下げは、給料を米でもらってた武士は困ったんでしょうね。しかし農民にはどういった関係があるんでしょうか。武士は食料以外で、生活に必要な品を買う金を調達する方法は米の換金だったと思います。農民も同じだったんでしょうか?もし農民が貧しくないのであれば、小作人という存在がでてくる理由に違和感を感じます。
No.2
- 回答日時:
江戸期の富を語る場合「石」という単位が使われます。
加賀100万石とか。
この石という単位は、米俵2.5俵(150kg)で1反の農地から取れる米の量で、人間1人が1年に食べる量になります。
1720年の日本の総人口は3128万人で、総石高は3200万石、概ねこの計算が当てはまることになります。
江戸時代のイメージとして、農民は米が食べられず、稗や粟を口にしていたとよく言われますが、米自体は人口に比例して生産されますから、農民が食べなければどうなったのでしょうか?
酒などに転用しても知れてますし、大金持ちだからといって、毎日どんぶりに10杯ずつ食べてたら成人病で死んでしまいます。
農民の生産する米は「5公5民」なら半々、「4公6民」なら6割が取り分で、これを自分たちで食べたり売って現金を得たり、また小作なら地主に地代を支払ったりしたと思われます。
現代の我々から見れば貧しい生活ですが、彼らの意識からするとこんなものと考えてたのかも知れません。
一番苦しいのが武士階級で、収入は固定されてますが、支出は時代が下がるにしたがって増えていきます。
冠婚葬祭の義理事も多く、義理を欠くと武士の体面に関わるので、借金してでもお付き合いは欠かしません。
町人なら道路工事などのアルバイトで稼げますが、いっぱしの武士がやるわけにもいかず、内職で糊口をしのぐのみ。
武家で働く下男の方が、食事は支給されるし時服もいただけ、賃金にボーナスもあるので、義理がけがない分、主人より豊な暮らしが出来たという記録もあるくらいです。
農民は体面がありませんから、飢饉などは別にして、それ程貧しくは無かったと考えます。
この回答への補足
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1289997
過去にこういう質問もあったみたいですね。
回答ありがとうございます。
貧しかった農民のイメージと、ネットで知った「昔、来日した外国人が、日本にはとても質の良い民芸品が溢れかえっている事に驚いた」という話が、今までは合致しませんでした。けれども人口に対しての米の生産量の話を聞いて「農民は貧しいとは限らない」という事がわかり納得しました。
しかし武士が、そこまで貧しかったんですか。昔の武士は、今で言う役人の仕事をしてたんですよね(間違ってるかもしれませんが)。最近のニュースを見ていると、少しでよいので武士の爪の垢を飲んでほしい方々が、個人的にいっぱいいます。
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