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『ら』抜き言葉について説明できる方いらっしゃいませんか?

前に私が書いた文章の「ら」を抜かれた事があって、
その人に『ら』抜き言葉の説明をしようと思ったら、
うまく説明できませんでした。
例を挙げようと思って、
「捨てれる」「捨てられる」を挙げたら、
「意味の違う言葉だ。」と言われてしまい、
何も言えなくなってしまいました。
うまく説明できないと、私の日本語がおかしいように思えてきます。

誰か、良い説明方法を!

A 回答 (14件中1~10件)

>>「捨てれる」「捨てられる」を挙げたら、


>>「意味の違う言葉だ。」と言われてしまい、
この例を使って説明しましょう。
「捨てる」は現代語では下一段活用(古語では下二段活用)をする動詞で、次のように活用します。

捨て-ない 捨て-ます 捨て-る 捨て-るとき 捨て-れば 捨て-ろ

「捨てられる」は、「捨てる」に可能をあらわす助動詞「られる」がついたものです。
そして、「られる」は、上一段・下一段・カ行変格活用(以下カ変)の動詞の未然形(「捨てる」なら「捨て-」)につく、という決まりがあります。
上一段・下一段・カ変などというとむずかしいですが、たとえば次のような言葉が該当します。

上一段 … 見る、着る、起きる、下りる など
下一段 … 捨てる、受ける、出る、逃げる など
カ変 …… 来る

上に挙げた例のような動詞に「-れる」を付けるのは、だから本来おかしいのです。
でも、どの動詞に「-られる」を付けなければいけないのか、一つ一つ覚えるのは大変ですよね。
そこで簡単な見分け方を紹介しましょう。「~ない」を付けてみるのです。「捨てない」とか「来ない」とか「見ない」とか。このとき、「ない」の直前の文字が「ア」段でなかったら、その語には「-られる」を付けなければいけません。

しかし、nanazouさんの「ら」を抜いてしまった人にはこんな意識があったんでしょうね。「それじゃ、可能と受け身の区別がつかないじゃないか!」と。

私の大切にしていた花を人に捨てられる。(受け身)
私は何でも思い切りよく捨てられる。(可能)

どちらも「捨てられる」じゃ、どっちがどっちかわからん。だから可能の方は「ら」を抜いて「捨てれる」にしよう。…ということで生まれたのが「ら抜き言葉」なわけです。国語学ではこういうのを「同音衝突の回避」などと呼んでいます。つまり、違う意味なのに同じ発音な言葉があると、自然にそれを避けようとして言葉が変化する、という現象です。こういう例は歴史上にいっぱいありました。
今は「ら抜き」は正しい国語ではないとされています。でも、そういう法則があることを考えると…何十年か後にはどうなっているかわかりませんね。
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明治生まれの祖母も、いわゆる『ら抜き言葉』を当然のこととして用いておりました。

祖母が小さい頃(日清戦争の頃)には、少なくとも、大阪ではごく普通に使われていたものであると聞いたことがあります。
東北方言と関東方言から作られた『標準語』においてのみ、不適切な表現というのが『ら』抜き言葉なのでしょうネ。
すでに回答にありますが、意味が曖昧になる可能性がある場合、それらを明確に区別するために進化したものが『ら』抜き言葉でしょう。
例に挙げられている『捨てれる』には可能の意味しかなく、非常にはっきりとしたものです。
それに対し、『捨てられる』には受動の意味と可能の意味の2つがありますので、文脈やそのときの雰囲気などから意味を推測しなければならなくなり、タダでさえ曖昧な日本語を、より変なものにしているような気がします。
可能と受動で完全に使い分けをするということが基本となっている方が言葉のルールとして優れたものであると考えます。
『正しい日本語』なんていう認識は、たかだか、100年程の歴史で作られたものです。各地域の伝統文化である方言の中で、ずっと使われてきた『ら』抜き言葉に目くじら立てることについては、非常に違和感を感じて止みません。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

口語では、『ら抜き言葉』をいつの間にか使っている事、あります。
使わないようには心がけているのですが。
『ら抜き言葉』は、口語では使ってもかまわないと私も思いますよ。
ただ、正式文書での話なんです。
小学校から国語の授業で習ってきたはずの言葉を、
わざわざ「ら抜き言葉」に直されてしまったものですから。
「ら抜き言葉」はこれから当たり前のものとなっていくのかもしれません。
でも、現時点では、国語の授業で習う言葉を、
書類なんかでは使うべきだと思いませんか?

たくさんの方に説明していただいたように、
話しました所、分かってはもらえたようです。
改めて勉強になったなあって感じです(^_^)。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/03/15 13:09

 nanazou様・sesame様


 失礼しました。誤解を招く説明でした。所謂可能動詞の説明もしようとしていたのですが忘れてしまっていました。泳ぐ→泳げる、書く→書ける これら可能動詞の説明が抜けてました。五段動詞は可能動詞を作ることの説明が抜けていては話になりませんでした。それともう一つのご指摘ですが、まったく穴があったら入りたい心境です。そうです、動詞はすべて「ウ段」です。恥ずかしながらどうしてこんな簡単な説明ミスを犯したのかという言い訳をさせていただきますと、最近子供に英語を教えていて、中に動詞の概念が分からない子がいて、その最終手段として「いいか、とにかく動詞は「ウ段」で終わるんだよ、ウ段、ウ段」と繰り返しておりまして、それを五段動詞と混同してしまっていたのでした。五段活用の見分けとしては「ない」をつけての説明をなさっていたsesameさんの方法で私も説明しようとしていたのに、何を血迷ったか、動詞の概念をつかめない子たちの亡霊(?)が一瞬私に取りついて…m(__)m。まことに失礼致しました。「急がば回れ」もっと落ち着いて回答するように致します。nanazou様、申し訳ございません。sesame様、「細かい揚げ足を取るようでごめんなさい」なんてとんでもない。私のほうこそ慌てて説明してしまい、本当に申し訳ございませんでした。以後気をつけます。
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すみません訂正します。


可能動詞の例の部分「読め」ではなく「読ま」ですね。

「読ま」+「れる」=「読まれる」
ではなく「読める」

ということで…
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 「ら抜き表現がおかしい」という意見は、ここ最近、オジサン達がコギャルの言葉に敏感になってから急に言われ始めたもので、実際にはむかしっっっっからありました(笑)


 確認しているだけでも、少なくとも戦後間もなくから使われ始めたようです。もしかしたらもっと古いかもしれません。

 もともと、俺は「正式文書でない文書の日本語文法」の誤りを指摘する行為自体をナンセンスだと思っているんですがね(^_^;

 大事なのは、「通じない日本語」を使用する人を、これから就職する人達の中から減らしていく努力なのであって、「正しい日本語」の使い方を講釈することではないと思います。
 どうでしょうね。
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個人的にはなんかルーズな響きに感じるので「ら抜き言葉」は嫌いです。


「れる」「られる」には自発・尊敬・可能・受け身の4つの意味がありますよね。
「ら抜き言葉」はそのうちの可能の「られる」の「ら」が抜けたものを指しているもの、でよろしいでしょうか。

理屈でいえば(学校の国語の時間に頭を戻して下さいね)、「れる」「られる」は動詞未然形〈「~(し)ない」から「ない」を取ったかたち〉に接続します。
この内『5段活用(未然形の最後がア段)』『サ行変格活用(する)』の動詞には「れる」(使用することはあまりありませんが…)
『上一段活用(未然形の最後がイ段)』『下一段活用(未然形の最後がエ段)』『カ行変格活用(来る)』の動詞には「られる」(着・られる、捨て・られる、来・られるetc.)

が文法上では正しいとされています。後者の「~られる」から「ら」を抜くと「ら抜き言葉」といじめられます。

しかし実際、5段活用の動詞は「可能動詞」という変化をします。
例えば「読む」は上記の法則からいうと「読め」+「れる」=「読めれる」となりそうですが、実際は「可能動詞」の「読める」と変化します。(下一段的な活用をするのかな?)
ここら辺が「ら抜き言葉」論で紛らわしいところみたいです。

検索ページで「ら抜き言葉」で検索をかけると多数ページヒットしますので調べ られ てはいかがでしょうか?

ところで
>「意味の違う言葉だ。」と言われて…
その方日本語圏のかたではなかったのでは?????

参考URL:http://www2.big.or.jp/~hajime/nihongo/column_03. …
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重箱の隅をつつくようで恐縮ですが…。



>masatoshi-m さま

>>「れる」は五段活用動詞にのみつきます。走る→走れる、切る→切れる、という具合です。
これはちょっと誤解を招くかも…。
五段動詞の可能態は、「れる」がつくのではなく、仮定形に「る」がつく、と捉えないとおかしなことになります。
(「泳げる」「書ける」「読める」「思える」など、ラ行以外の五段動詞の説明がつかなくなる)

>>ついでながら五段活用動詞とは言い切りの形が「ウ段」で終わるものです。
現代語文法の動詞は五段に限らず、すべて言い切りの形が「ウ段」で終わりませんか?

細かい揚げ足を取るようでごめんなさい。この二点だけどうしても気になったもので…。
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すでにご議論になっているように


一般的には,「捨てれる」「食べれる」「寝れる」は
間違いだと言われています。私もそう教わってきました。
下一段の活用を「ら抜き」にするのは,“標準語”的視点では
「日本語の乱れ」「誤り」と言われているようです。

しかし,「ら抜き表現」は古典語の伝統や地方の言語では,
まったく正統的であったという主張があります。
例えば,本多勝一さん(週刊金曜日)はその旨の主張をなさっており
ら抜き表現を肯定していると記憶しています。

今,gooで調べてみたら,次のようなサイトもありました。
個人的な見解では,今は「ら抜き表現」でもかまわないと思っていますが
自分では使いません(教育のせいか,かなり抵抗がある)。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/6084/ra …
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 可能を表す助動詞「れる・られる」は大筋このようにご理解下さい。

「れる」は五段活用動詞にのみつきます。走る→走れる、切る→切れる、という具合です。ついでながら五段活用動詞とは言い切りの形が「ウ段」で終わるものです。それ以外の動詞は(上一段・下一段・カ変・サ変)にはすべて「られる」がつくとお考えになって間違いありません。同じ発音の「キル」でも「切る」は「切れる」「着る」は上一段の活用をしますから「着れる」ではなく「着られる」です。「捨てる」は下一段ですから「捨てられる」。動詞の活用が五段であれば「られる」そうでなければ「れる」と覚えておかれるとよいでしょう。
 でも、なんですね、言葉というのは時代によって変化していきますから、もう世間に認められている(?)用法もありますよね。「見れる」なんかはその典型でしょう。「可能」と「受け身」の区別がしにくい言葉においてその傾向が強いようです。また地方によっては五段動詞以外に「れる」をつけるような「方言」もありますし…あんまり目くじらを立てるのも、と思いますが、でも正しい用法を知っておいて損はないと思います。説明不足の点があればまた回答致します。
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私も日本語は滅茶苦茶です。



ただ、同じ意味だとおもいます。その理由は、疑問形にしたとき同じに思えるからです。
試しに、うしろに「の?」をつけてみます。
「この鉛筆は捨てられるの?」
「この鉛筆は捨てれるの?」

となって、どちらも意味が通じます。
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