プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 今は僕は学生なので、来年くらいから就職活動をすることになると思います。
 そこで最近色々な形で社会人の方と接触するように心がけて話を伺っているのですが、ほとんどの方が「今の仕事を辞めたいですとか」、「この仕事は辞めとけ」ですとか、どの仕事の方に聞いてもあまりよい話は聞けません。やはり飲みの席だったりすることもあり愚痴っぽくなってしまったのかもしれませんが、さすがに「何が楽しく仕事してるんですか?」とは自分の立場として聞けません。
 みなさんいろいろな仕事をなさっているとは思いますが、それぞれに辛いことも喜びを感じることがあると思います。主観的なものでよいので是非お聞かせ頂ければ幸いです。

A 回答 (10件)

働くことの喜び・・・ですか。

明確に得られるといいですねえ。
確実なものは(有る程度制限はあるとはいえ)自分で自由に使える給料でしょうか。

「働くこと=お金の代償」というのが基本線あるので(お金を払って通学する学校と違い)必ずしも何かいいものが得られるってわけじゃありません。

ちなみに
「何が楽しくて仕事してるのですか?」
という質問はいい質問だと思うのですが。聞いたら
「お、こいつマジで俺の仕事に興味があるな?」
と思ってもらえます。

そのまま聞くと問い詰めるような語感があるのでちょっと変えて、
「この仕事の面白みは何ですか?」
と聞いてみるとちゃんと仕事をしている人なら、まともな答えが返ってくるはずですよ(^_^)/

私(ネットワークSE)の場合の「面白み」は今日も平穏無事、
ネットワークとそれにつながったPCがマトモに稼動してこうやってのんびりサボっていられる。これだったりするのです。
あっちこっちのPCがフリーズなんかしたら、それこそこうしてgooに回答する暇などありゃしません。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。なるほど、そういう聞き方いいですね~。とっても参考になりましたありがとうございます。

お礼日時:2002/01/06 18:22

働くことの大きな喜びは「自己実現」と「対価を得る」



この2つにあると思っています。

両方満たされて、はじめて充実した職業生活を送れるのでは?と思います。

その一人一人の自己実現が他者や社会への貢献につながって行けば理想的だと思う

のですが。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。自己実現とその恩恵まったくその通りですね。そうでありたいと思う自分がいてそれを評価されている自分がいる、そういう自分でありたいものです。

お礼日時:2002/01/06 18:44

「働くことの喜び」と云いましても、これは人それぞれ


違うと思うんですね。

例えば、
 ○仕事を通じて人に奉仕し、その結果として感謝
  されることに喜びを感じる人。(あるいは、奉仕
  すること自体に喜びを感じる人)
 ○満足する給料を得ることに喜びを感じる人。
 ○満足な給料を得て、家族が裕福であることに
  喜びを感じる人。
 ○仕事を通じての地位や名誉を尊ぶ人。
なんて風に、多種多様ありそうですよね?


で、私の「働くことの喜び」は、
 1.家族が不安のない給料を得て、金銭面で苦労を
   掛けない。
 2.仕事を通じて、多くの人に喜んで貰えることを
   願う。
 3.自分も楽しく仕事をしたい。(それが結果として
   喜びになるし、機嫌の良い亭主でないと妻も
   不幸だろう)
って、三つのことが同時に達成されて、初めて獲得でき
るものなんです。

なんですか、非常に欲張りにも取れるんですが、各々の
レベルを少し下げてやれば、例えば、毎年海外旅行に
行けずとも、外食や夫婦のデートは適当に行ける。
週に一回程度は同僚や上司に感謝される仕事を仕上げる。
残業が多いながらも、土日はゆっくりと家でくつろげる。

まぁ、そういう、各々の項目について、自分なりに妥協
しながらも満足できるレベルに達することが出来る仕事
であることが、私の「仕事での幸福感」です。

 ※:これが凡人でなければ、どれか一つで
   満足するんでしょうがね。


とまぁ、縷々駄文を書きましたが蛇足を少々。

仕事上で辛い事、そら数え上げられないほどの種類が出
きました。

しかし、陳腐な言葉で言えば、「辛いことを補って
余りあるほどの、”自分にとっての楽しいこと”を経験
できた」から、自分が選んだ道は、今でも幸せであった
と納得出来ています。

  ※:月の残業が200時間を超えてた時期には
    さすがに命の心配もしましたけどね~。

で、なぜそういう道に進めたかというと、それは運も
当然あったんですが、会社に入る前段階で、徹底的に
悩んだ、それこそ、夜を徹して考え抜いて、先輩方にも
徹底的に(職種や待遇やムード)を聞き込むのも良い
でしょう。 で、自分なりに納得した上で進路を決めて
行ったのが良かったのかな?っとも考えています。

 ※:その上で、同僚や先輩上司と仲良く、常に正直に
   接するように(大したレベルではないのですが)
   少しづつ努力していた事が、結果として大きな
   リターンになってくれたようです。
   (入社時の上司が、そのように教育してくれた
    ことが大きかったですね。)

つまらない内容ですが、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございました。なにはともあれいろいろと苦労をなされたとのことでお疲れさまでした。
 やはり人がどういおうとも自分が幸せだと思えた人が人生の勝者ですね。
参考になりました。

お礼日時:2002/01/06 18:35

働くことの根源的な意味を考えたことがありますか。


少なくともお金のためではないでしょう。
今日では当たり前となってはいますが、本来は生きるための手段です。
人は働くことで生きるための糧を得ているのだと思います。
会社組織のような狭い社会で考えるから働くことの意義を見失ってしまうのです。
こういいながら私も以前は会社組織に属しておりました。
しかし、お金のためだけではない喜びはかなり感じていました。
自分の能力が会社組織を通じて社会に寄与できることが嬉しかったのです。
話を単純にするために、戦前の農家集落の労働を例に挙げましょう。
貨幣経済の社会ではありましたが、基本的には自給自足に近い生活実態が多かったはずです。
自分の家族の生活は家族が支えていましたが、集落単位での労働は「結い」という労働形態がとられていました。
集落内で萱葺き屋根の葺き替えをする場合は、集落民は萱を持参して無償で葺き替えに従事します。
自分の家の葺き替えの時には皆に手伝ってもらえることがわかりきっているからです。
自分の労働が集落社会の中で明確になっていました。反対に協力なくしては集落社会が成り立たなかったともいえます。
働くことはすなわち生きる糧を得ることに直結していたのです。
人と家畜のエネルギーだけが頼りであった頃は個人の喜びは二の次というか、そんな余裕がなかったともいえます。
今日の余裕をもたらしている物は紛れもなく化石燃料です。原子力でもあります。
このような「禁断の果実」に手をつけて生きているから、生きることの本質を見失ってしまうのです。
人は将来の人のために生きることが必要だと思っています。
自分だけがよければそれでよいと、先人が考えていたならば今の私達はどうなっているかを想像して下さい。
しかし、残念なことに今日の社会に生きる方の多くは個人の利益を尊重しすぎます。
将来の子孫の利益に比べれば現在の個人の利益など取るに足らない存在のはずです。しかし逆転しています。
私が働くことの喜びは、家族を養い、地域の自然を潤わせ、地域の自然を他者のために生かす術を提供することにあります。
すべて「他者」のためです。
お金儲けは結果であり、目的ではありません。
自分の行いが社会のためになったときにはじめて「稼ぎ」となって還元されるのだと思っています。
抽象的な回答ですが、人の生きる意義とも絡めて考えていただきたいと思いアドバイスさせていただきました。
参考にしてください。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。興味深く読ませて頂きました。
 rakkiさんのご意見ごもっともだと思います。我々はそういった化石燃料ですとか原子力に頼らなくては生きていけず、また後戻りもできない状態にいます。しかしもう以前の形に戻ることは今の我々にはできないことですから、今の我々が今の膨大な人々の生命を維持しつつどう人間らしく生きてゆくかが大切なのでしょう。
 と、職業から話しが離れてしまいました。社会のために働くことが生きる意義とのことですがそれもごもっともだと思います。しかし直接的に社会に貢献することだけが社会のためになるとは自分は思いません。確かに気持ちのうえで私欲をむさぼることは弊害もありますが、いわゆる利益追求の活動が経済全体において大きな社会的な還元をもたらすことも多いと思います。日本が豊かになれたのもそのおかげです。そして我々はもはやその豊かさの恩恵を捨てることはできません。
 

お礼日時:2002/01/06 18:18

今の時代に、働く事で喜びを感じる事が果たして出来るのか?????。



「働く」は「傍(傍にいる人)を楽にする」事。
「楽」は「心が、幸せな」こと。

ノルマ・残業・休日出勤・・・。
朝も早ヨから出かけ、遅くの帰宅。
夫婦の会話も無く、心が擦り切れそうな毎日。

こんな状況で、「傍を楽に」しているのかな?

自宅で仕事をして、夫婦の会話も多く、収入は少ないが幸せな生活を営む、オジサンが、勝手に世間を見た感想です。

起きを害された方がいらっしゃったら、ご容赦願います。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。幸せな家庭を築いているとのことで羨ましくも尊敬します(笑)。家で働いているかたでも夫婦の会話がなく、むしろ妻に煙たがられる人もいるみたいですし・・・・。
 まあとにかく幸せは思った勝ちですね(笑)

お礼日時:2002/01/06 18:42

私の場合は仕事を通して「世の中の色々な事を学べる事」と「自分が成長できる事」でしょうか。

(多分ちょっとは、してるはず)
あとは「つくる喜び」ですね。これは別に製品の「製造」という意味ではなくて、おカネになる仕事というのに多かれ少なかれついて回る「生産的」な性質のことです。学校で文化祭の出し物を皆で作ったことなんてありますか?ああいう事の楽しさに少し似ていると思います。
特にモノつくりの企業ではなくても、生産性の高い仕事には多かれ少なかれそういう楽しさってあると思っています。逆に私の経験では不合理な規則ずくめの仕事や、ムダの多い仕事は作業内容が何でもあまり楽しくないですね。
まぁその辺の話は諸説あると思いますが、ともあれ仕事を楽しめるよい就職をされることを祈っています。頑張れ!
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。やはり自分のやってることが無駄なことだと思うのが一番つらいですね、こんなこと何のためにやってるのか分からない、と思うような仕事はしないでゆきたいものです。
 応援ありがとうございます。頑張ります!

お礼日時:2002/01/06 18:38

私の場合は、もちろん給料をもらうことも喜びの1つですが、何といっても苦労した仕事をやり遂げた後の達成感や、それを良く評価されたときの喜びに勝るものはありません。

苦労している途中は、そりゃもうしんどくて投げ出したくなることもあります。ただ、往々にしてそのような経験も後になって考えてみると、失敗・成功に関わらず良い経験・思い出になるものだと思います。
学生の頃の、卒論を終えた後に近いものがあると思います。
ただ、今のご時世では、「そんなのきれい事だ!」と言われるかな・・・
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。失敗してもよい経験だったと思えるような心のたいさの大きい人になれたらいいな~(笑)

お礼日時:2002/01/06 18:31

absolutionさんがお話を聞かれた社会人の方も年齢はお若いのでは


ないでしょうか。もし、そうであれば社内の立場も大勢いる社員の一人と
いう感じで、仕事の充実感を味わう機会も早々ないかもしれません。

会社内ではある程度の年齢(管理職手前の30代中頃?)にならないと
仕事の醍醐味を味わうことも少ないような気がします。
たとえば新規事業の立ち上げやプロジェクト・リーダなど責任ある立場を
で成功すれば、喜びがあると思います。

私などは日頃の仕事に流されて、働く喜びより日常の不合理に腹を立てたり
してしまいますが、それでも嬉しい事も多いです。たとえば・・・
1.業務目標を達成したとき
2.部下が成長したと感じるとき
3.人間関係が広がったとき
4.新規プロジェクトをやり終えたとき
5.給料があがったとき
6.ボーナスを貰ったとき
7.管理職になったとき
(だんだん俗っぽくなってきたので、ここらで止めます)

今は世の中が不景気で、業界によってはツライ状況にありますが。
でも私にとっての喜びは、こんなものです。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。自分が話しを聞いた方々はみなさん30代半ばから後半のかたで子供も結構大きくなってる方が多かったです。
 やはりつら~い日々の後に達成感を得られるから喜びが生まれるのでしょうね。参考にさせて頂きます。

お礼日時:2002/01/06 18:28

まず、仕事は辛いというのは、不思議ではないことは、absolutionさんも分かっていることでしょう。

私は、離職中です。今の時代、終身雇用が崩壊しつつある世の中で、ストレスのない職場作り等、不可能に近いのではないでしょうか?
働く喜び・生きる喜び、色々問題はあります。人生は償却する物でしょうか?
とにかく、この御質問に、失業中の自分がお答えしても、喜びには直接は繋がらないでしょうが、私は、absolutionさんを、この場だけでも応援致します。
しかし、学ぶことは喜びと感じることはありますよ。苦痛と感じることの方が多いですけど。仕事に関しては人、それぞれ、それでいいじゃあないですか。自分で言ってて情けない。助けてくれ~!!
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。やはり生きてゆくこと自体が辛いものなのでしょうね。その中に極まれにでてくる人生すてたもんじゃないと思えるような一瞬のために生きてゆくものなのかもしれません。お互いがんばりましょう!

お礼日時:2002/01/06 18:26

私の場合、自分の働いたお金で自分の好きなように自分を楽しませることが出来ることかな。


時には家族や好きな人にもプレゼントすることが出来るし、親にすねかじりしている時よりも自分の責任で日々を過ごすことが出来ます。

あとは、自分の将来性を試したいからかも。私はPC系の事務職ですが、やはりどのくらいのスキルがあればいいかなんて仕事をしてみないと分かりません。
学生時代にきちんと習っていて自分では知っているつもりでも、やはり机上のお勉強と実務経験は違います。
新しいことを学ぶ楽しさや新しい人と出会う楽しみは、時間の拘束やしたいことを我慢する苦痛があったとしても、とても貴重な経験だと思います。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。やはり自分というものが持てるというのは大きいと思います。そういった意味で自立するということなのでしょう。
 がんばってみたいと思います。

お礼日時:2002/01/06 18:21

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