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学校の宿題でダヴィンチの『モナリザ』について研究しています。かなり詳しい所まで調べたとは思うのですが、何か皆さんに『モナリザ』に関する知識または疑問等がありましたら参考に聞かせていただきたいです。

A 回答 (8件)

 もうふたつ発見しましたので、聞いてください。



 ダ・ヴィンチは輪郭を濃い影を使ってぼやかす技法(あれ、なんていいましたっけ)を多用していましたので、マイクロソフトのphoto editor を使って全体に明るく、コントラストを弱く、さらに拡大処理してみました。(細部を観察しやすいように。)

 モナリザの左の背景(橋がかかっていない方)は The Virgin of the Rocks (日本語のタイトルは忘れてしまいました)で洞穴の向こうに描いてある風景の視点をずらせたヴァージョンに見えます。(The Virginから視点を上方右側へ数キロ移動、という感じです。)想像上の風景ではない可能性がすこし高まったかなと思います。

 また、わたしは前の回答で「モナリザの右顔はイザベラに目の辺りが似ている」と書きましたが、明るく弱いコントラストのモナリザをつくりましたら、なんと似ているどころかそっくりでした。どちらも、二十顎っぽいところまで。両者の半面を同倍率で左右にならべてみせられたら、100人中100人とも同一人物だというに違いありません。(もし、画像処理がおできでしたら、ご自分でも試してみてください。)

 久しぶりに心底好奇心をくすぐられました。コンピュータの画像処理のおかげで、素人のわたしにもこんなことができるようになったというのは、すごい時代です。あの風景をさがしにイタリア界隈まで旅に出るのは定年後の楽しみにしたいと思います。どうかりっぱな論文が仕上がりますように。これにて失礼。
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この回答へのお礼

ダヴィンチのぼかしの技術というのは、スフマートだったと思います。今まで背景は拡大で見るしかないのかと思い、綺麗に見えないのが残念だったのですが、おっしゃられた通りに処理してみたらとても鮮明になりました。また「岩窟の聖母」(The Virgin of the Rocks)も同方法で背景を浮かび上がらせ比較してみましたが、akatoraさんと全く同じ感想を持ちました。双方一つの視点から見た景色、とは言えずとも、共通した風景であるという説は容易に立ちますよね。
イザベラの肖像画の資料に良いものがないため、後者のお話を確認することは出来ませんでしたが、100人中100人、ということで、現物を見たくて仕方がありません。それが事実なら、また一つ「定説」が覆ることになりますし・・・。
今回研究に当って、そして此処で質問をして、モナリザは、調べても調べても良い意味での裏切りが重なる、本当に面白いテーマだと感じ、このテーマを選んで良かったと心から思いました。そして、そのテーマについて解決の糸口を示して下さったakatoraさんにはただただ感謝するばかりです。今までのご回答も含め、沢山の助言をありがとうございました。

お礼日時:2002/08/21 21:50

私はルーブル美術館に行ったとき、モナリザの前ばかりに人がたくさんいて、他にも名画が数々あるのに通りすぎていく観光客の多さに愕然とし、とても残念に思いました。


人寄せパンダという言葉がありますが、上野動物園にはパンダ。ルーブルには、モナリザとミロのビーナスといったら言いすぎでしょうか。



たしかにモナリザは名画なのでしょう。だから、人々のいろいろな興味をひく。
でも、重要なのは、作者の人生の中でどういう位置付けなのか、美術の歴史の中でどういう位置付けなのか。
そして、見る人、つまり、あなたにどういう感動を与えたのか。
ということにつきるのではないかと思われます。



話はそれますが、テレビのオリンピック中継などで、選手の兄弟には障害者がいた…。とか、そういうドラマチックな挿話が紹介されたりします。
でも、それでは、スポーツ番組ではなく、人気取りのワイドショーです。

モナリザは名画ですから、参考文献も多く、奇談珍談もおもしろいのがたくさんあるのでしょうが、
やはり、ルネサンス芸術の中でのダ・ビンチの位置付け。
そして、何故、それが名画といわれるようになったか、その後のヨーロッパ絵画の価値観の推移(近代におけるパロディー作品など…)。そのあたりが重要ではないかと思われます。



でも、質問者は、そのあたりのことは当然調べられていて、それ以上の何かを知りたいと思って質問されているのですよね。
放言、失礼いたしました。
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この回答へのお礼

確かに美術館などで、モナリザのように「名画」と呼ばれるものにしか着目しない、という方は少なくないですよね。またルーヴルという場所について言えば、半ば「観光地」と化しているために尚更その傾向が大きいように思います。
モナリザを一つの絵画として好きだった私には、その事が歯痒くてなりませんでした。そして、今回の研究目的にも、人々にもっとその魅力を知って欲しい、という願いも含まれていました。
ですが、spontaさんのアドバイスを読んで、私の方針の間違いに気づいた様に思います。
モナリザに纏わる話には本当に面白い話が多くて、私自身のめり込み、そちらを主題にしてしまおうと考えていたのですが、それは、モナリザの「ブランド」という固定観念を助長するものになりかねませんね。モナリザという絵が有っての「名画」という事を伝えたい筈が、危うく反対の事をしてしまいそうでした。
また、このことはこの絵を自分なりに見つめ直すきっかけにもなりますね。もう一度、書いた論文を、そしてモナリザという絵を、じっくりと見てみたいと思います。
良い機会を与えて下さり、ありがとうございました。

お礼日時:2002/08/21 11:44

 興味のあるテーマですので、貴女のご質問を機にもうすこし調べてみましたら、背後の風景に関して左右の「明暗・陰陽」のコントラストが顕著で、地平線も左右が合致せず、おそらくダ・ヴィンチの想像の産物であろうとの説がありました。



 この左右非対称の問題で、もしやと思い Scientific American の記事に載っていたアラゴン公爵夫人の顔(むかって右半面)とモナ・リサのむかって右半面をPCに取り込んで比べてみましたところ、わたしの印象ではかなりの共通点があるように思います。とくに目の形と瞳の位置に関してです。

 また、あたってみたHPに「モナ・リザの左半分は背の高いすらりとした印象を与えるが、右半分はやや中肉中背といった印象を与える」との記述がありました。アラゴン公爵夫人イザベラは、デッサンを見る限り、どちらかというとふっくらとした女性です。

 S.A.誌の例とは逆に、ダ・ヴィンチのむかって左半面(もちろんあの自画像を左右反転させてのはなしです)とモナ・リサの右半面を合体させると、まったく不釣合いな顔が出来上がります。

 わたしは今、「イザベラ公爵夫人の肖像画をもとにして、左半分に自分の自画像を挿入し、左右のバランスを取りつつ架空の人物を作り上げた」のではないかと考え始めているところです。

 ご参考まで。
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この回答へのお礼

二度目のご回答ありがとうございます。こんな小娘が言うには差し出がましいと思われるでしょうが、同じテーマに興味を持たれた方に丁寧にアドバイスを頂ける、ということを本当に嬉しく思います。

左右の背景の違いにはそんな説があるのですね。改めて眺めてみましたが、地平線などの差は特に顕著ですし、何故ダヴィンチがこんな風景を描いたのかと首を傾げたくなってしまいました。そこから先もまた、彼の残した謎の一つでしょうね。

イザベラの肖像画というのは、構図・絵柄共にモナリザと酷似している方のことですよね。前回のお礼でそのことについて触れていなかったことを申し訳無く思っているのですが、私は以前から、モナリザのモデルがイザベラであるという意見には否定的でした。というのも、ダヴィンチが彼女のことを嫌っていたと分かる史料が残されている、と書かれた文献を読んだからです。実際に史料に当たった訳ではないので何ともいえませんが、イザベラは虚栄心から、ダヴィンチに自分の絵を描くようしつこく迫っていたとの事で・・・。
ですが今回の件で初めてイザベラの正面の肖像画を見て、モナリザとあまりに似ていることに驚きました。また考えてみれば、「モデル」と「人物の好き嫌い」は彼には関係の無いことかもしれませんし、肖像画を元にというのなら尚更、あんなに似ている双方の絵に関わりの無い筈がありませんよね。そしてイザベラの体型を当てはめればモナリザの顔の左右の差の解釈についても納得がいきます。ご回答に書かれている比較は、資料が少ないので未だ試せていませんが、お話を聞く限りかなり有力な説なのではないでしょうか。独力でこのような仮説を立てられたということに脱帽するばかりです。(背景の左右の違いとの関連性なども考えられるでしょうか?)

そして・・・難をつけるようで心苦しいのですが、やはり学説としてはモナリザのモデルはジョコンダであり、彼女の夫がそれを依頼した、というのが主流ですよね。モナリザのモデルというのは非常に興味深いことでしたので、もっと掘り下げてみたいのですが、何分私では力量が及ばないように思います。

ただ、先程有力な説ではないかと言ったのには理由が有ります。それは上記の定説を裏付けるヴァザーリの著作に間違いがあったのではないか、またはモナリザの絵が複数有るのではないか、などの疑惑によっているのですが、あくまで知識の浅い私が想像したことですので、真実については何とも言えません。

期限付きの課題だということもあり、現時点でこれ以上踏み入ることは今の私には不可能のようです。ですが、このことを含み、モナリザというテーマは宿題という範疇を超えて私の好奇心をくすぐりましたので、いずれじっくりと調べてみたいと思います。また、このような斬新な提示をなさって下さったことを有難く思っています。長くなりましたが改めて、本当にありがとうございました。

お礼日時:2002/08/21 00:34

 米国月刊誌 Scientific American(95年4月号)に、リリアン・シュワルツ(Lillian Schwartz)さんという方が記事を載せていました。



 モナ・リサのモデルはアラゴン公爵夫人のイザベラで、この絵を何らかの理由で依頼主に渡さぬまま手元に置き続けたレオナルドが、顔だけ自分の顔をモデルに描きかえたという説です。

 荒唐無稽な説に聞こえますが、「モナリサ」をエックス線にかけるともうひとつ別の顔が浮かび上がるそうです。そして、その顔と公爵夫人のデッサンはそっくりだと言うのです。そして…

 あるとき、シュワルツ女史は同僚とおもしろ半分に、晩年のダ・ヴィンチの自画像を左右反転させ、これとモナリサの顔の双方を半分にぶった切り(もちろんコンピュータによる加工で、むかって左がモナリサ、右がダ・ヴィンチ)、瞳孔の距離をあわせるか何かして合体させてみたのです。そして驚いたことに額、頬骨、鼻先、唇の中心部が一致するではありませんか。(信じられなかったので、わたしも自分でやってみました。ほんとに驚きました。)左右にまったく違和感がないのです。画像をお見せできないのが残念です。

 あとはしわをとり、口元を女性らしくキュッと上に持ち上げるだけ。

 じつはわたし、中学生のころ「神秘的なほほえみ」というキャッチフレーズがどうもピンときませんでした。でも、あの絵を見ているとなにか違和感を感じておりました。あるとき、「あ、この女には眉がない!」と気づいて、美術の教科書に鉛筆で眉を描きこんでみたのです。すると、あーら不思議、ハンサムな若い男性に見えてくるではありませんか。あのとき、「自画像かも」と気づいていたら、ひと足先に論文が書けたかも…(^_-)。

 ダ・ヴィンチは自己愛が強かったと言われていますし、自分の絵の中になぞを仕掛けるのも大好きな人でした。こんな謎をしかけた自画像をレオナルドが死ぬまで手放さなかったのも納得がいきます。モナリサが身に付けているベールにはなにか植物の模様があって、この植物をイタリア語では VINCO というんだそうです。VINCO と VINCI。もうこれで決まり、という感じを受けたのはわたしだけではないと思うのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
シュワルツ女史の実験についてですね。私はダヴィンチの自画像とモナリザの顔の部分を重ねた図を見た事が有りますが、初めて見たときはとても驚きました。また、ご回答を読み、遊び半分でモナリザに眉を書き込んでみましたが、あの柔らかい微笑か一転、凛々しい顔つき(笑)に見えると同時に、ダヴィンチの自画像とも雰囲気が似ていることも実感できました。
モナリザに限らず、彼の仕組んだ謎は本当に多い上、未だ解決できないものばかりですね。VINCIとVINCO…深読みが過ぎているとは思いますが、「VINCO」という言葉には、「勝つ」という意味も有りますよね?それに気づいた瞬間、脳裏に彼の勝ち誇ったような微笑みが過りました。勿論、モナリザに通じるような…。彼の自己愛は、自分の人間としての能力を見抜いた上でのことなのかも知れません。

お礼日時:2002/08/20 13:26

 


色々調べておられるということで、何を述べることができるか不明です。検索エンジンで「モナリザ レオナルド」などで調べても色々出てくると思います。

とりあえず、あの絵は、「モナ・リザ」ですが、「ジョコンダ」または「ジョコンダ夫人の肖像画」とも呼ばれているはずです。それは、絵のモデルがジョコンダという商人の夫人で、リザという名の女性であるからとされます。

しかし、調べていると出て来ているはずですが、絵のモデルは女性ではなく、若い男性、青年だという説があります。実際に、青年にああいう衣装を着せ、ポーズを取らせてみた試験などがあります。(ただ、指などを見ると、繊細ななかに柔らかい豊かさがあって、あれは女性の指でしょう)。

こういう疑問が出てくるのは、モデルがはっきりしないことが一つと、レオナルドに同性愛があったことと、あの絵のモデルの「微笑」のように見える表情が何なのかよく分からないためでしょう。

あの微笑のような表情は、レオナルドの他の絵でも見ることができます。まったく同じような表情の絵もあります。あれは「謎の微笑」と呼ばれますが、私見では、非常に「こ惑的な微笑」です。コケティッシュというような次元のエロティシズムではなく、もっと何か凄い次元のもののように見えます。

あれは、天使と悪魔が合成された美の極地を表現しているのではないかとも思えます。「美」のなかに、悪魔と天使、悪と善の統合があるということではないのかという気がします。それがレオナルドの思想というか、理想ではなかったのか、ということです。

別の言い方では、あの微笑は「両性具有]的であるということです。

レオナルドの肖像として知られるものは、晩年に描かれたスケッチにある老年の姿と、もう一つ,彼の師匠が描いた絵のなかに、美少年の天使の姿で描かれているモデルが彼だとされています。

青年時代・壮年時代の肖像はないのです。あまり「モナリザ」とは関係ありませんが、「トリノの聖骸布」と呼ばれいるものは、レオナルドが写真の技術を研究している途上で造ったのではないかという説があります。信憑性は薄いのですが、その場合、あの布に写っている明らかに拷問されて死んだと思える男の身体と、奇妙に静寂で崇高な感じのする「顔」の部分が、あいだが「切れている」という指摘があるのです。

そこで、あの布の「顔」は、その部分だけ、レオナルドの顔ではないのか、という説があるのです。ある人が述べている説ですが、根拠があまり確かでありません。しかし、本当だとすると、何か恐ろしい話であり、レオナルドはどういう人間だったのか、ということが出てきます(あれは明らかにキリストであり、キリストの顔に自分の顔を入れると言うのは、どういうことかという問題が出てくるのです。……本当だとすればですが)。

レオナルドは解剖もしていたし、軍事兵器などの開発もしており、色々な活動をしていたので、当時としては「悪魔的」な人間であったとも言えます。絵画は、考えられているより少ないのであり、完成しなかったものが多数あります。「モナリザ」も、どういう経緯で描かれたのか、はっきりしないのです。というか、色々説が出てくるように曖昧な部分があるのです。また依頼者やモデルがいても、違う絵を描くこともできるのです。

「モナリザ」というのは、レオナルドの理想化した自己の肖像画であるという可能性もあります。青年というのは、この場合、若い時代のレオナルドということになります。勿論、そんな話は、わたしが言っていることで、他の人の見解にはないと思いますが。(あるいは、レオナルドは幼い頃に母を失っているので、母親と自己の合成画かも知れません)。

天使的で悪魔的というのは、レオナルドがそうだとも言えるのです。

絵の背景の風景がどこのものであるかは調べられ確認されいたと思います。この背景も、あれが誰の肖像なのかを明らかにする手がかりのはずです。
 
黒い衣装は、商人の既婚夫人として、慎ましさや敬虔さを示しているのでしょうが、喪服を着た母親かも知れません。
 
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この回答へのお礼

おっしゃられる通り、確かにモナリザには、ダヴィンチの描いた両性具有的な男性像と共通する雰囲気があると思います。また、モナリザ≒ダヴィンチ説もシュワルツ女史の実験からかなり信頼性が高いです。お言葉を借りれば、モナリザの「天使的」「悪魔的」な要素は即ちダヴィンチ自身の思想や異端性が反映されたものだということですね。

その異端性についてトリノの聖骸布の事で書かれていますが、ダヴィンチがキリストに自分の顔を重ねた、という説は初耳でした。本当だとしたら、彼の当時の風潮から見た異常さ(と言うと聞こえが悪いですが)は正に「悪魔的」との言葉に相応しい気がします。ただトリノの聖骸布というのは未だ時代が特定できていない代物ですし、その点では扱いが難しい所です。

絵に描かれた風景は場所が特定できているのでしょうか?私個人としては、彼によって創られた、架空の景色に思えてなりません。はっきりとした根拠は無いですが、これまでにも明らかに地名の示された資料が見つからず…。改めて調べてみたいと思います。黒い衣装が喪服というのは興味深いです。だとすれば、ジョコンダが亡くしたといわれる幼子の弔いの意味で黒衣を纏っているのでしょうね。

色々と新しい解釈が得られました。ありがとうございました。

お礼日時:2002/08/19 23:08

現地で本物を鑑賞しましたが、目がついてくるかどうかまでは確認しませんでした(笑)。


絵画は平面に描かれているので、視線がこちらを見ている場合、どの方向から見てもこちらを見ているように感じることは大いに考えられますね。


さて、モナリザの微笑もさることながら、ポーズも最高傑作だという話を聞いたことがあります。
こちらから見て左に傾けた体。あれがもし正面や右を向いていたら、名作の誉を受けたかどうか。

テレビで話者が何か物(商品とか図表とか)を示して説明する場合、物が左・話者が右の場合が多いはずです。
とくに生コマーシャルを一人のタレントが行う場合など、商品が自分の左側に見えるように持つはずです。
そのほうが印象が強いからです。歌舞伎の花道が舞台に向かって左側にあるのも同じ理由です。

テレビの構図は、モナリザを手本にしているというお話でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そうですね、私も意識したことは無かったですが、面を見ているのですから同じように目線を感じるような気がします。
左向きの構図には意味があるんですね。「正面や右を…」ということで、モナリザの図を反転してみたり…。gootaraさんの指摘とは少し違うのですが、違和感もさることながら嘲笑めいた雰囲気が印象的でした。(元の絵の一面とも言えるでしょうか?)
500年も昔に描かれた絵がテレビや歌舞伎に応用されているなんて、流石はダヴィンチですね。

お礼日時:2002/08/19 21:21

ドラマか漫画で、ダ・ビンチが書いた2枚目のモナリザという話しがあったように思います。


「ギャラリーフェイク」かな?
この話しの真偽の程はどうなんでしょ?

素朴な疑問でしたら、
 なぜ黒衣なのか?
 なぜ人々はモナリザに魅了されるのか?
 んー、まだ出てきそうですがこんなところで。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。ドラマというのは「モナリザの微笑」のことでしょうか?「ギャラリーフェイク」については未読ですので何とも…
二枚目のモナリザというのは、説明は省きますが充分に有り得ることだそうで、実際に「ルーヴルのものより美しい」といわれるような候補作も幾つかあります。ただ今の所本物という確証はないようです。
黒衣は…何故なんでしょう?私も疑問に思ったのですが分からなかったです。でも黒いことでより神秘的に見える気がします。人々がモナリザに惹かれるのもその神秘性によるものが大きそうですね。

お礼日時:2002/08/19 20:41

モナリザの目が動くって聞いたことがありますけど、どうなんでしょう?



モナリザの目を見ながら、左から右へ。右から左へ。と移動すると、モナリザの視線がついてくるって話を聞いたことがありまして…。
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この回答へのお礼

目が動くとは知りませんでした。気になったので調べてみましたが、その様な効果はモナリザだけでなく、絵画や写真全般に起こることだそうです。その例としてモナリザが出されることが多いのでしょうね。あと、推測なのですが、モナリザの左右の目線は少しずれていて、斜位ではないかといわれているので、その事も関係しているのかも…。

お礼日時:2002/08/19 20:07

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