プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

カテゴリーが違っていたらすみません。

ヨガ教室(軽いストレッチのような初心者向け)に通い始めて一年半です。
最初は気持ち良くて、家でも毎日やっていたのですが、そのうちヨガをすると、翌日から数日は、熱が出たり体が重くなったり、とにかくしんどくなるようになりました。

教室の先生には、自律神経がバランスを調整しようとするために起きることだから、そんな時は休むようにと言われました。
しかし一年たった今も、今だヨガをすると翌日、動けなくなるくらいしんどいです。

ヨガというと呼吸が重要視されますが、自分の呼吸の仕方は何かおかしいのかもしれない…と思うようになりました。

デスクワークになって以来、ひどい肩こりになって姿勢も悪くなってきて、それでヨガを習いはじめたのですが、その肩こり…というか肩や背中、みぞおちにかけてのこわばりがひどくて、深く息を吐くことも吸うこともしんどいです。息が体を通っていかないというか…感覚でいうとそんな感じなのです。

ポーズをとっているときにはそうでもないですが、単独で呼吸の練習をしようとすると、細く長い息などしようものなら、体中に力が入って顔が真っ赤になって、苦しくなって、やっている最中に「こんなんでいいのだろうか」と疑問がよぎります。
普通、リラックスしていくんですよね…?


健康のカテゴリーでも過去「腹式呼吸」や「ヨガ」について何度か質問させていただいて、いろいろと貴重なアドバイスをいただきました。
しかしそれらを参考にして試行錯誤しているも、今だこの状態です。
こちらでも呼吸法の記述を見かけますので質問させていただきます。

呼吸法を実践されている方、何でもいいのでアドバイスをいただけませんか。

A 回答 (55件中1~10件)

ヨガの教室に通っているということですから、よほど適切なアドバイスをもらえていると思いますので、なんとも難しいんですが、姿勢は良すぎると腹式の呼吸は難しくなりますので、姿勢を正しすぎないことと、意識の置き場所も重要なんです。




よくラジオ体操風に「胸を張って」と指導する人がいますが、あれは間違いなんです。
反り返りすぎない程度に普通に背骨を真直ぐにしてれば良いんです。
腹式の呼吸が楽に出来る程度で良いんです。


あと呼吸は、普段は無意識でやる自律神経の支配ですが、ちょっと意識しただけで腕や足を動かすのと同じ体性神経に支配されるので、必ず、力が入りすぎて、吐く息が長くなったりしますので、強く吸いすぎたりしますので、不自然になって正解なんです。

たまに「呼吸は自然に限るんだ」という人が居ますが、
意識して自然な呼吸をするということは無理なんです。

必ず、長く吐きすぎたりして、呼吸のリズムは一定ではありませんので、無理やりに同じリズムにしようとか、自然にしようと思わないことも大切です。

「呼吸は乱れて正解なんだ」程度に考えておくと良いと思います。


で、吐く息を長くするときのコツも、腹筋(丹田)に意識しすぎると、これも力が入りすぎますので、意識は鼻腔や上唇に当たる息や音に集中するんです。

息をするときは鼻腔や上唇を通る息に集中し、観察するんです。

これも表現が難しいですが・・・、どんなに弱い息でも、必ず鼻腔を通っているんですから、鼻腔付近の感度を上げて、息を観察するような気持ちにするんです。そうしていると気持ちが穏やかになって、呼吸も安定してきます。

穏やかに吹く自然の風を感じるようなつもりで、
鼻腔辺りを通る風(息)に集中するんです。


上手に意識を外すことで、楽に出来るようになると思います。
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この回答へのお礼

適切なアドバイスをどうもありがとうございます。
Syo-yaさんのご回答は、ときたま拝読させていただいています。
なるほどと思いました。姿勢を正しすぎない(背筋を伸ばすのが良いと思っていました…猫背気味なので…)、鼻腔に通る空気を感じる…など、その他いろいろ大変参考になりました。
そして「意識を外す」と表現されている部分もとても気になります。
Syo-yaさんは、呼吸法を開始されてから、体の変化…不調などはありませんでしたでしょうか?
よろしかったら、参考までにお聞かせ願えないでしょうか。

お礼日時:2005/01/08 01:43

呼吸法を実践している者です。


呼吸法を体得するコツをお教えしますので、本当に、実践してみてください!

私がやって、一番良い!と思ったのは、まずは、普通に歩くんです。
で、歩くときの腕の振りに「1%の作意」を込めるんです。
ロボットのように、または行進する兵隊さんのように、・・・自然の動きを妨げない程度に、意識して、丁寧に、気をつけながら腕を振ります。まずは、これを、本当~~にやってみてください。
そして、その感覚、コツが掴めたら、今度は、足の振りに「1%の作意」を込めます。
そしたら、次に、その感覚を呼吸にも込めるんです。
吸うときも吐くときも、ちょっとだけ作意を込めるんです。
気を抜かないように、でも、自然の呼吸を妨げないように呼吸するんです。


貴女なら、気功的センスも抜群ですから、きっと、すぐに体得してしまうと思います。
いきなり呼吸からやると、呼吸困難になってはいけないので、まずは、腕、足で感覚を掴んでみてください。
「ちょっとだけ作意的に動いてみよう!」・・程度の遊び感覚でやってみてください。
丁寧に、気をつけて、気を抜かないように・・・生活してみるんです。




そうすると不思議なことに第三者からは「あの人は、なんて静謐な人だ・・」って、それっぽくみえてしまうんです。
でも、気を抜いてしまうと、普段はいい加減な人間だったりするんです。
つまり、あ く ま で も、気をつけているときだけ、結果的に! 静謐っぽくみえるってだけなんです。


人生相談でいえば、悩み、苦しんでいる人に対して「この人を導いてあげたい!」と思ったら、丁寧にならざるを得ないでしょ?判りやすく、腑に落ちるように伝えたい・・・・誰だってそんな気持ちに駆られれば、一言、一言、熟慮して、丁寧に、根気よく、発言するようになるんです。

これが「慈悲喜捨」と呼ばれる想念であり、気をつけている状態なんです。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1888397(こちらの#7)


 ○ 慈悲喜捨の気持ちを持つ → 気をつけるようになる → 静謐っぽく見える

・・・と、いうことなんです。

つまり、なんと不思議なことに、心も身体も、気をつけるだけ! で【安定】してくるんです。
気を抜けば、不安定になるんです。
だから、1%の作意を込めるといいんです。



ちなみに、「導いてあげたい」の真逆は「従わせたい」ですよね。
前者が理性の仕事なら、後者は獣性の仕事です。

「従わせたい」には、丁寧さも、根気も、作意も、論理性も必要無い、なんでもありの世界なんです。
私も親兄弟、社会から、罵倒され、暴力を受け・・と、獣性の洗礼を受けてきて傷ついてきた人間ですので、誰かに導いて欲しかったので、他人に伝えるときは、「導いてあげたい!」という気持ちが自然と強くなってしまうのでした。


で、さらに言うと、一生懸命、導いているつもりだからこそ、それを実践して欲しい!、体得して欲しい!という想いも強いんです。私のことなんか、どうでもいいから、アドバイスを体得して、勉強して、実際に心を安定させて幸福になって欲しいという気持ちが強いんです。「やってくれなきゃ、意味ないじゃん!」って想うんです。意味の無い交流をするよりも、意味のある実践だけをして欲しいんです。


「感覚」というのは、びみょ~~~~な世界です。
我々は、その、びみょ~~~~な感覚を自在に扱えるくらい、感覚の達人を目指すべきなんです。

何か、質問がありましたら、どうぞ。

この回答への補足

お礼が遅くなり申し訳ありません。
ojizou-samさん、ご回答いただき心より感謝しています。
少し言葉を整理したいので、お礼蘭の方にはもう少し後に改めて記入させていただきたいと思っています。
本当にすみません。

No.64の方は、以前にもご投稿くださったと思います。

補足日時:2006/06/18 04:15
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この回答へのお礼

ojizou-samさん、お礼が大変遅くなりました。本当に申し訳ありません。

>>意味の無い交流をするよりも、意味のある実践だけをして欲しいんです。

確かに「教えて、助けて」ばかりでした。
そこに進歩も理解も見られなければそう思われても仕方ありません。
反省しきりです。
ただ、実践はしている(つもり)です。

>>「ちょっとだけ作意的に動いてみよう!」・・程度の遊び感覚

ずっとそれを心がけていました。
が、ここ数ヶ月、ほんの少し体に意識を向けるだけで(呼吸法はなしで)、子供の時以来の喘息の発作が起きるようになりました。
少し前、気功をする治療院に行ってみたら「敏感だからあなたは呼吸法しない方がいい」と言われました。
それで煮詰まって、甘えた書き込みをしました。すみません。
今も咳はありますがマシになりつつあります。大丈夫です。


今まで教えていただいたこと、それで充分だったと思います。


私は、心の「静けさ」が欲しくて、それを得るテクニックを求め尋ねましたが、
今思うと、テクニックや方法を求める気持ち、また、助けやアドバイスを求める気持ち、それ自体が「静けさ」から自分を遠ざけていたように思います。

いろいろと教えていただき、
今、自分には、「静けさは元から自分にある」という感じ方が起きるようになりました。
探さなくてもただそこに戻ればいい、思い出せばいい、どんな状態のときでもそこにいつも「静けさ」はあるんだと、そう感じるようになり、少し楽になってきています。


また、安定して落ち着いている状態=身体に意識が満ちているというのも理解しております。
恒常的にその状態にはあれませんが、それゆえ実践的アドバイスありがたく思っています。
心の動きが見えやすくなり、
最近は「なんだ、自分が勝手に苦しみたくて苦しもうとしていたんだ」そういう発見をして、
また少し楽になった…そういう日々を過ごしております。

感じ方も価値観もひっくりかえるので混乱するときがあります。
そういう時は人に答えを求めたくなりますが、
それは甘えであり逃避でした。

ojizou-samさんは、一人で歩んで来られて今の境地に到達されました。
私も一人で、歩いて行きます。ここまで導いてくださってありがとうございました。

質問はありません。
書き込んで下さって本当に嬉しかったです。感謝し続けます。

お礼日時:2006/06/24 16:23

お久しぶりです! kuronecoさん!



本当ですね、もう一年なんですね。(@@;

>>一年を通しお世話になりました
とんでもないです。
ダラダラとした長蛇乱文に真摯にお付き合いくださって、こちらこそ感謝いたしますm(_ _)m

いつかkuronecoさんも「今は冬の時代」とおっしゃってましたが、本当は頑張ってる時期って真夏であり、青春時代なんですよね。そんな青春時代の一ページのお役にたてて、大変、光栄に想います(^^)

kuronecoさんご家族には、来年は、さらなる幸福に向けての一歩の年になることは絶対(!)に間違いありませんので、何があっても大船に乗ったつもりで生活を堪能してください。

良いお年をお迎えください。(^^v

なにかありましたら補足欄にご記入くだされば、また覗きますので、お礼欄は通信用にお使いください。

この回答への補足

Syo-yaさん御返事ありがとうございます。
読ませていただきうれしい気持ちになりました。
Syo-yaさんにも私にもみんなにも来年が幸多き年でありますように!

補足日時:2005/12/26 03:44
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この回答へのお礼

Syo-yaさん、お元気にされていますでしょうか。
先日は焦ってしまい、きちんとしたお礼が言えずじまいで申し訳ありませんでした。
本日になってやっと、このお礼欄が残っていることに、ハタと気づきました。
読んでいただけるかどうかわかりませんが、改めてお礼を言いたくて、書かせていただいています。

以前にも書かせていただきましたが、
このgooを見るようになった当初、いろいろな回答を読んでいました。
その中でSyo-yaさんの回答は内容もさることながら、文章の中に含まれる「静謐」さが際立って目をひきました。
それは、そう作ろうと思っても作れるものの類ではなく、内面からにじみ出てくるものと思いました。
私はそれにとても惹かれました。
私も「それ」が欲しいと思いました。

なので、こうして回答をいただけた時には感激しました。
「それ」は私の中にはっきりとまだ見出せていませんが、
この質疑は私にとってもっとも有意義な質疑でした。
改めて、心より感謝します。
私の無知と混乱につきあってくださって、本当にありがとうございました。

Syo-yaさんの撤退を心より淋しく思います。

もう削除されてしまいましたが、Syo-yaさんの撤退を惜しむ方からここに書き込みもありました。

またご回答いただけること、心より期待しています。
本当にもう完全撤退されるのでしょうか。

お礼日時:2006/05/01 04:06

私たちが、頭の中でどんなに悩み苦しんでも、私たちを取り巻いている自然というか、


空気というか、「場」は、全く動ずることがありませんよね?

どんなに悲惨な戦争中も、風は気にもしないで普通に吹いています。
どんなに大切な人の生命であっても、津波は普通に飲み込んでいきます。
不幸のどん底にあっても、幸福の絶頂にあっても、自然は普通に淡々と仕事を続けています。

静寂というか、淡々と、平気で・・・なにごとも無かったように普通にしてますよね。

我々もその感覚に”成って”自分を観察するような感じなんです。(表現が難しいですが)
「我が物」とかいう意識を超えたような感覚から、自分を観察するんです。

ですから、無呼吸に害が無いと”前提”して言いますと、無呼吸はどうでもいいんです。
放っておいてもいいんです。そのうち自然に吐くし、吸いだすんです。
そんなことよりも、それを気にしている、”そんな自分こそに”気が付くことなんです。


ですから、瞑想中は、とても心が静まり返っているんです。
もちろん、毎回、毎回上手くはいきません。
昂奮が中々収まらないことのほうが多いです。

でも、一度、自然と一体化するような感覚を覚えてしまうと、さらに上達すると想うんです。
以前に話たVTRで観察するような感覚ですが、心は自然と一体化した感覚です。


そんな感じになるほど心を静めるのって、現代生活に慣れてしまった我々には大変な作業だと想います。
ですから、私も、近所のお寺に勝手にあがりこんで、瞑想したりもします。
宗派なんかこだわりません。静かな場所ならどこでもいいんです。

ですから、もう何年もテレビも見てません。
出来るだけ刺激物は避けています。
少しでも現代社会に汚染されないようにしてます。

・・まあ、こんな回答しか出来ませんが、ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

Syo-yaさん、こんばんは。
大変、ご無沙汰しています。
私は元気にしています。
この質問に答えていただいてからはや一年がたとうとしています。
とても勉強させてもらった一年でした。
Syo-yaさんには一年を通しお世話になりました。

年を越すにあたりご挨拶させていただきたいと思い書かせていただきました。
なんだか年賀状のようですが…。

現在、私は私なりに勉強中ですが、また質問させていただきたいことも出てくるかと思いますので、
質問はこのままにさせておいて下さい。

来年もどうぞよろしくお願いしますm(__)m

お礼日時:2005/12/22 23:54

こんばんわ、kuronecoさん。



う~ん、ム・ツ・カ・シ・イですね。。。(@@;
呼吸って自然呼吸ですよね?

よく呼吸法なんかで一番怖いのは「過呼吸(過喚起)」なんですが、
それでも、過呼吸では死んだ人はいないそうですから、
kuronecoさんの場合も、まず死ぬことは無いと想うんです(あくでも私見ですよ!)
(睡眠時無呼吸ではないですよね?!)


で、瞑想的に言えば、無呼吸を気にしている自分を感じたら、
そんな自分”こそ”に気がついて「気にしている・・」「戸惑っている・・」です。
あくでも徹底的に客観視なんです。

「あれ? どうしちゃったんだろう?」と心配している、
<そんな自分”こそ”>を気がついて、感じて、実況するように努めるんです。

例えば、腕が痒いときは「痒い!」では駄目なんです。
足が痛くても「ああ~痛い!」では駄目なんです。
客観的に淡々と「痒み・・」「痛み・・」なんです。
自分という動物を観察するような感覚と言えると想います。


瞑想の感じを図にしますと
(ここらへん ↓)の余白の、静寂の中から自分を観察するような感覚なんです。



なんと表現すればいいんでしょう・・・?
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この回答へのお礼

Syo-yaさん、ありがとうございます!

>>「あれ? どうしちゃったんだろう?」と心配している、<そんな自分”こそ”>を気がついて、

言っていただいて気がつきました。そういう自分に気がつくことを気づきませんでした。

>>自分という動物を観察するような感覚と言えると想います。

はい…。うう、何度も教えていただいているのに同じことをしています。

>>自然は普通に淡々と仕事を続けています

不思議なんですけど今日、偶然、車の中から空をボーッと見ているときにそれを感じました。
何だかそういう気分になりまして、
自然というのは摂理に従ってただ動いているだけなんだなあ、法則に従って機能しているだけだなあと。
そこに意味を見てしまうのは、人間の色めがねなのかなあ…と妙にぼんやり考えていました。

>>我々もその感覚に“成って”自分を観察するような感じなんです。
>>心は自然と一体化した感覚です。

すごくいい表現で教えていただきました。
その感覚…心がけていきます。

しかし…なんでこう雑念にすぐひっかかってしまうんでしょう(T_T)

刺激物だらけの生活です。(反省)
お寺はいいですね…私もそんな場所で集中したいです。
静寂…感じ取りたいです。
余白の部分の静寂はまだわからないんです…(;_;)…ごめんなさい。

今回、改めて大切なことをお聞きしたように思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/08/30 02:32

鳩尾付近には太陽神経叢という自律神経の束があるんです。


ですから、ここが柔らかくなると、ジワ~っと幸せを感じるのかも知れません。

やはりストレッチが大切なんですね。
筋肉にも質がありますから、自分の質に合わせて、やったほうが良いんでしょうね。

オエッ、クラクラ・・・大丈夫ですか・・?(^^

私も肩甲骨があがり気味だったので、首回りのストレッチを欠かさずやってますが、やはりクラクラ、ゲボッとなります。でも確実に効果出てきているので、嬉しいゲボです。^^

自発功のほうはどうですか?
上手く行ってますか?

では、頑張ってください。
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この回答へのお礼

Syo-yaさん、こんにちは。度々、すみません。
質問をさせて下さい。

目を閉じて瞑想のようにしていると、たまに息がとまります。
それは体が硬くて息が苦しいというよりは、自分の意志が「息を吐きたくない」という感覚なのです。
ほっておくと、ずっと止めています。それで少しとまどいます。
「息をとめていたい」という感覚が最近、やたらと多いです。

この感覚にどのように接したらいいのでしょうか。

お時間のあるときで結構ですので…ご教授いただけたらと思います。

お礼日時:2005/08/28 16:43

お久しぶりです。

kuronecoさん!

しかし、凄い執念というか、根性の人ですね。。。(^^
前にも書きましたが、そのうち本当に人に教えられるくらいになってしまいますよ。
自己犠牲を払って、習得したものって、一生モノですからね。
私も本当に苦労したので、それがこうやってお役に立てて、本望なんです。

こうやって、せっかく役に立っているのに、削除してしまう人がいるのは、大変、悲しいことですね(苦笑)
(まあ、慣れてますけどね)
メルアドでも載せてみましょうかね。。。

猫ちゃんも義父さまもお元気ということでなによりです。
(・・・? なんか、凄い会話ですね)

瞑想も、頑張れば、一生モノになりますので、是非、続けてください。
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この回答へのお礼

Syo-yaさん、こんばんは、どうもありがとうございます。
削除は本当に残念ですよね…。

Syo-yaさんが「冬の時代」を経て得た数々のことを、こうやって教えていただけたのは、私にとってとても幸運でした。
もう私はヨガをしたからといって、眠れなくなったり熱を出したりしません。(筋肉痛にはなるけれど)
苦節○年、しつこく質問しつづけて良かったと…書き込んでいただけてよかったとしみじみ思います。

執念というかほとんどヤケクソ…のように続けています。
のぼせてどうしても気が降りないようなときは、腰やお腹に湿布を貼ったりして(←こうすればジンジンしたところに注意がいって気が降りるかもと…)、
我ながら何をしているのかとあきれることもあります。

瞑想に必要な呼吸への集中…深くゆっくりした呼吸…瞑想の本もいろいろ読ませていただき、いろいろグルグルまわった結果、やはりストレッチにいきつきました。
長年の姿勢の悪さからきた筋肉の硬直、特に呼吸筋をまずほぐした方が…と思いました。
自発功は、最近少し疑問に感じてお休みしています。

肩甲骨あたり、ストレッチすると本当にゲボッてなりますよね^_^;
瞑想を続けていきたい(本当に一生ものですよね!)…それゆえに「ゲボッ」に耐えています。
ずっと以前にも言っていただきましたが、やはり数年ぐらいかかるかしらと思いながらコツコツとやっていこうと思います。
私は今、「冬の時代」ならぬ「真冬の時代」かもしれません。
がんばりますね^^

お礼日時:2005/08/26 01:14

>>そこには必ず何とかしてやろうという感覚が生まれるのがわかります



そうしたら、「なんとかしてやろうと想っている・・」と気がつけば良いんです。まずは、この感情にターゲットを絞ってやってみてもいいと想います。
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この回答へのお礼

>「なんとかしてやろうと想っている・・」と気がつけば良いんです。

そうなんですよね…。でもそれが何故かしら…出来なくて…、何かよくわからなくなるんです。修行が足りないです。

テーラワーダ仏教のHPでヴィパッサナの瞑想の紹介をしているページに「“そんな簡単なことでよいのだろうか”と思われるかもしれません」という記述がありました。
私は落ち込みました。
私はヴィパサナをとても難しいと思っているからです。
他の人には簡単なのかしら…?と。

普段、集中力のない自分なので、瞑想会みたいな所に行ったら私も嫌でも集中するかな…とも思った時がありました。
しかしここの教えてgooで、たまたま行ったことのある方の記述を見つけて読ませていただき、ひるみました。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1490956

…ちょっと今の私ではムリかと思いました。

「ミャンマーの瞑想」、図書館にあるようなので、ぜひ借りて読んでみようと思います。

Syo-yaさんも、猫飼われていたんですね!
私も毎日「いい子だね~」「大好き」「ありがとう」「かしこいね」などなど言ってます^^ うっとりとした顔しています。昨日から「ごめんね」も加わりました。自分に語りかけるように言ってます。やっぱり涙が出ます。
ありがとうございます。本当に無条件に猫を受け入れたいと思っています。
猫も今まで無条件に私を受け入れてくれました。感謝しつくせないです。

Syo-yaさん、数々のヒントをいただき本当にありがとうございます。
しょっちゅう煮詰まっていますが、頑張って続けていきますね。

お礼日時:2005/08/03 02:47

>>実を言うと、ラベリングが大変苦手です。



私も最初はできませんでした。
指導書にも、言葉にすることは、感じることよりは、大切ではないと書いてありましたので、まずは、感じることを日常にすると良いと想います。そして、それが慣れてきたら、ちょっとずつでも言語化すると良いと想います。

で、そのときは、思考に夢中で、気づけなかったとしても、少し経ってから、「xxのことについて考えていた」と気づくだけでもいいんです。

私の場合はこんな風です。
kuronecoさんからの返事を読むことによって、頭の中でその返答を考え出しているんです。
頭の中にkuronecoさんを設定して、語りかけているんです。

「kuronecoさんに話し掛けている・・・」
「説明している・・・」
「話の段取りを計画している・・・」
「会話をしている・・・」というような感じです。

まるで、自分を赤の他人のように扱うんです。
出来るだけ頑張って、詳細な部分まで客観的になって、想いの垂れ流しを少なくするんです。

そうすると「俺って、こんなこと考えていたんだ・・」という驚きも出てきます。
アラ、不思議・・・なんだか、気持ちがスッと楽になって気軽になってしまいます。
つまり、逆に言うと、自分の見解により、それほどのぼせているということです。


マハシー長老の「ミャンマーの瞑想」という本はお薦めです。
是非、一読してみてください。

いずれにしても、静かな時間を設け、呼吸も普通にして(呼吸法はしないで)「ただありのままに”しておこう”、そして、そんな自分を観察しよう」という気持ちになることだと想います。

そして、その時は気づけなくても、後追いでもいいから、
どんなことを考えていたのか? 
誰と喋っていたのか? 
どんな話の展開だったのか? に気づくだけでも良いんです。

ちょうど、「夢」の記憶を呼び覚ますような作業です。

多分、最初は、本当の夢のように覚えてもいないと想います。
覚醒状態でも、自分が何を考えているか、覚えていないと想います。


まあ、気長に焦らず、挑戦してみてください。
きっと、慣れてしまえば、出来るようになると想います。



猫への懺悔は、私もしたんです。
「お前は、本当にいい子だよ」という言葉を何回も聞かせてあげました。
心は本当に通じると想います。
だって、逆説的に意地悪をすれば猫だって怒るんです。
だったら、良い心で接してあげれば、必ず、猫も癒されるんです。簡単な理屈です。
是非、無条件に受け入れて、癒してあげてください。
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この回答へのお礼

Syo-yaさんこんばんは。お返事をありがとうございます。

そうだったんですか!Syo-yaさんでも最初は難しかったんですね。
そうなんですか。感じることからでいいんですね。
今は私も感じることの方が楽なので、そちらからしていこうと思います。

私の場合は、
「Syo-yaさんのお返事を読んでいる・・・」
「反応がわくのに気づく・・・」
「反応を味わい確認する・・・」
「言語化してSyo-yaさんに語る・・・」
「文章化している・・・」こんな感じ…のような気がします。うーん。

>ちょうど、「夢」の記憶を呼び覚ますような作業です。

大いなるヒントをありがとうございます。

以前にSyo-yaさんに教えていただいた、「自分を外から見るように」、あのイメージは大変に役立っています。ありがとうございます。使わせていただいています。
まだまだ詳細に自分を見れていませんが、のぼせから離れるには大変いいです。

以前にも書きましたが、客観的な視線を持つとすっと楽になる割に、容赦がないように思います。
私は相当、嫌な奴のような気がしました。
何だか自分がよくわからない…それが最近の混乱です。

昨日回答いただいた、「イメージに成りきる」について。
私も最近、イメージの強力さを実感しています。
外から自分を見るのもイメージですよね。
ある時疲れてしまい、ああもう肩の荷を降ろしたい~と夢想していたとき、ああじゃあ降りた時のイメージを試しにしてみようと思いました。
するとフーッと軽くなってリラックスが出来ました。

体って人間って不思議…ああすべてがイメージなんだなと思いました。気功…ヨガ…すべてがイメージで…
自然治癒力が増すのもわかります。
「Let It Be」つながりですが、「Imagine」…本当に大切なんですね。

お礼日時:2005/08/03 02:09

~その3~



気功法というのも、動きに成りきることが大切なんです。
心をLet It Be状態にして、囚われの無い心になるんです。

で、気功法の素晴らしいところはイメージを使って、イメージに成りきることなんです。
たとえば「亀のように丸くなって」と言われれば、頭の固い大人から、子供まで全員が出来るんです。

  人間は「イメージに成りきる」という性質を持っているんです。

この性質を利用して、心を解放していくことも出来るんです。

上記の帯津先生の本を読んだこともあるんですが(多数出版されています)、もちろん、癌の治療に気功法が誰にでも効くわけではなく、効く人には効くというレベルではあるんですが、それまでの西洋治療だけでは語れない結果が出るんだそうです。


自然治癒力って本当にあるんです。


このサイトにも以前「腫瘍(だったけな?)が自然に消えたけど、こんなのありですか?」という人がいました。ですから「心の状態によっては、ありですよ」と答えました。そうしたら「実は、今、恋愛が順調なんです」と答えが返ってきたんです。


ヴィパッサナー瞑想もお薦めしたいですけどね。。。
(”ラベリング”で心理療法的効果が期待できると想うからです)

また本来の仏教(現:テーラワーダ仏教)というのは、生きている間に触れるものなんです。
日本では死んでからの仏教化してますが、それは違うんです。
お釈迦さまの教えというのは生きているときにこそ触れるべきなんです。
だから南アジアの国では、まだ息があるうちにお坊さんが来て、お経を読むんです。
お経というのは、お釈迦さまの教えの口伝だからです。





猫ちゃんのことも心配ですね。

>>思えば私の強烈な悲しみが猫に伝わって具合を悪くしていたようにも思います。

これは、多分、正解かも知れませんね。
だったら、そのように言ってあげれば良いんです。
「いろいろストレスかけて、悪かったね」とか
夫婦喧嘩の過去を思い出して、
「あの時、お前も、近くに居て、私達を見ていて、辛い想いをさせたね」とか
kuronecoさんの潜在意識にある、猫ちゃんへの罪悪感を懺悔するんです。
言葉にして、癒してあげるんです。

もちろん、そうすることにより、猫の寿命が100年になるワケも無く、死は確実に訪れますが、「想い」「心」が伝われば、猫の心だって、豊かになると想うんです。それが、唯一の救いだと想うんです。


お試しください。(〆の台詞はいつもこれですね。。苦笑)
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この回答へのお礼

Syo-yaさん、先日はどうもありがとうございました。
本日、「教えてgoo」の方からメールが来て、「回答を削除」の旨が伝えられていました。
驚きました。(「確保」の欄が削除になったようですね…。本文ではなくて良かったです) 

おかげさまで、義父は今のところ自宅で元気に生活しています。
猫の方も元気です。

私はアドバイスいただいて以来、改めて横隔膜を意識しながらの呼吸とストレッチを続けながら生活しています。
やはり翌朝、起きれないくらいの肩こりや筋肉の張りに襲われることがあります。
しかしうす皮をはがすようにではありますが、伸びてきています。

もうクエン酸をサプリでとりまくっています。

最大に硬いのは、鳩尾、胸と背中の肩甲骨あたりで、ここに四苦八苦しています。
呼吸がだいぶ楽にはなっていましたが、肩こりになって以来の息苦しさは残っていて、体のこの辺りが原因に思われました。
少しずつ伸ばしながら、オエッとなったりクラクラしたり、それほど硬くなっていました。でもしつこくしていました。
昨日もそれをしていたら、みぞおちから胸にかけてパーッと気持ちよくなって体中が気持ち良くなりました。
久しぶりに、息が吐ききれた~という感じで、大げさですが涙が出るほどうれしかったです。

続けていて良かったです。
今もあちこち筋肉痛ですが。
教えてくださり、はげましてくださったSyo-yaさん、改めて、本当にありがとうございました。
ヴィパッサナも続けていきます。

お礼日時:2005/08/24 01:52
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