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霊の存在は科学で100%否定されますか。

A 回答 (11件中1~10件)

科学では定義・仮定しない物について議論できません。


「霊」の定義・仮定の定説ってあるのでしょうか?
# 疑似科学じゃ駄目ですよ。
無い袖は振れない、無い定義・仮定の議論は出来ない。
これは否定肯定どころの問題ではなく命題すら存在しないということです。

特にテレビマスコミが気に入らないのですが、科学は解らない事を解ろうとする事です。
「霊」については解らない事が解らないのであって、土俵に乗せないで“非科学的”という言葉こそ非科学的。
科学は手法(道具)であって目的じゃないのですから。
科学信仰にも困ったもんだ、本当にイワシの頭も信心ですね、やれやれ……
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この回答へのお礼

素早い回答ありがとうございます。あなたの言うとおりで、定義できないものは議論できません。
で、本当の定義は知りませんので、勝手に次のように定義します。
「霊とは死んだ後に残る意識である。」
我々は生きているとき生きているんだなというような意識があります。死んだ後にも死んでいるんだなあと思うかどうか知りませんが、意識が残れば霊が存在すると言うことにします。人に見えるか、写真に写るかは条件ではありません。
この定義で改めて最初の質問をします。
議論に持ち込むのに未だ不足があればご指摘下さい。

お礼日時:2000/12/18 21:21

>おじいちゃんが生きていても...


 霊には死霊と生き霊があるのでは?

>Super-ego
 古典も古典、フロイトの精神分析の用語です。いわば倫理観の中枢とでも申しますか... 近頃は「迷惑かけなきゃ何したっていいんだろ?」なんて幼稚園レベルのsuper-egoしかお持ちでない方が多くて。

*回答に自信ありは、例によって冗談です。
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この回答へのお礼

>霊には死霊と生き霊があるのでは?
なかなかいい突っ込みです。
>幼稚園レベルのsuper-egoしかお持ちでない方が多くて。
あいたた。
安心して、自信のある回答をして下さい。

お礼日時:2000/12/20 21:30

科学で100%否定するのは無理でしょう。

でもそれは霊の存在の有無とは関係ないところで。
#3のお礼で何らかの方法で観測可能だと仮定してますが、霊が100%いないのならそもそも観測できないですよ。(^^;
何らかの方法で観測可能ならそれは「いる」という証明になってしまいます。(ひねくれてる?)

そうすると可能性を1つづつ潰して否定していくしかなくなります。それでは99.9999・・・%否定できても100%は無理でしょう。たとえ存在しなくても。。。
その代わり100%いると言う証明は簡単です。いると言う決定的な証拠を1つ出せばいいのです。いればの話ですが。。。

これでは科学の問題ではなくてとんちですね。(^^;

でも、身の回りの諸現象も結構、科学の諸法則の例外で動いていますからねえ?霊もその例外かも?
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この回答へのお礼

「科学で100%否定するのは無理でしょう。」これはごもっともですね。
でも、何らかの方法で観測可能でも観測されるまでは「いる」の証明にはなりません。
ところで、諸法則の例外で動いているものってたとえばなんでしょう、霊以外で。

お礼日時:2000/12/20 21:23

「怪力乱神を語らず」といきたいところですけど、小生、君子ではないので「危うき」にちょっと


近づいてみようかな、と思います。それにkawakawa教授のあとにこそっと発言すれば、そんなに
バッシングを受けないで済むかな、なんて思いますから。(余談、余談)

他のQ/A欄にも書いたことの繰り返しで恐縮です。
『「複雑系」とは何か』(吉永良正:講談社現代新書)を読むと「自己組織化臨界」とか「創発(emergence)」
などという言葉が解説され、「全体は部分の総和ではない」「下位のレベルにある個々の構成要素間の局所的相互
作用から、上位のレベルにあるなんらかの大域的構造が出現する」「全体的な特性が今度は下方へフィードバック
され、構成要素のふるまいに影響を及ぼす」など、興味つきない話が展開されています。

意識やこころは、脳内部の生体化学反応を土台として、それを超えたまったく新しいものがこの宇宙に顕現している
状態といえるのではないでしょうか。その意味では「こころ」は「生体化学反応」ではありません。それは「音楽美」
が「空気振動」でないのと同じです。そしてこころとこころは互いに交感します。けっして独立的・閉鎖的な存在では
ありません。無数のこころたちが地上に精神の「場」とでもいうべき新宇宙を作っているのではないでしょうか。
こころはこころにしか感知されません。計測・観測機器では、いまのところ、とらえることができません。
こころの個体性が個体の死後も保存されるかどうかは、いまのところまったくわかりません。安直な仮説を立てると
たちまちただのオカルト談義になってしまいますものね。でも、わたしたちは、わたしたちが思うほど「個」の存在
ではないとい思いますよ。

自分自身の意識や心の正体を知りたくて、自分の意識・心の動きをリアルタイムに観察したことがあります。そしたら
気が変になりかけ、怖くなってやめました。みなさん、どうか、ほどほどに。ゲーデルもこころを数学的に解明しよう
として発狂しかけたらしいですから。
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この回答へのお礼

「危うき」とは私のことでしょうか。管理者から叱りのメールをもらい私も少しは丸くなりました。(わら
心の解明で発狂ですか。では私も霊の解明で一回自殺してみようかな。って冗談ですけどね。

お礼日時:2000/12/20 21:13

霊とは何かという定義はさておいて、一般的に霊と呼ばれているもの、或いは、心霊現象といわれているものについてのご質問として考えてみましょう。


現代科学のレベルで測定できない、或いは、感知することができない、或いは定義できないからといって、それを否定することは極めて非科学的な行為であると考えます。それは、単に問題から逃げているだけの科学者にあるまじき卑怯な態度であり、わからないのであれば、『わからない』とはっきりと示すべきであると思います。
生きている人間のことですら、わからないことだらけです。人間の感情なども脳内アミン類の増減や受容体の状態だけで片付けられるとは思えません。培養した脳細胞の受容体にカテコラミンを作用させると感情が芽生えるのかというと‥それはキッカケにすぎないと思えますからネ。
さて、例えば、某大学のO教授あたりは、全ての心霊現象を電磁波で説明しようとしています。けれども、無理でしょう。99%までは証明できても、残りのごく僅かな現象については、おそらく説明できないでしょう。そういう説明不可能な現象の理由を『霊』という表現で現すのであれば、霊は存在するといえます。また、その現象が一般で言われる霊のしわざではないということを証明できない限り、霊を100%否定することはできません。
本当の科学者であれば、すべてのことを現代科学で解明できるなどとは考えることができないはずです。
霊の存在についても、100%肯定することができないのと同時に100%否定することもできませんネ。
一応、科学者と教育者の端くれとしての意見を述べてみました。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

測定できず、感知もできず、定義もできないなら科学でないと言い切ってよいと思います。
正体が分からなくても感知できるなら解明のしようがありますし、測定できなくても定義さえすれば考察のしようがありますが、そうでないものは議論もできないからです。
というわけで、下に出された宿題(霊や意識を定義すること)をやりたいのですが、もやもやが表現できずにいるのです。
ところで、O教授ってプラズマの人ですか。

お礼日時:2000/12/20 20:52

nanashisanのことだから、確信犯だとは思うんですが...



「亡くなったうちのおじいちゃん」の事を誰かが憶えている内は、何か精神的なものが(他人の脳の中にですけど)残ってはいる。おじいちゃんが書いた人生訓が書物に残っているというのでも良いですね。
それで、何か判断する際に「おじいちゃんだったらこういうときこーするだろうな」と考えるんであれば、それは十分super-egoとして機能している「心」として残ってると言えるのでは? 
 つまり霊は文化として残る。
 科学的にこの仮説を検証する方法についての議論はお任せします。
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この回答へのお礼

確信犯とは人聞きの悪い。(わら
おじいちゃんが生きていても、「こういうときこーするだろうな」と考えるので、それを霊にしてしまうとおじいちゃんに失礼。
ところで、「super-ego」って心理学か何かの用語でしょうか。

お礼日時:2000/12/19 21:40

なんだかちょっと質問者がかわいそう…



ある程度「科学」というものに関わったり、学んだ人にとっては、いろいろと納得いかないことが多いでしょうが、例えば、「意識って何ですか?定義してください」とか、そんなことを書きこんだところで、質問者が答えられるとは到底思えません。(別にnanashisanさんをバカにしているわけではなく、恐らく世界中の誰も厳密に「意識」を定義することは、現在ではできていないのです。もしできていたら、それこそ世界中を巻き込んだビッグニュースになっているハズ。)
ただ質問者に跳ね返すだけでなく、もっとお互いに意志を疎通できるよう、答える側も気をつかってあげるべきと思います。(もちろん私もそうです。気をつけねば。)

さて、前置きが長くなりましたが、tanupon323さんが書かれている
> 意識とは、科学的に考えれば脳の内部で起きる生体化学反応ですから
は、いかがなものでしょう。まだ誰もそれを証明できた人はいないと思うのですが、私の記憶違いでしょうか?

結局、人間の体に関することは、現代医学でずいぶんと分かったことが多いですが、しかしそれでも、心の問題や、多分に哲学的なことや、そういった類の問題というのは、まだ化学反応や数式では表されていないのが現状かと思います。ですから、定義が何で有れ、質問者が聞きたいであろうことを汲み取ってあげれば、「答えはNo」でよいのでは? 補足するなら、「現代科学で答えられない問題など、それこそいくつあるか分からない星の数ほどあるのだ」ということでしょうか。(実際、宇宙に厳密にいくつの星があるのか答えられる人間はいないはず。)

注意:他の方も書かれていますが、「100%否定はできない」というのは「そもそもなんだかよくわからない」ということであって、肯定しているわけではありませんよ。
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この回答へのお礼

お気遣いありがとうございます。でも私には気遣い無用です。
こんな質問を宗教ではなく科学のカテゴリーに書き込んだからには覚悟の上ですし、つっこむところはつっこまないと答えが出ません。
で、私が期待している答えはYesでもNoでも構いませんが、なるほどと思える理由付けです。なるほど考えさせられるつっこみも大歓迎です。

お礼日時:2000/12/19 21:32

意識って何ですか?


ここで言う意識を定義してください。

この回答への補足

宿題が未解決ですが、あまり引っ張るのもなんなので、
いったんうち切ります。質問を変えて出直すかもしれません。

補足日時:2000/12/20 21:37
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この回答へのお礼

おっと、そう来ましたか。
確かに肉体がなければ、感じることも考えることもできませんよね。
ちょっと考えさせて下さい。

お礼日時:2000/12/19 21:07

「霊とは死んだ後に残る意識である。

」事自体矛盾していると思うのですが。意識とは、科学的に考えれば脳の内部で起きる生体化学反応ですから、死体=生体でないものに意識が有る=残るとは到底考えられませんね。ですので、そういう定義付けをするのであれば、霊は存在しないことになるのでしょう。
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この回答へのお礼

「霊とは死んだ後に残る意識である。」と定義したこと自体に矛盾があるかどうかはおいといて、
私も死体に意識があるとは思いませんが、今の科学では認識できない空間に存在しているというのではいけませんか。

お礼日時:2000/12/19 20:57

「霊とは死んだ後に残る意識である。

」 「残る」とは何らかの意味で観測可能ということですか?
現実に干渉する(たとえば超常現象を引き起こすとか、他の人間の意識・行動に干渉するとか、輪廻するとか)というのでないかぎり、つまり何ともインタラクションしないのなら、科学の対象外ということになります。それどころか形而上学としても多分意味を持ちませんね。
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この回答へのお礼

私のくだらない質問に何度もおつきあいいただきありがとうございます。
観測可能かどうかは私にはわかりません。それも質問に加えます。っていったら怒られそうなので、
観測不能だと科学で扱えないので、(現在科学では予想もしない方法も含めて)何らかの意味で観測可能としておきます。

お礼日時:2000/12/19 20:39

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