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なぜ、おっぱいは触ってはいけないのでしょう?

男と女として特別な関係にならないかぎり、
世間ではそういうことをしてはいけないものとして捉えますが、
髪や、手ならばよくて、なぜおっぱいは・・・
だめなのでしょうか?

これは、女性自らが性を商品化していることにはなりませんか?
また、モラルや社会的良識というのは、親や教師や地域や社会から
刷り込まれた価値観であり、私たちは、それを何の疑いもなく
信じている・・・
そう考えたことはありませんか?
女性の方からのお考えを聞かせて下さい。

A 回答 (42件中1~10件)

また来ました。

というのも、自分の中で新展開が生まれたので。正直、ビクビクしてます。どんな辛口コメントがくるのかと。(笑)
ええとですねぇ、要は、人間が考える葦であることと深く関係しているのではという見解です。これもすでに前提ですか。(即答されそうですね。国語力ないので怒らないでくださいな。)一般の動物植物等の生物は、人間ほど発達していないと言われていますよね。(これも刷り込みといえば刷り込みですね。植物だって何考えてるのかわかりませんから。)進化過程に創意工夫をして生き残っていくうちに、いろいろな道具を生みだしたりして、そして、人間は言語という伝達手段を手にした。これによって、人間は、いろいろな利益を手にすることができた。今までライオンが本能的に体でわかっていかなければいけなかったことをことばを使って周りに伝えることができるようになった。コウモリなどが超音波などを使っていたことも伝えられた。深い川へ入ったら、深みに足を取られて溺れ死んでしまうとか、火に触ったら燃える(やけどする)とか。すべて(無理矢理)ことばに置き換えることができるようになった。仲間を失ったら悲しいとか、仲間といると楽しいとか、多様な感情を持つようになってた。思いやりや憎しみ、妬みも。そのうちに文明が生まれ、それを維持するために秩序と呼ばれるものも形成された。人を殺してはいけないというのも、殺人が起こった時に人々が感じた悲しみを繰り返してはいけないという教訓から、人に対して親切にしていかなければならないのも、奉仕することで生まれる相手の喜び、自分の満足感があったから。すべて、経験の反省論だったのではないか。それをいちいち実体験を元にするには、リスクが大きいこともある。そのために教育を受けなければいけなくなった。教育を受けていないことで生まれる無智によって、社会というグループを乱すことがないように。そんな人間の思いやりと少しの(大きな?)おせっかいから。そのうちに、人々は、考えることをしなくなった。考えなくても、そのルール化された事柄に従っていれば、社会の中で安全に、安寧に暮らしていくことができると知ってしまったから。そして、上手く説明することすらできなくなってしまった。多くの物事の根底にあるものは、ことばという手段では到底語り尽くせないほど複雑のもの(愛とかそういうもの)であったから。(それを頑張ってるのが哲学者とか思想家とかっていう人々)そうやって考えることはおろかその疑問に答えることもできなくなった人間たちは、それを常識という概念に当てはめて、考える方が恥ずかしいことのように繕ったり、タブーという圧力で、考えないようにしてきた。
この問題も、人間が文明を手にしたり、複雑な感情を手にしなければ問題がなかったんだろうと思う。そうでなければ、本能の赴くままにいくら子孫を残したって、養育費の心配をしなくたって、結婚するつもりがなくったっていいわけだし。でも、実際は、そうは行かなくなっているから、自分たちの生活を守るための対抗策を打ち出した。自分を高く売る。商品化というより、自分に課せられた制約の中で、いかに優秀(種として)な子孫を残すか(または残さないか)という意味で自分を守ろうとしているのだと思う。
でも、こんなことをまだ幼い子供に教えるのって無理じゃないですか。(それだけ理解するには時間が必要なのが言語。)だから、性の教育も難しいところだし、胸を触っていいとか悪いとかでも、わかりやすいところで、「~されたらイヤだから」になるんだと思います。
こう考えると人間は自らの行い(「文明」)によってがんじがらめにされている感がありますね。だからこそ生まれた一種の社会の中でのサバイバル法。だから、考えても、これだって言う明確な答えは出にくいし、人それぞれ違う考え方を持っているから、理解してもらうのも難しいと思います。確かに考えたら有意義かもしれないけれど、考えないで幸せに生きちゃうって言うのも自由なんじゃないですか。たとえそれがネガティブで恥ずべき行動だとしても、幸せに自分のやりたいことをやったっていうc-bukoskiさんにしてみれば馬鹿みたいなことでも満足してれば。少なくとも、私は、このことを考えてて馬鹿になることを選びたくなりました。だってこのこと考えてたら、日々のことが手につかなくなっちゃうんですもの。卑怯者ですが、言いたいことが言えたので。
感情論抜きにして、考える機会が持ててよかったです。
乱文/長文失礼いたしました。fin.
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この回答へのお礼

随分まともな答えが変えてきたものだなぁ・・・
という感慨に耽っています。(笑)

ごめんなさいね、失礼な言い方をして。

ほぼ、その理解は的を射ていると思われます。
この一点を除いてはね。
それは、
>到底語り尽くせないほど複雑のもの(愛とかそういうもの)
という部分ですが、
これは、愛についてはまた別のとても長いテーマになってしまうので、
別の機会にしましょう。
そんな機会があれば・・・の話ですが。(笑)

そうなんです、
僕も知っていますよ、考えないほうが・・・
知らないほうが幸せなんだって・・・
でもね、気が付いてしまった者の宿命というか、
業のようなもので、
これは無視できない問題に転化してるんです。
村上龍の「最後の家族」
田口ランディの「コンセント」
もう、読まれましたか?
もしまだなら、ぜひ読んでみて下さい。
当たり前だと思われていることの恐さや悲劇・・・
そういったものが良質の物語に変容して、
なともいえない感情を喚起させます。
これは、たとえば花村萬月が言うように、
小説を書くと言うことは、
「新しい倫理を作り上げることだ」
というあまりにも正当な見解をあたかも裏付けるような作品です。
もちろん、
大江が言うように、
「本を救心的に読んではいけません、なぜならそこに真理があるわけではありませんから。ただ、その新しい概念を実生活と照らし合わせて自分が構築してきた価値観に増築させるのが望ましい・・・」
みたいなこともよく分かります。
でも、龍が言ってるようなことは、
とても他人の意見とは思えないほどシンクロするんです、
僕の中で。
これは、別に「最後の家族」に限ったことではなく、
「愛と幻想のファシズム」でも、「コックサッカー・ブルース」でも、
「エクスタシー」でも、「ストレンジ・デイズ」でもそうなんです。
彼はいつも根底に同じようなテーマを携え、
憤りを物語に転化してるような気がするのです。

考えないことは楽なんです。
でも・・・
それでは進化しないんですよ。
あなたも、あなたの子孫も・・・
考えましょう、
どんなことでもいから。(笑)
あなたには資質があるんですよ。
それを放棄するなんて・・・
言語道断です。

今度は、愛についてやりますか?(笑)
サシで・・・

ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/26 20:00

あまりいろいろ語るつもりはないのですが、丁寧にレスして頂いたので少しだけ。



>禁じられているものにこそ快楽は潜んでる・・・というプログラムの問題があるので、隠されるから見たいんだ・・・という概念になってしまいます。

そうすると不思議なのは、「なぜ男性の下着は誰も見たくないのか」「なぜ男性の性器は目を背けてしまうのか」という事になりませんか?これらも同じように隠されたモノです。でも女性は男性のパンツなんて見ても何のドキドキもないし、性器なんて見ても気持ち悪いだけでなんの興奮もない。本能的にそれが性的な心地よい感覚を生み出すものなら、同じように禁忌事項になっているんじゃないでしょうか。「女性の下着や胸は男性の性的な心地よさを生み出してしまう」という本能的メカニズムがあるからこそ、その価値観は生まれたのだと思うのですが。

>そして、男性からの好奇の眼が原因だ、という感覚は、思春期における自意識が芽生えるころと一致しているのではないでしょうか?

思春期よりずっと前から感じています。それこそ幼稚園生くらいから。
子供は親に「パンツ見せちゃだめです!」と言われて育ちますが、どういう意味か感覚的に分からない限り、ぜんぜん言うこと聞かずにパンツ見せてます(笑)。ところが、そんな幼い子供でも性的な的になるんです。私は幼稚園児の時に近所のお兄さんにオナニーを見せられました。その光景は、大人になった今でも忘れることが出来ないです。そこまで極端な体験でなくても、女の子は皆幼い頃からなんとなく、男性の性というまったく理解できない感覚(=恐怖)に取り囲まれて育っていますよ。しかもまだ女にもなっていない頃から、大人の男の標的になっているんです。
こういう感覚は、いくら男性に説明をしても分かってもらえないかも知れません。男の子は特に幼いときは女の子よりずっと幼稚ですからね。
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この回答へのお礼

>「なぜ男性の下着は誰も見たくないのか」
>「なぜ男性の性器は目を背けてしまうのか」

これは本当に無意識の領域ですか?
そうだ、となぜ言い切れるのでしょう?
女の子はそういうはしたない事をしない・・・
という刷り込みだと、疑ってみたことはありますか?
かりに女性の性衝動が視覚から喚起されない、
という脳の問題を取り沙汰されたとしても、
隠されているものを覗き見たい・・・
という欲求は必ずあるはずです。
もちろん、それは規制されていますから、
私たちは覗き見ることは良くないこと、だと知っています。
しかし、それは人間の欲望の中に単純に存在する”好奇心”ですよ。
そして、それは”想像力”でもあります。
このふたつは、人が成長するするためにとても大事なものです。
そして、この”良くないこと”という認識はもちろん刷り込みです。
刷り込みはそこかしこにあるはずです。
なぜなら、それが集団で生活するための
秩序のようなものとして機能しているからです。

だから、僕たちが、自分の気持ちだと信じていることにだって、
社会の中で当たり前だとされていることにだって、
刷り込まれている概念はたくさんあるはずです。
もっといえば、自分のことが一番判らないはずです。

たとえば、「コンセント」の中で田口ランディが言うように、
幻覚を見たり幻聴を聞いたりして突然意味不明の言葉を
わめき散らす急性錯乱状態は、僕たちの世界では精神病として扱われます。
安定剤を投与され、意識が平静を取り戻すまで
薬で管理されます。
しかし、沖縄のユタと呼ばれるシャーマンは、
そういう状態を「カミダーリ」というトランス状態であると認識し、
「ユタグトゥ(ユタ事=ユタの行う巫儀(ふぎ))」によって
「カミンチュ(ユタになるべき者)」と認められれば、
分裂病や精神病の患者ではなく神と繋がる霊媒師として存在できるのです。
もちろん、そのシャーマンという存在自体が怪しいものですがね、
たしかに。
しかし、狂っているとか、狂っていない、などという
概念も難しい問題ですし、
「人は生きるために少しだけ狂う・・・」
という考え方もあるぐらいですから、
男性の好奇の目から逃れるための女性の性的な防御本能・・・
という、画一的な考え方には、
やはり賛同できません。

>「女性の下着や胸は男性の性的な心地よさを生み出してしまう」という本能的メ>カニズムがあるからこそ、その価値観は生まれたのだと思うのですが。

これも、性器がそうである・・・
というのなら分かりますが、
やはり前記した理由で、
胸や下着は本能的な性的なメカニズムではないように思います。


逆にお聞きしますが、なぜ文化や時代の違いで価値観は変容するのでしょう。

それからそれとは別に、あなたがトラウマとしての傷を持つ、ということは
憂慮すべき別の問題だと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/27 00:40

随分議論が交わされていますね。

私もc-bukoskiさんと同じ疑問を持ったことがあります。何故女性だけが人前で着替えをしたらいけないのか。何故女性の下着が見えるとみんなが注目して、男性の下着が見えるとみんなが顔を背けるのか(笑)。

理由は、男性が「見たい、触りたい」からだと思います。男性が「見たい、触りたい」という気持ちがなければ、女性は触られても見られても平気です。女性同士は一緒にお風呂にも入るし、あなた大きいわねーとか言いながら触ったりもします(赤の他人はしませんけど(笑))。「胸を隠す、下着を見せない」は残念ながら女性の作り出した価値観ではなく、男性の作り出した価値観の下に生まれたものです。女性自らが性を商品化したいのではなく、男性が性を商品化したがっている事から自分の身を守る方法であると思われます。

刷り込まれた価値観で、疑いもなく信じているというのも違います。女性は成長過程で、男性からの視線が変化していくのを感じ取って育っていきます。小学生低学年で痴漢にあって、強いショックを受け痴漢って何?という意味を考えたり、たわいないスカートめくりや膨らみだした胸をからかわれたりして、徐々に自分の女性らしい部分が男性の目に映る事を意識するようになります。それは一種の恐怖です。なんだか分からない好奇の目がだんだんと自分に向いてくるという恐怖。どんな女性でも、成長過程でひとつやふたつ痴漢やわいせつな言葉など、性的なショックを受けているでしょう。

言葉として教えられたわけではない。刷り込まれた価値観というわけでもない。ただ成長過程で感じ取っているのです。男性の性的な好奇の目というものを。

でも思春期を過ぎる頃、女性も気がつきます。自分の身体がどれだけ武器になるかという事を。武器はいつもいつも振りかざしていては負けてしまいますから、ここぞという時に使います。胸の谷間、美しい足の曲線美、細いウエスト、人によっては美しい髪や白い手なども武器になります。女性自らが性を商品化しているという考えは、この辺から生まれたものでしょうか?
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この回答へのお礼

にわとりとたまごの問題のような気もしますが・・・
どうでしょう?
ただ、まず既成概念にたいして疑問をもつ、
という大前提がある、というところから始まっているので、
最大のポイントは通過しているのですね。(笑)
なぜ、考えなきゃいけないの?
という反論には言い尽くした観があるので・・・

男性が見たいから隠すという意見は・・・
過去に「バルビュス現象」という言葉でも説明したけれど、
禁じられているものにこそ快楽は潜んでる・・・
というプログラムの問題があるので、
隠されるから見たいんだ・・・
という概念になってしまいます。
あくまでも僕の認識では、ですよ。
だから、習慣やモラルというものが先にあって
それを疑うこともなく信じてるのではないか・・・
というふうに考えられます。
何人かの男性からの意見にもありましたが、
文化が違えば恥ずかしい場所も触ってもいい場所も変わるわけですよね?
やはり、刷り込みだと思いませんか?

そして、男性からの好奇の眼が原因だ、という感覚は、
思春期における自意識が芽生えるころと一致しているのでは
ないでしょうか?
それは生物学的には、メスが受胎可能な成体に育ち、
それをオスが認識するところから始まる、
生殖にかかわる問題であるということを
考えると、
それを、恐怖だとか好奇だというふうに感じるのは、
そういう考え方を知らず知らずに教え込まれてきているからでしょう。
やはり、僕にはそう思えます。
もちろん、だからといって
社会的な良識やモラルを否定しているわけではありません。
これは、もうすでに何度も何度も言ってきたことですが、
大事なことだし必要なことであるということは十分理解しています。
ただ、残念ながら絶対的な価値観というものはないのだから、
常に、なぜなのか?ということを考えていかないと、
浄化しないこともあると・・・
そういうことを言ってるつもりです。

性の商品化に関しては、
これは話し出すととてつもなく長くなるし、
また違った問題も含んでくるので、
僕の中ではもう、いいかな・・・
と思ってる問題なのだけど、
簡潔に言わせてください。

生物はなぜ生きているのか?
これは動物行動学では遺伝子の「個のコピー」の問題で
語られます。
つまり”命を継ぐために”生きているのです。
オスはより優秀なメスと、メスはより優秀なオスと交わりたい
と願います。
しかし、誰もがNo1のオスやメスを選ぶことが出来るわけではありません。
したがって適当なところで手を打ちます。
ここで問題は起きるのです。(笑)
人間の場合は、この限りではないですが、
大筋はこういう状況ですよね?
誰かと付き合う、と決めればSEXはしてもいいけど、
そうでなければダメ。
ここでいう誰かと付き合うは、番う、という概念ですが、
ここに絶対性はありません。
だって別かれたら、また違う人を好きになるのだからね。
つまり、あきらかに手を打ってる・・・のです。
そういう相手探しをしているときに、
性を武器にしてる女性はたくさんいると思われます。
もちろんこれも、悪いことではないのかもしれません。
でも、認めましょう・・・・よ、
ということかな?
概略では。(笑)

また反感を買いそうですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/26 03:15

男です。


ちょっとおっぱいからは離れた回答になるんですが、

「モラルや社会的良識というのは、親や教師や地域や社会から
刷り込まれた価値観であり、私たちは、それを何の疑いもなく
信じている・・・ 」
でも(ある程度は)いいんだと思います。

「疑わず信じる=悪」「自分で考える=善」という意識があるように思います。

思いついた問題をすべて考えつくすことはできません。時間は有限です。特に、一人の人に与えられた時間は有限です。高々100年しかありません。
世の中のさまざまな問題や考えは、人の数だけあります。
自分が関われるのは世界のほんの一部分であることに気づき、
関わらなくてもいい問題は関わらないようにしないと、
ほんとうに自分のやりたい事をする時間がなくなります。
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この回答へのお礼

>人に与えられた時間は有限です。高々100年しかありません。
>世の中のさまざまな問題や考えは、人の数だけあります。
>自分が関われるのは世界のほんの一部分であることに気づき、
>関わらなくてもいい問題は関わらないようにしないと、
>ほんとうに自分のやりたい事をする時間がなくなります。

僕は、そもそもこの考え方を否定しているのです。
これは言い方を代えれば、
「世の中のことはどうにも出来ないから、それに、自身の興味あることだけにしか興味はないので、自分自身にとっての一番大事なこと、それだけを考えつづける・・・そう、自分自身の心の旅をするんだ。」
という、非常に春樹ちゃん的な考え方に映ります。

そして、
疑わずに信じることは悪ですよ。
もちろん、そう思ってます。
知識は道具です。
だから、知らないということは恥ではないですが、
知ろうとしない精神は恥ずべきだ・・・
という考えと同じです。

お礼日時:2003/03/26 02:30

c-bukoskiさん、こんにちは。


遅ればせながら、滑り込ませていただきます。
まず、この質問をした時点で、女性全員を敵に回したのは言うまでもないでしょう。(笑)といっても私は女ですよ。最初は、この質問を見て、何考えているだろうって思いました。でも回答と御礼を見ているうちに、なんとなくイメージが変わってきました。個人的に、このテーマにしたのは、ちょっと失敗だったんじゃないかと思います。(ムカッときたらスイマセンね。)というのも、こういうデリケートな問題として考えられている事柄は、あまり考えられていない、というよりは、考えるのを避けてきたものだと思います。私もあまり考えたことないですし。周りの気風で考えなくてもいいような状況になってますから。パンドラの函のようなものです。それを敢えて考えていこうという姿勢は素晴らしいと思います。だからといって、ここで女性がバッシングしてるからといって、暗に考えない人間だと決め付けるのもどうかと思います。誰だって、このことに限らなければ、こういう類のことを一度は考えてると思います。c-bukoskiさんの仰っている理論は、共感できますし、ご自分の求めている回答を手にできないもどかしさもお察ししますが、そんなふうに、寄せられた回答をバサバサ切り捨てないで欲しいなと思います。たとえc-bukoskiさんの意図にそぐわなくても、それが皆さんの回答なのですから。こういう意見もあるのかと寛容に受け止めていただきたいものです。
では最後に、
>男と女として特別な関係にならないかぎり、
世間ではそういうことをしてはいけないものとして捉えますが、
髪や、手ならばよくて、なぜおっぱいは・・・
だめなのでしょうか?

たとえ髪でも手でも胸でも、接触を許すか許さないかのは、個人の育った環境、価値観に由来する。またそれらは刷り込みという現象を起こし、時にそれが伝承されていて不動なものとなっていくこともある。それはなぜか、考える者もいるが、多くが日々におわれ、考えることがなかったり、一種のタブー、常識として扱われ、考えることを避けていることが多い。この問題も然りだと思われる。

>これは、女性自らが性を商品化していることにはなりませんか?
少なくとも多くの女性は、そう意識していることはないと思う。

>また、モラルや社会的良識というのは、親や教師や地域や社会から刷り込まれた価値観であり、私たちは、それを何の疑いもなく信じている・・・
そう考えたことはありませんか?
ある。私は、良心・親切について自己嫌悪に陥るほど考えたことがある。

(あくまで)参考になったら、と願っています。また、c-bukoskiさんのため息を呼びそうですね。
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この回答へのお礼

なぜおっぱいなのか・・・
テーマが失敗だったと、
そうおっしゃるのですね?(笑)

僕は、そうは思っていませんし、
この時点でもその考えは変わりません。

これは、かなり早い段階にも書いたのだけれど、
当たり前だとされていること、
常識、良識、
そういったものに対するオブセッションとしては、
非常に有効だと思っています。
なぜなら、
性的なことにその人間の裸の価値観みたいなものが、
明確に現れるからだという認識があるからです。
たしかに圧倒的に反感を買いましたよね?
女性陣から。
でもね、
僕は・・・
これは今になって思うことなんだけれど、
無意識に”何も考えていないグループ”にたいして
宣戦布告をしていたんじゃないか・・・と、
僕自身の深層心理を分析してみれば、
そんな気もします。
もちろん、”何も考えていないグループ”という言い方は、
僕の中でイメージした一般化した呼称ですが。
ただ、僕の中には常に、
”お前ら決められていることを何の疑いもなく信じていて本当いいのか?
価値観は自分で醸成しろ!”
という、テーマが厳然とあるのです。
そうすると、言葉を持たない人たちは、何も考えてないように映る・・・
というのも理解してください。

あなたが言うように、おっぱいである必然性もないのだけれど、
おっぱいであるために、浮き彫りになる・・・
そうとも考えられます。

>多くが日々におわれ、考えることがなかったり
>一種のタブー、常識として扱われ、考えることを避けていることが多い。

そしてこの意見にはやはり賛同できません。
だって、それを責めているのですよ、僕は。(笑)
ここが最大のポイントです。
僕の答えと違うと、駄々をこねているわけではありません。
なぜ避けるのでしょうか?
これはね、僕が考えるに、
おっぱいの問題に限らないと思うのです。

なぜ、子供は学校にいかなければならないのか?
なぜ、人を殺してはいけないのか?
なぜ、性的倒錯者は疎まれるのか?
なぜ・・・

おっぱいの問題という性道徳的な問題を考えないということは、
生活全般のありとあらゆる問題を考えない、
そういう下地になっているのではないでしょうか?
もちろん有益なことは考えるよ、
とおっしゃる方もいるでしょう。
しかし、何が有益か有益でないのかは
表層に現れているものばかりではありません。
誰が正義で誰が悪なのかは、時代や価値観でも
かわるのですから、
倫理観や良識が変化するのは、
そこに疑問があったり、
上手くなじめなくなっていくからだと思います。
それはそういうことを考えてる人がいるからですよね?

つまり、一言で集約するなら
「流されるな!」
といいたいのかもしれません。
それは文化やコマーシャリズムの世界にも当てはまることなんです。
文化のレベルは民度に比例します。
みて下さい、
この国のテレビを・・・
音楽を・・・
流行っているものすべてを・・・

愚痴みたいになってしまいましたが、
少しは、理解してくださる女性もいるのだ・・・
という、安堵感にも似た感覚に包まれています。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/26 02:19

>了解なしに何かを行うという行為は、


>人間の尊厳を無視した行為になるわけですよね。
>そこに問題がある・・・

最初からこういう考えをお持ちなら、質問の
「髪や、手ならばよくて、」 という言葉は出てこなかったはずですが…。
ちょっと疑問に思いました。

やりとりしていく中でそういう結論が出されたならば、
>これは、女性自らが性を商品化していることにはなりませんか?

この質問も、安易な考え、物言いだったことが理解していただけたかと思います。

そしてもう一度最初からやりとりを見ていくと…
最初は結構寛容?なんですよね。
性感帯である…という答えにも、それはそれでいい、と言ってるし。
後になってあれもだめーこれもだめーにだんだんなってきてるので
ちょっと意地になっておられるかな~と思いました。

でも
>もちろん、性的な部位だからこそ、
>社会的良識や倫理観などは、
>必ず付いて回るだろし、
>感情的なことが優先されることも
>よく分かります。
>さらに、本能としては、
>防御しようと反応したり、
>さらには、スイッチの問題にもなるだろうことも、
>よういに想像つきます。

やっとあたりが柔らかくなられたようで、安心しました。

>それでも、なぜなのか?
>と考えることが必要ですよ・・・
>と言ってるんです。(笑)
>答えなんかでなくてもいいです。
>考えることが重要なんです。

けれど、それでもなぜなのか考えるとは…
なんだか主旨が違ってきましたね(^^;)

これは、最初は
>女性自らが性を商品化していることにはなりませんか?
>また、モラルや社会的良識というのは、親や教師や地域や社会から
>刷り込まれた価値観であり、私たちは、それを何の疑いもなく
>信じている・・・

そう思っていたけれど、案外自分が思っていたよりみんな
そうじゃないと分かったので、
じゃあ分かった分かった。それでも
答えなんてないから、永遠に考える方向で。
…って感じなんでしょうか(笑)

これでは、どんなことを回答しても、
「それはそうかもしれませんが、それでもそれはなぜなのか…考えて下さい」
ってことになるわけで、質問・回答として成り立つのか…

それでですね、
>文化や習慣に従わなければならない、
>と理解することが、刷り込みだ、といっているのですよ。

やっぱりこれは違うな~としか思えないです。ごめんなさい。
理解とかそういう浅いところじゃないと思うから。

犬や猫。食べる文化を持つ国があります。
それは知っています。
けれど「食べるものじゃないだろ~」 と私は思いますし
日本で犬や猫を見ても、それが食べ物だという意識は全くありません。
その国に行って、食べ物として扱われているのを見た時
「そういう文化だもんね…」
と思うくらいです。だからただの認識程度だと考えます。

刷り込まれる、洗脳される…という状態は、
そこを離れても犬や猫を食べ物として見るようになった…
ということだと考えます。

それとも、「その国では犬や猫を食べる」という刷り込みをされている…と?
それは…そんなことを刷り込みにしてしまったら、
入って来る知識、情報全てが刷り込みになってしまいます。

そんな浅いものではないのでは…?
>〔生まれた動物の仔(コ)が〕自分と接した最初の動物を親と見なし

これほどとはいかなくても、
ある段階まで自分の中に組み込まれるものが刷り込みで、
知っている、というだけのものとは全然違うと思うのですよ。

意見の相違で片付けるしかないのでしょうか…


>ということで、おっぱいを見せてもいい文化の女性たちが
>触られてもいいのかどうかは、まったく関係ないことのように思いますが

そう思われるならば仕方ないです。
なんだか“文化の違い”にこだわっておられたようなので…。

女性が胸を見せる文化=胸を触られてもなんとも思わない文化
女性が胸を見せない文化=胸を触られては嫌な文化

って感じで言っておられたので…
もし女性が胸を見せる文化を持つところでも触られることはまた別問題、だとしたら
最初の方で言っておられた“文化の違い”説も
怪しくなってくるのでは、と思ったもので。

文化の違いにはもうこだわってない、というのなら
もう関係ないですね。

この回答への補足

締め切ってもいいですか?
それとも、まだ反論がありますか?

このずれた感じでこれ以上進んでも意味がないと思うのですが?

補足日時:2003/03/24 17:42
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この回答へのお礼

僕のため息が聞こえますか?(笑)

いいですか、
まず刷り込みの問題ですが、
あなたが無意識にモラルや社会的良識を受け入れてしまう、
というのなら、あなた自身が刷り込まれていることになります。
もし、そうではなくて意識的に迎合する、
というのであれば、そもそもモラルや社会的良識というものは、
刷り込みである、と認めて自ら寄り添うという行為です。
わかりますか?
定義の問題で論争するのは辟易します。

それから、
手や髪なら良くてというのは、
対象の意識の問題として例に出しているのと、
おっぱいという部分を浮き彫りにするために、
そういう使い方をしたまでです。
そして始めからわかっているのなら、
そういう・・・
云々とありますが、
”僕の中の答えとして”と限定しています。
絶対的な答えもないでしょう、ともいっています。
この意味がわかりますか?

そして、
性の商品化ではないですか?
というのは、
胸をことさら特別な部位として必要以上に
意味を持たせることは商品化に繋がりませんか・・・
ということですから、
それは、そういう意識があるかないかの差が
でる、ただそれだけのことだと感じています。

お礼日時:2003/03/24 17:42

>相手が誰であれ、


>どういう状況、関係性であっても、
>僕の答えは、
>人間の尊厳の問題でしょう・・・
>と、気分としては2万回ぐらい(笑)答えてますよ。

そういうのが「本能的反応」そして「人間の尊厳」が関わっていると、
すでに理解されてる訳ですね。

>そういう言葉は持ち合わせていない・・・
>というのなら、それはそれで結構です。

「本能」、「本能的意識」、「文化からくる一種のすりこみ」、
そういったものをすべて排除して、言葉で説明するのが不可能な事柄もあると
私は考えます。

>男性が、母親や同性愛者に性的箇所を触れるのを嫌がるときにも、
>「私はこうだから」という言葉は持ち合わせていませんよね?
>この場合も、「何も考えてないから」ということになるのですか?

この質問に答えていただけなくて、残念です。
「私はこうだから」というような理屈で説明できない瞬間もあると、
そしてそれは「何も考えてない」とは言えないと、お考えであると理解してよろしいでしょうか?
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この回答へのお礼

>>男性が、母親や同性愛者に性的箇所を触れるのを嫌がるときにも、
>>「私はこうだから」という言葉は持ち合わせていませんよね?
>>この場合も、「何も考えてないから」ということになるのですか?

>この質問に答えていただけなくて、残念です。
>「私はこうだから」というような理屈で説明できない瞬間もあると、
>そしてそれは「何も考えてない」とは言えないと、お考えであると理解してよろ>しいでしょうか

ですから、
この質問に答えたつもりですよ。
相手が誰であろうと、そしてどういう関係性であろうと、
そこに”触れられてもいい”という意思が存在しなければ、
了解なしに何かを行うという行為は、
人間の尊厳を無視した行為になるわけですよね。
そこに問題がある・・・
と、僕は考えます、と。
もし、この質問が男性一般という定義の仕方だとしたら、
あなたの言う通りなのかもしれません。
しかし、僕には言葉としての答えがあります。

もっと具体的にと、おしゃるのなら、
嫌なときもあれば、嫌だと感じないときもある・・・
そう想像します。
もちろん僕はヘテロですよ。(笑)
ゲイでもバイでもありません。
昔、バイだと公言する、とても仲の良い友人がいました。
彼と二人である部屋にいたときに、
こいつに今求められたたら僕はどうするだろうか?
そんなことを考えた様な状況もありました。
そのときに僕はどう考えたかというと、
「彼を傷つけるような形では拒めないな・・・」
そういう感覚でしたね。
もっとも何もありませんでしたが。

そして、
また話を戻せば、
もちろん、性的な部位だからこそ、
社会的良識や倫理観などは、
必ず付いて回るだろし、
感情的なことが優先されることも
よく分かります。
さらに、本能としては、
防御しようと反応したり、
さらには、スイッチの問題にもなるだろうことも、
よういに想像つきます。

それでも、なぜなのか?
と考えることが必要ですよ・・・
と言ってるんです。(笑)
答えなんかでなくてもいいです。
考えることが重要なんです。

「最後の家族」本当に読んでみてください。
僕の言いたいことが明確な言葉で
引きこもりとDVの物語に転換されていました。

たしかテレビドラマにもなったはずですよね?
僕はドラマを観る習慣がないので観ませんでしたが・・・

何度もありがとうございました。

お礼日時:2003/03/24 00:18

回答履歴がおっぱいでいっぱいになってきました…



>刷り込みというのは、
〔imprinting の訳語〕〔生まれた動物の仔(コ)が〕自分と接した最初の動物を親と見なし、それに甘え、依存した行動をとること と、定義されます。

これはもちろん知ってます(^.^)

> 変わらない主義主張という概念ではなく

これはそんなこと言ってません。

>教えられたものを信じてしまい、それに適応する概念に
適用されているんですよ。
>ですから、それぞれの文化にしたがってしまう・・・
>ということは、刷り込みですよ、

う~ん、これは違うと思うんです…。
これって刷り込みではなく単なる“認識”だと私は捉えます。
その文化に触れていけば、“刷り込み” になっていく事もあると思いますが、私の言う

>・手の平は私にとって恥ずかしくない部分ですが、手の平が性的な目で見られる国へ行ったら必死に隠します。

これって、その国に行ってその考え方・文化を知れば即、湧き起こる感情です。
それは、そういう文化を持っているのだから、相手がどういう感情で私の手の平を見るのか…
“認識”するからです。

“認識”なのだから、忘れることもあります。
“刷り込み”はそんな簡単に忘れることのない、もっと深い部分にあるような気がします。(何度も言うようですが変化はすると思っています。)
その国さえ出てしまったら「どうでもよく」なるようなことではないのでは?
刷り込みは…どちらかといえば反射に近い、他者の感情に左右されることのないもの、と私は考えます。

たとえば、牛乳を温めてしか飲めない外国の地域があります。
それを“認識”していても、すごくのどが渇いている時に冷蔵庫によく冷えた牛乳のパックがあると、
コップになみなみと注いで、飲んでしまう(しまいそうになる)と思うのです。
こういう感じでしょうか。

“認識する”ということと“刷り込み”は明らかに違うでしょう。
>言葉の捉え方をテーマにしているわけではないので、
>ここでの共通理解がない、というのは 意思の疎通もへったくれもない、

こう考えるからこそ、共通理解をする為にそれぞれの捉え方を述べ合わなければいけないのでは?

っと、そんなわけで…“胸”についても、全部が刷り込みではないと考えます。
“相手の感情を認識”(思い込みとも言えますが)することによって湧き起こる感情…というか、反応というか…。
そういうものも“胸”に対する意識の『ひとつ』にあると思います。
それが、無意識に近い意識的な部分。

それらのことをなんらかの状況で忘れた時、とっさに出る無意識の部分では、刷り込みと本能があると思います。

本能はおいといて…と言いますが、ならば“胸”をテーマにするのは無理があるかも…
性的な部分である限り、そことは切っても切れないのです。って、余計なお世話ですか``r(^^;)?


そして何度も言いますが、
>それから、 胸を出している文化の女性は、触られてもいいのかどうか、
>なんて僕は知りませんから、答えられません。

これはこのテーマにすごく重要だと思いますよ。
このテーマについて考えたいなら、調べるべきでは?
…って、これも余計なお世話ですか?
より深くテーマを掘り下げる為のアドバイスなんですが…。
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この回答へのお礼

主語が違う・・・
というかポイントが違うんですよ。

文化や習慣に従わなければならない、
と理解することが、刷り込みだ、といっているのですよ。
僕は、そういった概念をポイントにしてきたはずです。
つまり、文化や習慣や規則や規制や道徳や倫理・・・
そういったものに操られていませんか?
と聞いてるはずです。
もし、それでも刷り込みという言葉が釈然としない、
というのであれば、もっと過激な言葉を選択しなければならなくなります。
洗脳・・・
という言葉を使うと、もっと顰蹙を買うでしょう?(笑)
それに認識というという概念は、
言葉としては非常に曖昧ですね。

そこに”ある”とされているものは、
認識するから”ある”わけで、
認識しない、となると、
存在しなくなるのです。
それは、もちろん物理的なことを取り上げていってるわけではなく、
もちろん物理的なことでさえも物を見てはいるが意識は見ない、
もしくは認識しない、
ということを意識のレベレルで行えば、
それは存在しないのも同然になります。

そうすると、そこにある原理や主義や思想や価値観も
個人の都合であったりなかったりしてしまうもの・・・
というふうになります。
それでは、ある種の絶対性は確実に見えてこない、というか、
曖昧なものになってしまうでしょう。

僕がが聞いている、
「あなたは、なぜおっぱいは触ってはいけないものだと考えますか?」
という問いに近づけなくなる・・・
僕にはそう感じさせます。
もちろん、そこに絶対性を持った答えなどなくてもいいし、
個人の言葉でいいのだけれど、
考えて出てきた言葉ですか?
と、聞いている問い自体が曖昧なものになっててしまうような気がします。

たとえば、
楽しいという概念は、
単に仲良しグループで、たわいのない話で笑いあうことの外にある・・・
と、「最後の家族」のなかで龍が言うように、
そういうふうに考えられる人、そうでない人がいる・・・
という厳然とした事実を理解してみて下さい。
人間は、教えられたことを何の疑いもなく信じて行動する方が
楽ですよね。
でも、そこにある結末は歴史が様々な形で現してします。
考えない、ということは楽なんですよ。
一方、そこから発展した考えを持てるかどうかは、
既成概念の否定から始まることではないかと、
僕は考えます。

本当はね、おっぱいでなくともいいんですよ。

女性が信じているであろう、
一般的な了解なら・・・
しかし、なぜ女性・・・
というふうに一般化して限定しているかというと、
もちろんそこには子供を産む性である、
ということから生まれているであろう
現実主義的なものの見方や、価値観、
そういったものを否定したかったからだと、思います。

しかし、これは性差の問題ですから
致し方ない・・・
といわれれば、そうなのかもしれませんが、
その傾向と時代みたいなものが、
ある一部の女性たちを増長させ、
あまりにも自分勝手で自分本位なものの考え方を、
”オンナナンダカラ・・・”
という呪文のような言葉に力を持たせ、
平然としている・・・
というよな結果になっている、
と感じているからです。

「下着は、なぜ見えたら恥ずかしいと感じるのですか?」
でもいいんです。
もちろん、性的な部分を覆い隠すものだから・・・
という答えが一般的でしょう。
でもね、僕はこう考えます。
「下着自体が見えることが恥ずかしいのではなく、
下着が見えてしまうようなだらしない格好をすることが恥ずかしいんだ」
と。

そこにどんな答えがあるのかは、人それぞれでいいと思います。
ただ、生活全般の価値観など、
個人的な哲学が最も見えやすいだろう・・・と、
いうのが、性的な問題でもあるです。

ということで、おっぱいを見せてもいい文化の女性たちが
触られてもいいのかどうかは、まったく関係ないことのように思いますが
いかがでしょう。

まだ、続きますよね?(笑)

お礼日時:2003/03/23 04:00

何度もごめんなさい…忘れてました(;>_<;)



>・だって、「触りたい」という男の欲求は理解していらっしゃるんでしょう?
>結局それですよ。そういう意識から身を守りたいんです。

これ、私的には大事です。
本能でなく、男性の刷り込み性意識を拒否する防御反応。
これも私なりの答えのひとつです。
これについては…結局、どうなんでしょう。

それと、
>・ところでちょっと疑問に思ったんですが、女性が胸を出す文化を持つところでは、女性の胸を触ることもなんでもないことなのでしょうか?

これも重要だと思うんです。
これがどうであるかで私の意見も違ってきますから…。
これについても意見を聞けてないので…

私の長ったらしい文のせいだと思いますが…
ごめんなさい(^^;)
ついついエキサイトしちゃって…って、普段も長文なんですが(-_-;)ゝ
でもきちんとお返事下さるし、結構楽しんでるんですよ。
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この回答へのお礼

防御反応でもいいです。
でもね、
反応や本能の問題にすると、
僕の質問した意味がなくなる・・・
と言いたいだけなのです。
なぜなら、本能は分かりやすいですからね、
そんなこと聞いてもしょうがないですから。(笑)

それから、
胸を出している文化の女性は、触られてもいいのかどうか、なんて
僕は知りませんから、答えられません。

No33の方にも言いましたが、
村上龍の「最後の家族」を読んでみて下さい。
僕の言う、”考える”や”言葉”の概念が
物語のなかで説明されています。
読みながら、こういうことをあなた言いたいんだな、僕は・・・
と感じました。

感情というのは、伝えにくいものですよね。
言葉では説明しにくいものですから。
だから音楽や文学や映画や絵画や写真という表現があって、
そこから匂い立つように何かを伝えようとする手段なんだけど、
コミュニケーションも難しいですね。

コミュニケーションついても龍は、
伝わらないんじゃないか・・・
という前提が必要だと・・・
それが伝えようとする意思になる・・・と。
これは、その通りだと感じました。
僕は伝わるはずだ、
なぜ伝わらないんだろう・・・
という気持ちでしたから。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/22 14:54

本当に無力です…


なんで噛み合わないんでしょ。

>・胸を出すことが当たり前の国に行っても絶対出したくありませんが、長く住み続けていたらどうなるか分かりません。

これはですね、刷り込みっぽいねって感じであえて出しました。刷り込み自体は“それもあり”だと思ってますから。
問題はこの後です。

>・たとえば胸を触るのが挨拶、という国に生まれ育った男性(胸を触ることをいやらしく思わないと想像できる)でも嫌。理由は本当にいやらしく思わないなんて信じられないから。
> けれどその男性を見ていて、本当に胸をいやらしい目で見ていないんだなと自分で確信が持てたら、その人だけ例外的に抵抗が少なくなる気がします。

>・手の平は私にとって恥ずかしくない部分ですが、手の平が性的な目で見られる国へ行ったら必死に隠します。

これは…刷り込み…ですか???
刷り込みの捉え方の違いでしょうか。
私にとっての“刷り込み”って、ひとつの事柄に対してある程度普遍的な…状況によってコロコロ変わったりしない感覚、って感じなのですが…。

だから、たとえば手の平は恥ずかしくない。でも違う国に行ったら恥ずかしい。んで、戻ってきたら恥ずかしくない…

…これって刷り込み?こうもコロコロかわるものが???…って思っちゃいます。
恥ずかしくないなら恥ずかしくない、恥ずかしいなら恥ずかしい…相手がどう思っていようと関係ないのが刷り込み、っていうのが私の認識です。

だって、“なぜ人を殺してはいけないのか”ということを「考えてない」…
“刷り込みで殺人を悪”とする人が
殺人OK!の世界に行ったって、そうそうすぐには「じゃあ取りあえず殺してみっか♪」とは思わないと思うから。
変わらないとは思ってませんよ。変化もするものだと思います。でもこうもコロコロ変わるとは…思えません。

日本にいる時は手の平が恥ずかしくないのが刷り込み。
ある国に行った時はその国では手の平が恥ずかしいっていう刷り込みをされる。
んで、日本に帰ってきたら日本の刷り込み意識。
…ってこと?
そうだとしたらなにもかも刷り込みで片付けてしまっちゃうかも。

>それから本能の問題にしてしまうと、
>すべてはそこに帰結してしまいますよね。

ここの“本能”というところ、“刷り込み”にしても通じるのでは?(^_^;)
私は本能の問題にすると全てそこに帰結するとは思いません。
そうじゃないこともいっぱいあるでしょー。
私はゴミのポイ捨てしたくないです。これは本能?
不倫もしたくないです。 これは…?
刷り込みの方が近いですよね。

だから何が言いたいかっていうと、“本能”という答えが“全てそこに帰結してしまう”理由でだめならば、“刷り込み”も似たようなものじゃないかな?ってことです。

でも、私はそう考えないからどっちもありじゃないの?
色んなことが複合してるんじゃないの?
っていうのが、答えですっ。

>なぜなのか?という個人の答えをお持ちですか?
>と聞いているのです。

だから、これです。

>”あなたのなかにある答え”はなんですか?と聞きたいだけなのです。

だから、これですよ~ぅ(;>_<;)

>そこには、本能の問題と感情論ではない、
>答えが聞きたいのです・・・

あらら。何が聞きたいんでしょう…。じゃあご期待には添えません…


それでですね、ポイ捨てなどについて。
>ここでいう”知ってる”というのは、
>道徳観のことですよね。
>それも刷り込みです。

だから、その刷り込みにみんな右向け右で従ってるわけじゃないでしょう?って感じなんです。
やっちゃだめ、ってことが刷り込み。
なら、何も考えてないのであれば刷り込みに素直に従うのでは??って思うんです…
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この回答へのお礼

かなり徒労感があります。

刷り込みというのは、
〔imprinting の訳語〕〔生まれた動物の仔(コ)が〕自分と接した最初の動物を親と見なし、それに甘え、依存した行動をとること
と、定義されます。
つまりですね、
変わらない主義主張という概念ではなく、
教えられたものを信じてしまい、それに適応する概念に
適用されているんですよ。
ですから、それぞれの文化にしたがってしまう・・・
ということは、刷り込みですよ、
と言っているのです、
わかりますか?

言葉の捉え方をテーマにしているわけではないので、
ここでの共通理解がない、というのは
意思の疎通もへったくれもない、
という不毛を感じさせます。

ありがとうございます。

お礼日時:2003/03/22 14:38
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