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私の場合、昭和39年2月生まれなのですが、
今年は本厄で、来年が後厄です。

新築マンション購入を、今月に契約して来年10月に入居予定です。

なんとか、引越しは、今年の本厄を避けて、来年入居なら問題ないと思いましたが、後厄でも引越しは避けたほうがいいでしょうか?

※いま、会社の借り上げ社宅に住んでおり、さ来年の2月に会社からの家賃補助期間が切れるので、来年中(遅くともさ来年の2月)には、引っ越さないといけない事情があって、マンションを購入予定です。

A 回答 (4件)

僧籍の者ですが、どうも厄年の本義を勘違いされているようですね。



 厄年というと災いが起きる年と一般に考えられていますが、もともとは村落共同体社会で特定の年齢に達すると、祭礼における神事を司ったり、神社仏閣を守る「宮座」に加入したりしました。それに加わる年齢になると、通過儀礼の一つとして「忌み」、つまり神を祀るために心身を清め、特定の言動を慎むなどの精進潔斎(しょうじんけっさい)を行いました。その際に禁忌を犯してはいけない。侵した事による災いを「厄」としました。現在でも特定の年齢に達すると、寺社仏閣や霊山・霊場に一定期間、参拝参籠を行う、神体を家に迎え、一定期間その神を祀るなどの信仰は各地に残っています。そしてそれを達成することにより、初めて村落社会で重要な責任を持つ一員に加えられる。つまり「役(やく)」が与えられる「晴れの年」なのです。
 しかし近世の都市部では前述の意味合いが薄れ、「忌み」の面のみが重視され、さらにはその年齢も「42歳は『死に』」「33歳は『散々』」などの語呂合わせがで固定化され、さらには精進潔斎ではなく「厄払いのお参り」と称しての物見遊山的な寺社参詣へと変化していきました。

 以上を踏まえ、厄年(役年)の本義に立ち返れば災いが起こる悪しき年ではなく、今までの生活を改めて、神を尊び仏を敬う。さらには今まで育ててくれた先祖・親族兄弟や友人に感謝するとともに、国家や社会・他者に奉仕する。そのような責任ある一員になるための出発点、それが厄(役)年です。逆にいえば、いくら厄払いをしても、自らを顧みることなく災いを他者へとなすり付けるだけでは、何の意味もありません。

「厄除けをしてくれ」と願う人に私はまずこう言います。
「厄除けをお願いするのはいいけれど、幸せなときにあなたは神仏や他者のお陰と感謝したことがありますか?」
 多くの人は首を横に振りますね。災いが訪れたら“神仏や先祖の祟りだ”“だれそれの仕業だ”とばかりに押しつけるが、幸せなときは自らの努力のたまものと言わんばかりに感謝しない。そんな傲慢な心こそが真の「厄」です。そんな厄を払って、「役」を迎えることが重要です。それをせずに「本厄」だ「後厄」だと気にしても、いずれにせよ新たなる「不幸の原因(責任)」を何かに押しつけて「どうしよう、どうしよう」となるだけですよ。
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No.2さんに激・同意します。


そんなの迷信・インチキ・ウソ・大げさ・紛らわしいです。
神道か仏教だか知りませんが、他宗教の外人や動物さんなんてまったく気にしてませんよ。

強いていうならば、厄年とは一般に肉体の変化、衰えなどの人生の節目なので、今後健康にはより気をつけましょうという先人達の偉大な教えです。
運動してますか?野菜を多く採ってますか?塩分は控えめにね。

それを厄除け大師などが商売になるからという理由で触れ回っただけです。
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他に問題がなければ 「厄年」など気にしないで予定通りに転居なさい。

ちょっときつい言い方になるかもしりませんが 今でも こうした迷信を信じ それに行動が制約されている人たちがいることを 不思議に思います。わたしは 過去に何度も引越しましたが 転居年や転居日の吉凶など 脳裏にありませんでした。気にしていたのは当日の天気のみでした。「土砂降りの大安」の日より「好天の仏滅」の日に転居するほうがいいと考える者です。「前厄」「本厄」「後厄」・・・全てゴミ箱に削除してください。
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厄が気になるのなら避けたほうが無難です。


何かがあると、後厄のときにということになるでしょう。
ただ、契約を本厄のときにしていますので、いまさら引越しを気にしても仕方がないですが。
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