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 極楽浄土は、西方十万億土の彼方に存在するといわれます。
「十万億土」というのは、何の(何を単位とした)十万億倍、なのでしょうか。
 具体的な距離に直すとどのくらいになるのでしょうか。どうか教えて下さい。

A 回答 (6件)

 


>「十万億土」というのは、何の(何を単位とした)十万億倍、なのでしょうか。

この世界(サハー世界=娑婆)を,穢れた世界として「穢土」と呼び、この穢れて悲惨の多い世界、悟りを開くことも不可能なような世界を去って、来世は、阿弥陀仏がおられる清らかな浄土である、「西方極楽浄土」に生まれ変わり、この世の苦悩や悲惨から去り、更に、阿弥陀仏のもとで、「悟り」の修行をするため、西方極楽浄土への生まれ変わりを願ったのが、「浄土思想」のなかの「阿弥陀思想」です。

サハー世界から、阿弥陀仏のおられる、西方極楽浄土までのあいだには、十万億の仏国土(仏の教えが行き渡った世界、または仏教信仰のある世界)があり、すなわち、その十万億の仏国土を通り過ぎて、西方極楽浄土に到達できると、「阿弥陀経」に記されているのです。

「十万億土」とは「十万億仏国土」の略で、仏国土の大きさが,例えば、1BW(Buddha World)とすれば、仏国土が互いに接しているとすると、まっすぐ西に進んで、十万億の仏国土を過ぎると西方極楽浄土ですから、十万億土は10万億BWという距離になります。

1BWの大きさがどれぐらいかを推定すればよい訳です。No.3 の回答の参考URLにある「三千大世界」というのは、古代インドの宇宙観を仏教が取り入れたもので、「阿弥陀経」とどういう関係にあるのか分かりません。

この世界つまりサハー世界には、確かに釈迦という名の仏陀がいた訳で、しかし、釈迦は80年ほどしか在世せず、この世界は、次の仏陀である、弥勒菩薩が仏陀となって出現する56億7千万年未来まで、無仏陀の世界となり、それゆえ、弥勒菩薩が仏陀となるのを待つか、阿弥陀仏のいる西方極楽浄土に生まれ変わることを願うか、または菩薩行による、この世界の浄土化を願うか、色々と大乗仏教の救済のヴィジョンはあったのです。

しかし、この世界でも、仏陀は、67億年のあいだに二人しかいないので、釈迦は80年しかいなかったことになります。一人の仏陀が影響を及ぼしている世界が、三千大世界だとすると、釈迦仏陀の影響した世界の広さや時間的な広がりはどうなのか、というと、とても三千大世界というような巨大なものではないのです。

「法身仏」なら,あまねく宇宙に存在するかも知れませんが、法身仏は一体であって、宇宙にただ一人あり、その根源の原理の諸世界における具現が、釈迦仏陀などなのですから、三千大世界を一人の仏陀が担当しているというのは、どうもおかしいのです。

また仏のいる世界を仏国土とすると、そこの世界の仏は、どれぐらい生きるのかで、仏国土である時間が決まって来るとも言えます。西方極楽浄土は、現在、阿弥陀仏が生きていられるのであり、その世界に生まれ変わって、仏の教えを直接に聞こうというのが、阿弥陀信仰でもあるのです。しかし、釈迦仏陀は80年で亡くなったのであり、西方極楽浄土に生まれ変わったと思ったら、阿弥陀仏は、生まれ変わったときの500年前にすでに亡くなっていて、西方極楽浄土も穢土になっていたという可能性も考えられます。

釈迦仏陀は80年しかこの世にいなかったが、阿弥陀仏は、10万年間生きるのだとかいう話も聞きません。

一人の仏陀が三千大世界に影響を与えるというのは、釈迦仏陀滅後千五百年ほどで、浄土信仰などが盛んになったことから見ても、どうもおかしいでしょう。

サハー世界と阿弥陀仏の仏国土=西方極楽浄土には、十万億の仏国土があるというなら、わざわざ、遠くまで生まれ変わらなくとも、十万億の仏国土のどれかに生まれ変わればよいとも言えます。それとも、十万億仏国土は、ただ、距離を現しているだけで、十万億の世界には、仏陀はおらず、穢土になっているので、それゆえ、その先の阿弥陀仏のいる、西方極楽浄土を目指すのだろうか、という考えになります。

とまれ、三千大世界が、一仏国土と考えてみましょう。これは、サバー世界のような世界が千集まり、そういう世界(小千世界)が千集まって中千世界となり、中千世界が千集まって大千世界となり、これを三千大世界と呼ぶのです。世界の数では、10億あることになりますが、世界が互いに接しているとすると、千の世界の大きさは、距離の場合、距離の三乗が千となるので、距離だと、10倍になります。

従って、三千大世界は、距離で大きさを考えると、単純に千倍の距離ということになります。銀河系の構造や、銀河とアンドロメダ星雲の関係などを知っていると、銀河と銀河は接しているのではなく、ある空間を隔てているのだということが分かります。

サハー世界は一応太陽系だと考えます。太陽系の大きさをどのぐらいに考えるかということで、直径100天文単位ぐらいを考えれば、近代・現代の天文学の知識とは別に、非常に巨大なサハー世界を考えたことになります。

サハー世界の直径を100天文単位とすると、三千大世界の直径は、その千倍で、10万天文単位です。これが、一仏国土の大きさで、1BWとなります。ところで、10万天文単位というのは、天文的な距離ではどのぐらいかというと、1光年が6.3万天文単位です。従って、1BW=2光年弱です。

10万億BWは、20万億光年になります。三千大世界の大きさをかなり控えめに見ているのですが、それでも、こんな距離は、現在の天文学の考える宇宙の直径の1000倍はあります。

三千大世界が、一仏国土ではなく、直径100天文単位の太陽系が、かつては釈迦仏陀がいたのですから、これを一仏国土とすると、十万億BWは、1000万億天文単位となります。これは、光年に換算すると、約160億光年になります。大体、宇宙の直径です。これは、光で進むと、160億年かかる距離で、とても49日で行ける距離ではありません。

死後、西方極楽浄土に生まれ変わる場合、超光速で進むか、阿弥陀仏ワープ・トンネルでもくぐらないと、光速で進んでいると、行程の三分の一ぐらいのところで、サハー世界に弥勒仏陀が出現したということになるでしょう。
 
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/03 23:28

もう大体出尽くしているようなので、ちょっとだけ補足を。


神話や伝説ではいいかげんな数量表現が多いです。
日本の八百万の神ってのも、本来はたくさんいる神様、っていみでしたし、ケルトの文献見ててもthree fifty boysとか、めちゃくちゃいいかげんです。うそこけや、ってな表現が結構あります。
ようはすごく遠く、くらいないみじゃないですかね。
神話や宗教文献の数字は結構いいかげんです。(これ、宗教を攻撃してませんから、見た人の中で腹が立った人がいたらごめんなさい。)
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仏典に出てくる大きな数字というのは、基本的に「非数量を仮説したもの」、つまり数えられないくらい大きいことを表現するために仮に持ち出した数字ですので、本来細かな計算に馴染むものではありません。



ご質問の意図がどこにあるのか今ひとつわかりませんが、あくまで洒落として仮に計算してみると、およそ以下のようになります。(「倶舎論」ほかの数字を用いました)

まずひとつの世界の大きさについて。
須弥山周囲の四大海の大きさが「八万四千由旬」で、須弥山の描写や「須弥山図譜」の姿などから察するに、世界の大きさは少なくともその5倍程度あります。
由旬を仮に8kmとすると、この大きさは
8.4万×8km×5=336万km

一土、つまり三千大千世界が、このひとつの世界を千の3乗個すきまなく詰め込んだものだとすると、その一辺の長さは
336万km×1000=33.6億km

十万億土はその十万億倍の距離とすると、
33.6km×10の13乗=336垓(ガイ)km≒33億光年

少なめに見積もって、十万億土というのは33億光年ぐらいの距離があることになります。あくまでも洒落の計算ですが。


ところで、「阿弥陀経」などの内容を踏まえた回答がありませんので、役に立つかどうかはともかく、アドバイスとして簡単にポイントを書いておきます。

(1)阿弥陀仏の寿命
これは「阿弥陀経」や「無量寿経」に書かれています。
「かの仏の寿命、無量無辺阿僧祇劫なり」(阿弥陀経)
「無量寿仏の寿命、長久にして称計すべからず」(無量寿経)
「算数譬喩のよく知るところにあらず」(無量寿経)
十方世界の生き物全部を人間にして、百千萬億劫をかけて計算してもその寿命は計算しつくせない、とも書かれています。要は阿弥陀仏の寿命は永遠なのです。仮に西方浄土に着くのに33億年かかろうと、阿弥陀仏にとっては一瞬にもならない、ということになるでしょう。


(2)阿弥陀仏の遠さ
実際には西方浄土に達するのに時間はかからない、と書かれています。
「一念の頃の如きに即ち往生を得」(観無量寿経)
「阿弥陀仏ここを去ること遠からず」(同上)
つまり阿弥陀仏のことを念じればその瞬間に西方浄土に転生する、というわけです。
阿弥陀信仰で言う「一念即到」ですね。遠いけれど信仰のうえでは遠くない、ということになります。

(3)阿弥陀仏の大きさ
もうひとつ阿弥陀仏の大きさが極大に描かれていることも極めて重要です。
「無量寿仏は身量不変なり」(観無量寿経)
阿弥陀仏の大身(大きな姿)は、“高さ六十万億那由多恒河沙由旬である”、と書かれているのです。“那由多”は一千億、“恒河沙”はガンジス川の砂の数で無量大を意味しますから、(計算すべきではありませんが)敢えて計算すれば、いとも軽く西方浄土と我々の世界にまたがる大きさになります。世界(宇宙)全体が阿弥陀仏の体である、という見方が生まれるのはこの故です。

要は、阿弥陀仏というのは、「限りなく遠いところにいるが、実は一瞬のうちに出会うことができ、限りない寿命を持ち、実は既にその手の中に我々が包まれている」、そういう存在として信仰されていると言っていいでしょう。
質問者さんにおかれては、是非このことを念頭におかれたうえで先の数字をご覧頂くようお願いします。
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この回答へのお礼

 ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/03 23:29

#1で書きこんだmamboです。


私は、全く仏教の教えというものには、詳しくないのですが、そもそも「土」という単位が距離の単位ではないようです。
土は仏国土を意味し、それが十万億集まった大きさの先に極楽浄土がある、ということです。一仏国土というのは、一人の仏が教えを説く世界のことだそうです。
以下のサイトに説明されていますが、私たちの住んでいる太陽系くらいの大きさが千個集まって、小千世界。その小千世界が千個集まって、中千世界。その中千世界が千個集まって、大千世界。つまり太陽系の広さが、十億個集まって、一仏国土なので、銀河系ぐらいの広さが一仏国土と考えてよいそうです。
説法から始まった言葉でしょうから、「里」といった、俗世の単位は使わなかったのではないか、と思います。

参考URL:http://www.asia-eastwind.co.jp/butuzo/amidanyora …
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「十万億土」は、実際の距離ではなく、比喩的表現と思われます。


神道でいう「八百万の神」もそうですね。

この回答への補足

 比喩的表現であることは十二分に承知の上で、「十万億土」とはどのくらいの距離なのか知りたいのです。

 たとえば、「白髪三千丈」、といいます。人間の髪の毛がそんなに長く伸びるはずがない、比喩的表現だ、ということはわかりますが……それはそれとして、一丈 = 3.03メートルですから、三千丈 = 9.09キロメートル、ということは答えられます。
 そういうことです。

補足日時:2002/08/26 00:42
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「仏教での極楽浄土ってのは十万億土のかなたにある。

その距離を計算し、それでその距離を四十九日かかって行きつく場合、どのくらいのスピードで行けば着けるのか計算した人がいる。秒速三十万キロ。つまり光や電気と同じ速さ。一秒間に地球を七廻り半。」
最近芥川賞を受賞した、玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)氏の「中陰の花」に、そんな一節があるそうです。
これを参考に、ざっと計算すると、300,000(キロ)×60×60×24×49になるでしょうか。結果は1,270,080,000,000キロ。あ~、読めません、気が遠くなる距離ですね。
 

参考URL:http://www.mainichi.co.jp/eye/yoroku/200107/19.h …

この回答への補足

 すると、1[土]は約127mなのでしょうか。
 [土]という距離の単位を聞いたことがないのですが、どういう場合に使われる単位なのでしょう。

 それと、これは本当に素朴な疑問で、難癖でも何でもないのですが、

   1里 = 4,000m ですよね。

 ここから計算すると、十万億土はおよそ三千億里です。
 三千億里の方が分かりやすいと思いますが、何故、そう言わないのでしょうか?

補足日時:2002/08/26 00:34
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