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その男は確かにに笑っていた。
 丸刈り頭に鉢巻きを結び、黒ぶち眼鏡の奥の決して大きくない目をさらに細くしながら、その男は笑っていた。窮屈そうな学生服を纏ってはいるが、どう見ても学生と言うにはかなり董が立って見えた。
 テレビ画像に写っていた彼は、この一年昼夜を問わずに猛勉強に明け暮れ、この春に見事に最高学府への切符を手に入れた喜びを、全身を使って表現していた。
 彼は確かに笑っていた。彼はその手を堅く握り締めながら、一所懸命笑っていた。しかも握り拳を左右に震顫させながら、一所懸命笑っていた。
 
 さて、人間は掌を固く握り締めたまま、本当に笑うことができるのか、否か。
 皆様は如何お思いでしょうか。ご意見を賜りたく、ご無礼仕ります。

A 回答 (16件中1~10件)

 「言葉は流れるべきではない、嵌めこまれるのだ」というジャン・コクトーの言葉があります。

ある観念を鮮明に照らし出す、ピントの合った言葉を探すのには確かに時間がかかります。察していただいて嬉しいです。実際、べらべらしゃべるように書く文章なら短時間にいくらでも書けます。消されちゃったスレッドの「いやいやいやいや、どもどもどもども、はいはいはいはい」なんての、あれだけ書いても30分かかってないですから。(お読みになってないかもしれませんが。)

 それはさておきまして、回答No.4の解説に参りました。明敏なy2a2さんにはもちろんご理解いただいているでしょうが、「文学に文学をもって答える」形では必ずしも分かりやすくはないと思いますので。
 「男」の心情を理解するのに用いた手法はテツガクでもシンリガクでもありません。単なる「文章読解」です。

 まず彼の人物像をプロファイリングします。時代設定が不明ですが「テレビ」があることからそんなに昔のことではないことがわかります。遡ってもせいぜい70年代。そういう時代に照らして「丸刈り頭に鉢巻き」「黒ぶち眼鏡」「学生服」というファッションはかなり大胆です。ここから「身なりに気を使わない人物」という線が浮かびます。この場合、別のことにすべてを集中していたからでしょう。受験勉強。「昼夜を問わずに猛勉強に明け暮れ」とありますので。
 さらに「董が立って見えた」「最高学府」との箇所があります。「最高学府」は普通に考えれば東大。彼は東大にこだわって何年も浪人している「多浪くん」です。
 まとめますと、「年齢二十代後半、男性。プライドが高く、自己の才能に見合う最高学府への進学意欲が義務意識と化している。そこにすべての意識を単線化し、他のものを顧慮することなく努力を重ねてきた自負があり、多くのものを犠牲にしてきたという思いが潜在意識に鬱積している」といったあたりになります。

 続いて、見事「最高学府への切符を手に入れた」際の彼の心情です。
 彼の「最高学府」への愛は「修正不可能な愛」、すなわちストーカー的に固着した執着心です。そこに合格すること「だけが」彼の目標であり、生きがいでした。他には何も要らなかった。これだけあればよかった。
 で、合格。苦労の度合いがある程度までであれば「今までの苦労が報われた、よかった」と素直に感じられもしましょう。しかし彼の場合、そのために犠牲にしたものが多すぎました。労苦の時が長すぎました。その果てに得た「合格」。しかし彼の心は奇妙な虚脱感に満たされているのです。
 「こんなものなのか、こんなものなのか、もっとうれしいはずなのに」
 焦燥があります。あれだけ苦労した、なのにこんなものなのか。もっと喜んでいいはずだ、自分には喜ぶ充分な資格がある。いや、喜ばなければならない。
 こうして笑うことが「義務」になります。テキストでは「全身を使って」「手を堅く握り締めながら」「一生懸命」「握り拳を左右に震顫させながら」…ときて、最後にダメ押し的に「一生懸命笑っていた」が繰り返されています。
 すなわち、彼のその時の心情はこうです。笑ってよい、喜んでよい状況であることはアタマで理解しているものの、笑えない喜べない自分を見出しており、しかも笑えぬ理由喜べぬ理由も何一つ見出せないことから言い知れぬ焦燥感に突き動かされ、「笑わねばならぬ」と自らに強いているのだ、と。長年の労苦が、彼に笑い方を忘れさせたのです。だから彼は心から笑っているわけではなく、かなり無理な演技をして笑っているのです。それがあの「力一杯の笑い」です。

 ということは…「人間」に「合格」するには、彼はもう少し勉強しなきゃいけないだろうな、という考えから、最後の4行は書きました。
 ところで、これは何かの小説が元でしょうか。それともy2a2さんが実際にテレビでご覧になった情景を描写されたのでしょうか。後者であれば、y2a2さんの筆力はたいへんなものです。今さら言うのもおこがましいことですが。
 これからも「作品」を楽しみにしております。今後ともよろしく。
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この回答へのお礼

 やはり隊長の洞察力はすばらしい!(プロファイリング打率80%)
 あの拙い文面から、よくぞそこまで彼の正体を見破るとは、正しく恐れ入谷の鬼子母神。
 中でも、彼の進学への義務意識、虚脱感、焦燥感へと移り行く心理分析のくだりは、読む者を魅了せずにはおかない説得力があります。
 彼は残念ながら最高の最高学府への挑戦には夢をかなえることができませんでしたが、それなりの最高学府には見事合格することができました。彼の過ごしてきたその道程の一挙手一投足を多くの方が見守り、そして合格の朗報を目にした時、躊躇なく祝福を与えました。

なせばなる なさねばならぬ なにごとも
ナセルはアラブの大統領(いつの時代のこっちゃ?)
 
 彼の偉業を通じて我々はそう実感させてもらいました。感動を与えてもらいました。

 実は、今回の例示の行動は、彼がその合格の喜びをようやく自分の事として十分噛み締めた後に散見されたものでした。彼の置かれた立場を思うとき、ご指摘のような心の葛藤がおそらく存在していたのではないかと思い、質問をさせていただきました。
 喜び、そしてなんの緊張もない真の笑いとは、かくも儚く過ぎ去っていってしまうものなのでしょうね。ありがとうございました。
                参考URL http://www.ntv.co.jp/denpa/                                                            平成の戯作者(談)

お礼日時:2001/05/19 16:21

結論:出来ます。



掌を固く握り締めたままの笑い、つまりガッツポーズは例えば苦難を乗り越えたあとに成功をつかんだときに出る笑顔だと私は思います。これは自己の内から湧き上がってきた笑顔と言えましょう。こういう時は自然に笑顔になります。そしてその人の一番最高の顔をしている場合が多いですね。

一方、面白い話を聞いたときなどの力が抜けるような笑いは他からもたらされる受動的な笑いと言えると思います。

質問文の彼は感極まってそのような態度に出たのでしょうね。気持ちは判りますよ。そして彼には今後もそのときの気持ちを忘れずにいて欲しいものです。

ちなみに私もこういう笑顔は「経験あり」です。入試じゃないけど。。。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございました。
 ひさかたぶりのご回答にいたく恐縮しております。
 >自己の内から湧き上がってきた笑顔
 そういう瞬間も確かにありますよね。思わず緩んでしまいそうな口元を、必死に防ごうとする拳が確かに存在します。
 
たとえば、周りに他人がひとりもいなくなった時、あるいは人類最後の人間になったとき、それでも人は笑うことができるのでしょうか。
人はいったい何のために笑うのでしょうか。

お礼日時:2001/07/11 23:39

ちょこっと、ひらめきました!



真の笑い・・・・なぁ~んもかんも理由なんてなく笑っちゃうこと。
こころの中にある笑いのボタンがスイッチオン!しちゃった瞬間―☆
それが ――――>『真の笑い』

理由のない笑いが真の笑いじゃないのかしら~????

これもだめ?トンチンカン~☆

この前のご質問の回答はやっちゃんじゃなくて、いたずらっこです。
あとひとつ・・・・!
白やぎさんからお手紙ついた~♪黒やぎさんたら読まずに食べた~♪・・・
し~~♪かたがないから、お手紙書いた~♪黒やぎさんからお手紙ついた~♪
白やぎさんたら読まずに食べた~♪・・・・????
はてさて、あのうた、結局、白やぎさんと黒やぎさんはどうなったのかと
考えると・・・・笑えます。

白やぎさんと黒やぎさんがその後、どうなったのかをご存知でしたら
おきかせください。(創作バ-ジョンでもいいからききたいなぁ~)
気長にまってよっと!
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この回答へのお礼

 いつもありがとうございます。
 箸がころんでも可笑しい年頃、ツボッてしまって笑いが止まらないなんてこともありますね。そんな時がスイッチオンなのかな。
 するってーと、この年になるともうだめかな?
 
P.S.後半のご回答は本質問の趣旨とはちょっと違った方向のことなので、この場でのコメントは控えさせていただきます。あしからずご了承ください。
 

お礼日時:2001/06/05 23:51

また、また、おじゃまします。



> 人間は掌を固く握り締めたまま、本当に笑うことができるのか、否か。

こういう経験が自分にあるかどうか、考えてみました・・・

うーん、やっぱりないですね。「掌を固く握り締めたまま、本当に笑う」とは
たとえば、「引っ張りながら緩める」とか「きをつけ!をしながらでれでれする」
とか「突撃!しながら裸踊りする」とか、そういうのに近いですものね。

握り締める自分と笑う自分が別だったら(脳の部位が違うとか)可能かとも
ちょっと思いますけど、精神分裂症のようで怖いです。

考えてみると「笑い」の形態は、たいへんに多種多様ですね。そのなかには
怒張や緊張や硬直と同時に発生するものがあるのかもしれません。でもその場合、
「笑い」の定義を「顔の筋肉の緩み」ということだけに限定する必要がありそう
です。こころが本当に笑うには、肉体のどこかが硬直していては、やはり無理
だと思います。で、肉体には精神も含みます。だってこころから見たら精神も
肉体だと思うので。(←そんなこと言うヤツは私だけです。たぶん)

参考URLは、たまたま見つけたものです。

P.S. ・・・お待ちしております。

参考URL:http://www.ne.jp/asahi/conago/nimravus/vus2/wara …
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
>こころが本当に笑うには、肉体のどこかが硬直していては、やはり無理
だと思います。

 全身の肉体全てが弛緩される時、もしかしたらそれは人生最期の瞬間かもしれません。その瞬間、断末魔を感じるのではなく正しく真の笑いを得られるとしたらそれはそれでなんとすばらしいことではないかと思います。

P.S.ねこのURL大変ためになりました。また見にいきたいと思いました。

お礼日時:2001/06/05 23:39

最近、少し笑えた話・・・・・




大金を賭けて、ギャンブルをする勇気?もないというよりも・・・
いつもお財布の中が、チャリチャリ~ン♪の小市民の友人Aくん。

そのAくんの近頃の楽しみといえば・・・・
¥100から買える『ミニトロ』←(宝くじ)
同僚のBくんと、昼休みになると二人していそいそ))))でかけます。
出かけた先は・・・・宝くじ売り場!

        ・・・・・ある日のこと

仕事中、めずらしくパソの画面をくいいるように見て<あ~ら熱心にお仕事してるじゃん!
と、おもったら何のことはない・・・・
インタ-ネットで当選番号を確認してただけ・・・・あらら~

        しばらくして――――

Bくん:『・・・ありゃぁ~!?ハズレ―☆』(TT)トホホ~♪
Aくん:なんだかうつむき加減・・・・口数もいつにもまして激減。。。。。

         ――――お昼休み――――

落ち着いた足取りで一人社外へ出かけるAくん。相棒のBくんの姿は見えません。
近くのコンビニヘパンでも買いに行くのかなぁ~。。。。

わたしが、お昼を済ませて事務所に戻ってみると休憩室で同僚たちと
TVみながら、おおきな口を開けて笑っているAくんがいました。

   ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


あとから聞かされた話なんですが・・・・


Aくんがお昼にでかけたさきは、『郵便局』だったそうです。<(換金の為)
あのとき、Aくんの買った宝くじ・・・なななんと!?『3等』だった!!

Aくん、なんてったって小市民!
こそくにも、高まる気持ちを抑えひたすら貝のように口をつむり
うつむいていることが、精一杯。(傍目からは、元気なさげに見えてた。)
そのときの彼の心境は、ただひたすら『昼休みに早くなってくれぇ~~~』だったそうです。


昼休みになって、郵便局まで小走りに駆け出すか?はたまた、スキップでもしたくなる思いをここでも抑えつつ、いつもよりもゆっくりとした足並みで歩いた、『冷静に、冷静にと・・・』自分に言い聞かせるように目と鼻の先の郵便局なのにとっても遠くに思えたそうらしい。


郵便局の窓口の前に立ったAくんは、ここでも目線を窓口の人とはあわせず
ク-ルにズボンのポケットから当たりくじのカ-ドを無造作にカウンタ―に置いたそうだ・・・・。


『お客様、3等で¥785になります。おあらためください。』


Aくん、我が耳をうたがったぁ-?
うぅん????そんなぁ-。。。まさかぁ-。。。

窓口の女性の目が・・・・・・笑ってたらしい、ものいいたげとか、、、、

ここで、落胆している素振りを感じられまいとしてトレ-に
置かれた小銭をク-ルに財布にいれようとしても安全制御装置が働かない・・・・
わずか、硬貨9枚がなかなかつかめない・・・チャリ~ン、チャリ~ン♪
ポロポロあっちへこっちへ転げ落ちたとか・・・・
頭の中では、巨額の富であれを買って、これを買ってとのおもいが・・・・
ガラガラガッシャ―――ン!!こっぱ微塵―☆

郵便局を立ち去る際のAくんの顔には、営業マンの営業スマイルが輝いていたとか・・・・(落とした小銭を拾ってもらったから)

会社に戻り何事もなかったように休憩室で笑っていたAくん。


Aくんの心理状態の変化を想像するだけで・・・・笑ってしまった。
ある瞬間を機に笑いが喜びに変わり、落胆が怒りに変わり、また、最後に
笑いにつながる。笑いにも種類があるみたいですね。
種類があることは確認できたのですが、真の笑いはいまのところ
みつけられませんでした。
申し訳ない凸(▼▼メ)スマン―☆
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。
大変楽しく読ませていただきました。日常のちょっとした所に微笑ましい笑いがたくさんありますね。「思わず笑ってしまう」などといいますが、考えながら笑うのって、やっぱ真の笑いとは違うのでしょうね。
ところで、凸(▼▼メ)はピストルを持っているサングラスのやっちゃんの絵でしょうか?今度お話する機会があったときにでもこっそり教えてください。

 愛すべきAくんの今後ますますのご活躍を祈念申し上げます。

お礼日時:2001/06/02 09:06

後日と思ったんですが、気になったので、とりあえず。


「人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものではないのである。」
この一文ですが、これは、太宰自身が自分の記憶を辿り、
心から笑ったというようなことを思い出さなかったから
付記されているのではありますまいや。
故に、これがいかなる文豪の筆になるものであろうと、
この質問に対する一般的な認識とはなりえないのではありますまいか。

ちなみにこの「人間失格」読了してみますれば、さまざまな悩みが
入り乱れておりまするが、思うに太宰氏、自分の力で人生を乗り切った
ことがないんではないかと思われます。

彼の人生かなり恵まれております。
親は金持ち、しかも政治家。女にはモテモテ、生活の面倒まで見てくれます。
普通ここまでで、十分幸せそうなもんですが、なぜに、「皺くちゃ坊ちゃん」
となり、後年には自殺までしてしまったのでありましょうや。
非常に不可解です。

文学上の悩みってのもあったでしょう。
(しかし、彼の場合悩みそのものが彼の文学そのものではなかったか?)
親との不仲というのもあったでしょう。
(しかし、自殺は両親の死後である。)
貧困もあったでしょう。
(自殺直前にはベストセラー作家になっているので、問題にはならなそう)

さて、考えれば考えるほどに不可解ですが、ここで太宰が「人間失格」
のなかで、何度も何度も「自分には人生というものがわからない」といった
意味合いの文章を書いているあたりから推測するに、
彼は、自分の足で、自分の手で、自分の人生を切り開いているのだ、
という実感を最後まで持てなかったのではないかと思われます。
その由縁は、彼の恵まれた環境と才能、それから容姿からくる、
「努力不要」な状況からなる、何かを得た実感というものを得られない状況
が彼の「わからない」を生んでいるんではないかと思います。
故に彼の言うところの「皺くちゃ坊ちゃん」であった彼の気持ちは、
「わからない、わからない、でもこういう場面では子供は笑うべきであるらしい。」
ではなかったかと思います。
太宰の娘である太田治子によれば「かわいらしい子供」であると思った
そうですから、一概に太宰の子供に対する描写が正しいとも思えないのだが。

つーことは、太宰の笑いはふくろうの旦那の回答(No.04)が近いらしい
ってことでしょうか。
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この回答へのお礼

 大変ありがとうございました。
 大昔に読んだこの本の中で、下にお書きいただいた部分が妙に頭の隅にひっかかっておりました。今にして思うと、この子どもは単におしっこを我慢しているときに「はい、チーズ!」と言われただけなのかもしれないような気がします。

 筆者は本当の笑いに飢えていたのではないか。そしてそれはおそらく子どもの時にしか体験できないはずなのに、どうして俺は・・・・との思いがあったのではあるまいか。
 あまりに暗く卑屈な表現によけい笑いが恋しくなりませんか?
 出きるだけ明るく楽しく生きたいものです。
 

お礼日時:2001/05/31 00:34

お申し付けのとおり、「人間失格」再読してみました。


若いころに女にさんざん泣かされたクチのoni_ocです(実話)

で、世間の風評どおり、かの小説は太宰自身の体験や人生観がベース
になって書かれた自伝的なものであろうかと思われる。このあたりは、
疑う必要はなさそう。

で、子供の描写ですが、一部引用すると、
「一葉は、その男の、幼年時代、とでもいうべきであろうか、十歳前後かと
推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取り囲まれ、
(それはその子供の姉たち、妹たち、従姉妹たちかと想像される)
庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を30度ほど左に傾け、
醜く笑っている写真である。」
「まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、
イヤな薄気味悪いものが感ぜられてくる。どだい、それは、笑顔ではない。
この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、両方のこぶしを固く
握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものではないの
である。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺をを寄せているだけなのであ
る。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、
そうして、どこかけがらわしく、へんに人をムカムカさせる表情の写真
であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちどもなかった。」

お示しの部分はここであろうかと思います。
とりあえず、解釈はまた後日。
つーか、長文は苦手なので。
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こんにちは。

多浪君だったこともあるmori0309です。

 創作能力は限りなくゼロです。心理学カテゴリということなので、その方面の
素人話を再度させてください。

 笑いというのは非常に高度な精神機能現象ですね。私は人工頭脳絶対不可能
論者ですが、もし科学者が笑うことのできる人工頭脳を作ることができたら、
負けを認めてもいいと思っています。

 こっけいとかおかしみって何でしょう。ズレ・ヌケ・ボケを懲罰や締め出しの
対象とせず、逆に仲間として受け入れたいなぁという情愛感情なのではないでしょ
うか。人間、完璧でありつづけるというのは不可能です。「笑い」は神が人間に
与えてくれた「おまえらなかよくしろよの法」なのではないでしょうか。
(拙著「神とは何ですか?」をお読みいただければ幸福です。(と広告をチョロリ))

 ご質問の学生君には「他者を笑う情愛」がないんですよねぇ。でも「他者に笑わ
れるおかしみ」はたっぷりたっぷりです。だから救われていると思います。

 ちなみに多浪君は「朝だ徹夜」状態でしたが堕罪にはなりませんでした。
(あぁぁ、よせばイイのにぃ・・・)

 ところでこの部屋、あとすこし(というか当分)開けておいてはいただけますまい
でしょうか。(日本語あってます?)きっとまだまだ傑作が出現します。まちがいなく。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 カンチャン、ズッポリで思わずニヤリ。でもヤクマン・テンパッテル時にチョンボのボケかまされたときにニッコリと微笑むのはなかなか難しいものですね。
 顔に電流を流して、無理やり笑顔をつくらせてみると、不思議なことに脳の中では面白いと感じてしまうという実験があったと聞いたことがあります。
 笑いの種類も星の数だと思いますが、本当の笑いとは果たして何なのか。本質問のお聞きしたかったことは、実はこの疑問でした。
 質問を正しい方向へ導いていただいて感謝しております。

お礼日時:2001/05/29 20:47

>太宰って作家先生の作品の冒頭にも手を握って笑ってる子どもの写真の話が出てくる


ん?そいつは未読ですな。たぶん。
読んでみようかと思いますのでタイトル教えてgoo(笑)
何冊か読んでるはずなんすけど<太宰
どれもこれも小学校、中学校時代に読んだので忘れてるだけかもしれませんな。

ちなみに、僕の回答は分析なんぞじゃぁござんせん。
知っている情報から組み立てたいくつかの創作のパターンっすよ(笑)
あるいは妄想(爆)
つーことで、あまり、真に受けないでくださいませ<おあとがよろしいようでm(_)m
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
お尋ねの件ですが、調べてみましたら下記のとおりご回答をいただきました。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=78730

お礼日時:2001/05/21 09:20

ケース3:「辛い別れ」


合格の一報を聞いた彼が最初に思ったのは、「先生はきっと喜んでくれるはず」であった。

彼はおせじにも二枚目とは言い難かった。特異な見た目を持つ彼は正直言って異性に
モテたことがほとんどなかった。特別にやさしくされたことや、特別に大事にされたことなど
ほとんど経験になく、異性に対して著しく免疫が少ない男であった。
先生は若く、美人の女性で、この1年間というものは彼につきっきりで、手をとり足をとり、
昼夜の境なく、彼に勉強を教えてくれた。

そんな状況において、彼が先生に淡い恋心を抱かないでいることはほとんど不可能だった。
彼の心には「絶対合格して先生を喜ばせてあげるんだ。」という思いと「ずっと、このまま
先生と一緒にいれればいいのに。」という思いが混在していた。異性経験の少なく、免疫も
ほとんど持たぬ彼にとっては、先生に告白するなどほとんど思いもよらぬことであり、
二つの思いはほぼ相反するも同然であった。

合格の一報を聞いた彼は、先生の喜んでくれる姿を目にして子供のようにはしゃぎ回ることが
できた。しかし、それと同時に「これで先生とはお別れなんだ」という悲しみが胸を突き上げる
ことを止めることができなかった。涙にくずれてしまいそうな強い悲しみが彼を襲った、
しかし、彼は自分が芸人であることを忘れなかった。芸人はおいそれとテレビで涙を流したり
してはならないと彼は常日頃から思っていた。その思いが悲しみに落ち込むこと、涙に埋没すること
をかろうじて引き止めていた。二つの思いのバランスを保とうと思えば思うほど、彼の拳は強く強く
握り締められていくのであった。


ケース4:「笑う努力」
ふくろうの旦那にNo.4で書かれたので省略(涙)


ケース5:「先を越された」
ふくろうの旦那に、書くべきことを書かれ、すっかり楽をさせてもらった僕は、
「ああ、これで楽ができた。」と「ちぇっ、先越されたよ、自分で書きたかったのに」
が去来します。さすがに拳など握りゃしませんが、二つの相反する思いが去来する状態
であることは間違いがありません。このようなことに本当に重要な問題が絡んでいれば、
拳を握りこむようなケースもあり得そうな気がします。
あ、でも、おかげでケーススタディがひとつ増えた(笑)
ふくろうの旦那に感謝しましょう、うん。


PS.
僕の少ない想像力と、文章力で思いつくのはかろうじてこのあたりが精一杯。
お楽しみいただけましたら幸いに存知まする。
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この回答へのお礼

鋭い心理分析はますます磨きがかかってきておられますね。さぞや鬼臆の旦那もお若いときにずいぶんと女を泣かせた口ですね。そうじゃなけりゃ、こんな心の隅っこの機微まで気がつきませんぜ、まったくていしたもんだ。
 へんなぷれっしゃーをおかけしてあいすみませんでした。
 とっても楽しませていただきやした。

 ついでの時で結構なんですが、太宰って作家先生の作品の冒頭にも手を握って笑ってる子どもの写真の話が出てくるんですがね、そちらもご解説いただけたらありがたいんですが、やっぱいろんな事情があるんでげしょうなあ。

お礼日時:2001/05/20 20:29

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