プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

小学生から高校生にかけて、8年ほど文鳥を飼っていました。
ペットショップで、手乗りの雛2羽を買ってきて、挿し餌をして育てたので、とてもよくなついていました。
その2羽はオス・メスだったので、つがいにして何回も繁殖させました。
中学生のときでしたが、ある日、メスが事故死してしまいました。
ワラ製のツボ巣の糸がほつれたところを、いたずらしてつついているうちに、糸が首に巻き付いてしまったらしいのです。
母が気づいたのは私が学校に出かけた直後で、その時はまだ暖かかったそうです。
なきがらを私に見せないほうがよいと両親が相談して、すぐ埋めてしまったそうです。学校から帰って来てその話を聞いたとき、目の前が真っ暗になりました。
それから2年くらいして、オスも行方不明になりました。母が青菜を与えるときにカゴの扉を開けたまま、閉め忘れたそうです。母を責めはしませんでしたが、私のいない間に去って行ってしまったのが、残念でなりません。田舎なのでモズやタカにでも襲われて悲惨な最期を遂げたり、餌がなくてひもじい思いをしてないだろうか、とか様々な思いが駆け巡りました。
もう何年にもなりますが、その後はペットは何も飼ったことがありません。
もう少し気をつけていれば、あの事故死は防げたのではないか、とか、いろんな思いがあって、今でもトラウマ状態なのかもしれません。
実はこのことを文章に書いたのは、初めてです。何かちょっと胸のつかえが取れたような気がします。
今でも動物、特に小鳥は大好きです。私は時々このサイトで小鳥に関するご質問があると回答したりしていますが、それはホントは大好きなのに自分では飼うことができないための代償行為なのかもしれません。
皆さんはペットにまつわる、悲しい思い出はありますか? もしあったら、その心の傷をどうやって克服されたのでしょうか。教えていただけたら嬉しいです。

A 回答 (10件)

naomiさん、こんにちは


私も文鳥を飼っていました。
初めて飼ったのは8年程前です。
生き物を飼うのは初めてで、桜文鳥の雛はとてもかわいく毎日が楽しかったです。
本当にかわいくてたまりませんでした。
でも私の不注意で死んでしまいました。
まだ小さかったので人が歩くところ(床の上)をちょんちょん歩いてたのですが、私が段差で足を滑らせたところに下敷きになってしまいました。
私が踏んで殺してしまったのです。
みるみるうちにくちばしの桜色が黒くなっていきました。
そのときの気持ちは書ききれません。
小さな命を絶やしてしまった罪は消えないと思いました。

桜文鳥が死んでからはさみしくてさみしくて、死んでしまった小鳥に悪いと思いましたが新しく文鳥を飼いました。
都合のいい話ですが新しい小鳥を死んでしまった文鳥が守ってくれると思いました。死んでしまった小鳥の分まで大切にしてあげたいと思いました。
その新しい文鳥も昨日死んでしまいました。7年半ほど生きました。たぶん老衰だと思います。ペットショップで1羽だけ残っていて、脚弱で体が小さい子でした。体が弱かった分家族みんなできを使って、とてもかわいがりました。
ほんとにかわいいこでした。
長生きはできないかもと思っていたので、平均寿命くらいは生きてくれて、きっと死んだあの子が守ってくれたんだと思います。
昨日死んだばかりなのでまだ死んだなんて信じられません。
私の寿命をわけてあげられたらよかったのに・・・
もっともっと長生きしてほしかった、でも死んでしまってもっと自由なところに行ったんだと思ってます。
今はとても悲しくて会社にいるのに涙目にすぐなってしまいごまかすのがたいへんです。
悲しいけれど、楽しかった思い出が悲しみ以上にたくさんたくさんあるのでとても感謝しています。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってごめんなさい。
とても悲しい経験をされたんですね。
でも、これは不可抗力の事故です。誰が悪いのでもなく、不運なめぐり合わせという他はありません。死んでしまった文鳥も、決して25qさんを恨んではいないと思います。
手乗りの小鳥には、こういう事故は割とよくあるようです。
私も文鳥が事故死してしまってから、なぜツボ巣の糸がほつれているのに気がつかなかったんだろう、もう少し注意していれば防げたはずなのに、と自分を責めました。
時がたっても、悲しく切ない思いは変わりません。死んだ文鳥が夢の中にもよく出てきました。でも、夢の中に出てくるその子は、不思議なことに幼い頃のあどけない表情が多かったのです。きっとあの子は私を恨んではいないんだな、と勝手ながら思いました。

25qさん、またまた可愛い文鳥の死をまのあたりにされて、そのショックの中でこの回答を書いて下さったんですね。ありがとうございます。その悲しみが、文章の端々から伝わってきます。
寿命いっぱい生きたとしても、やっぱり悲しいことに変わりはないですよね。
ご回答ありがとうございました。

私の質問に、思いがけず多くの方々からご回答いただき、ありがとうございました。この場を借りて皆さんにお礼申し上げます。
同じような辛い経験をされたお仲間が、こんなにたくさんいらっしゃると知って、ちょっとだけですが、ホッとした気持ちです。
ペットロスのショックというのは、本当に経験した人でなければわからないでしょうね。
でも、悲しみは消えなくとも、懐かしい暖かい思い出とともに生きていこうというのが、皆さんの一致した結論のようで、私も励まされました。

この質問を閉じるにあたり、皆さんと私の亡くなってしまったペットたちの冥福を祈りたいと思います。
そして、今ペットを飼っている皆さんには、その幸せな日々が1日でも長く続くように、お祈りいたします。

ポイントについてですが、皆さんに悲しい思い出を語っていただいてポイントを付けるというのは、何となく抵抗を感じます。そこで勝手ながら、どなたにもポイントを差し上げないことにしました。ご了承下さい。
でも、どのご回答もすばらしく、心を動かされ、また励まされました。
皆さんありがとうございました。

お礼日時:2003/03/06 22:15

私も最近、7年間一緒に過ごしてきたセキセイインコのメイが亡くなったばかりです。


メイは元々私の家で飼っていたコではなく、元の飼い主の方が事情により飼えなくなったのを引き取ったコ。
元々手乗りではなかったのですが7年間の間にメイは指にも肩にも乗るまでに懐いてくれ、いつも頭や首を掻いてあげたり・・・色々。
実家にいるときはうるさい位に鳴いて私を呼んだりと賑やかなメイでしたが、私の結婚に伴い、一緒に奈良へ引越して来てからはカゴも変わり、環境も変わり、一緒に住む人間が変わり、メイは全然囀らなくなり心配した事も・・・。
大人になってから大きく環境が変わったのでなじみ難かったのか、この冬の寒さで体調を崩し、友達にとヒナを2羽メイの為に飼ったのですが、一緒に遊ぶ事無くメイはそのまま逝ってしまいました。
メイは新たに迎えたヒナ達とすごく遊びたがっていましたが、食欲もなく痩せ衰えた体で外には出す事は出来ず、ヒナ達とはいつもカゴ越しのご対面。外に出たがっていたメイが可愛そうでなりませんでした。
もっと早くヒナ達を迎えてあげていればと後悔してなりませんでした。

今でもメイの事を思い出すと「ちゃんと保温してあげればよかった」とか、色々考えてしまいます。
まるで、メイと入れ替わりになるように迎えたヒナ達を見ていると、メイをヒナの頃から育てたかったという思いがしてなりません。
2羽のヒナのうち、オスの1羽が生前のメイに生き写し。メイと2羽並べると鏡を合わせたかのように良く似ていて時々名前を間違えて呼んでしまう事がしばしば。
見かけだけで無く、性格や癖も良く似ていてメイが死ぬ前に自分に良く似たヒナを引き合わせてくれたのでは?と思ってしまうほど。
今日も元気に飛び回っているヒナ達の世話に追われています。

一人、遠く離れた場所で逝ってしまったメイ。亡骸は自宅近くの山に埋葬しましたが、実家にメイの友達や奥さんが眠っているのでせめてもと一番長い尾羽と風切羽を2枚切り取り、実家に戻ったときに埋めてあげるつもりです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって、ごめんなさい。
メイちゃん、もともと手乗りではなかったんですね。それが立派な手乗りになったのは、momo-shinさんの愛情のたまものだと思います。
私の文鳥もメスが事故死した後、残ったオスがとても大人しくなってしまったのを覚えています。もともとメスのほうがヤンチャで気が強く、オスのほうが大人しく優しい子ではあったのですが。
メスが死んでしまった後、たくさんいた子供たちも次々にもらわれて行っていなくなり、最期にオス1羽だけになってしまい、ずいぶん寂しかっただろうと思います。カゴから出しても元気に部屋の中を飛び回るでもなく、じっと私の手や肩に止まっていることが多くなりました。8年も飼っていたので、この子ももう長いことはないかもしれないと思い、最期まで看取ってやりたいという気持ちと、最期の姿を見たくないという気持ちが交錯して、複雑な思いでした。でも、ある日突然、行方不明になってしまいました。残念だったのと同時に、死んだ姿を見なくてすんだという安堵感も、心のどこかにありました。

手乗りの鳥の可愛さって、特別なものがありますよね。あんな小さな鳥なのに、1羽ずつ、表情や性格も違っています。それに、私の文鳥は、人間の心を読み取っているんではないかと思える時がありました。餌を与えるのは私より母の方がずっと多かったのに、飼い主は私だということは認識していたみたいです。私が元気がない時などは、いつもはヤンチャな子が、私の肩や腕の上で、じっと大人しくしてたりして、ホントに気味悪いほど私の心を読んでいたと思います。あんな小さな頭で、どうしてそんなに分かるのだろう、と不思議に思ったものです。
昔のペットのことを思うと、今でも後悔することがたくさんあります。でも悲しく切ない思いとともに、何かほのぼのとした、なつかしく暖かい気持ちにもなりますね。それで良いのかもしれないと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/05 21:13

去年、愛犬の一頭を亡くしました。

享年5歳、元気な子だったのに…。病院へは連れて行きましたが原因は調べませんでした。(死んでからお腹をまた開かれるのは可哀相だから…。)ただ、私は数日前に受けた避妊手術によるストレスと疲労だと思っています。多分医療ミスではないでしょう。先生は近所では評判の先生ですし、そう思いたくはありません。
何より私が一番ショックだったのは私と一緒にお昼寝をしている最中に息を引き取ったことです。気付いたのは外出から戻ってきた母でした。私はすぐ隣に居たにも関わらず母が帰ってくるまでその事に気付きませんでした。気付いてからも何もしてやれませんでした。まだ暖かかったからすぐに心臓マッサージなり何なりをしてやれば息を吹き返したかも知れないのに…。今になって考えると分かるのに、パニックになっていたんでしょうし、何より現実感がありませんでしたから、きっと今まで見ていた夢の続きだとか思ってたんでしょうね。ただ救いだったのは苦しんだ様子がなかったので、本当に静かに逝けたのだろう事です。今では御骨になって家にいます。(動物霊園が近くに無いので。)
それ以来、他の子たちと寝るのに眠ることが出来ません。いつも耳元に犬の鼻先を持ってきて、お腹を抱き込んで、足を握って。不安でしょうがなくなるなることが度々あります。あと、どれだけ簡単な手術でも嫌悪感を感じてしまいます。しかもそれがお腹を開く手術だと尚更に。先生を疑っている訳では無いんですけど。
当時は本当に落ち込んでましたし、今でもひこずっています。このことを誰かに自分から言ったのは今回初めてです。(何か誰かに言っちゃうと本当に居なくなっちゃったんだと認めさせられてる様な気がして…。認めなきゃいけないんですけどね。)


家には今4頭の犬、猫が1匹。その他にもインコやウサギも沢山居ます。多分、これからもまた飼う事があるでしょう。
きっと何かを飼っているとどうしても悲しいことは起こってしまいますし、いつかは居なくなってしまいます。そしてそれをずっとひこずってしまう人も少なくないと思います。(現に私もそうですし、ペットロスになる人も居るんですから。)ただ、その子が残してくれたのは「悲しい」だけではないです。それ以上のモノも沢山残してくれているんですよね。
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この回答へのお礼

一緒にお昼寝していて、苦しんだ様子もなく逝ってしまったというのは、考えようによっては、とても安らかで幸せな最期だったと思います。
まだ5歳ということで、たしかに心残りだったとは思いますが、愛犬にとっては幸せだったのではないでしょうか。
避妊手術って、そんなにストレスになるものなのでしょうか。割とありふれた手術だと思いますが。。。そのわずか数日後に逝ってしまったために、そうお思いなのでしょうけど、そんなにご自分を責めないほうが良いのではないでしょうか。たまたま時期が重なっただけで、原因は別のことかもしれませんし。。。
私もペットの可愛そうな死に何度か接してきて、そのたびに「私がもう少し気をつけていれば・・・」と後悔しました。でも今では、「あの子にはあれだけの寿命しかなかったのだ」と思うことにしています。ずるいかもしれないけれど、そう思わないと、やりきれない気持ちから逃れられそうもないからです。
ペットを飼っていれば、彼らの死と向かい合うことは避けられません。そのたびに悲しい思いを味わうことになります。そうわかっていても、やっぱりペットを飼いたくなるのがペット好きな人の業(ごう)というものなんでしょうか。
まだ暖かかったということで、なおさらショックが大きかったんでしょうね。
ペットの死を人に話すことで、死を認めてしまうのが恐いという気持ち、よくわかります。実は私もペットの死を、心のどこかでは、まだ認めていないのかもしれません。今まで他人に話したり、文章に書いたりすることができませんでした。ここで質問して、皆さんのご回答をいただいて、ちょっとだけですが、何か吹っ切れたような気がします。同じような悲しみを経験された方がこんなにたくさんいるんですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/03 22:39

こんにちは。



ペットに関わる悲しい思い出。それはやはり死ではないでしょうか。

昔、雑種の犬を飼っていました。老衰で死にました。
かわいそうな死に方はしませんでした。しかし、犬が死んだ次の日、
朝ご飯の当番だった私の父親が、習慣でいつものように朝ご飯をつくって
犬小屋に持っていったとき、「ああ、昨日死んだんだったなあ・・・。」
と肩を落として戻ってきました。

そのときの様子はとても不憫でした。犬もかわいそうですが、
大事にしていた家族の悲しみはとても大きいなあと子供心に思いました。

それ以来、ペットは飼わないようになりました。
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この回答へのお礼

ペットが天寿を全うして、安らかに息を引き取るとき、その傍らに私がいて、優しく看取ってやりたい・・・
そんな情景は、不慮の事故で可愛いペットをなくしてしまった私にとっては、憧れでさえありました。
こんなことを言うのは、UKIKUSA2さんには、とても失礼なことかもしれません。
でも、寿命いっぱい生きて、老衰で死ねるなんて、ペットにとっても飼い主にとっても最善であるはずです。私も自分の飼っていた可愛い文鳥たちの安らかな最期を見届けたかったという思いは、今でもあります。

とは言うももの、老衰死とはいえ、やっぱり悲しいことに変わりはないですよね。
生きているときは、空気みたいな存在で、いるのが当たり前、いなくなって、ぽっかり心に空洞ができたような感じになりますよね。死んでしまったという事実を、受け入れるには、時間がかかります。
そういう意味でもペットは家族の一員なのだと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/25 20:31

No5 追伸


心の傷 いまだに癒えません

多摩動物霊園にて火葬にしました

その後 怖い事がありました

夢の中でインコのすごい 悲鳴 見たら インチャンに 餓鬼においかけ

られてた 右手でがきの髪つかまえて ひきはなし 左手でインチャン

つかまえて 家に戻った

霊園に入れたの良くなかったのかな こんな具合

いまだに 心が痛い
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この回答へのお礼

私もペットの夢を今でも時々見ます。もう何年もたっているのに。。。
やっぱり、自分で育てた子飼いの2羽に特別な愛着があって、たくさんいた彼らの子供たちのことはあまり思い出しません。
子供たちは「半手乗り」状態でした。親から引き離すのが可哀そうだと思いましたし、自分で差し餌して育てる自信もなかったので、巣立ちするまで親に任せておきました。親と一緒に時々カゴから出して遊ばせたので、一応人間を恐れないようになり、手にも乗るようになりました。でもやっぱり、子飼いの鳥とはどこか違っていて、あまり可愛いとは思いませんでした。
メスが事故死したときも、同じカゴに巣立ちしたばかりの子供たちがいました。母親が死んでしまったのを知ってか知らずか、餌をねだる子供たちに、かいがいしく餌をやっている子煩悩な父親の姿が哀れでした。今でも涙が出てきます。
子供たちも次々にもらわれて行って、最期にオス1羽が残り、その子も行方不明になって、わが家には文鳥は1羽もいなくなりました。その後、ペットは何も飼ったことがありません。
ペットをなくしたショックって、なかなか消えないものですね。
でも、お仲間がたくさんいらっしゃるのを実感して、ほんのちょっとですが心が軽くなった気がします。
再度のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/24 21:31

当方 53歳 おじさんです



我家にもいぜんせきせいインコいました(13年いきた)
15年前に お星様になってしまいました。

我家の母親がお勤めしていた会社のお隣が火事のとき 舞い込んだインコです

我家の一員となり ずいぶんなれてました 我家の食事風景
ごはんだよの声で食卓につくと ケージからとびだして来て
自分の持ってる茶碗のへりにとまり ごはんをパクパク
俺だって腹減ってんだから 箸をだすとギャ- ぴぴ おこる
しかたがないので 順番待ち やっとまんぞくして ようやく自分の番
ご飯を食べ味噌汁茶碗持ったとたん またまた ケージ゛から飛び出し
味噌汁のおわんのへりにとまり 飲もうとする 熱いから だめだと
自分のお箸につけ ふーふー さまして 10回くらいやるとやっと満足
こんな調子なので 食事も終わり コーラをのんでたら こらこら またきて
おれにも 飲ませろだって だめ炭酸はいってるんだから かくした
肩に止まって 攻撃 耳に痛いの何の でも本気じゃない
わかったよ やるよ しらねーからな ななんと おいしそうに何度も
飲んでる いやはや そのごビールも同じ のんべいのインコ、聞いた事ない
やはりまたコーラを飲んでるとまた来て飲み始めた ああ あしすべらし
コーラにおちて たいへん 救出の為 おこたの上にインコごとばらまき たすかった
それからも こりない インコ かわいかった
うちの インコの大好物 牛肉のひれかつ 細かく裂いてあげると おいしそう
に よろこんで食べてました 肉食インコなんてみたことない 
家族中お腹を抱えて大笑い 数日後 またインコチャン たべたいだろう
あれにするか ん インコのつごうでメニューがきまる
母さんが(私息子)台所でカツをあげてたら母さんの肩で
はやく 食べたいコール あっちーからだめ また あああー なんと
揚げてるフライの上に着地 すぐ飛び上がり 飛行中 あっちっち 
だって それでさすがに 揚がるまで待つようになった こりたんだ
お腹がいつぱいになると お気に入りの鏡の前で あそびだす
ちり紙丸めて落とすと 迷惑そうにくちでつかまえ 下に落とし落ちた場所
確認してる よっしゃじゃーもっと大きいのためしたら
なんだ なんだ 羽のばしてあおむけになり 日本足でくるくる 熊さんと同じ
わがやが大騒ぎになった まだまだあるけど このへんで
でも しんじゃった のを 発見したとき おとなのくせに
おもいきり 泣いてしまった ずいぶんたっのに まだ 思い出すと
めが めがじょうたいに なります それでは また
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この回答へのお礼

手乗りの鳥の可愛さって、格別なものがありますよね。
私の飼っていた文鳥も結構なグルメで、パン、ゆで卵、蜂蜜など、いろんなものが好きでした。(ゆで卵は黄身だけ食べて、白身は全く食べませんでした。)ホントは子育ての時以外は、小鳥にはあまり栄養のあるものは与えてはいけないらしいのですが、可愛いので、ついつい、いろんなものを食べさせてしまいました。
今でも、あのころのあどけない表情を思い出します。
悲しい気持ちは決して消えたわけではないけれど、なぜかなつかしく、暖かい気持ちになります。
メスが事故死した後もオスは2年ほど飼っていましたが、ある日、突然行方不明になってしまいました。自分では餌を探せるとも思えませんし、あまり警戒心のない子だったので、モズにでも襲われなかっただろうかとか、心配でたまらなかったです。せめて、donngameさんのような方に拾われて、可愛がってもらって安らかな余生を過ごしたと信じたいと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/24 21:08

ペットの悲しみは長引きますよね。



猫を飼ってましたが亡くなってから1週間泣きっぱなしでした。

動かない姿見て号泣、火葬して変わり果てた姿で号泣、いつものお迎えがなくて号泣、トイレも缶カンも運ぶカゴも全部捨てました。泣くのがもう嫌で。

彼女は幸せだった、と何度も自分に言い聞かせたり、出会えてよかった、ありがとうと何度も呟いたり。今はもう悲しい思いはあったかい思いに変わりました。彼女を思うと優しい気持ちになります。

今まで気付かなかったソファの柱の爪痕は笑いました。
生きてたら怒られてダッシュで逃げるだろうな、アイツ逃げ足速いから!と心の中にいます。

トラウマなのかわかりませんが、猫はとても好きですがこの子以外の猫は今は飼いたくない、そう思っています。代わりはいりません。

私への慰めなのだと思いますが、亡くなってすぐ、「じゃあ、この猫飼わない?」っていってきた友達にはむかつきました。
でも代償行為で私もよく拝見させていただいてます。
矛盾してますね。
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この回答へのお礼

たとえ天寿を全うして安らかに逝ったとしても、飼い主にとってはやはりショックですよね。
私も亡くなった文鳥を思い出させるようなものは、しばらくの間、見るのも嫌でした。
今でも悲しみが薄らいだとは思いません。でもsakula25さんがおっしゃるように、暖かい、優しい気持ちになれることもたしかです。私の心の中で、何かが変わってきているのかもしれません。これが癒されるということなのだろうか、とも思います。悲しみは消えないけれど、悲しいままに暖かく、優しい気持ちになれる。。。それでいいのかもしれませんね。
亡くなった「あの子」の代わりはいない、というのも同感です。どんなに似た子でも、やっぱり「あの子」ではない。そう思いながら、またペットを飼ってみたいという矛盾した気持ちも、よくわかります。ペット好きな人って、そんなものなんでしょうね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/21 22:03

再度です。



アイフルのCMのパパの気持ちはよく判ります。(笑)

だから、子供達から何か飼おう!と言われたら、「君達が大きくなって、この家から居なくなったら、パパは犬を飼うんだ!」と宣言しています。そして、
「買ってね!」と今から予約しています。(爆)

僕の心の傷は癒えたのか?それは判りません。でも、ペットに限らず、色んな死を見てきて、寿命って有るのかな?って思うようになりました。そして、その記憶は僕の中に有る。それで良いのかな?って思います。
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この回答へのお礼

アイフルのCM、知ってますよ。
ペットとの出会いには、ある種の運命的なものを感じることはたしかにあります。
あのチワワはアイフルパパだけでなく、誰にでもあの可愛い表情を見せているのだと思います。でも、あんなふうにじっと見つめられたら、運命的な出会いを感じてしまって、「このチワワは私に飼って欲しいと思っている」とか、私が飼うのは他のチワワではなく、この子しかいない」と思ってしまっても無理もないような気がします。
でも、子供だったらその可愛さだけに魅かれて夢中になれますが、大人はその可愛いペットに出会ったときから、「死」を考えてしまうというのが悲しい現実だと思います。
私も年とともに、いろんな死(人間の死も含めて)を見てきました。悲しみながらも、それを乗り越えていくすべを多少は身につけているつもりです。でも、たかがペットと言えないほど、ペットの死から受けた心の傷は深いものがあって、私も一生引きずっていくのだろうと思います。今でもこのお礼を書きながら、涙が出そうです。でもその思い出は、悲しさとともに、なつかしく暖かい感情をも与えてくれています。
再度のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/21 21:38

有りますよ。

悲しいの。沢山有りますが、とりあえず二つ。

お祭りで買ったヒヨコって、普通直ぐ死んじゃいますよね。ところが、その時は元気でどんどん大きくなったんです。頭に鶏冠らしき物も出てきて、飼っていたダンボール箱から飛び出るくらい大きくなったので、上に紐の網を掛けたんです。夕食の頃だったかな?いつもよりもやたら元気な鳴き声がしてたんですが、みんな「ちょっと、うるさいなー」って見に行かなかったんです。急に静かになったので、見に行くと、案の定、首に網が絡まってしまって死んでました。合掌。

もう一つは、インコです。買ったのかどうかはもう記憶にないのですが、小鳥でした。とても人懐こくて、籠から出すと、喜んで人の頭や肩に止まりました。当時、3つぐらいの弟の後を追い掛け回すなど、本当に遊び好きな小鳥でした。ある日、籠から出すと、いつものように嬉しそうに飛び回りました。弟も嬉しそうに走り始めました。ところが、何がどうなったのかはもう記憶にありませんが、あっと思った瞬間、小鳥と弟はぶつかっていました。小鳥はポトと落ちてそのままでした。合掌。

もう20年以上昔の事です。親父になった今、娘が色んな生き物を飼いたがるけど、僕は進んでは飼いたいとは正直思わないですね。
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この回答へのお礼

お祭りのヒヨコ、私も買ったことありますよ。でも、すぐ死んでしまいました。あまりにあっけなく死んでしまったので、悲しいという気持ちにもならなかったように記憶しています。私があまりに幼かったからかもしれませんが。
首に網が絡まって・・・というのが、私の悲しい思い出と似ていて、じ~~んときてしまいました。
インコも可哀そうでしたね。手乗りの鳥は警戒心が極端に薄くて、危険を知らないので、カゴから出すときにはよほど気をつけないと危ないですね。ちょっとしたことで、悲惨な事故になる恐れがあります。弟さんがまだ3歳だったとのこと、多分ご本人は覚えていらっしゃらないでしょうね。それだけがせめてもの救いです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/21 20:56

糸が首に巻きついたとは・・・悲しい死に方で、ショックを受けたお気持ちよくわかります。


もう20年も前ですが、中学の頃、猫を飼っていたのですが、その猫がやはり事故死しました。発情期に何日もでかけて帰ってこなかったのですが、オスなのでそのうち帰ってくると思っていました。そしたら、家の近くで野犬用の毒入りのエサを食べて死んでいるのを妹見つけたのです。妹はまだ小さかったので、私に気を使うことなく、そのことを告げ、内緒にしておいてくれればとかなりショックを受けました。その後、両親が遺骸を拾って埋葬してくれましたが、私はとうとう見ませんでした。
その後、妹がアトピーになったせいもあり、家で動物は飼いませんでした。とてもその気にはならなかったというのが本音です。今も、子供が小さいので飼えませんが、いつかまた飼ってもいいかと思っています。
その時の傷は、20年たった今も、癒えたとは言えないです。しばらくは、似たような毛並みの猫を見るだけでつらかった。結局、時間がたつのを待つしかありませんでした。もし他の猫を飼ったとしても、あの時死んだ猫の代りではないのだから・・・でもやっぱり猫は好きなので飼いたいと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
そうなんです。私がいつまでも忘れられないのは、あまりにもむごい死に方だったことと、自分がちょっと気をつけていれば防げたのでは、という思いがあるからです。
なきがらを私に見せないで埋めてしまったのは、たしかに両親の思いやりだったと思います。でも、そのために最後の別れができなかったことで、今も心のどこかにわだかまりが残っています。
無残な姿であっても、それを見ることで心の整理がついたかもしれないと思ったり、やっぱり見なくて良かったような気がしたり、複雑な気持ちです。
今でもペットショップの前を通ったりすると、ついのぞいてみたりしちゃいます。可愛い姿をみていると、時間を忘れます。でもやっぱり、死んだ子のことを思い出して悲しくなります。donpikoさんと同じで、何年たっても変わらないですね。
思い出すのは不思議に幼いときの姿で、成長してからのことは、あまり思い出しません。ペットショップにたくさんいた雛の中から2羽選んで家に連れてきたとき、よほど心細かったらしく、カゴの隅のほうで、2羽がぴったり寄り添っていました。あの無邪気だった子が、あんな可哀そうな最期を迎えるなんて、想像もしませんでした。
ペットは人間より寿命が短いので、先に逝ってしまうのは仕方ありません。でも、せめて天寿を全うして、安らかな最期を迎えさせてやりたいですよね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/20 21:41

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