プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

タイトルに驚いた方も多いと思いますが・・・ f^_^;
前に
「今の大人たちは人間としてコノ一番基本的なことを幼稚園生がわかるように簡単に、わかりやすく説明できなくなっている」
ということを聞きました。

私は母にそのことを聞くと、「その人にこれからあるであろう、たくさんの出来事(幸せ・悲しみ・怒り・喜び・恋愛・結婚etc.)を奪う権利は誰にもないから、人を殺してはいけないんだよ」と答えが返ってきました。
正直、私も「なんで?」って言われたら説明できないよー!と思ったので
母に聞きました。
今の大人たちは「あーそっか」って納得が得られるような答えをできるのか気になります。
私は母の意見に納得できました。

この質問で回答をくださる方へのお願いとして、
他の回答者の気分を害するようなことは書き込まない
ということをお願いさせていただきたいと思います。

幼稚園生でもわかるような回答を頂きたいと思って
たくさんの方に意見をいただけそうなコノカテに質問しました(^^)

よろしくお願いいたします☆

A 回答 (28件中1~10件)

#10で投稿した者です。



>今の大人たちは人間としてコノ一番基本的なことを幼稚園生がわかるように簡単に、わかりやすく説明できなくなっている
とのことに、以前なら説明しないですんだ、それは、みんなが自明のこととして価値観を共有していたからだと書きました。

でも、今日でもやはり、みなさんは、この価値観を共有していると思います。むろん何時の時代にも価値観を共有していない人は居ました。でも、それが今問題になるのは、「みんなは、やはり同じ価値観を共有しているんだよ。」ということを説明しないと不安になったからだと思います。

このような現象は、あの神戸の小学生が殺害された事件が契機だったのではないでしょうか。加害者は、人と機械の区別が付いていないような感じでした。

そこで、うまく説明できないけど、説明に努力することで、やはり、この価値観をほとんどの人が共有しているのを確かめないと不安になったからではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
たった今、締め切ろうと思っていたところです (-。-;

>加害者は、人と機械の区別が付いていないような感じでした。

そんな感じですね。
なんで?って思い、何が違うんだろうと思っていたら、ソコでしたね・・・
あ~って感じです。 ^^;

>説明に努力することで、やはり、この価値観をほとんどの人が共有しているのを
>確かめないと不安になったからではないでしょうか。

そっか~!やっと、私の中でまとまりましたー! (>_<)
最後にスッキリできて良かったデス!!
でも、殺人が起こってしまうというのは、なんとも最悪な事態ですね。
悲惨というか、なんというか・・・ 言葉が浮かびませんが


2度も回答をして下さってありがとうございました m(_ _)m
コノ質問の最後の回答に相応しくて、嬉しいです*

お礼日時:2002/05/26 02:38

別にヒトを殺してはならないというルールはありません。


しかしそれは動物、物体としてのヒトということです。
人が人である最低限のルール、人は殺さない,人のものは盗まない、仲間は守れ、を守れないやつは自分から人を放棄し,ヒトになるのです。自分が人である為には最低限の人のルールは守る必要があるのです。

ちなみに私自身は人を人として殺さねばならぬときはある、と思っていますが。

この回答への補足

 回答者の皆様へ

申し訳ないのですが、fujishiroの補足の欄を、回答をしてくださった皆様へのお礼に使わせていただきます。
回答をたくさん頂いていたのにもかかわらず、途中でお礼が終わってしまい、すみませんでした。m(_ _)m


私が一番思ったこと、感じたことがあります。
コノ世の中に、言葉だけでは伝えることのできない、表すことのできない、そんなことがたくさんある!って気づきました。
そして、感じたことほど、大きくて・大切なものはないのかも!って思いました。
コレが言葉の壁?って感じです。


たくさん回答を頂いたのに、ポイント発行をできる人数は限られています。
コノ質問の直接の回答という意味ではなく、私にそよ風をくれた回答者のお名前と、そよ風の元となった箇所を以下に書かせていただきます。

#6のyuka_chanさん
 そのものの命の価値に、
 (これまで、その人が「生きる」ために
 費やされてきた)多くの人々の「心遣い」
 の価値が加わるから。
 ゆえに、とっても尊いのだと思います。
#7のaonekoさん
 「人を殺してはいけない」のは平和時においてのみのルールですから、
 平和時の長い日本人には難しく思える命題なんだろうな、と思います。
#8のyukarikiharaさん
 そのわけは自分で考えず人に質問して答えを得る人が多いからだと思います。
#9のgokurakuyamaさん
 私たちは色々なものの「ご縁」により生かされている
#10のh13124
 以前だとこのようなことは、説明せずにすんだことです。
 自明のこととして、みんなが価値観を共有していました。
#11のjun95さん
 トラウマにならない程度に、体で覚え指すというのもいいかもしれないと
 思っています。
#13のSingolloさん
 殺されたら死ぬということの伝え方ですか?
#15のyan3さん
 基本的な人格がはぐくまれる時期に、身をもって体験した事は
 どんな言葉より後々説得力を持ってくると思います。
#16のstingrayさん
 アナタがその「人を殺していい」と言うルールの元,それを実行すれば,
 アナタにも「人を殺していい」と言うルールが適用されます。
#19のEivisさん
 今は幼稚園の時代から、ケンカもしない、させない?ように管理し、
 殴られてもどの程度痛いのか判らないような教育を蔓延させ
 急に非行少年とか言って戸惑う親世代が多いと言うのは、
 戦後の間違った教育の累積赤字のようなものでしょう!!
#20のoobankobanさん
 したがって、万が一この質問がきたら、かまってほしいサインなので
 「どうしてでしょうね?」とやり過ごし、抱っこ+頬ずりする、が正解です。
#22のsongbookさん
 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=207446
#22のcse_ri2さん
 『人を殺しては行けないか』 を考える時、その裏返しとして
 『人の生命は尊いものであり、それをないがしろにして 
 絶対にはいけない』
 ということを説明できないといけません。
#24のnontamagoさん
 このテーマについては、答えは1つではないと思うのです。
 自分なりに、考えて出した結論であれば、それは全て正解なんですね。
 きっと。
#25のsanpogoさん
 ちなみに私は哲学とか法律とか難しいことはわかりませんけど
 そう感じるので書きました。

ここに載せ切れないものもありますが、とりあえず
こういうのって削除されてしまうのでしょうか?? (;_;)


たくさんの回答ありがとうございました m(_ _)m

補足日時:2002/05/26 02:22
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>幼稚園生でもわかるような回答



殺しちゃうとその人は死ぬ=周りの人(親、兄弟や友人)が悲しむ。

自分の周りの人が死んじゃって悲しい思いをしたくないなら周りの人にも悲しい思いはさせちゃダメだよ?

ってのでは納得はさせれないでしょうか?
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いままでに同じような回答(というよりただの言い換えだと思いますが)がありますけど


やっぱり教育(法律、道徳)でしょう。
そういう前提を元にして生活しなきゃ原始人とかと変わらないし
不安な生活を送らなければならなくなるからでしょう。

つまり自分の財産(生命)を守るためにはまず他人に自分(他人)の気持ちを理解してもらわなければいけないからでは?

そういう負の面を道徳というもので覆い隠しているのではないでしょうか。

それに従う従わないに関係なく根底の部分で道徳というものがあれば
自分自身で考えられるようになった時どうするか決めればいいのでは?
そのためにはそのことを顧みるような教育が必要だと思います。

結論として「道徳つまりは人の道だから」とかあなたのお母さんの言ったようなことを言えばいいのではないでしょうか?
それを自分自身で間違っている(すべてを語っていないということ)としてもそう言うべきだと思います。
そしていつか話してあげるべきことでしょう。

ちなみに私は哲学とか法律とか難しいことはわかりませんけどそう感じるので書きました。矛盾点などいろいろあると思いますが私は納得しています。
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「殺す」って、相手が「死ぬ」ということですよね。


幼稚園くらいの幼い子供にはたぶん「死」という概念がまだ存在しない(または希薄)と思うんです。
成長するにしたがって、家族や、友達、またはペットなどの「死」が自分にもたらす、重みを経験的に学習していくのではないでしょうか。
また、法律によって、重く罰せられることや、人を殺してしまった時の(加害者側、被害者側)周囲の人の悲しみとか、それにともなう、自分で抱えていかなければならない、世間からの重圧、後悔から来る、精神的なダメージを、自分の日常にバーチャルに当てはめてみて、「人を殺したらいけない」って結論にたどりつくような気がします。
だから、この時点で、論理的に結論をだす必要はないと思うんです。
「なぜ人は殺してはいけないの?」と問われたら、まずは、ルールであること、それから、被害者加害者どちらの家族も悲しむこと。そういう基本的な事実を答えてあげればいいのではないでしょうか。
それでも、「なぜ?」と問われたら、「じゃあ、これから、お母さんと一緒に、考えていこうね」というスタンスをとればいいのではないでしょうか。
おりに触れて、仏教的な思想を話して聞かせるもよし、悲しい殺人事件が起これば、目をそむけずに、「もし自分が被害者なら」「もし自分が加害者なら」という立場でお子さんに考えさせ、意見を言わせてみるのもいいのではないかと思います。
子供って、自分中心の世界なので、時に、びっくりするくらい残酷なことを言うかもしれないですが、お母さんが軌道修正してあげることも必要だと思います。
まとまりのない文章になってしまいましたが、わたしがいいたいのは二点。
まず、「死」がどういうものか、自分なりに認識させること。(だからペットなど飼うといいのかもしれませんね)
もう1つは、一口では結論づけられない難しいテーマなので、母子ともに、これからも一緒に考えてみては。
ということです。
このテーマについては、答えは1つではないと思うのです。自分なりに、考えて出した結論であれば、それは全て正解なんですね。きっと。
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もの凄くマジメに答えます。


#「哲学」カテで似た議論があったような気がしますが。

なぜ、
 『人を殺しては行けないか』
を考える時、その裏返しとして
 『人の生命は尊いものであり、それをないがしろにして
  絶対にはいけない』
ということを説明できないといけません。


この問題、欧米などキリスト教が普及している国では
簡単です。
キリスト教では、人は神様が創ったと教えます。
アダムとイブの話です。
そして、人の命は神様が与えたものだから、人間が
勝手に奪ってはいけないと教えるわけです。

大人になって疑問を抱くこともあるでしょうが、
子供のうちはそれでたいてい納得するでしょう。
(子供は素直に神様を信じているでしょうから)


しかし、日本人ではこういう訳にはいきませんから、別の
切り口での説明が必要でしょう。
子供にとって身近でありかつ重要である家族関係で説明し
ていく方法で考えてみます。

子供にとって一番重要な人は親でしょう。
だから
 『もし、私(父親or母親)がいなくなったらどうする?』
と子供に問いかけてみてください。
次に、
 『人が死ぬということは、いなくなってしまうことだから、
  とても悲しいし、取り返しのつかない大変なことでしょう』
ということを感じさせてみてはどうでしょうか。

それで
 『人を殺すということは、そういう悲しみをその人の家族や
  友達にさせてしまうことだから、絶対にしてはいけないよ。』
というような説明ができるのではないかと思います。
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実際に指導をしている側から。

といっても、幼稚園児ではなくて、小学生相手ですが。

以前、私もこのコーナーで質問したことがあります。指導する相手の年齢層は少し高めになりますが、回答者の皆さんから、非常に深い示唆を受けまして、大変に心を豊かにさせてもらいました。

ぜひ参考にしてください。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=207446
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> >それが分からない段階の子供だと、『殺


> す』という『行為』の善悪以前に、
> >まだ『殺す』という『言葉』の意味も分
> かっていないんじゃないかと思いますが
> そうです。
> だから、「どうして?」って疑問が起こる
> んだと思うんです。わからないから

その段階だと、『どうして人を殺しちゃいけないの?』と聞いたとしても、自分の質問の意味さえ分かっていないわけですから、言葉で納得させるのはまだ無理だと思います
他の事に気を逸らしてやった方がいいでしょう
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身近に小さいお子さんがいらっしゃらなくてご存じないのだと思いますが、幼稚園児ではまだ生と死がどういうことかわかっていないので、この質問はあり得ません。

「お月様はどうして太ったりやせたりするの?」あたりが標準ですから。

「てめー、ぶっころすぞ」などと捨てぜりふを投げつけるおチビちゃんは、その言葉をどこかから仕入れましたが意味はわかっていません。
わかっているのは《その言葉を使うとどんな形であれお母さんが自分をかまってくれるので嬉しい。》だけです。
したがって、万が一この質問がきたら、かまってほしいサインなので「どうしてでしょうね?」とやり過ごし、抱っこ+頬ずりする、が正解です。

姑が亡くなった時、お通夜の夜集合した従兄弟同士計6名、一番チビは幼稚園の年中、最年長は10歳でした。とても可愛がってくれたお祖母ちゃんが亡くなった厳粛な夜も彼らにとっては楽しい一夜、関心は誰がドラえもんになるか(押入で寝る)、とお供えのお団子をどんな形に仕上げるか、でした。おかげで親の方も悲しがっている暇もありませんでしたけど。

10歳辺りが生と死の概念ができる境目でしょう。その頃までに命の大切さを肌でわからせ、この質問が出ないように育てるのが正しい答えだと思います。
cocomichiさんもなにもなかったらそんなことお母さんに聞かなかったでしょう?

「今の大人たちは人間としてコノ一番基本的なことを幼稚園生がわかるように簡単に、わかりやすく説明できなくなっている」 と言った人は、言葉で説明しなければわからないような育てかたをしてしまった失敗、がわかっていません。
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子供の頃、カエルのお尻にストローをさし込み息を吹きこんで「牛とカエルの話」のようにカエル君のお腹を膨らませて遊んだり



蜂の巣を壊したり、空気銃で小鳥を撃ったり可哀相な事をしてきたと、大人になって反省してますが戦前・戦後は普通でしたね。

家で飼っていた鶏も順番に鶏肉屋(昔は専門店が多かった)に持って行って、〆て貰いお肉に捌いて貰ってきて食べていました。


今は幼稚園の時代から、ケンカもしない、させない?ように管理し、殴られてもどの程度痛いのか判らないような教育を蔓延させ

急に非行少年とか言って戸惑う親世代が多いと言うのは、戦後の間違った教育の累積赤字のようなものでしょう!!


先日○○牧場で可愛いと言ったブタ君や乳絞りした牛、羊さん、鶏や、アヒル、鴨など等のことを・・・幼稚園の子供に、あれは

いつも食べている物とは違うんだよ・・・食べているのは家畜なんだからね・・・と云うマヤカシがいつまで続くのでしょう?

たぶん生産農家の子供はちゃんと知っている訳で、判らないのは現実から目をそむけようとしている都会人だけかも知れません!


生命は尊い・・・人を殺してはいけない・・・目の前に刃物を持った空き巣が居直ったら、皆さんその時あなたはどうしますか?

>たくさんの出来事(幸せ・悲しみ・怒り・喜び・恋愛・結婚etc.)を奪う権利は誰にもない・・・・・~~~

~その筈でも、そういかないから問題がある訳で非常時に対応できない「無菌培養的教育」が正しいのかどうか、私には判りません。
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