プロが教えるわが家の防犯対策術!

碁って、基本的というか、先手が圧倒的に有利なんじゃないんですか?
先手は負けないように思います。
そこで、同時うち(二人でいっせ-のーでで打つ)の碁とか、ありだと思うのですがどうおもわれます?

A 回答 (18件中1~10件)

 先手必勝と思います。

どちらもよく戦って、さいごに先手が少しだけ勝てば、「めでたし、めでたし」で、そこには勝ったも負けたもないと思います。ようするに、囲碁は「分けあう」ものですから……
 
 《分けあう》のが本質とすれば、同時うちは成立しないと思うのですが……
    • good
    • 1
この回答へのお礼

分け合う!すげぇ意外な盲点でした。しかも納得できます。
ありがとうございました。
そういえば、戦う、競うだけがゲームではないですよね。
ありがとうございます。
>分け合うのが本質とすれば、同時うちは成立しない。
よく考ええてから又お礼書きます。
できたらこの点、もう少しお話してください。
ちょいと新鮮な意見、楽しかったです。ありがとう。

お礼日時:2002/04/26 22:20

 No.14に、すこし追加させていただきます。



 野球のピッチャーは、相手に1点もあげないようにと考えて、力投します。サッカーのゴールキーパーも、相手に1点もあげたくないと考え、目のいろをかえて守りぬきます。

 このように、たいていのスポーツやゲームは、相手にできるだけポイントを与えたくない、かなうことなら相手の取り分をゼロにおさえ、ポイントをぜんぶひとり占めしたい、と強欲な(?)ことを考えて試合にのぞみます。

 そのへん、囲碁はぜんぜん発想がちがうような気がします。囲碁は、「相手に、いかにして与えようか、どこを与えようか、どういう形で生存圏を確保していただこうか」と、つねに相手のことばかり考えているようなところがあると思います。

 相手のポイントをいっさい認めず、オール・オア・ナッシング式に、自分でぜんぶひとり占めしたい……そういう野望は、碁盤の上ではこんりんざい実現しません。
 
 むきになって相手の生存圏をおびやかしつづけると、かんじんの自分の陣地がおろそかになって自滅する、なんていう悲喜劇は、私のもっとも得意とするところです。(号泣! ハンセイ!)

 『取ろう取ろうは取られのもと』とも言われますし、一攫千金みたいな、そんなにうまいハナシが盤上にころがっているはずはないと肝にめいじつつ、双方、たがいに相手の存在を尊重しつつも、ぎりぎりに突っ張りあって、生きたり、殺したり、ふりかわったりしながら、激闘・乱闘のすえ、やっぱり先番の効は消えず、さいごに6目前後のこった-----そこには、なんども言いますが、もう勝ち負けみたいなものはないと思います。

 ただし、前回ちょっと書きましたが、囲碁のプロが相手を定先とか二子に打ちこむというのは、これは凄絶な、ほんとうに命がけの闘いで、コミ碁が現われるまでの専門碁界は、それをやっていたそうです。

 今の碁は、コミ碁があたりまえのようになって、人為的にこしらえた5目半を境にして「勝った、負けた」と言っていますが、いくら負けても、定先とか二子になるわけでなし、ほんとうはどちらが強いのか、どのくらい強いのか、さっぱりわからない、という面があるような気がします。

 まとまりのない、かさねての駄文、失礼しました。やっぱり、よくわかりません。

 P/S だれかが、「囲碁は愛のゲーム」と言いました。その意味を、私なりに解釈してみたのが上の文章です。
 愛は、まず与えるもの。「いい場所をたくさん残してますよ。どうぞ、お好きなところに打ってください」と……ひたすら相手に与えつづけるものですから、《同時うち》という観念は、私の想像の外です。すみません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>愛は、まず与えるもの。「いい場所をたくさん残してますよ。どうぞ、お好きなところに打ってください」と……ひたすら相手に与えつづけるものですから、《同時うち》という観念は、私の想像の外です。すみません。
 
 なんであやまんだ?(笑。
>愛はまず与えるもの。
俺はそうは思わん。愛は、奪われるもの。だけれども幾ら奪っても無限なので、愛は消えない。
碁盤に愛があるなら、地そのものだと思うな。19路の。
地は誰のものでもないのに、それを相手に与えるなんてできやしねぇ。
 
ただ、同時うちってのは、リアルさがある。交互うちの碁にはリアルさがない。
俺はそれが嫌なんです。
二子に打ち込むって二子局の事?定先とか、それでもえるんだったらそれでもいいけどな。っていうか、十分だろ。
>「いい場所をたくさん残してますよ。どうぞ、お好きなところに打ってください」
 
なんか、おこがましいぜ(笑。俺的にはな。
自分の打つ番では一番いい場所を打つわけで、いいトコ一杯に、同時に三手四手も打てない?打たないわけで。相手も同じだ。相手と、自分と、一番いい場所って言うのがかぶらないなら、それでいい。っていうよりも、かぶらせないってための交互うちかもしれないな。でも、現実世界にはかぶることがあるからな。
 
ありがとう。回答読んでて楽しい。
>そこには、なんども言いますが、もう勝ち負けみたいなものはないと思います。
そりゃわかるわ。

お礼日時:2002/05/04 18:08

じゃん碁についてですが、No.15の方のおっしゃるとおりに、


・「あいこ」のあとは同じ場所に打てない。
で結構おもしろそうです。

No.16のおっしゃるパターンで「セキ」は双方死滅でいいんじゃないでしょうか?

うーん。どうだろう?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ああ、せきのことか。
両方死滅か。
同時うちでかぶった土地の機能が問題だよな。やっぱ空き地にするってのがいいかな。いや、空き地というより、すでに、只の石が置かれている状態。灰色の(笑。
>うーん。どうだろう?
どうだろな。同時うちで展開される碁がどんなものか想像つかんからな(笑。

お礼日時:2002/05/04 18:12

「ジャン碁」についてですが。


碁には、どちらも譲れない「急所」という場所がありまして、同時に打つことを許すと永久に「あいこ」が続いてしまうのです。
例えば、盤面の中央近くで黒が白をアタリにしたとすると、黒がポン抜くか、白が逃げるかは雲泥の差が出来てしまいます。同時に打つわけですから、事前に白は黒がアタリを打つことがわからないわけで、黒のアタリと白の逃げだしは普通同時に打たれることはありません。そうすると、アタリが打たれた瞬間、黒にとっても白にとっても決して相手に譲れない場所が出来るわけで、どちらも譲らず、結局は無勝負になってしまいますよ。

これを避けるためには、急所を打つ順番を決めるといった新たなルールを決める必要が出来てしまいます。でも急所というのは、最初に打った方が圧倒的に有利になることが多いので、順番を決めることがそもそも困難でしょう。

攻め合いだってそうですよ。双方が打った瞬間に、どちらの石のダメもすべて詰まったらどうするのですか。両方とも打ち上げてしまうのかしら?

結局、碁に同時打ちを持ち込むことは無理なんです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

あいこになった場所は荒地(暮らせない土地。敵を追い込めるし、自分も追い込まれるような。荒地には二度と打てない。もちろん荒地を囲っても、目の機能は果たせない。地にはかぞえられない。)になるとか、共存地になるとかにすればどう?まだまだ考えればアイデアは出るよ。むりっつって考えなけりゃアイデアも出ない。
>結局、碁に同時打ちを持ち込むことは無理なんです。
なんや?けっこうネガティブ君やね(笑。
勝ち負けってのはゲームを楽しむ手段であって、たのしけりゃゲームに勝ち負けはいらんってことだぜ?別に同時打ちは無理じゃないよ。だから色々アイデア出してもらってるのに、「無理なんです。」そりゃないぜ(笑。でも、問題を摘発してくれるのはありがたいな。
>これを避けるためには、急所を打つ順番を決めるといった新たなルールを決める必要が出来てしまいます。
 
べつにでねぇよ。一歩引いて、考えてみようぜ。君の視点が現代普及してる囲碁のルールの立場にあるから、こう、やっぱ視野が堅くなる。碁盤が二枚になるとか同時うちとか言ってるのに、順番決めてどうすんだよ。同時うちじゃないじゃん(笑。同時打ちの碁で、順番持ち出すほうが無理っぽいよ(笑。

>>双方が打った瞬間に、どちらの石のダメもすべて詰まったらどうするのですか。
意味がよくわからん。どういう状況なのか説明してくれないかな。けっこう素人だから(笑。終盤のダメを詰めていくところ?
>事前に白は黒がアタリを打つことがわからないわけで、
君の頭の中では、先手後手で進行している局面に、突如同時うちの碁を仕込んだようになって混乱しているように思う。だいぶんちがう碁が展開されると思うぞ?
最初の一手が、同時打ちなんだから。面白そうと思わない?同時打ち。
当たりを取ったら、同時にその石が当たられたよ!みたいな(笑。
真ん中の☆あるじゃん?あれどうしたらいいと思う?そのままで問題ないか。最初に真ん中に打つ手が、同時打ち碁の最善の一手だったりして(笑。
そのかわり、すみの地どりは遅れをとるけど(笑。
 
同時うちで問題は、かぶった所を荒地にするか、共存地にするかというところ。あきちってのもあるけど、空き地の意味がよくわからん(笑。四方荒地に囲われた地は間違いなく空き地だな(笑。荒地と共存地と、だいぶ面白さは異質なものになるけど、共存地のほうが間違いなく全体としては繁栄するよな。
共存地ってのは空港みたいなところ。どっちの国でもありゃしない。両者の地になる。荒地は違う。押し当てられて、殺される場合とかがたくさん出てくる。相手に攻めていったら、すっげぇかけ引き出てくるよ(笑。うわ、まじおもしろそう。
早くやってみたいもんだ。碁をやる人間で、同時うちをためそうという人間があまりいないからな。友だちとやったら、報告するよ。
ありがとう。

お礼日時:2002/05/04 02:41

 おいら今日暇だったんで、同時打ちについても考えてみたんだけどさ。

面白いアイデア浮かんじまった。もう書く気なかったんだけど、あまりに笑えるんで書きに来ちまった、すまん。

 同時に打つってなんかどっかでやったことがある気がしてたんだよ。何かなぁ?と思っていろいろ考えてたら「ジャンケン」じゃん!!(五番の人の意見しっかり読んでなかったすまん。)おんなじ場所に打ったら「あいこでしょ。」で違う場所に打たなければならないとかすれば、とりあえずうまく成り立ちそうだぜ。打ち方としては碁盤二枚(一人一枚潜水艦ゲームみたいだな。知ってる?)用意して、お互い自分の碁盤に同時に打ち込む(えぐり込むように打つべし!)。その後相手の石を置いていくってので一応ゲームの形になると思うんだけど、どうかな?名前は『ジャン碁』だな。ぜひ一度ためしてみてくれよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>どうかな?名前は『ジャン碁』だな。ぜひ一度ためしてみてくれよ。
おう!明日のために!その一!えぐりこむように打つべし!
やってみよう!あいこでしょ。いってみよう、やってみよう。
やらなきゃ始まらんからな(笑。
>あまりに笑えるんで書きに来ちまった、すまん。
なぜあやまんだ?アイデアありがとう!
潜水艦ゲームは知らんが、やってみるよ。ともだちとな!
さんきゅうです。

お礼日時:2002/05/02 16:29

 No.2でちょっと書かせて頂いたものです。

そのご、いろんなご意見が出ていますが、よくわかりません。以下、かんけいないことかもしれませんが……

 私、将棋も囲碁も少しだけ知ってるんですが、将棋は相手の王様を捕らえたほうが勝ちで、初心者にも勝ち負けがよくわかります。いっぽう囲碁は、勝ち負けがわかりにくいですね。有段者でも、終局して、整形して数えてみないと勝ち負けがよくわからない、なんてことをおっしゃるかたがいます。

 勝ち負けがわかりにくいんじゃなくて、囲碁は、本質的に勝負を争うものではないんじゃないでしょうか?

 太古の時代、広大な原野へ最初にやってきたA部族が、いちばんいい場所に畑をつくる-----そこへ別のB部族がやってきて、2番目にいい場所に畑をつくる-----A部族もB部族も少しずつ人数がふえてくるので、Aが3番目にいい場所に畑をつくる-----次にBが4番目にいい場所に-----Aが5番目に-----というぐあいに、しだいに自分たち部族の生活圏を広げていきながら、他の部族の生活圏も認めて、平和共存でいく……これが、私のえがく囲碁の基本的なイメージです。

 Aが自分の部族のことしか考えず、必要以上に畑を囲いこんだりして、Bの生活圏をおびやかすと、BはAに攻めこみ、食うか食われるかの死闘を演じて、双方に多くの犠牲者を出し、けっきょくどちらにとっても得にならない……そんなにがい経験を何回かつんで、やっぱり、なんとか平和共存でいこうなあ……というような人類の智慧をゲーム化したのが、囲碁ではないでしょうか?

 さいわいなことに、19路の碁盤というのは太古の原野のように広いので、1手目と2手目の差はほんのわずか、2手目と3手目の差も、あるかないかわからないくらいのかすかな差-----というかんじで進みますので、一局を打ち終えても、だいたい先手が6目前後をリードしておさまるのでしょう。

 途中、少しでも欲ばると、そこにはスキというものが生じるはずですから、相手につけこまれる、かといって縮こまっていては、石の効率がわるくなり、たちまち形勢を損じる……そのへんの微妙な“押しと引きのかねあい”に苦心さんたんしながら、序盤の構想→中盤の戦い→終盤の計算(ヨセ)を経て、おおむね先手6目勝ちくらいに、双方よく戦ったけっか、落ちつく……そこにはもう、買った負けたはないと思います。

 ですから、コミという不自然なものを設定して、むりやり勝ち負けを決めている現代の囲碁は、どうかなあ、という気がしています。あれが出てきたのは、ようするに新聞の営業政策だったのでは?

 コミ碁があらわれる前の専門碁界は、ライバルを定先に打ちこむ、あるいは二子に打ちこむことを目ざすなど、現代の専門碁界よりはるかにきびしい勝負をしていたようですね。そういうはげしい、ほんとうの意味の激突から、歴史にのこる大名人も生まれたんじゃないでしょうか?

 まとまりのないことを書いてしまいましたが、さいごに《同時うち》とは-----太古の原野に、AとBの両部族が同時に足を踏みいれ、双方、いちばんいい場所に畑をつくろうと、全速力で突進・喚声・激闘-----そんなイメージです。
 ゲームとしても、ありうる情景で、たとえば日本の相撲などは、それが非常に洗練された形として、こんにちに伝えられているのかもしれません。AとBが、代表選手を選び、闘わせたとか-----

 駄文、失礼いたしました。やっぱり、よくわかりません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>駄文、失礼いたしました。やっぱり、よくわかりません。
いや、かなりよかった。かなりよかった。
しかし重要なのは、なぜ?Aの部族、Bの部族と、わかれてしまう?
碁には、勝ち負けはない。それは非常によくわかる。
黒白はっきりさせようぜ。ってことになるのは、相撲的。と、俺は思う。
現実的には、何故わかれるのかということです。
>そういうはげしい、ほんとうの意味の激突から、歴史にのこる大名人も生まれたんじゃないでしょうか?
 
いうねぇいうねぇ(笑。俺もそう思うよ。勝ち負けを目指して、闘う闘いなんて、闘志が燃えない。昇れ!。勝ち負けなんていらねぇな。競争じゃないんだから。
押し上げあって、昇っていくって感じかな。おもしろけりゃそれがいい。
>あれが出てきたのは、ようするに新聞の営業政策だったのでは?
そうなの?よくわからんが、そうかもしれないな。みんな勝ち負けにこだわるからな。人生の勝者とか、本にまでなってるからな。人生の勝ち方とか。
あほだろ。
苦しい人生が負けだなんて、誰か決めた!あれ?話しずれたわ(笑。
ありがとう。
>-----太古の原野に、AとBの両部族が同時に足を踏みいれ、双方、いちばんいい場所に畑をつくろうと、全速力で突進・喚声・激闘-----
 
おもしろそう。碁でできるかな。
西部開拓時代みたいだね。同時にスタート!
で結局、死者(あげハマ)が出れば出るほど、お互い、全体としても土地(闘いの目的)が減っていくの(笑。
現実味タップリ、皮肉タップリやん(笑
その場合、あげハマのルールはなくなるかな。とるだけで、ポイ。相手の地は埋めれない。
石をたくさん置けば置くほど人数が増えるってことだから、土地もたくさんいる。
でも、土地は限られているんだよね(笑。
いろいろかんがえれたよ。ありがとう。

お礼日時:2002/05/02 16:54

>じゃ、そのルールは碁の本質か?はっきりこたえてくれよ。


交互に打つのは碁の本質か?碁を碁たらしめるものか?

碁の本質は盤上での石の生存権争いでも最終的な地の大小を争うための手段でもいいのだけれど、交互に打つのはこの本質を維持するのに不可欠のものです。
だってそうでしょう。一手差の攻め合いというのは交互に打つからどちらかが勝つのであって、同時に打っていたらけんかになりますよ。
手の早いほうが勝ち?そんな馬鹿な。

何の争いもないきれいな地取り碁を理想形とされているのかもしれないけれど、結果的にそのような碁があったとしても、それはお互いがすきを見せなかっただけであって、少しでもすきがあればそこにつけこんで、徹底的に相手を痛みつける、あるいは殺す、それも碁というゲームの一面の姿なんです。

>今の碁にあるのは、「強い弱いじゃなく勝ち負け」だってゆってる(交互うちだから)。

先手が有利だからコミを設ける。5目半が大きいか小さいかは、人によって意見が分かれるけれども、対等の力を持っていれば先手の有利さはその程度で代償されると多くの人は考え、納得しているわけです。19路盤の碁は、少なくとも人間の知能では先手必勝ではないんです。コミのない時代に秀策のような天才が現れ、ライバルがいなければ先手必勝になるけれども、対等な力を持った人は、現在のルールで白でも黒でもいい勝負をしている。
碁はゲームなんだから、強いものが常に勝つとは限らない。でも偶然が支配する要素は極端に少ないから、同じ条件なら強いものが勝つことが圧倒的に多いわけです。

同時打ちは碁ではありえない。無理です。それはルールの進化ではなく、ルールの破壊です。
まあ破壊から新たなゲームが生まれる、それもいいんじゃないですか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>同時に打っていたらけんかになりますよ。
そうか?なんでそうなるのかわからん。
>現在のルールで白でも黒でもいい勝負をしている。
ま、そういうことだ。いいゲームができるならいいだろう。
>同時打ちは碁ではありえない。無理です。
いけるだろ。なんで無理なん?かぶるから?
>それはルールの進化ではなく、ルールの破壊です。
べつになんでもいいぜ?ルールの進化というよりも、碁の進化だ。
ルールと、碁は、一緒だけど、別のもの。
>何の争いもないきれいな地取り碁を理想形とされているのかもしれないけれど、
そんなことないよ(笑。面白ければいい。毎回、毎手、色々だよ。打ち方、碁の進行は。
>碁の本質は盤上での石の生存権争いでも最終的な地の大小を争うための手段でもいいのだけれど、交互に打つのはこの本質を維持するのに不可欠のものです。

ここらへんがなぁ。碁は争い。分け合い。両方ある。それ以外も。交互うちは現代の争いとしての碁の本質であり、分け合いの碁、又はそれらあらゆるを同時に実現するような碁の本質ではないと思うんです。同時打ちでも争えるし。繁栄(地の目数)を基準に碁の善し悪しを決めてもいいと思う。善くても悪くても、面白ければいいんだけど(笑。
回答ありがとう。
あ、交互うちなら、盤が石で埋まるまで打てば、最善の手が打てることになるのかなぁ。それは面白くないな(笑。最善の手は面白くないのかもな(笑

お礼日時:2002/04/30 16:51

>今の碁もあればいい。

他の碁もあればいい。それだけだぜ?
>何回もありがとな。

 君が今の碁を極端に否定していたみたいに聞こえたんでちょっとむかついただけだ。君が今の碁の存在を認めてくれるのならそれでいいよ。新しい碁ができたら教えてくれよ、面白かったら打ってやるから。よかったら今の碁も続けろよな、きっと新しい発見が有ると思うぜ。じゃぁな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>君が今の碁の存在を認めてくれるのならそれでいいよ。
なんだそりゃ(笑。今の碁がなかったら次の碁もないじゃん。今の碁には昔の碁もあるってことだし、次の碁には現代の碁もあるってこと。
>じゃぁな。
おー、ばいばい。ありがとな。

お礼日時:2002/04/30 16:32

碁において交互に打つというのは、碁というゲームの最も基本的なルールで、これは変えようが無いと思います。


これを変えたら、碁ではなくなります。

例えて言うとサッカーでボールを手で扱えないと同じようなものです。
ただサッカーからその基本的なルールを変えてラグビーというスポーツが生まれたように、同時打ちで新たなゲームが出来る可能性があるのは、いままで皆さんが述べておられる通りです。

>本因坊は、既存のルールにおいて、勝った者。碁が強いとは限らんよ。

これはですね、別のゲームを作っておいてそれに勝てないから、本因坊が碁が弱いというのは全くの詭弁です。

サッカーの日本代表でも、ラグビーやらせたらどっかの高校チームに負けちゃうかもしれないでしょ。でもそれでサッカーが弱いことにはならないでしょ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>サッカーの日本代表でも、ラグビーやらせたらどっかの高校チームに負けちゃうかもしれないでしょ。でもそれでサッカーが弱いことにはならないでしょ。
 
俺の言ってることがつたわってねぇ。そんなの手と足の違いじゃねぇか。何が言いたいんだ?
俺が言ってるのは、碁は幹が太いってゆってるんだよ。サッカーも、ラグビーも、ゲームで言う所の碁に含まれるよ。同時打ちと交互うちの違いが手と足の違いか?そりゃないわ(笑。
意味わかるかな?
>>本因坊は、既存のルールにおいて、勝った者。碁が強いとは限らんよ。

>これはですね、別のゲームを作っておいてそれに勝てないから、本因坊が碁が弱いというのは全くの詭弁です。

誤解だよ。先入観で先走りすぎ。誰もそんなの言ってねぇ。強くないって言ってるだけ。別のゲームで勝てないとも、弱いとも言ってないだろ?今の碁にあるのは、「強い弱いじゃなく勝ち負け」だってゆってる(交互うちだから)。後のもの、先のもの。不公平。そういう区別がない碁を、新型碁とか呼ぼうが、ラグビーと呼ぼうがどうでもいいんだよ。そんなの名前なんだから。強い奴が勝つとは限らない。テロにやられたアメリカがそうだろ?一緒だよ。強いのにやられる。ようは強くないってこと。それは話が違うって思うなら、小さい範囲でしか物事を見れてない。そういう人間は碁も「弱い」。
>碁において交互に打つというのは、碁というゲームの最も基本的なルールで、
じゃ、そのルールは碁の本質か?はっきりこたえてくれよ。
交互に打つのは碁の本質か?碁を碁たらしめるものか?
交互に打つことが最も基本的なルール。と、君は思った。それが、碁の本質か?
同時打ちでも碁の本質は消えない。だから、碁と呼べうる。
将棋とかとはおなじマスゲーム?盤を使うけど、本質的に違うだろう。碁と、将棋チェスは。碁は碁だよ。同時うちでもな。将棋で同時うちをするとかなりきつい。碁ならいける。
サッカーとラグビーは、手を使うか足を使うかの差であって、相手ゴールにボールを押し込むというのはおなじだ。将棋とチェスの関係。ボス、親玉を取れば勝ち。最も基本的なルール、本質が同じ。足を使う、手を使うの違いはあれど、ゲームの本質は変わらん。俺の言ってることわかった?同時打ちでも、地を囲うっていう、最も基本的なルールは変わらないよ。交互うちは、最も基本的なルールではないよ。なぜなら、それは碁の本質を維持するものではないから。

石の殺し合いになるのは、原始的な未進化の碁と俺は思う。将棋、チェスと似たものがやはりある。ところが、分け合いの碁には可能性が見える。俺の土地だーってしか言わない原始的な奴とは違う。そこは俺の土地だーってゆって石を置いていけば、土地は減る。分け合いの碁は、今の時代にふさわしい。殺し合いばかりになるのは碁においても、人間社会においても、合理的じゃない。そういう碁うちは弱い碁うちだよ。プロでもな。
分け合いと同時うちはあんまり関係ないけど、同時うちなら碁が生き残れる可能性はぐっと高くなる。同時うちの碁みたいなゲーム何か知ってる?知ってたら教えてよ。
俺の、ほかの回答への返事ももうちょっとよく読んで。俺が何を言ってるかあまり伝わってないみたいだから。
今の碁は不公平。ゲームとしてははっきりとダメです。まして、反目の勝負に情熱をかける人にしてみろよ。あほらし。今の碁は、最善の碁を打つものがいないから成り立っているだけで、最善の碁を打つものは交互うちの碁では勝負にならない。
それを込みでまかなうというのは、ごまかし。同時うちにすりゃいいんだよ。
碁でごまかしは反則。今の碁は矛盾してる。それは、碁うちなら誰もが認めるところだろう。それは、同時打ちが実現するなら矛盾はなくなる。他の矛盾が出てくるかはやってみないとわからん。盤を二重にしたり。しかも新型が面白くないとまったく意味なしだし。

お礼日時:2002/04/30 03:05

>最初の先人はどうしたんだよ。

碁を作った奴。きっと、碁盤の目の数とか、囲
>んだらとるとか、とったら埋めれるとか、こうとか、うつ人数とか、色々あっ
>たと思う。そこにも「碁の原理」はあった。

 そんな奴は別にどうでもいいんだよ。まぁ碁を創ってくれたことには感謝す
るけど。おいらにとって重要なのは、今のルールにおいて棋譜を残してきてく
れた人たちのことさ。棋譜を並べるのは楽しいぜ。200年も前の人がやってい
たゲームを目の前で再現できるんだから。これもルールが同じだから楽しむこ
とができるんだぜ。

>布石とかしないで俺、うってたら、マナー悪いとか分けわからんこといわれ
>て、結局、おれシロートなのに互い戦?(置石なし)であいて負かしたよ。 

 それは君がその相手より強いからだろう。別に驚くことでも何でもないよ。
君はルールは当然知っているわけだしそのレベルがどの程度だかは知らないけ
れども君は立派な碁打ちなわけだ。それを前提で話を進めるけど、おいらも君
の言いたいことがわからんでもないよ、これは今までの君の意見を読んでの勝
手な解釈だから君の考えと違うかも知れんが、たとえば先手で盤面五目勝った
のに、ルール上半目負けになるのは何か釈然としないということだろう?たと
えコミが変わったところでその疑問は変わりはしないことはおいらにもわか
る。でも、その半目を争う碁を観るのは面白いぜ。おいらはまだ半目を争うレ
ベルにはないからあくまで観るだけだ。ははは

 おいらの碁は石の殺し合いだな、だから強いほうが勝つ。ところでプロの練
習碁を見たことがあるかい?これがほとんど石の殺し合いになるんだぜ、本手
合じゃまず観られないような妥協のない戦いが繰り広げられるそれは面白いも
んだ。そういう碁だって有る。

 結局何が言いたいかって言うと、おいらより強いやつがごまんといるってこ
とだ。先手だろうが、コミなしだろうが、置き石しようが勝てないやつっての
がホント沢山いるんだぜ。だからそんなやつらを全部やっつけることができる
ようになってからじゃなければ、コミがどうこうとか言えるレベルじゃないと
思うんだよ、おいらは。君も間違いなくそんなレベルじゃないと思うな。文句
が有るんだったら本因坊にでもなってから、こんな碁も有ると思うんだけどと
か言ってくれよ。そうしたらみんな聞く耳を持ってくれると思うぜ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>文句が有るんだったら本因坊にでもなってから、こんな碁も有ると思うんだけどとか言ってくれよ。そうしたらみんな聞く耳を持ってくれると思うぜ。
 
くだらねぇな。みんなに聞いてほしいんじゃないよ。本因坊とかかんけぇねぇ。俺は。今の碁もあればいい。他の碁もあればいい。それだけだぜ?
何回もありがとな。

お礼日時:2002/04/30 02:10

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!