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タイトルの通りなのですが、レポートを書くにあたって
多くの人の考えを取り入れたいと思います。そのほうが厚みのあるレポートになる
ような気がしますし、一人で考えるべき問題でもないと思いますので…

僕のスタンスとしては、「発展途上国に対する開発援助」は必要である
という立場からレポートを書いていきたいと思っています。
それはなぜか?

うまくはいえないのですが「教育開発」という視点からこの問題を
取り上げようと思っています。教育は必要です。
でも筋の通った意見も今のところないし、
(これからいくつかの文献を通して考えていこうと思っていますが)
どうしたものかという感じがします。

あるアフリカの国では、エイズを神様がもたらした病気だと信じる国も
あると聞きました(辺見庸「もの食う人々」より)。

そのような事例もたくさん調べてみたいと思いますし…
ちょっとみなさんにご意見を伺いたいです…
うまく伝わらないかもしれませんがそのときは
補足を入れますので、よろしくお願いします。

よい文献、サイトなどありましたら、どうぞ…。
(英語のものでもOKです)

A 回答 (7件)

かなり個人的なまた浅知恵な意見ですが、僕は教育の援助は必要だと思います。


政治的なことや制度的なことは何も知りませんが、ただアフリカに住む子供たちが
教育を受けたがっている事は確かだと思います。当たり前の事かもしれませんが、
教育援助をしてもすぐにアフリカの経済やその他諸々のことが解決するわけでは
ありませんが、これからのアフリカの未来を考えた時絶対に今の子供たちに
教育を与えてあげる事が一番だと思います。
技術提供ももちろん大切な事ですが、この前教科書で呼んだのですが、一時的
な助けにはなるのですが永続的な援助になりえない場合が少なくないという事でし
た。やはり先のことを考えた時教育面での援助は大切になると思います。
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難しい問題だと思います。


否援助国の首脳も内政干渉は頑固に拒否しそうだし、
そうかといってすべて相手国におまかせでは効率的な援助ができない。
このことを考える際にEUの事例が参考になると思います。
EUにはいるためにはある機関(名前は忘れました)が入るための条件をその国(A)に提示するのですが加盟希望国の多くは経済的成長を期待してEUにはいるので
その前提としてある機関は民主的な社会が既存のものとしてあることをまた努力目標としてあることを要求してきます。
つまり、社会が民主的であるという条件がない限り
経済成長はないと考えているわけです。
私は経済援助はまず被援助国の民主化などが先だと思っています。
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 あなたの質問の開発援助とは、日本政府による開発途上国に対する政府開発援助のことですよね。

必要か否かと問われれば、おそらく必要なのでしよう。しかしながら、現時点における日本経済の逼迫、国家財政の絶望的状況を鑑みるにいささか今のありかたについては賛同しかねます。また、日本の少子高齢化の進行は、悪性ガンのそれのように日本という社会の寿命を縮めつつあります。はっきりいって日本という国は、今のままでは余命50年ないと思います。そのような国が、果たして海外援助を継続する体力があるのでしょうか?たしかに自分の死期を悟った老人がボランティアに最期のアイデンティティーを確認するという姿もありかもしれません。しかし我々は、我々のこども達にも責任があります。海外援助もグローバルな視点ではそうかもしませんが、日本の未来を担保するのがどうしても優先すべきと考えるのです。 開発援助に投入する資金人材があるなら、今は日本自身のガン治療が先でしょう。日本が死んだら世界最大の開発援助国が死ぬのですから。
 またKooKooさんのいうとおり初等教育援助というものは外交上最も嫌がられます。被援助国にしてみれば、余計なお世話なのです。被援助国にとって教育というものは政治そのものである場合が多いのです。人道的援助(薬・食料)以外で最も歓迎されるのは、金しかもドルだけなのも事実なのです。被援助国施政者が、自国国民に対して「今年も日本から沢山のお金を貰えました、皆日本に感謝しましょう。」と本気でいうはずがありません。そりゃ感謝されたくてするものじゃないといわれりゃそうですけど。被援助国民で日本から自国がどれほどの援助を受けているか知っている人は限りなくゼロに近いのです。外交のスタンダードが、未だ自国の国益にある現在、まあ現実問題として急にゼロということも無理なのでしょうから教育開発援助に限って言えば、高等教育段階の留学生の大量受け入れでしょうね。生活費まで含めて奨学金にしてしまい、評価機関を設置して、留学期間、返済免除の有無等をコントロールしていけばよいでしょう。その機関をリクルートシステムとして日本への帰化を勧めてもいいかもしれません。良質な移民を大量にゲットするいいチャンスかもしれません。結構少子化対策にもなるのではと本気で思っているのですが。反論質問お待ちしています。
 
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文献でしたら、以下が参考になるでしょうか。



草野厚『ODAの正しい見方』ちくま新書
鷲見一夫『ODA 援助の現実』岩波新書

私もこれでレポートを書かなくちゃならないから、困ってるんです(^^;; で、その講義の参考文献を挙げてみました。もしご期待に添えないようでしたら、ごめんなさい。
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必要か否か?と言えば間違いなく必要なんだろうと思います。


ただ、教育援助については、難しい面もいくつかありそうな気がします。以下は、僕の憶測と偏見に基づく部分が大きいので、間違ってれば逆にご指摘下さい。

教育の充実が必要な国は多いと思われますが、それらの国は、先進国からの援助として、必ずしも若年層の教育を求めてはいないような気もします。
教育というのは、他の援助に較べて、投資効果が最も遅延して現れるものですよね。教育援助の効果が具体的に現れるのは、10年後、20年後のことです。開発援助の対象となる国の多くは、10年後、20年後の投資効果よりも、1年後、2年後に目に見えて効果が現れる援助を期待するのではないでしょうか?つまりは、教員を10人派遣するよりも、橋を1本架けて欲しいと思うのではないでしょうか?

ざっと考えてみても、教育を施すにあたっては、そのための箱(学校)の整備も必要でしょうし、就学率を上げるためには、児童の親の理解も得なければならないでしょう。例えば、子供がその家庭の重要な労働力になっていれば、親はなかなか子供を学校に行かせようとはしないのでは?

そのように考えると、教育援助というのは、援助する側からみても、最もコストと労力と時間を要する援助なのではないかとも思われます。
援助する側とされる側とで、教育の重要性に対する価値観が一致するとともに、両者でどれだけ協力体制をもてるかが大切のような気がします。

なんだか教育の中でも、話が初等教育に偏ってしまったうえに、ほとんど根拠のない憶測で書いてしまっているので、まったく参考にならないかもしれません。
すみません。
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私見を述べさせていただきます。


無駄でない援助については賛成ですが、多くの無駄がある現状は誉められたものではないと考えます。
無駄でない援助とは、まずは教育と井戸などの生活必需設備に代表されると考えます。
『飢えた人に魚を与えるよりも、釣りの仕方を教えよ』という言い回しがあります。これが開発途上国援助の基本となるべき考え方でしょうネ。
今の援助ではメンテナンスを行う技術者がいないところに最先端技術の工場設備を作ってみたりし、『飢えた人に魚を与える』形の援助をしている例が多いようです。けれども、学校設備を作り、教員を育成し、勉強のための消耗品を与えるという、教育の基礎レベルを向上させるための援助は『釣り方を教える』方式のものであり、その国の未来にとって非常に有意義なものと言えます。
開発途上国の多くは文盲率が高く、そのために、新聞や広報などが情報伝達手段として役に立たないことも珍しくありません。そして、HIVなどの感染症についての知識も不足し、環境保護の大切さなどについても理解されないままで終わっています。これらの根源である文盲率を下げる教育分野への援助は、地球の、或いは、人類の将来のためにも非常に大切なものと言えるでしょう。
また、教育水準を高めるためには、学童年齢にある子供たちの日常労働を減らす必要があります。飲料水の確保というのは、そういう観点から見ると非常に大切なことです。多くの開発途上国では子供が毎日水汲みを始めとする重労働を行うことを余儀なくされています。援助による井戸の確保は非常に有意義です。また、農耕技術などについての『人材を育てる』援助は積極的に行わなければならないでしょう。世界的な食糧不足が懸念されている現在は特に‥
さらに、道義的に行わなければならないであろう援助もあります。例えば、東南アジアでのマングローブ林を破壊してのエビの養殖や、同じくマングローブを大量に切り倒して作っているアウトドア用の炭などが相当するといえますが、先進国の消費を支えるために行った開発途上国での環境破壊については受益者負担の考えに基づき、破壊前の状態への回復まで責任をもって援助すべきことでしょう。
eddyさんが述べられていますように、人材を育てるための人材派遣という形の援助も非常に大切であると考えます。
簡単にまとめてみました
以上kawakawaでした
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純粋に考えると、わたしも開発援助は必要だと思います。


途上国が赤ん坊だとしたら、援助国は親だと思います。
赤ん坊はいろいろめんどうを見てあげなければ、立派に成長できません。
そのために、食べ物を与え、教育を施し、服を着せてくれる親が必要なのです。

でも現状からするとどうでしょうか。
かなり政治がからんできていて、開発援助=貸し、みたいになっています。
また、資金や物資などを送ったりしても、はたして、有効に使われているか、市民まで届いているか疑問です。

適正な開発援助をと思っても、その適正を基準づけるのも難しいですね。

一番確実なのは、物やお金がからまない、人による援助だと思います。
教育や、技術を教えられる人物を派遣するのが、途上国の一般市民にとって一番ありがたいのではないかと思います。
これは途中で目減りすることなく、ストレートに届きます。
もっとも、先進国にとって、物やお金以上に人が一番コストがかかりますが…
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