こんにちは。
人が亡くなり、お通夜・葬儀・火葬・埋葬と一連の、
お弔いをして来た人が、最後に清め塩をするということは
どういう“意味”をなすことなのでしょう?。
塩は昔から不浄のものを清めるものだということは、
習慣としては理解していますが、しからば、お弔いをすることによって、弔った本人が不浄になったということなのでしょうか?
それこそこれはある意味で、
死者への冒涜にならないものなのか?
と疑問をもっています。
それは何か嫌な客が帰っていったときに、それッ!!
玄関に塩を撒け~・・という次元と、比喩は妥当では
なく極論ですが、そう大差ない
類行為だと、小生などは思うのですが・・
この清め塩の日本の習慣は、世界の人に理解され受け入れられることでしょうか・・どう見られるのか、その点とても興味があります。
塩をこのように、日本と同様に、不浄のお払いとして使う世界の国は、他にもあるのでしょうか、などなどについて
皆さんの、清め塩に関するご見識を教えて下さい。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
私は少し複雑な感覚で受け止めています。
というのは、清め塩そのものは明治以降に生まれたもので、葬儀の歴史から見れば新しい習俗であるにも関わらず、これを巡って言わば「文化・伝統」派と「改革・革新」派がしのぎを削る格好になっているからです。私自身の立場は以下の通りです。
1) 清め塩という形態そのものは、必ずしも残す必要はない
2) しかしその前提として、まずその背景や文化が総合的に理解される必要がある
3) なぜなら、革新派の主張するような単純な理屈による廃止論は粗暴であり、その野放図な伸張は将来に禍根を残すと思われる
1)について解説します。
よく言われるように、清めのための塩は神道以前の日本的感覚に根源があります。「古事記」で、イザナギが黄泉の国で腐敗した妻の姿を見て逃げ帰った後、身体を海水でみそいだことがその始源とされているのもよく知られています。
そういった歴史は十分承知したうえで、では庶民の葬儀ではどうであったかといえば、現在に通じる葬儀形態が確立した江戸時代初め以来、会葬者が一般に清め塩を用いていたのは一般的ではなくて、むしろごく少数派であったのが現状です。「ムラ葬」と呼ばれるかつての村中総出の葬儀では、今でいう一般会葬者がほとんどいないこともありますが、葬儀に関わった多くの村人も清め塩を使わないのです。
それは「ケガレ」が認識されていなかったということではなく、「ケガレ」に対抗する別の手段が用意されていたからです。それは例えば米の霊力に頼って葬儀の前後に米を沢山食べたり酒をふんだんに飲むこと、さらにそれを一座に会して共食することから始まって、
読経念仏を含めた宗教儀礼の多くがこの「ケガレ」に対抗する力の源として受け止められていたのです。
特に近親者のように「ケガレ」を不可避的に被ると考えられた人々は、これらに加えて「コモリ(篭り)」「モノイミ(物忌み)」のように身を慎んだり、貧窮者への施しなどで滅罪を図ることを通じて、「ケガレ」を脱して常態への回復を図ろうとしました。
つまり、ケガレとその感覚は厳然とあったものの、それと関連して「清め塩」が自然発生的に用いられるのは言わばレアケースだったのです。ここにこの問題を複雑にする“ねじれ”が存在します。
2)、3)について。
「ケガレ」は大変に広がりのある概念です。特定の何かを指し示すものではなくて、生と死の接するところである出産や死のように、ある意味体系の中で境界的な位置にあるものや両義性を帯びたもの、簡単な位置づけのできないもの、などが随時、「ケガレ」と名づけられるわけです。
例えば「延喜式」などを見ると、古代には例えば「失火」などの罪も、秩序からの逸脱という意味で「ケガレ」の範疇に含められています。従って、「ケガレ」は単に穢れたものに関わる狭いものではなく、また単に死そのものを指すものでもありません。
「ケガレ」とは、不安定な状況に対するある文化的な読み替えなのです。この点をはっきりと踏まえておかないと、単に「ケガレ=穢れ、不浄」となってしまい、汚いものにまつわる非合理的な差別であると理解されてしまったり、「死ねばそれきり。ケガレに文化的な価値などない」といった唯物論的な言説に吸収されて終わってしまうことになってしまいます。
重要なことは、「ケガレ」が複雑な概念で誰もひと言でこれを説明することができない、できないから複雑な儀礼行為の集合体にならざるを得ないのですが、その儀礼を説明する理屈としてこの「ケガレ」が用いられることです。つまり、「ケガレがあるからそれを取り除くために清め塩が必要なのだ」というように因果関係が顛倒して、しかも何かばい菌のような実体のある「汚いもの」として説明されてしまうことです。
私見交じりですが、「清め塩」問題の背景について。
この問題が複雑なのは、加えて政治勢力の問題もあります。こういった顛倒をむしろ意図的に吹聴して、わが国の過去の習俗を十把ひとからげに「不合理な遺物」として消し去りたい唯物論的な勢力が存在するように思えます。あまり緻密な論考を経ずにこのケガレ問題を天皇制や被差別問題に短絡しようとする運動体も存在することは知っておいても損はないのではないでしょうか。
浄土真宗もこの「清め塩」廃止には熱心なのですが、仏教原理主義的な立場からは理解できますが、しかしそれならそれで教学の徹底していない他の諸々のことを差し置いてなぜこの問題が先なのか、ご都合主義的ではないかとの批判も起こって当然でしょう。
※長々と書いて失礼だったかも知れません。
不必要と思われる部分はどうぞ読み飛ばしてください。
補足にはいくらでも対応させて頂く準備がありますが(笑)。
ご回答ありがとうございましたm(_ _)m
時代背景を含め総合的かつ詳細に教えて
頂き、感謝申し上げます。
清め塩ひとつに、このような数多くの
ことがあったことにまずビックリさせられ
そして勉強になりました。
No.4
- 回答日時:
>しからば、お弔いをすることによって、弔った本人が不浄になったということなのでしょうか?
まったくその通りです。No.2の方が言われるように、死そのものが「穢れ」と考えられていました。だから日本の中世時代は、その家に災いが来ないように、死にかけている人を外に運び出していました。
清めの塩は、死者を穢れから清めるという意味ではなく、生きている人間につく穢れを清めるという意味です。結局は、根も葉もないことですけどね。
>それこそこれはある意味で、死者への冒涜にならないものなのか?
これもまったくその通りです。だから私は、同じ考えに至ってから、清めの塩を自分にかけたことはありません。またこれは、差別問題に直結することであり、最近では、清めの塩をやめる傾向にあります。
kyoromatuさんが気づかれたことは、とても素晴らしいことです。kyoromatuさんのような方が多くいらっしゃったら、問題も解決するでしょうね。
ご回答ありがとうございましたm(_ _)m
考えてみますと、取りあえずやつておけば
無難だろう・・ということで昔からやっいること
って、まだまだい~っぱいありますよね。
私ごとですが、親の葬式を出したときから、
やめました。
No.3
- 回答日時:
清めの塩の習慣は仏教渡来以前の日本の民俗習慣だと思われます。
従って神道が仏教より近い関係にあるでしょう。仏教では生と死を一体と見なし死を穢れとは見ない筈です。このような経緯からか最近の葬儀では塩の小袋を配らないところが出てきています。
日本民族古来の民俗文化を一つ一つ現代人の考えで否定していけば、縄文文化を否定することにもつながりかねません。塩の習慣を続けろと主張しているわけではありません。古代からの習慣を無知から或いはためにするために、無理に前提条件を作り上げ、その前提条件がおかしいという理屈で非難したり否定する風潮を嘆いています。
海外の例はあまり知りませんが、清めにせよお祝いにせよ、その民俗にとって貴重なものが使われています。
*米・・米を主食としない欧米では結婚式で米を撒きますが由来は塩と似た様なものではないかと思います。
*トウモロコシの粉
メキシコから北米南西部の先住民の間ではトウモロコシは主食なので、日本人が米に抱くような感じで接しています。祈りの前やお祭りの前に、その場を清めるために粉を
撒く習慣があります。
*松の葉や花びら
メキシコ南部からグアテマラに住むマヤ族の末裔達は松の葉を神聖視し、場所を清めるために松の葉を使用します。同じような場面でバリ島では花びらを撒くと思います。
*ハワイのレイ(花束)
詳しくは知りませんが、起源は同じような発想ではないでしょうか。
*クリスマス・ツリー
塩が仏教と関係ないのに仏教国日本に生き残ったようにキリスト教とは本来関係のないクリスマス・ツリーがキリスト教に取り入れられ今日まで伝えられています。これはヨーロッパに伝わる先住民の習慣(精霊の宿る木)が起源だと言われます。
このように各民族は古代から清めや精霊、神との交信に何らかの物質を使用しています。キリスト教のワイン、十字架なども民俗学的には同じ範疇に入るのではないでしょうか。
No.1
- 回答日時:
世界の事は分かりません、
儀式としては理解してもらえると思います。
>塩は昔から不浄のものを清めるものだということは、
浄土真宗の一派では死は不浄ではないとして、
お清めの塩を使う必要は無いと説いています、
大賛成なので私は塩を使いません、(ほんとは面倒くさい)
東京の葬儀では帰りの粗品(?)に塩パックを付けた物と
付けない物の二種類用意する処があります。
気分次第と言い訳にはなります。
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