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伝統ある博多祇園山笠。
この各流れの小屋には、「不浄の者立ち入るべからず」という看板が掲げられていたのですが、今年から、これが全廃されるそうです。
もちろん、賛否両論あります。

私としては、どちらの意見もうなづけるところがありますので、広くご意見をお聞きしたく思います。

性差別というカテゴリーがあれば、そこで質問したかったのですが、とりあえずこの場で。。

A 回答 (13件中1~10件)

不思議ですねえ・・・・



-( 不浄の者 )-
「生理中の女性」
これって自己申告ですよね?
まさかいちいち、調べるわけにはいかないはず(汗)
神社参拝の折でも、女性の判断に一任してあるはずだし・・・
むしろ「身体をいたわれ」という、男性の祈りに思える・・・
で、照れくさいから「不浄」と逃げを打っているようで?

「産前・産後の女性」
こんなもの当たり前ですよね?
男性の立場からでも、無理な運動なんかさせられない!

「喪中の人物」
まあ、常識的な範囲ですわねえ?まさか故人を無視して
お祭り騒ぎでは、世間体からも非常識だろうし・・・

「民族的差別」
よもやそのような理由が、現代でも生きているとは
とても想像出来ません!

まあ、事の発端が「不浄」と自覚されている方々からではなく、
堂々と参加されておられる方々からのものであったのが、
唯一の救いというか、良識というか・・・・

「差別表現」なんて、他にもたくさんありますけど?
該当者にしてみれば「侮辱」と取れるくらいの・・・

せめて

「心身、清浄ならざる者の参加を禁ず」

と、表現すれば良かったかも知れませんね(笑)
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この回答へのお礼

こんばんは。。度々ありがとうございます。。
なるほどおっしゃるとおりのところが、日本人にはありますね。
英語の看板だとDANGEROUSとなるところを、日本では立入禁止と書きますからねぇ。
心遣いを命令形で表現することは多いと思います。
そんな日本の文化を、できれば残していきたいです。。

お礼日時:2003/06/06 22:31

幾つかの点に絞って私見を書かせて頂きます。



まず、引用されている新聞記事では、不浄とは歴史的に穢れとイコールであるかのように書かれていますが、これははなしを単純化し過ぎています。

例えば岡田重精『古代の斎忌』を引用すると、古代における不浄の具体的内容として、「穢・罪・災」の三つが挙げられています。
穢とは生理的なもので、死がその典型ですが、出産、月経、結婚、肉食などもこのうちに含まれます。罪は社会集団の秩序や規範を犯すもの、社会に混乱を持ち込む行為を指し、広くは刑に携わることも含まれました。災とは文字通り、天変地異や鳥獣虫のもたらす災厄の総称です。

不浄は本当に複雑な概念ですが、もともとはごく大雑把に上の三種のものが複合して、社会集団の体制を脅かしてカオスをもたらすと考えられたものの総体を指すのだ、とは言えると思います。その中心に、物理的に汚いと感じられるものへの生理的な忌避感があったことも事実ですし、平安時代以降いわゆる「神道の自覚化」の中でその部分が先鋭化していったことも事実だと思いますが、しかし歴史的に不浄は差別である、と言うのは為にする議論で、一種のアジテーションとすら言えます。

不浄をめぐる習俗は複雑ですし、月経や出産を巡る習俗ですら、単に女性差別と切り捨てることを許さないものがあります。一例を挙げるにとどめますが、例えば波平恵美子はこのような習俗がむしろ男女の社会的格差が小さい地域に見られることから、単純な「月経・出産の不浄視→女性の蔑視」というステレオタイプな説明に懐疑的です。

波平は、月経や出産の際に女性が篭る小屋(月経小屋・産小屋)の伝統が存在する複数の地域を調査した結果、女性が差別されているというよりその地位が他地域よりむしろ高く扱われていること、それら習俗の廃止にむしろ女性が反対してきた経緯があること、夫婦仲が緊密で夫にまで不浄がかかるとされること、等々を挙げつつ、むしろこのような場所にアジールのような、社会的規制から一切解放された空間が存在したのではないか、という私見を披露しています。

次に、私たちは社会的に行っている儀礼の意味を実はよくわかっていない、ということを強調しておきたいと思います。かつてははっきりしていた意義がいつからか不明になった、という意味ではなくて、本質的に説明が難しいこと、輪郭の不明瞭なことがらがある儀礼を通じて表現される、ということを考えるべきだと思うのです。

「不浄」とは、民俗学的には「生命エネルギーの衰退した状態」などとも説明する論者もいますが、広く「社会的な境界的事象の不安定さや危険性のある状況を説明する時に用いられる用語」といって良いのではないかと思います。定義が難しくなるのは、「不浄」の実体が存在するわけでなくて、儀礼と禁止行為のなかにしか浮かび上がってこないものだからです。

しかし、私たちがある儀礼について「不浄だからそうしている」という説明を行う場合、必ずしも上に見たように「不浄」の本質を踏まえてそう言っているわけではありません。むしろ輪郭の不明瞭なことがらであるからこそ、一旦「不浄」という概念づけが行われるとそれが説明原理となってしまうことがあるのです。
つまり「不浄」という説明は形なきものを何とか説明する用語に過ぎなかったものが、今度は「不浄だからそうしている」という具合に行為の原因そのものに転化してしまうということです。実際、今の「不浄」を巡る議論には原因と結果を取り違えたものがかなり多く見うけられます。

メアリー・ダグラスらが指摘していることですが、この「不浄」に関する観念は、分類や秩序づけという人間の不可避的な活動の結果生まれるものです。中間領域にあるもの、変則的なものが分類や秩序を脅かすものとして認識されるわけで、「不浄」とは分類や差異づけの結果生み出される、いわば「秩序の副産物」です。
従って「不浄観」とは別に日本文化に特有のものではなく、むしろ普遍的といっていいものです。わが国で「不浄」が独特なものとされるのは、無意識に日本独自の社会的秩序やヒエラルキーとダブらせて使われているからに過ぎません。

私はご質問の祭りで「不浄」の文字があろうとなかろうと直接関係ありませんし、結果がどちらであれあまり気にはなりません。しかし、議論の出発点たるべきご引用の新聞記事の内容があまりにチープなのでつい物申したくなってしまいました。
「伝統と人権が共存してこそ、歴史を超えた生命力を持つ祭りとなる」とありますが、レトリックを排して「歴史を超える生命力」とは一体どのような状態になることを指すのか、私の頭には全くわかりません。
人間の事が全てわかった気になったうえでの安手の進歩主義観なのでしょうか。この記者には、そもそも「祭り」とは何なのか、単に良識の支配下にあるエンターテインメントなのかどうか、ひとはどうして祭りを行ってきたのか…、という点から始めて人間の営為全般に対してもう少し謙虚に洞察することをお勧めしたいと思います。

以上、長いだけの私見です。慌てて書いたので読みにくいと思いますがどうぞご寛容ねがいます
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この回答へのお礼

こんにちは。。新聞記事に関して、私も、まず反発を感じました。事象を冷静に分析して、物事の本質を突くというような格好だけして、実は何も発言せず、上から物を見て、回りに嫌われないように、教養があるように、真実のように、それぞれの公平な発展を願っているように書かれています。
さすが社会正義の代名詞って感じです。
それはさておき、ご回答ありがとうございました。回答は、早い機会に見ていたのですが、理解するまでに時間をいただきました。共感する部分もあり、うなずける部分もあり、初耳の部分もあり、今後勉強していくべきところもありました。
民俗学というか、日本人論とでも言うべきか、歴史、宗教、文化等々の交わりは複雑で、常に勉強不足を痛感します。(専門的に勉強したことはないのですが。)

とにかく、ありがとうございました。。

お礼日時:2003/06/14 20:15

追伸まで


補足拝見しました。団体の圧力ですね。確かに抑圧された経験があれば反抗もしたくなるでしょうね。
仕方が無いことかもしれませんが、意味も勉強せずに、伝えることもなしに看板を立て続けた責任もありますかね。言葉の使い方は変えても真意は変わりませんので真意を伝えるべきだったと思いますね。
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この回答へのお礼

なるほどそうですね。
立て板の文字の意味を、もっと教え、伝えるべきだったのでしょう。
できれば、もっと議論してもらいたかったです。
ご意見、ありがとうございました。。

山笠が終わるまで、締め切らずにおきます。また、どなたかの目に留まり、ご意見をいただけることを願います。。

お礼日時:2003/06/06 22:49

No.8 補足ありがとうございました。



ほぼ想像していた通りの経過でした。当事者、地元の人にはわかっていることが、このような形で廃止せざるをえないのは残念ですね。しかし、伝統を守ってきた先人の苦労はこのあたりにあったような気がします。伝統を守るとは
何も変えないのではなく、変えつつ(時代に合わせながら)伝統を絶やさないことに意義があるのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。。
伝統を守るのは、本当に難しいと思います。
差別的なもの、悪意のあるものが消滅しても、それは伝統であろうが仕方のないことです。
しかし、そもそも悪意ではないものが、変えられることは、残念でなりません。。
できれば、もっと議論をしてもらいたかったです。

お礼日時:2003/06/06 22:45

私は「女人禁制」とあるなら撤廃すべきと思いますが


「不浄の者立ち入るべからず」ならそのままでいいと思います。

それが直接的に女性を指しているなら、その考え方を改めればいいのであって、看板には当然のことが書いてあると思うのです。

多分、地元の方にしか分からない事情があってこんな単純には片付けられない問題なのでしょう。
詳しくお聞きしたいですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。。
一部の外圧、言葉狩り、という感じも受けるのですが・・・。。
詳しくは分かりません。どのような経緯があり、山笠振興会の幹部の方が、どのように考え、そこに至ったのか、私も知りたいです。

伝えられるのは、一部の情報のみです。↓の新聞記事を参考にしてください。

お礼日時:2003/06/05 01:06

No.5 補足です。



今改めて質問を読み直し気がつきましたが、地元で賛否両論・・とあるだけで何が争点になっているのか書いてありませんね。

不浄の者の意味、範囲が社会の変化から遊離しているからか、意見の対立は不浄な者を男女差別と理解しているのか(そんな感じがしますが)

当事者がいろいろな観点から考えて時代にそぐわないと決定したなら、それでよいというのが私の意見です。

不浄という言葉の意味を神道、仏教、天理教、キリスト教などではこうだと解説しても一般大衆に納得させるのは困難です。それが通る世の中であれば、女中も乞食も百姓、めくらも、江戸時代から普通に日本人が使ってきた言葉は使えることになります。不浄の示す範囲(使われ方)が時代とともに変っているので、どの意味で使うかは当事者しか分からず、不浄の者の範囲をだれが決めるのか(祭りの当事者?区長?神官?)さえはっきりしないので、廃止論が出ても不思議ではないと思います。

伝統といわれるものに残る多くの形式は、後の世のその道に携わる人々が作ったものであり精神世界とは関係ない「形」に過ぎません。
神楽の場でも紙でしめ縄やえりものと呼ばれる飾りをたくさん作りますが、もとは稲や木の枝(葉)や彫り物だった筈です。昔の人も結構時代に合わせながら伝統を守ってきています。宮大工がいなくなれば神社も鉄筋コンクリーで作られるでしょう。

この回答への補足

補足として、新聞記事を引用します。
~博多山笠の慣習 今年で全廃~
福博の夏祭り・博多祇園山笠で長年にわたって山小屋(山笠の格納庫)や参加町の詰め所に掲げられていた立て板が今年から姿を消す。
同山笠振興会が1日の総会で申し合わせた。立て板は、女性蔑視などとの批判があっただけに「時代にそぐわない」と廃止を決めた。
760年余の歴史があるとされる博多山笠で、立て板がいつごろから立てられるようになったははっきりしない。  ~略~
立て板はウーマンリブの波が押し寄せた1970年代にも問題化した。その後もたびたび議論の的となり、女性団体などからの批判を受けていたが「昔からのしきたり、決して女性蔑視ではない」との山笠関係者の弁明で切り抜けてきた。
しかし、山笠が全国的に知られるようになり、地元の女性団体や人権擁護委員なども、同振興会や福岡市に「差別的な表現の立て板を取り除いてほしい」と要望していた。~略~
1日の振興会総会で「山笠は清浄な心事との心構えから『不浄』の立て札を立ててきたが、女性を蔑視するものではない。伝統も時代に合わせて変わらなければならない」と廃止が提案され、全員一致で決まった。
某氏コメント「女性に大変失礼。もっと早く申し合わせてもよかったのでは」
某女コメント「女性が不浄と言われてるようで、嫌でした。これまで以上に張り切って山笠を支えます」

補足日時:2003/06/05 00:56
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この回答へのお礼

さらに、新聞記事続き。
~女性蔑視との批判に配慮~
博多祇園山笠の立て板にある「不浄」とは何か、そしてだれを指すのか。歴史をさかのぼれば「不浄」とはずばり整理中や産後の女性、喪中の人、そして被差別の人たちに行き着く。民俗学で言うところの穢れの概念である。
現代の山笠関係者がそう思っているということではない。山笠は「ごりょんさん」(博多弁で奥さんの意)の力で動いているのに、女性への差別意識などあるはずがない。立て板はあくまで形式で、差別とは無関係-。こう主張する関係者は多い。しかし、「不浄」の歴史的意味を知ったとき、この言葉に不快感を覚える人が数多く存在するのも事実だ。~略~
「言葉狩り」との反発があるかもしれない。だが、それは後ろ向きの発想ではないか。伝統と人権が共存してこそ、歴史を超えた生命力を持つ祭りとなる。今回の決定を高く評価する山笠ファンは少なくないはずだ。

ありがとうございました。。

お礼日時:2003/06/05 00:59

参考程度に



神社・仏閣での「不浄」というのは本来的に性差別の意味ではありません。神道ではアマテラスもヒミコも女性ですから女性差別さえありませんね。仏教でも比丘尼(あまさん)はたくさんいましたから同じですね。#4のwaniwani45さんのご指摘の通り、でお祭りというのは神様への感謝の儀式ですから、「心悪しきものは、心を正してから入りなさい。」という意味ですね。神社でも拍手をうちますね。あれは邪気をはらうという意味ですね。
ということで、「不浄」は男女を問わずなんですね。
そういった意味ですからやはり正しく伝えて、看板は必要ですね。祭りにやくざのような人は特にだめですね。心を正して入っていますか?という問いかけは時代が変わっても必要ですね。そうでないと神事自体が
エンターテイメントに成り下がってしましますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。。おっしゃるとおりだと思うのですが、新聞では
「不浄」とは何か、そしてだれを指すのか。歴史をさかのぼれば「不浄」とはずばり整理中や産後の女性、喪中の人、そして被差別の人たちに行き着く。民俗学で言うところの穢れの概念である。
という記事もあります。
それで、廃止になるようです。もちろん、山笠の関係者に差別意識は全くないんですけど・・・。。

お礼日時:2003/06/05 00:52

 私は賛成ですね。

いかに伝統であろうとも、徒に差別を助長するようなものは取りやめるべきだと思います。今を生きている人達が幸せであることが一番であって、過去の因習のために嫌な思いをする人達を生み出すのは本末転倒と考えるからです。
 伝統にも、悪しき部分があるので、そういう点は改良していけば良いのです。伝統、文化の名の下に、全てを無条件に受け入れるのはどうかと思いますよ。
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この回答へのお礼

こんばんは。。
差別を助長しているとは思いませんが・・・。。
しかし、今の人の幸福を考えるべきですし、悪しき部分は改良していくべき。同感です。

いろいろと貴重なご意見をいただきました。せっかくですので、山笠が終わるまで、締め切らずにおきます。

ありがとうございました。。

お礼日時:2003/06/04 00:37

世の中のものは全て時代の流れの中で変わって来ている、が私の持論です。

問題はその変え方だと思います。一番いいのは当事者がニーズに迫られて自主的に変えることです。

伝統行事といえどもまさか縄文時代の習慣を持ち出しても仕方がないでしょう。では飛鳥時代は?日本の伝等は中国文化の流入、漢字の導入によって大きく変わっています。
戦国時代が終わり、平和だが超低成長の江戸時代には新しい文化、伝統が生まれています。それらの伝統の多くは明治維新で見直し、淘汰が行なわれていると思います。

現在は同じように低成長、少子化問題で多くの市町村で伝統行事の維持が困難となり、秋祭りのお神輿は出せなくなり、子供のお神輿に変っているところがあります。お神輿が回るところは伝統的に決まっていましたが、子供のお神輿となれば、町内を隈なく回ることになり、安全対策、疲労対策上、お神輿は車に乗せられます。

もっとも伝統的な国技でもある大相撲の土俵に女性は上げないといって騒いでいますが、相撲の始まりから今のような土俵があったわけではなく、又長年にわたり土俵の四隅にあった柱は安全対策上廃止され、布製の大きな四色の房に変えられ天蓋は天井から宙吊りに変えられています。マワシの色は変えても伝統は守れる?相撲取りのテレビインタビューも伝統のうち?年6回興行は伝統?

500年、千年の伝統は守れないが100年~300年の伝統には拘るのが人間の悲しい性ではないでしょうか。その伝統でさえ人間の考え方が変れば、変って行きます(妥協)。人手がなければよそ者でも、女性でも、子供でも手伝って貰い
何とか伝統を守るのが精一杯というのが現状ではないでしょうか。知らず知らずいかに多くの伝統が妥協を強いられて、しかしそのお陰で今日まで伝えられているか、事例を挙げれば一冊の本になります。
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この回答へのお礼

こんばんは。ありがとうございます。。
おっしゃるとおり、時代の流れの中で変わっていくのは当然のことです。
しかし、それだけでいいのかな?ということを考えています。わたしは。
妥協を強いられるっていうのは、辛いことですね。
経済とリンクさせる考え方、おもしろいです。勉強になります。。

お礼日時:2003/06/04 00:32

 不浄の者って清らかじゃないものってことですよね。

男性でも当てはまる人はいますよね。
 この言葉はもとは、「神様を汚すから清らかじゃないもの、禊をしていないものは入ってはいけない」ということだったのではないでしょうか。それが、いつの間にか、神様をそっちのけにして言葉の意味だけを取りざたして、議論されるようになってしまった・・・。神様に対する信仰だから、入れなくてもしょうがないとあきらめて欲しいのですが。いろいろ言う人はいますね。

 看板は『関係者以外立ち入り禁止』になるそうです。神様が怒らないように、入ってはいけない人がはいりませんように。

 
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この回答へのお礼

こんばんは。。ありがとうございます。。
確かにそのとおりだと思います。
このキャッチフレーズがいつからあるのか分かりません。しかし、元々の考え方は、女性を指すものではないと思うのですが・・・。。
おっしゃるとおり、言葉の一人歩きです。

「関係者以外立ち入り禁止」も、なんか変ですよね。

お礼日時:2003/06/04 00:16

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