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人が「死ぬ」とはどんなことか?
人は何を指して「死」と呼ぶか?
を問います。

(尚、安楽死からの続きですが安楽死の方の質問についても引き続き・・・)

A 回答 (19件中1~10件)

人間は生きる上で意味を必ず考える。

だから生きる意味があれば人間は故意に死なないと思われる。
例えば、怒りは生きる意味を与えてくれる。しかし閉塞感の中で怒りにうちふるえ、何もはけ口のない人間が自殺に追い込まれた場合、怒りという生きる意味は一気に意味を失う。
だから生きる意味(を創るもの)があれば生きるというのはウソである。

心が生きていようが生きていまいが、それが生物的な意味で生きる方向に転嫁されるか、されないかで瞬時に決定される者が命だと思う
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身体、精神共に自発性が停止したら死ってことで良いんじゃないかと思います。

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嫌らしいなぁ~と思いながら


何か気持ち良いだろう.

もう行くところは決まっているのだろうな.
我慢するか.
切り開くか?
我慢できないようになってるんだろうな.
性格上.

死後会う時を楽しみにしていてくれ給え.
何が起こるか.
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青春の詩


を思い出すね.
それは僕へのメッセージだろうか.

画面を透して見える人間像.
何だか切ないな.

僕がここを訪れることを
予め知っていたかのように.
足跡を残していく.
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死には2種類あるんだそうです。


ひとつは肉体の死。これは説明するまでもありませんね。
もうひとつは精神の死。自分の家族、友達、恋人、仕事、信念、財産、等々から決別しなければならないということ。人が恐れているのは精神の死だというのです。
確かに精神の死が伴わなければ肉体の死をこれほど問題にすることもないですよね。
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言葉が尽きたら、自我を区切るものがなくなるであろう、きっと。

それが「死ぬ」であると、今は思う事しかできない。
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自分はまだまだ若いのでなんともいえませんが、『死ぬ』というのは一種の状態であると思います。

自分は今、高校生なのですが自分の学校の教師は最悪としかいいようがなく(もちろん例外の素晴らしい方もおられます)学校の体制も同様に最悪でした。これが『死』とどういう関係が?と思うかもしれませんが、話の本題はここからです。僕は学校の状態に絶望(少し大げさかもしれませんが)し、「もうどうでもいいや!」という気持ちになりました。そして全ての物事は自分とは無関係だと思い、積極性がまったくもって失われました。
その状態が『死』だと思います。息をしていても心臓が動いていても手足が動こうとも心が死んでいればその人は死んでいるのです。
(これは武士道の本か何かで読んだ受け売りなんです。実は)
つまり肉体の『死』は真の意味の『死』ではないと思います。
確かに肉体の死はその人が「この世」というやつからいなくなってしまいます。
しかし、僕の経験から行くと心の死はその人の『個性』すなわちその人の存在というか意味というか曖昧なものですがそれが失われてしまいます。
だから僕は心の死のほうが恐いです。
拙い文章ですいません。でも僕にはこれが精一杯です。
ガキの戯言と思われる方もおられるでしょうがこれが僕の意見です。
それでは失礼します。
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>ほう・・・


「生まれる」と「生きる」の違いをどう考えておられるかお聞きしたい。
また「生きない」とは如何なることでしょうか?

「生まれる」とは「生む(産む)」の受動態である。うわっ!撃たれる!?って感じです。「生きる」は能動態です。言葉の意味は説明しません。言葉を言葉で定義しても、どうどうめぐりになるからです。したがって、この問題を、私はフォーマリスチック(文法的)に整理しようとしています。「生きない」についても、それは「生きる」ということをしていない状態以上でも以下でもありません。「死んでいる」とも「生まれていない」とも限りません。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。

>この問題を、私はフォーマリスチック(文法的)に整理しよう

この結果是非聞かせてね。

お礼日時:2001/04/15 03:33

さて、死の精神的側面。


絶えず思考し、なにかを探し求めつづける思索の過程こそが人間の生
だとすれば、人間にとって、思考停止し、怒りに打ち震える様は
思索精神の「死」である。
しかし、直情的に怒りに打ち震えるのは生物としてはいかにも人間的
な生命に溢れる行為かもしれない。

というわけで、引き続きあなたの質問に僕はごく真剣に答えたのみです。
コミュニケーションも会話も必要ありません。
ただ、あなたの思索の材料になればと思うのみ。
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「死ぬ」ことを「自分が無くなること」と考えたばあい、


自分はそれを想像することすらできないだろう。

すなわち自分にとって、自分はいつも「生きている」。
実に不可思議であるが、そう結論せざるを得ない。
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