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こんにちは。
先日も義父の入院のことで質問させてもらいましたが、またわからないことが出てきてしまったので教えてください。

今、主人の父が我が家から新幹線で1時間ほどの距離の病院に入院しています。
私はもう既にお見舞いに行っており、今後もちょくちょく行くつもりなのですが、主人は年度末で仕事が忙しく、休日出勤が続いていてなかなか見舞いに行けずにいます。
今度、久々に休みが取れそうなので、お見舞いに行きたいと言っているのですが、その日はもう彼岸に入っているのです。
よく、お彼岸にお見舞いに行くのはよくないと聞きますが、実の息子でもやはりNGでしょうか?
それとも、そういった風習(?)よりも、父の様子を見に行きたい、話し相手になってやりたいという心情を優先させてもいいのでしょうか?
義父の立場からすると、やはり内心不愉快に思う物なのかどうなのか気になります。
ご意見お聞かせください。

A 回答 (1件)

 彼岸に見舞いがよくないなんてはじめて聞きました。

おそらく仏事を行う日だから縁起が悪いなどという、彼岸本来の意義を知らない「無知蒙昧の輩」の世迷言でしょうね。

 彼岸はインドのサンスクリット語でpa<長音>raを訳したものです。このパーラとは「迷いから解脱した悟りの境地」という意味で、その世界を向こう岸と表現して「彼岸(ひがん/彼〈か〉の岸)」と訳されます。
 日本では彼岸というと春分・秋分をいいますが、これはこの日が、太陽が真東から昇り、真西に沈みます。おそらく仏教伝来以前からある太陽信仰に基づく農耕祭を行っていた日ではないかと推測されます。そして古代日本人はこの日に農耕の祭りとして、神である「先祖」を祀っていました。
 仏教が日本に伝わると、太陽が東から昇り、中天を通り、西に沈むところから、インドでは東は過去を、西は未来を象徴する方向なので、過去から現在にかけて修行し、迷いを脱して理想的悟りの世界(彼岸)へと入る。春分・秋分が仏道修行を象徴する日と説き、普段見過ごしがちな仏事・作善を積極的に行うことを広めました。そして、古代からの先祖祭りが融合して、先祖に成り代わり子孫が仏事・作善を行い、先祖を鎮魂する日であると解釈されるようになりました。行事としての「彼岸」は、古代日本の太陽信仰と仏教思想が融合した日本独自のものです。
 また、仏教では看病は重要な修行とも位置づけられています。病に苦しむ人に慈悲の心、つまりその人の苦しみを自らの苦しみとし、その人の楽しみを自らの楽しみとして接する。そして、病人は仏様がわれわれに慈悲心を呼び覚ますために現れた姿であるとも説かれます。だから病人に対しては仏に接するように看病することの意義が説かれます。
 であれば、彼岸にお見舞いに行かれるというのは大変意義深いことですし、その功徳は先祖への供養にもなります。
 愚かしい世迷言は気になさらないでください。
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この回答へのお礼

ためになるお話ありがとうございます。
>愚かしい世迷言は気になさらないでください
そうですよね。一番大事なのは「気持ち」ですよね。
ただ、「愚かしい世迷言」がときとして「常識」とされることがあるので、難しい所です。
マナーブックなどにも載っていたりするので、それを「常識」と思っている人で「常識」を崩すことを忌み嫌う人の場合、不愉快に思うこともありますからね。
今回の場合、実の親子なので、堅苦しく考えず、行ける時にできるだけ見舞ってあげようかなと思います。

お礼日時:2005/03/12 10:48

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