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伊達の騎馬鉄砲隊というのは馬で敵陣に突撃しながら鉄砲を撃つそうですが、当時の鉄砲は1発撃ったら終わりのはず。
その後どうやって戦ったんでしょうか?

A 回答 (3件)

当時の野戦では徒歩の槍隊が密集体形で前進する槍合わせが先鋒主力でこれに前後して弓組や鉄砲でこの陣形を攪乱するのが普通で、乱戦状態になると弓組も太刀で戦うのですが、鉄砲は狙撃専門で、騎馬武者(大抵指揮者)を主な目標にしたのです。



関ヶ原戦で石田方の島左近や、東軍の井伊直政、松平定吉などが死傷させられたのはいずれも鉄砲狙撃によるものでした。
大阪の陣でも後藤又兵衛が戦死したのも鉄砲狙撃でした。

このような戦法に騎馬隊が活躍する機会はなく、大規模の騎馬戦闘隊を編成する必要はなかったし、またそれを可能にする下地もありませんでした。

これに対し、伊達政宗は馬産地が領土でしたから騎馬隊を編成出来、その高速性を活かして戦う戦法を工夫したのです。
また金の産出もあり鉄砲の装備率も高かったので、鉄砲を騎馬隊にも持たせたのが鉄砲騎馬隊です。

突撃しながら発砲するのではなく敵前射程距離に達したら停止、銃撃して退却、後続する騎馬隊が敵陣の乱れに乗じ突撃する戦法でした。
多分に意外性をねらった攪乱戦法でしたから実戦での効果は疑問視されたようです。
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この回答へのお礼

>突撃しながら発砲するのではなく敵前射程距離に達したら停止、銃撃して退却
なるほど、それなら戦法としてありえますね。
たしか騎馬鉄砲隊を使った戦って大阪夏の陣だけだったようで、もっと実戦で使う機会があれば効果も上がったのかもしれません。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/29 00:16

鉄砲部隊は前衛部隊です。


騎馬の本体は後ろにいて攻め込む幻影戦術です。

もともと伊達領は馬の産地であったので、この戦法はもってこいでした。
特に速い馬で鉄砲隊を編成し、鉄砲隊が戦場を疾駆して攪乱します。

鉄砲隊は足軽部隊という当時の常識を逆手にとった戦法です。
こんな戦術に初めて戦場でまみえれば、騎馬戦でもどこから
鉄砲がとんでくるか分からないという恐怖にかられます。

そういう疑心暗鬼のところへ後続の本体が来るのですから、
うまくいくときは最初の一合わせで相手は潰走。

真田幸村に敗れるまで、創始したころは効果抜群で連戦連勝でした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
つまり威嚇目的で、本当に戦うわけではないということですね。

お礼日時:2006/01/27 22:51

信長の三段撃ちと破れた武田騎馬隊からヒントを得た、騎馬鉄砲隊の話は有名ですが、実際に行われたかというと定かじゃないみたいですよ。

伊達家の資料に騎馬鉄砲隊という部隊に関する記載が全くないとか。後世の創作ではないかと言われてます。
そもそも単発というのもありますが、当時の鉄砲はかなり反動があるはずで、馬上で精密な射撃が可能かというのも怪しいですね。しかも鉄砲は当時は大変高価なハイテク兵器ですから投げ捨てて刀で戦うというのもあり得ないでしょうし、揺れる馬上で留まって装弾するのも難しい事だと思います。実際には号砲として使われた程度じゃないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
そういえば信長の三段撃ち自体、史実としては怪しいらしいですからね。

お礼日時:2006/01/27 22:47

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