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今はすごいお笑いブームで、数え切れないくらいの芸人さんが活躍していますね。

最初のお笑いブームは1980年の漫才ブームが最初だと思いますが、そこから現在までに至るまでブームの波がいくつかあると思うのです。年代ごとにどんな人がブレークしたのか分かる方がいれば教えてください。

特に「ボキャブラブーム」以降はあまりにコンビの数が多いので、ほとんど分かりません。みなさんお願いします。

A 回答 (3件)

こんにちは。



パッと思いつく限り。

80年代半ばにブームが終焉。

入れ替わりでとんねるずがブレイク(ブームという寄り単独な感じ)。

90年代初頭にダウンタウンがブレイク。同時にウッチャンナンチャンもブレイク。

90年代半ばにナインティナインがブレイク。
同じ頃ボキャブラブーム。
ネプチューン、海砂利など。
(明確なブレイクは無さそうだが、ダウンタウンファミリーやキャイ~ンなども頭角を現す)

90年代末に東京吉本からロンドンブーツ1号2号、ココリコなども登場。
(メチャイケの登場で極楽とんぼ、よゐこなども)

ごっつ終了以降コント不在の時代が続くが、笑う犬によってコントブーム再燃。

オンエアバトルがネタの時代を呼び戻す。
(ラーメンズ、テツトモ、ドンドコドンなど現在ブレイクした若手の大半が出演し、現在のブームの元はここからだと思ってます)

ボキャブラ以降干されていた爆笑問題の復活。

2000年以降
雨上がりが遅まきながらブレイク(本来はナイナイと同世代)。
ワンナイRの登場(雨上がり、ドンドコドン山口、ガレッジセール)。
はねるのトビラが人気に(ドランクドラゴン、インパルスなど)。
M-1開催(中川家、アメリカザリガニ、ますだおかだ等)。
さまーず、くりーむしちゅーの復活(上田の場合は、うんちく王のおかげが大きいと思うが)。

エンタの神様で今のブームがピークに。
(はなわ、波田陽区、青木さやか、アンガールズなど)


今、思いつきで書いたので年代とかは多少前後しますし、ブレイク時期も異論があるとは思います。
まあ、全国ブレイクと思えばこんなもんかと。

ネタ番組が増えた現在では、確かにあまりに多くの芸人が登場してますね。とても把握し切れません。
反面、勝ち組が見えない状況も続いています。
ワンナイ組やはねトビ組はまだしも、エンタ系の場合はネタを披露してなんぼなので、実際は今後の仕事に結びつきにくいでしょうし。
(出演者には慣れても、メインになりにくい)

ネタの時代が終わったときどうするかでしょうね。関西芸人は大阪に引っ込めばまだいけますが、他の出身はつらい。やはり回す立場になれないと先は短そうです。今は番組が多いから良いですが、ブームが終われば枠は減ります。必然的にかなりの割合でテレビの世界からいなくなりそうですよね。合掌。
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こんにちは。



ではさらに遡ってみます。

最初のブームがどこか?というのは判断に迷いますが、最初のテレビスターはクレージーキャッツ辺りでは無いかと思います。もちろん林家三平、てんぷくトリオなどもこの辺りで既に活躍してます。テレビで演芸をやってるような感じです。
これが60年代。彼らが活躍した60年代が終わると、ドリフ、コント55号が台頭。
実は大阪のブームと別に東京ではこちらだったわけです。以後長い間テレビのバラエティの基礎を彼らがやり尽くしていく時代が続きます。

大阪の方はpenguin929さんの仰るように、やすきよや桂三枝の下で後の漫才ブームを牽引する若手が伸びてきます。
これに対して東京はドリフも欽ちゃんも下を上手く伸ばせず、少し隔絶した形でツービートなどが力を付けてきますが、漫才ブームでは結局関西勢に押されてましたね。
漫才ブームが終わったのと同時に実は全員集合も終了。ある種の空白期間を生んだ気がします。

よく第~世代と言いますが、第1世代は60年代のテレビ芸人ほぼ全てを指し、第2世代は漫才ブームの芸人、第3世代がダウンタウン世代、第4世代ってあまり言われませんがボキャブラ世代がこれにあたります。そして現在が第5世代。
*この世代に括られない芸人も沢山居ます。
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80年のブーム(ツービート、紳助竜介、コント赤信号など、明石家さんまはもうちょっと後)以降はさておき、最初のお笑いブームは1970年代に起きました(ひょっとして関西限定?)。


やすしきよし、桂三枝、笑福亭仁鶴などが第一期で、そのすぐ後にオール阪神巨人と中田カウスボタンがでてきて、特にカウスボタンはジーンズにトレーナーやTシャツで舞台に上がるという、芸人はスーツにネクタイというそれまでの常識を破りました。
私はその後現在まで続くお笑いの方向性はカウスボタンが作ったと思っています。断じて「やすきよ」ではありません。
当時若者文化の中心にあったラジオの深夜番組のDJをやったりレコードを出したり、明石家さんまや笑福亭鶴瓶などの「落語をしない落語家」の登場を促したのも、三枝、仁鶴とカウスボタンの存在が大きかったと思います。
東京で土居しげるや亀淵昭信、みのもんたなどの局アナがDJをやっているとき大阪では主にこういった芸人がDJをやっていたのです。
ザ・パンダ(林家小染、月亭八方、桂きん枝、桂文珍からなるユニット)など、それ以前の落語界では考えられなかった現象でしょう。
お笑いは「カッコいいこと」になり、芸人が若者のカリスマになっていきました。
そういう新しい文化として誕生した「お笑い」がその後おぼんこぼん、B&B、海原千里万里、ザ・ぼんちなどのスターを輩出しながら1980年の漫才ブームへとつながります。
その後はNo.1さんの書かれているとおりです。
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