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1以下と1未満を1<xと1<=xに置き換えて考えます。
直線lを数(整数、有限小数および無限小数)として定義します。数の連続性を考えれば数を直線として考えることに異論はないと思います。
その場合、値1は直線上の一点xであると考えられます。
点xは直線上において領域を占めません(ユークリッドの定義から)。
ゆえに1<xと1<=xは直線上における同一の領域を示しているといえる。

この証明は誤っているのでしょうか。皆さんのご意見をお聞かせください。

A 回答 (11件中1~10件)

No.11に100Goldさんが付けたコメントは、全部の回答者に向けたものと承知の上で。



> 別に1/3を引き合いに出すまでもなく以下のようにも0.99..=1が証明できます。
> x=0.99.. 10x=9.99..
> 10x-x=9x=9

だからx=1。これを証明だとお認めになるのなら話はおしまいで、

> 0.99..は境界ですか。それとも0=<x<1という領域に含まれるのでしょうか。

の答はもちろん、
「0.99..=1なのだから、x=0.99..は0=<x<1を満たさない。つまり0.99..は0=<x<1という「領域」には含まれていない。」
となります。

逆に「0.99..は1と違う」という立場をあくまで貫くのなら、
「x=0.99..は9.0...x=9.0.... という方程式の解だ。」
と主張なさらなくてはいけません。
「でも両辺を9で割って、x=9/9=1となるじゃないか。」
なんて言われたって、
「いや、それは有理数ではそうだけれど、ここでやっているのは実数の話だ。x=9/9とx=9.0...÷9.0...は全く別のことを述べているのだ。」
と突っぱねなくちゃ駄目です。No.7でstarfloraさんが仰っているように、普通の数学では整数を有理数の一部として、また有理数を実数の一部として埋め込むということをやっているけれど、この埋め込みを認めたら「0.99...は1ではない」とは主張できなくなってしまいますから、断然認めちゃいけない。
 つまり、有理数における割り算/とは全く別物の割り算÷を考える(当然掛け算も別のものを考える)のでなくては、この立場は貫けない。計算や大小関係の規則を一から作り直す必要がある。そうやって作った「100Gold実数」の体系は、「普通」の数学の実数とは違う性質を持つことが可能になる。でも、有理数と実数を切り離してしまったんですから、「普通」の数学と違って
1/2 = 0.5
と言う訳にはいかない。
 そこで、例えば
1.0....÷2.0.... = 0.50....
なら認める。(÷は「100Gold実数」専用の割り算のことです。)この手で、1.0....=0.99....を認めて、しかし1と1.0....は別物と主張するのは容易です。実数1.0....は有理数1とは無関係だと。
 でもそれじゃ安易過ぎて詰まらないので、実数1.0....は有理数1とは無関係であり、しかも「1.0...と0.99....は別物!」と言える体系をやっぱり構築したい。その体系に於いてはa÷a は少なくとも1.0.....、0.99....という二つの答を持つのでなくてはならない。1.0....÷2.0.... は5.0.....と0.499...という二つの答を持つ。またa - b = 0.0.....からa=bを結論する事は許されない。そんな体系を矛盾なく構築するというアクロバットをやってのけられたら、面白いですね。
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またまたstomachmanです。


 「(1<x)と(1≦x)が同じ領域である」、ということを「普通」の数学の枠の中で意味づける方法の具体例をひとつ挙げてみます。(以下、全て「普通」の数学で言う用語を使います。)

 「実数の部分集合AとBとが『同じ領域である』とは、実数から{0,1}への関数
a(x) = もし x∈A ならば0、さもなくば1
b(x) = もし x∈B ならば0、さもなくば1
がどちらもフーリエ変換可能であって、しかもフーリエ変換した結果(超関数になります)が等しいことである。」
と定義します。
(「a(x)とb(x)をそれぞれフーリエ変換し、さらに逆フーリエ変換したものが等しいことである。」と言っても良いでしょう。)

すると、定理
{x| 1<x}と{x| 1≦x}は同じ領域である
は簡単に証明できます。

 例えば、実数から実数への関数f(x)を{x| 1<x}の範囲で定積分したものと、{x| 1≦x}の範囲で定積分したものは(積分が存在すれば)一致します。そういう意味で、ここで定義した「同じ領域」は実用上も意味のある概念です。

 つまり、使い途によっては、「普通」の数学の範囲でも、{x| 1<x}と{x| 1≦x}に何の違いもないことだってある。

ご質問の主旨からは、いささかずれてしまって、ご納得戴けそうにない気がするので、「自信なし」です。
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この回答へのお礼

みなさんいろいろとありがとうございます。
つまりこういうことでよろしいのでしょうか。
実数を線として考えた場合
0=<x<1という領域と1=<x=<2の領域の和の長さは2になる。
0=<x=<1という領域と1=<x=<2という領域の和の長さも2になる。
その意味では=<と<は同じであっても、後者の場合は実数の集合としての属性が失われている。(1という元を2つもっているから)
その意味で=<と<は異なる。

つまり提示した証明は誤っている。
=<と<が同じである場合、実数としての属性が失われてしまうため。

ここで、0.99...と1は互いに実数の集合全体の元のひとつであり、同じであるとはみなせないと考えてよいのかどうかという問題が残ります。

starfloraさんは0.33...と1/3は違うという意見もよいと書いていらっしゃいましたが、0.99..と1はでどう考えたらよいのでしょうか。

x=1という領域(つまり境界)には0.99..が含まれるとお考えたほうがよいのですか?

別に1/3を引き合いに出すまでもなく以下のようにも0.99..=1が証明できます。

x=0.99.. 10x=9.99..
10x-x=9x=9
x=9

0.99..は境界ですか。それとも0=<x<1という領域に含まれるのでしょうか。

お礼日時:2002/01/16 21:59

No.9の補足です。



100Goldさんのいう「領域」とは、集合Γの元のことであり、「同一の領域」とは、
no.9で私の与えた写像によって同じ実数に写されるΓの元である、と定義できませ
んか?
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もしかしたら、こういうことでしょうか?


いま直線が標準的に実数と対応しているとします。
そしてユークリッドの距離位相が入っているとします。
いま、直線内の原点0を(位相的境界の意味で)端点にもつ
連結な部分(位相)空間全体からなる集合Γ(ガンマ)を考えます。
Γの元aには原点とは異なるもう一つの境界xが存在します。もしなければ、
x=0とする。こうして、写像Γ→R(実数)が、a→xで定義されます。
しかし、この写像は全射だが、単射ではありません。たとえば、
Rの元1に対して、そこに写されるΓの元は、
{x:0<x<1}{x:0=<x<1}{x:0<x=<1}{x:0=<x=<1}
の4つあります。したがって、実数全体では、このΓという集合の元は完全に
区別できません。Γという集合の元は、実数を代表しますが、実数によっては
一意に定まらないのです。100Goldさんの考えている実数まがいのものというのは
このΓという集合のことではないですか?

ちょっと無理やりかも…。
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stomachmanです。

No.6ではちと、端折り過ぎたようです。

> 直線lを数(整数、有限小数および無限小数)として定義します。数の連続性を考えれば数を直> 線として考えることに異論はないと思います。
> その場合、値1は直線上の一点xであると考えられます。
 ここまでは、100Goldさんが(「普通」の数学に含まれる解析幾何学や、ユークリッドの幾何学とは取りあえず無関係に)独自に「直線」と「点」という用語を定義した、ってことです。
 ただし、「数(整数、有限小数および無限小数)」と仰る数がどういうものなのか。特に「無限小数」ってのは何か、ここの所は慎重な吟味を必要とします。小数では表せない無限小を扱う超準解析の出番はなさそうですが、無限小数を「0~9を無限個並べたもの」で定義したことになっているのかどうか。「0.999999... = 1 ?」という問題はまさにそこに関わっています。「「普通」の数学では0.999999... = 1 か?」という質問ならYESですけど、100Goldさんの定義する数においてYESだとは限りません。
 さらに、「として」というのがどういう意味か。ご承知の事とは思いますが、「集合」という概念は必ずしも自明ではない。集合とは違う性質を持つ「集まり」のようなものを別途考え、その「集まり」を指して「数として」と表現していらっしゃるのでもおかしくありません。また、「集まり」が最初からあるのではなくて、必要になる度に具体的な数を作り出していく、という考え方を採ることも可能です。

> 点xは直線上において領域を占めません(ユークリッドの定義から)。
 (他の方々もご指摘の通り)「領域」という言葉が出てきますが、これも(ユークリッドではなく)100Goldさんが定義を与えるのでなくては意味を持たない訳です。
 しかしそんなことよりも、ユークリッドの言っている「直線」が、100Goldさんの定義した「直線」と同じ概念かどうか、という吟味が抜けている。ここが一つの問題点です。「100Goldさんの言う数や数の集まり」と「ユークリッドの言う点や直線」とを同一視するには、ユークリッドの理論と100Goldさんの数に関する理論との対応付け、つまり「一方の理論における定理を他方の理論の定理に読み替えても常に正しい」ということの根拠が要求されます。
 もちろん、そうする代わりに「点xは直線上において領域を占めません」という定理が出てくるように、「領域」という概念を(ユークリッドの理論とは無関係に)定義なさっても良いのです。

> ゆえに1<xと1<=xは直線上における同一の領域を示しているといえる。
 「直線の一部である(1<=x)というものに含まれている1という点は、直線上において領域を占めない。だから、(1<=x)から1という点を取り除いても領域は変化しない。」
という理屈だと思いますが、この『だから』が言えるのかどうか、というところが、次なる問題です。
 例えば「領域を占めないなら無いも同じだ。無いも同じのものを取り除くのは何も取り除かないのと同じだ。だから」という意味だとすると、「領域を占めないなら無いも同じ」「無いも同じのものを取り除くのは何も取り除かないのと同じ」が妥当な推論であることを裏付ける必要がある。ここでは「同一の領域」なる言葉が何を意味しているのか、という所にポイントがあります。

 ですから、100Goldさん自身の定義した「直線」において、「領域」やその他の用語を矛盾なく定義して理論を構成すべきと思います。(その際に、構成的の立場は参考になるだろうと考えます。既にご存知のようにも思えますが。)
 その理論はまだ出来上がってはいないにしても、「普通」の数学とは異なる定理 :
( x<1 )= (x≦1)
を導く筈で、ゆえに100Goldさんの「直線」は、「普通」の数学の解析幾何学に於ける「直線」と同じ概念ではない。勿論、同じでなくて構わないです。ただ、現段階ではまだ、この定理を証明するための道具が揃っていないように思われます。
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  No.6 の方は、構成数学のことを持ち出され、選択公理にも言及され、「水掛け論」と言っておられますが、わたしはそうは考えません。
 
  まず、質問者の質問については、こういう形の問いに対する標準的な考え方、答え方というものがあり、その考え方からは、提示の証明は、間違っています。
 
  しかし、何故、そういう標準的な考え方に従わねばならないのか、という疑問も出てくるのです。質問者の意図を汲み取ると、これは、その証明は「正しい」という結果にもなります。どうして、正しいと言えるのかの説明を以下に述べます。
 
  デーデキントの切断や、開集合、閉集合の概念なども含め、これらは、「連続実数」とは何かということを探求し、研究する過程で提出されたものです。そして、これらは、いわゆる「選択公理」を前提とする標準的な集合論(ZF等)や、そこからの展開であるカントールの無限集合理論などに繋がっているのです。
 
  「選択公理」は、非常に便利で、有効な強力な公理ですが、おかしなパラドックスを導くことでも有名です。それ故、選択公理を入れて、公理系を構成する場合、外して公理系を構成する場合などの考えが起こり、また、選択公理の公理としての妥当性にも疑問が出てきて、これは、無限操作を認めない直観数学とか、構成数学の考え方にも近寄っているのです。
 
  しかし、そういう話はおいておくとします(と言いいつつ、いまから、選択公理について述べるのですが)。まず、カントールの無限集合論は、選択公理を使っています。例えば、実数の無限濃度を、連続体濃度、あるいはアレプ1の濃度と言います。Rを実数を表現する数点集合だとすると、R^2(RXR)は、Rの無限濃度と同じ濃度です。つまり、R^2とRの集合は、無限体としては、同じ濃度アレプ1です。これは、{R}と{R^2}の要素のあいだに、一対一対応が付けられる、あるいは、そういう写像が存在すると証明できるので、同じ濃度となります。この場合、一対一対応にならないという写像もあるのですが、無限集合論では、写像があれば、無限濃度は同じであるとします。この関係を雄弁に語っているのは、「無限集合とは、その真部分集合と、一対一に要素が対応するような集合である」というような、無限集合の定義というか、説明です。(「真部分集合」とは、真の部分になるという写像があるので、そう言えるのです。にも拘わらず、その真部分集合自身の要素のあいだに、一対一対応の写像があれば、この集合と、その真部分集合は、「同じ濃度」の集合となり、こういうのが、無限集合の特徴だというのです)。
 
  R^2とR^3も、同じ濃度の無限集合です。この場合、対応できる写像があるというのは、任意に要素を集合から選び出すことができるからで、ここで選択公理が使われているのです。
 
  幾何学の図形で考えると、Rを、長さ1,例えば、0<=x<=1の区間の領域の集合と考えてもよい訳です。すると、一辺1の正方形の含む点の濃度は、R^2になり、一辺1の立方体の含む点の濃度は、R^3になります。これらは、無限集合論では、同じ無限濃度です。含まれる点が同じ数(というか、正確には、点のあいだに一対一対応写像が作れるということ)です。
 
  質問者は、1<=xが定義する半直線と、1<xが定義する半直線は、直線としては、同じものだということを主張しているように思えます。そして、これは直線としては同じものでしょう。1=xの点が1<xには含まれていないと言うのなら、選択公理で、どこかから適当な点を取って来て、ここに置けばよいでしょう。ただしx=1の位置にではないです。どこにかというと、(超準解析の話になるのかも知れませんが)、x=1でない、この半直線の端に置くのです。
 
  これで、証明の正しさは出てくるのではないでしょうか。
 
  半直線を構成する集合の話と、その順序位相などの話からすると、これは実はおかしいのですが、また、正方形と立方体は、含む点の数が、無限集合論からすれば同じ濃度であるが、しかし、これらは幾何図形で、構造や位相があり、単なる集合ではないというのでしたら、「ユークリッドの定義」と言っているのですから、ここでいう「領域」は、集合ではなく、線分という幾何図形のことだとなります。
 
  無論、質問者の言葉には、疑問な点が多数ある訳で、「領域」という言葉は、問題があるとか、こういう風に考えると、「数の連続性」とは何のことかという疑問が起きて、それは、おそらく、この「同一の領域」と言っている証明法が使っている数学の論理または公理とは、別のシステムが必要になるのでしょうが、そこまでは、分かりません(責任を持ちません)。標準的な考えでは、上のわたしの説明も、「数の連続性……」という言葉と、「同一の直線を示している」という結論のあいだで、使用している、公理系が、切り替わっているはずだ、という反論になって、それはおかしいと言うことになると思いますが、おかしいかおかしくないかは、質問者が、今後考えてみることで、よいのではないでしょうか。
 
  つまり、質問者の言い分も、それなりに背景あるいは根拠があると言うことで、こういう「数学の拡張」もありえるかも知れないということです。それは、構成主義や直観数学に似た感じを与えるのでしょうが、そうレッテルを張るのもどうかということです。
 
  なお、以上述べたことは、標準的な数学の考え方からは逸脱するのだ、ということは、前もって言いましたが、ここでも繰り返し述べます。
 
  1/3と 0.3333……の3が続く無限循環小数は、同じか違うかという問題もあるようですが、わたしは、違うという意見も正しいと思います。有理数環(または有理数体)の要素として、1/3は定義される訳で、実数体の定義の後では、1/3は実数で、それは、0.3333……と同じ実数を表すと定義されるのですが、有理数環(体)で定義される1/3と、実数体で定義される1/3つまり、0.3333……は、別の集合に属する別の要素ではないのかと言うことです。有利数体は、実数体の部分体であるので、同じなのだというのは、実数体を構成した後の話のはずです。実数体の構成は、大学で学ぶはずですし、すべての人が学ぶ訳ではありません。分数、循環小数というのは知っていても、それらは、有理数のなかの話です。「無限小数」で、すべての数(実数)は表現されるというのは、実数体の定義から出てくるはずです。有理数以外に、無理数や超越数があり、これらは、有理数に較べて無限にたくさんあり、無理数より更にたくさん、超越数があるという話だったと思うのですが、そんなにたくさんある超越数はどこにあるのか、という疑問を抱きます。πやeが超越数だということもかなり証明に苦労したと記憶しますし。……すべての無理数にπだの、π/2だのその他、πの変形数を無数に加えることができ、それだけで、濃度はともかく、超越数は、すべての無理数よりも、無限に一杯あるということは言えますが。閑話休題で、後、続きなしです)。
 
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1/2, 3/4, 7/8, 15/16, .... という列の最後の要素は何でしょう?何にでも端があるとは限りませんぜ。

---なんてレベルじゃなさそうです、このご質問。

 100Goldさんはデデキントの切断も理解した上で、なお問いを発していらっしゃる。

 てことは、「構成的数学」の立場でいらっしゃるように思われます。すなわち実際に構成できる対象以外は認めない(選択公理を認めない)。ひょっとしてさらに厳しく、可算無限回の操作も認めない?すると数学的帰納法も駄目?有限回の操作で構成できる対象しか認めないと仰る?
 そうなりますってえと、無限を扱うこと自体が無理になっちゃいますから、実数どころか自然数すら扱えない。有限個の対象しか扱えません。
 こういう立場を取ることも数学の一種としてあり得るし、実際やってる人も(minorではありますが)いると思います。ただ、そこに構成される種々の概念が、普通に使われている数学のそれと一致する訳ではない。仮に同じ名前をつけたって、飽くまでも別物。別物でないということを証明するには、普通の数学理論の概念との間に準同型の対応を与える必要があります。(これは圏論の問題かな?)

 ですから、用語の定義どころか、独自の公理系と推論規則から出発して、仰るような性質を持つ「100Goldさん流の自然数や有限小数や無限小数」を構成してみせるんでないと、この話は単なる水掛け論になってしまいます。
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境界という概念は、無限集合を扱う際に人為的に付け加えられた概念だと


いうのが僕の理解です。したがって、不都合が生じない限り、使い続けても
何の問題もないと思うのですが。それとも、何かの不都合があって、疑念を
抱いているのでしょうか?
それと、重ね重ねお聞きしますが、100Goldさんが使っている
「領域」「同一の領域」「境界」
という言葉は、ちゃんと定義された言葉ではなく、ただ漠然とお使いになって
いるだけのように思うのですが、どういう意味で使っているのかをもう一度
仰って頂けないでしょうか。それともこれらの言葉をどのように定義するのか
を問題にしているのでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに私は混同していました。
数を線として捕らえていたので、領域は「長さ」、境界は「点」になると考えていました。この場合は点は長さを持たないため点の部分で線を分けても点の部分は両方に含まれていることになりますよね。つまり、どちらにも境界が含まれる。
しかし、デデキントの公理は数を集合として取り扱っていますね。集合として扱えば1も集合内の元のひとつになりますね。順番に並べれば1の前が0.9999...後が1.00....1になるのでしょうか。
この場合は確かに1の前で分ければ、後のほうに1が含まれるということですか。
と、こんな感じでいいのでしょうか?
こうなってくると実数を線で表せるという前提自体が間違っていたということなのでしょうか。
どう思われますか?

お礼日時:2002/01/16 00:39

数学においては、「同一」という言葉は定義しないといけない言葉です。


100Goldさんの述べておられる「同一の領域」とは、どういうことを
言っているのでしょうか?

ユークリッドの距離位相では、x<1とx=<1 は異なる部分(位相)空間です。
前者には境界が含まれず、後者には境界が含まれるといった違いです。
この二つの領域が等しいところを挙げろといわれるとそれは測度(長さの
ようなもの)です。

どうもこの二つの概念をごっちゃにしておられるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに位相幾何学においては開領域と閉領域あるいは開集合と閉集合という概念が存在します。しかし、この境界を持つあるいは持たないという発想そのものに間違いがあるのではという疑念が出発点なのです。
chukanshiさんに挙げていただいたデデキントの公理は「実数をA、B2つの部分に分け、Aの元よりBの元が大きいようにすると、Aに最大値があるか、Bに最小値があるかのどちらか一方がおきる」というもののようですが、AもBも(実数を元にすると)無限集合になってしまうため、この操作自体が不可能であるという気がするのです。
うまくいえないのですが境界の部分には領域は含まれませんよね。だから境界を含まないなんてことは不可能なんじゃないかっていう疑問を解決したくてこんなことを考えてみたわけです。
「x<1を満たす点を内点1<xを満たす点を外点とするといずれにも属さない境界点x=1は存在せず、x=1はいずれも満たす。」というのが今のところの考えです。
x=1という部分空間が線上に存在するんでしょうか?

お礼日時:2002/01/14 13:27

ちょっと前にも同じようなことを書いた記憶が。

。。

こんな連続性の定義がありますが、いかがでしょうか?

「1」で数直線を「切断」したとします。
「x<=1(A')の切り口には『1』という「数」が存在します。」
では、「x>1の切り口にはどういう「数」が存在するでしょうか?」
答えは、「「数」は存在しない。」
のです。
逆に
「x>=1の切り口には『1』という「数」が存在します。」
では、「x<1(A)の切り口にはどういう「数」が存在するでしょうか?」
答えは、「0.9999.....というようなものがあり、「数」は存在しない。」
のです。

このように、「数直線を切断したとき、片方の切り口には「数」が存在し、
もう片方の切り口には「数」が存在しない。」というのが、「数直線が
連続である。」すなわち、「実数の集合が連続である。」ということになります。
これを「デデキントの切断」といいます。「連続」の定義の仕方の一例です。

つまり、x<=1(A')を満たす最大の数は存在して1ですが、
x<1(A)を満たす最大の数は存在しません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
デデキントの切片にはいささか疑問があるんですが、0.9999...は先の質問にも書いたように1であると思います。
つまり実数を切り分けた場合、切片は片側だけに存在することは不可能で、両側に存在してしまうのではないかと思うのですがどう思われますか?

お礼日時:2002/01/14 13:31

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