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概して、人間の感覚器官は、自らの生命を維持するために必要なものを「よい」と判断するようになっています。だから、食べ物を見て美味しそうと感じたり、マッサージを受けて気持ちいいと感じたりすることは、「人間が自分の生命を維持するために必要だから」という理由で納得できます。
さて、ふと目に入った花をみて「なんて綺麗なのだろう」と思ったことは誰しも経験することですが、その理由がわかりません。
何にでも意味や理由を求める態度は野暮だとは思いますが、敢えて聞いてみます。みなさんはどう思いますか、教えて下さい。

A 回答 (79件中1~10件)

枯れてしまうのがわかっているからではないですかね。

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美しいに理由などいらない

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1.科学的には答えは一つです。


「すべての生命をリードしてきた植物が、中生代に、植物と昆虫と鳥の惑星である地球で、植物が昆虫を引きつけ受粉してもらう共生関係において、昆虫から観てなるべく目立つように生殖器官になるべく目立つ花を創ったが、当時恐竜の卵どろぼうの五本指手足のねずみみたいないきものだった哺乳類は、新生代にねずみみたいな生き物から原猿類に成り真猿類に成る過程で、動物には毒であるアルカロイドの成るべく少ない赤い若葉や赤などの花を食べさせてもらうために、に原色の世界であった刺客に、赤という三原色目を加える事によって、植物と昆虫と鳥の恩恵を借り受け、地球に規制させていただくことになったから。なほ、たまに植物が動物から身を守るアルカロイドは、ヒトにとって薬となり、ハレをかいま見えるドラッグともなる。」

2.地球は、植物と昆虫と鳥(恐竜)の惑星であり続けたこと。
ヒトは地球の寄生獣であること。
人は人のために現在の地球環境を守って行かないとヒト「が」絶滅すること。

3.これらを肝に銘じてヒトは生きていくしかありません。

以上でございます。。
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きれいな花が造花であったと知ったならば


その瞬間に思いが変わってしまいます。
たとえどのように精巧に造られていても、造花は造花です。
生花に勝るものではないでしょう。
花の美しさは、生きている美しさなのだと思います。
綺麗な言葉で言えば、生命の輝き、でしょうか。
花に宿る命の輝き・・・
(ちょっとキザっぽい言い方になってしまいましたね)
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まだ見てますか?



私の考えですが、花は必ずしも美しくはありません。ただ色が鮮やかなだけで、それを美しいと感じるのは文化に属するのではないでしょうか。
現代社会では原色を見る事はさして珍しい事でもありませんが、昔は違います。
鮮やかな色をしたものなど、花や宝石、蝶や鳥以外にほぼないでしょう。
もし、あの色がなれれば花は葉っぱと変わらない印象しか与えないと思います。
つまり、あの色が特別に鮮やかであったことが重要だと思うのです。

「特別に鮮やか」→「飾りとして使える」→「いいもの」→「美しい」

となったのではないでしょうか。

私は蘭の花なんかはけっこうグロテスクだなと感じます。それから、知り合いの女性は蝶がひらひらと飛んでいるのが怖いと言って青ざめていることがありました。
生まれたばかりの頃の印象によって、花は美しくも醜くもなるのではないか、というのが私の考えです。
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自分の心の中に綺麗な部分を持っているから、花も綺麗に見えるんです。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅れてしまってすいません。
kai93408さんが仰るように、人は自分の中に綺麗な部分を持っていると思います。その綺麗な部分がどのように花と結びついているのか、なぜ多くの人はゴキブリよりも花の方を綺麗だと思うのか、という疑問はまだ残っているように思います。

お礼日時:2008/11/29 22:21

こんばんは。

ずっと以前にも投稿したものです。
この質問、面白いですね。一度目の回答から少し私の考えもちょっと変わりました。

では今の私の回答です。
花はナゼうつくしいか。
花が美しいのではなく、花を美しいと思うように人間が進化した、という考えです。

美しさ。それは人間が少しでも快適に生き、少しでも寿命を延ばし、少しでも生き延びる可能性を高め、より良い遺伝子を残すためにある価値基準なのでは、ということです。
美しい空。美しい空気。美しい水。
美しい女性。美しい音楽、美しい絵画、美しい町。
快適であるもの、快適であるものを生み出すもの。
混じりけがなく純度が高い、傷がなく完全である、バランスと調和が取れている、力強い生命力をもっている。
人が美しさを感じるものには、ある一定の性質がありますよね。

そんなことを思ったのは、晴れた空をみてああ、いい気持だな~~と思った後に、前日のテレビの映像を思い出したのです。
それは泥川の穴の中で過ごす魚の映像です。
彼らは透明で明るく広い場所を忌み嫌っているのです。薄暗くて細長い場所、濁った水を彼らはきっと、「なんてステキで落ちつく場所なんだ」とある種の美しさ、というべきものを感じているのです。晴れた空や澄んだ水を見ても、彼らは決して美しいとは思わないのです。

それと同じようににフンころがしはきっと、フンの匂いを「おいしそうな匂いだなあ」と感じているわけです。
ウンコがクサイのではありません。
そう思うように人間が進化してきたのです。排泄物は生きる中でずっと付きまとう問題ですが、放置するとそりゃあもう沢山の弊害がでてきます。だからあの匂いをかぐとクサイ!遠ざけたい!どうにかしたい!!という本能がムラムラとたちあがるんです。汗がくさいのではなく、あの匂いをクサイ、と思うことで人は清潔への欲求を獲得したのです。

遠ざけたほうがいいもの、選ばないほうがいいもの、そういう状態を回避したいと思うものに対し嫌悪感をかんじ、いっぽうで選んだほうがよいもの、そういう状態を保持したい、獲得したい、と思ったほうが良いものに良い感情を持つ。
人間は植物がなければ生きていくことが出来ません。空気を作り、水を循環させ、食物を与えてくれる存在。その植物が繁栄している確かな証拠。沢山あればあるだけすばらしい。
一面に咲く花を見たとき。
人間の本能がこの場所は快適である、人間の生存に適していると判断するのではないでしょうか。そしてこの状態を守りたい、と強く思うのです。
明るい光に集まる虫たちがいますよね。あれもやっぱり明るい光を求める、強い強い逆らいがたい本能があるわけです。太陽のある場所。そこに彼らの生きる糧があるのです。
昆虫が明るい物を見ると近づかずにはいられないのと同じように、人間は晴れた空と透明な水と生い繁る植物をみると、なんだかもう良くわからないけど、いい気分だな、と思わずにはいられないのです。

というわけで。
美しさとは 人が生き延びるために獲得した逆らいがたい行動基準なのでは、と思います。
自分の生命をより良く維持し、より良い遺伝子を残すために必要であるもの、またその特性を多く、強く持つものを獲得したい、維持したい、同化したいと強く思わせる装置、といってもいいと思います。
古来、ほとんどの文化で楽園、天上世界につきものといえば「咲き乱れる花々」ですよね。人はそこを目指すよう、強く強くプログラミングされているのです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。ほぼ一年ぶりの御回答なので気づくのが遅れてしまいました、すいません。

>それは泥川の穴の中で過ごす魚の映像です。

人とかけ離れた生息域といえば、海底火山の周辺を思い出します。そこにはムーミンに出てくるニョロニョロみたいな生き物や、足の長い大きなカニなどが棲んでいて、地熱や地中から吹き出すもので生命をまかなっているそうです。つまり、地上の生き物と違い、太陽からのエネルギーとほぼ無縁な生活を送っている。そんな所に生き物が棲めるなんてもう、感嘆です。

>一面に咲く花を見たとき。
>人間の本能がこの場所は快適である、人間の生存に適していると判断するのではないでしょうか。

確かに、不毛な土地と比べれば、花のある方が人間の生存に適していますね。ただ「適している」という点では、同等とは言わないまでも、草や木の太い幹にも、もっと美しさを感じるのではないでしょうか。多くの人に花が傑出して美しく見える理由は他にもありそうです。私もいろいろ考えてきたのですが、おそらく理由は一つではないです。いま思いつくのは、人間が言葉を使う動物であること(象徴を解する能力があること)が関係しています。例えば、私は道端の小さな花に幼児性を感じます。花はパッと見ただけで「花だ」とわかるような、わかりやすい視覚性を持ち、しかも鮮やかな色でこちらに訴えかけてくる。そして人よりも弱い。こういった点が、人間の子供を連想させるのだと思います(こちらは動きや聴覚に訴えてきますが)。もう一つ思いつくのは、あの形です。中央に丸があり、同様な花びらがそれを取り囲む。すべての花というわけではないですが、頭の中でパターン化される典型的なものです。こういうパターン化しやすいイメージがシンボルとなり、様々な意味を担うのだと思います。私は曼荼羅に見るような母性を感じます。

長い間この質問を気にかけて下さったことに感激しました。嬉しいです。ありがとうございます。

お礼日時:2007/09/19 21:03

黄金比が鍵なのかもしれません。

自然界のあらゆるものは黄金比
によって組み立てられています。あと、詳しい事は忘れたんですが、
自然界の全ての事柄に内在する”心地よいリズム”というものも
発見されているようです。
宇宙のなかのあらゆる事柄は<法則>によって支配されている。
その法則を善いものと感じるのは、当然ではないですか。

自身で創作活動を行い、感覚を研ぎ澄ますと分かることですが、
実際、花だけでなく目に映る全てのものは、美しく感じるものです。

<美しい>を感じる理由を問う事は、人間がこの世界に存在する意味を
問うてるのと、ほとんど同じような気がします。
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この回答へのお礼

人は花の在りように何らかの法則を見出していると、私も思います。

>宇宙のなかのあらゆる事柄は<法則>によって支配されている。
その法則を善いものと感じるのは、当然ではないですか。

確かに、あらゆる事柄は<法則>によって支配されています。しかし、その中で、花がより強く目を引き付けるのはなぜなのか疑問が残ります。
挙げたれた黄金比や心地よいリズム(F分の1揺らぎ?)も関係しているかもしれないですね。

>自身で創作活動を行い、感覚を研ぎ澄ますと分かることですが、
実際、花だけでなく目に映る全てのものは、美しく感じるものです。

全てかどうかはわかりませんが、普段は目を背けるようなものにも美を見出すことはありますね。精密な機能という点で見れば、あらゆる生物は神妙な美しさがあると思います。

><美しい>を感じる理由を問う事は、人間がこの世界に存在する意味を
問うてるのと、ほとんど同じような気がします。

もし、「人間がこの世界に存在する意味は何?」と聞かれたら、私は「存在するため」と答えます。「存在している」というだけの事実が、美しく思える一瞬がある。雪のように散る桜の花びらや、寒風に舞い落ちる枯葉、湖面を伝って消えていく波紋などを見ているときは特に。花も移ろいを強く感じさせるものの一つですね。花は自身の存在を強く主張すると同時に、その儚さも露呈してしまう、両義的なものを持っている。そのことが美しさと関わりがあるのではないかと思います。

参考になりました。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/08/29 01:43

お久しぶりです。

#71です。

花を見て「なんて綺麗だろう」と思うのは、誰でも同じ感覚なのでしょうか?感覚の比較という観点から考察すると、どうやら「クオリア」なるものが媒介しているらしいのです。綺麗だと知覚する理由をお探しのようなので、この「クオリア」という面からも哲学してみてはどうでしょうか?
参考までに

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA% …
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
「クオリア」という言葉は私も知っていたのですが、その概念自体が哲学的領域からも科学的領域からも逸脱しているので、どのように考察すればいいのかもわからない状態です。どのような条件が揃えば「クオリア」が生じる説明になるのか、どういう領域で扱えばいいのか、難しいところだと思います。科学者の中には個々の「クオリア」の質的な違いを、物理的な個体差に還元して納得している人もいそうな気がします。しかし、着眼点としては面白いと思いますし、まだ不勉強なので新しい発見があるかもしれないので、追々調べてみます。

お礼日時:2005/12/12 13:47

>概して、人間の感覚器官は



人間のみならずあらゆる生物は、自らの生命を維持するために必要なものを「よい」と判断するようになっています。これを本能といいます。
人間は他の生物とは違い、高等な生き物ですので「感性」という感覚が備わっています。花を見て綺麗だと思うのは本能ではなく感性でそう思うのです。
生命を維持するのには感性は全く無駄です。本能で十分事足ります。それなのに人間には感性という無駄があるのはなぜでしょうね。
>花はなぜ綺麗なのか
これは、花が綺麗なのではなく、あなた(の感性)がそう知覚しているのでしょう。
この質問は、「人間にはなぜ感性が備わっているのか」という質問に一般化できますね。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
私もtuort_sigさんと同様に、美しさは人の感性が見ているものに感応してもたらされると思います。つまり、花だけでなく人間の側にも美しさをもたらす起因があると思います。
一つ疑問に思うのは、本能と感性は明確な境界があるのかということです。私は厳密な意味での「本能」が何を指すのか知りませんが、機能という点で見た場合、「生命維持に役に立つかどうか」ではっきり分けられないような気もするのです。
たとえば、美しい女人を見てその人を抱きたいと思うとき、「美しい」と感応したのは感性なのか本能なのか私にはわかりません。また、「役に立つかどうか」というのは事後的な解釈の仕方によって見解が異なる気もします。
どちらにせよ、やはりもっと知りたいのは人がどのような経緯で「美しい」という思いに至るのかということですね。

お礼日時:2005/11/25 01:27
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