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英会話を習っているのですが、
「○○の時はcould で良いけど、△△の時は was(were) able to を使う方が自然だよ」
と、会話の最中によく注意を受けます。
その都度、理由を説明してくれるのですが、先生が外国人なので「解ったような・・・解らないような・・・」です。

・can と be able to の違い(←これも、よく解りません)
・could と was(were) able to の使い分け
を、教えていただけますでしょうか?

A 回答 (9件)

確かに「フィーリングを覚えろ」というのはその通りなのですが、


それを身につけるには日常的に、大量の英語に触れるしかありません。
が、日本の英語学習者のほとんどはそのような環境に望まれてはいません。
今回の質問者さんのように、ネイティブに英会話を習っていたとしても、
このようなフィーリングを身につけるのに必要な英語の量にはぜんぜん足りないと思いますし、
実際、質問者さんもそれで苦労なさっています。

そのような方に対して「フィーリングを覚えろ」で片付けてしまうのは、
少々酷なような気がします。

外国に暮らしていたり、英語学習に膨大な時間をつぎ込める余裕がある人なら、
日常的に英語に触れることでそのようなフィーリングを掴むこともできるでしょうが、
日本にいて英語を学習している人には、やはり不完全であっても、
あるていど理屈で使い方を把握しておいて、その後、実践の中で
フィーリングを掴んでいくというのが、最も効率的な学習であると思います。

また、多少きついことを言いますが、このような質問に対して、
「実際こう使っているんだからあなたもこう使いなさい」で片付けてしまうのは、
教える側としては、ある意味「手抜き」をしていると言ってしまって
いいのではないかと思うのです。

勘違いしないで頂きたいのは、「理屈ですべて片がつく」と主張しているのでは
ないということです。
どんな言語であれ、最終的には「実際にそう使われているんだから」としか
説明できないような用法があることは、重々承知しています。
しかしながら、理屈で説明できる部分が大いにあるということも、また事実なのです。
そして、特に第2言語を学ぶ場合、そのような理屈をとおして用法を理解していくのは、
全ての用法を丸暗記していくよりもはるかに効率的だということは自明の理でしょう。

教える側としては、できる限り、そのような理屈を伝える努力をしていくべきだと思うのです。

このような観点から、今回の問題について、以下で理屈からの説明をしようと思います。
何度も言いますが、以下に述べる理屈がすべての場合に当てはまるわけでは
ないということを断っておきます。
「自分が英文を作るときの、一応の指針」として心に留めておいてもらえばいいと思います。
また、そのような指針をもっていれば、不自然な英文を作ってしまった場合にも、
ネイティブの方に「私はこれこれこういう考え方でこの文を作ったのですが、
この考え方のどこがおかしいのでしょう?」
と、具体的に質問をすることができ、単に「この文の何がおかしいのですか?」と聞くより
ネイティブの方にも答えやすくなると思われます。

canとbe able toの違いは、

"A can do B."は、"A do B.(AがBをする)"という「事態が起こる可能性」に対する記述であるのに対し、
"A is able to do B."は、"Bをする"という行動に関して、Aがそれを行う
能力を持っているいるという、「Aの状態」に対する記述になっている

ということです。

これに由来する大きな違いの一つは、

"A is able to do B."ではAは生物でなくてはならないのに対し、
"A can do B."ではAは無生物であってもかまわない

ということです。
英語では、無生物に「能力」を認めないのです。
(無生物が擬人化されている場合は別です)

"I can do it."は「私がそれをすることは可能だ」という記述であるのに対し、
"I'm able to do it."は「私はそれをする能力を(今)持っている」ということを
述べているのです。
ほとんどの場合、これらは同じことを意味すると捉えられます。
が、状況によっては違いが現れてきます。

例えば、"I can't hurt you."は「私が君を傷つけるということは可能でない(不可能だ)」
といっているのに対し、"I'm not able to hurt you."は「私には君を傷つける能力が無い」
ということを言っています。
「心情的な理由で相手を傷つけたくない」という場合には、前者は使えますが
後者は使えません。
なぜなら、それは能力の問題ではないからです。
後者は「相手が強いので(もしくは自分が弱っているので)傷つけることができない」
つまり、能力の問題として傷つけることができないということを意味します。
(ところで、前者をこちらの意味に読むことも可能です。
canはその状況が起こる理由としてなにをとってもいいので、
それが能力であったとしてもかまわないわけです。)

まとめると、
その文で表される状況が(必ずしも主語の能力の問題としてではなく)
起こりうる、ということを述べたい場合にはcanを使い、
主語の能力の問題として述べたい場合にはbe able toを使う、
ただし後者の意味としてcanを使う場合もありうる(というか実際よく使う)
ということです。

canがcouldになっても同じことです。
他の回答者さんたちがおっしゃっている通り、couldを単純にcanの過去と考えるのは
単純すぎますが、過去のことについてcanに相当する表現をしたかったら
couldを使う、というのは正しい理解です。
すなわち、"A did B."という状況が起こることが可能だ(った)、と言いたい場合には
"A could do B."と言えばよい、ということです。
また同様に、AがBを行う能力を持っていた、ということを言いたい場合には
"A was able to do B."と言えばよいわけです。

これら過去の事柄に関する記述について注意すべきことは、was(were) able toの場合、
「能力を持っていた」ということはすなわち、「実際それができた」ということと同義に取り扱われる、
ということです。

まえにこのサイトにあった質問ですが、
"He could swim across the river."と"He was able to swim across the river."の
違いはなにか、という問題があります。
これは、これまで説明してきたとおり、前者は「彼が川を泳いで渡る」という
状況はあり得た、という記述であるのに対し、後者は「彼は川を泳いで渡る
能力があった」という記述である、というのが違いです。
そして、前者は彼が実際に川を泳いで渡ったかどうかは不確定であるのに対し
(泳いだかもしれないし、泳がなかったかもしれない)後者ではふつう、
彼が実際に川を泳いで渡ったのだと受け取られます。
(おそらく、能力があったということの根拠として、「実際にやってみせた」
ということが想定されるからでしょう)

以上でだいたい違いについて説明出来ていると思います。
これを踏まえて、個々の表現について理解を深めていってください。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。

ハッキリ申し上げて・・・とても理解出来ました!
また、わかり易い文章でもありました。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/28 11:39

もうすでに正しい解答が出ていますが、


日本人に多い間違いが「できた」をcouldと訳してしまうことです。
実際にそのことを行った場合はただの過去形を使うか、be able toを使います。
I caught the last train.
私は最終列車に乗ることができた。

同じ様に、
やっと試験に合格できた。

iPodの最新型を買うことができた。
というような行為を実際におこったことを示すのは
過去形かwas/were able toを用います。

日本語では、「さんざん苦労した後でやっと~できた」というように「できた」を使いますがこれをcouldと訳してはいけないということをネイティブの先生は伝えたかったのではないかと思います。

couldは能力を持っていた場合であり、

That child could play the piano.
その子供はピアノを弾くことができた。
弾く能力を持っていた。
というような意味で使います。

前にも似たようなことで質問がありました。よろしかったら参照してください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=698596

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=698596
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。

はい。他の方から考え方の違いをアドバイスしていただきましたので、
「can と be able to の違い」を今は、理解する事が出来ました。
それによって、どういう場面でどちらを使えば良いのか、という事も、なんとなくですが、分かった様な気がします。

皆様がたには、とても感謝しています。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/28 13:47

can と be able toはだいたい同じ意味ですが、


許可を聞く質問などでは使えません。
例えば Can I take part in your party? のような文です。それと、willなどの助動詞を伴う場合も canと併用できませんから be able toを使います。

could とwas(were) able to の使い分けですが、couldは過去と言うより仮定法のニュアンスを含みますから、単純に過去を表すときは was(were) able toを用います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。

英会話=文法重視ではなく感覚で覚える、なのだとよく言われますが、
昔ながらの文法重視的な、英語教育に慣れ親しんで来た世代なので、
どうしても頭で文を作り上げて、それから言葉に置き換えて・・・が抜けなくて、つい教科書的な説明を求めたくなってしまいます。

具体例をあげていただき、ありがとうございます。
スーッと頭に入って来ました。(笑)

お礼日時:2005/11/28 13:42

Gです。

 

cookie708さん、kochoryさんやtaroandjiroさんのご回答を何回も読み直して自分のものにしてください(もっとも、私の回答も、ということも含まれますが<g>)

特に「教える側としては、できる限り、そのような理屈を伝える努力をしていくべきだと思うのです。」以下の事です。 そして、「自分が英文を作るときの、一応の指針として心に留めておいてもらえばいいと思います。」の「一応の指針」と言うものが私が言うフィーリング(kochoryさんは少し誤解をなさっている感がありますが)と言うものなわけです。

つまり、何を言いたいのか、できると思うけどやったわけではない、やったから出来た、どっちなんだ、という自分のフィーリングの違いですね。 でも、kochoryさんがおっしゃったように、「この違いがあると言う事を知っている」と言う「英語に触れている」がなければこの違いがあると言う事は分からないわけですね。 ここがkochoryさんが言う「少々酷だ」と言うことになるわけです。

「○○の時はcould で良いけど、△△の時は was(were) able to を使う方が自然だよ」と言う説明では説明になっていない、と言う事が「ある程度の理屈」が必要となる、と言うことなんですね。 この理屈がない説明だから「解ったような・・・解らないような・・・」となってしまうわけです。 これが、自分では使える人から習うのと説明して上達をさせることの出来る先生から習うとの大きな違いなのです。

私は今回のようにこのカテで質問を立ち上げて聞くという事が日本でできる「英語に触れる」事の大きな機会であると信じています。

今回のように数行ではとても説明できない事でも、自分の持っている経験・知識に基づいた回答を読んで「理解できない!!」「まだ分からない!」ではなく、読んだ事が一つの球根を春に咲かせるために秋に植えると同じように、自分の潜在能力を信じ、無力感を感じたり自分に失望して諦めたりせずに、知識としてではなく「よしっ、この次に使ってやるぞ!」と言える位に自分の生活に基づいた例文を覚えてしまう事で、ここで書かれた(今は)さまざまとも取れる要点がいつか「100%」実は一つの事なんだ、と言うことが分かってくれる日が来ると思います。 そして、そのときのフィーリングに基づいて自然にcan/could/be able toの表現が口から出ている自分に驚きを感じるときが来るのです。

今日英語を使える人でもcan/is able toとcan/couldとcould/was able toの違いは「全然分からなかったのです」。 couldはcanの過去形であると言う事を過去を示すものと勘違いされてきた事が実は「過去形」と言う名前は単に作られた単語であることを知り、必ずしも過去のことを言っているわけではないと知るようになるわけです。 この間違いやすいと言う事実を無視してこれは過去形だと言う事はすなわち「がんばろうと苦労している人」への手助けにはなっていないと言う事であり、文法用語の説明に「勘違い」する要素を含んでいる事を知って、それを教えるときに注意を促せる教師は「教える事の出来る」先生であると言う事なのです。

完了形、と言う言葉もそうですね。 この完了形と言う単語を使っているにもかかわらず「完了」だけを表現する形ではないと言う事ですね。

taroandjiroさんの経験からにじみでいる理解とkochoryさんの深い知識に基づいた分かりやすい説明(他の方々を無視しているわけではありません)を何回も読み返して球根として覚えこんでしまってください。 スランプとも思えるたり、何も上達していないように見えても、球根をあなたと言う土の中に植える事で、スランプの冬には根を生やそうとしているのですし、春に近づけば球根の頭から芽が目には見えてなくても生えるのです。

なぜこのカテを通じて英語が分かるようになった人・英語の勉強に自信がついた人、くじけることなくがんばれるようになった人、がたくさんいる理由がお分かりだと思います。 ですから、分からない事があったらまた質問すれば今回のようにすばらしく分かりやすい説明をしてくれるご回答者が答えてくれると思います。

10万キロはなれたところから応援していますよ。
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この回答へのお礼

Gさん、補足回答ありがとうございました。

このカテゴリは、自分の英語のスキルアップのために度々目を通していましたが、
いつも、ためになる話ばかりで、とても勉強になります。

そして今回、自ら質問を投げかけて・・・
多くの方が私の疑問に答えてくださった事を、とても感謝しています。

出来れば「習うより慣れろ!」で、身に付けたいところですが、なかなかそうもいかず・・・
Gさんが羨ましいです。(笑)

お礼日時:2005/11/28 13:37

Cambridgeの文法書を、自分でまとめたノートからの抜粋です。



Could が表すことができるのは、general ability のみで、
現実に単一の動作が実行されている場合は、was/were able to を用いねばならない。couldn't はどのような状況にも用いることができる。

 ・I could pass the examination.:受かる能力は持ち合わせていたが、実際に受かったのかは定かではない(恐らく試験を受けていない)
 ・I was able to pass the examination.:実際に合格している

can と be able to に意味的な違いはありません。ただ、can の方が自然なので、can が使える文章であえて ba able to を用いれば、自然と強調される結果となると思います。以上の説明は、学習者向けの文法書からのものですから、これで確実に全ての状況に適応できるとは思いません。ただ大きく外すようなこともないと思います。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0521625 …
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。
英会話の先生からは、general ability の時は could を使い、particular situation の時には was(were) able to を使うんだよ」と説明を受けました。どんな時が、particular sutuation なのか?で、頭を悩ませてしまったワケで・・・

他の方から色々とアドバイスしていただいて、ようやく(まだ、なんとなくですが・・・)分かって来た気がします。
アドバイス、ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/28 11:48

>can と be able to の違い(←これも、よく解りません)



これは言い回しの違いでさほどの違いは、ありません、ただし、can は、may の意味を持つこともあり、それを区別するために、わざわざ be able to を使う米国人もいます。後者は、それとなく自分は誤解を招かないために、polite ,sophisticated を暗示する意図があるようです。口癖のように、be able to を言う人もいます。

>・could と was(were) able to の使い分け
を、教えていただけますでしょうか?

いい質門です。
両方の共通点は過去形です。

could は、ある過去の時点で、することができたが、実際にそれしたかそれについては述べていません。
一方
was(were) able to は、実際することができたのでそれをしたと言う意味になります。


この違いは、出身の州などによりことなりますがおおむね、上記の説明はアメリカ人にも受け入れられています。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。

could は、実際にしたかどうか不明であり、was(were) able to は、実際にした!のニュアンスを持っているという事ですね。

勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/28 11:42

>・can と be able to の違い


だいたい同じです。
細かいことは、教師に言われたときに丸暗記するしかありません。

>was(were) able to
これは be able to の過去形です。

1.
基本的に、could は can を弱めた表現です。でも、物理的に「過去形」のこともあります。

I think I can do it. 出来ると思うよ
I think I could do it. 自信なさげにいうとき。

That can happen 起こる可能性はあるね
That could happen 起きる可能性がもっと低いと思っている。


2.
A. I may not can do it
B. I may not be able to do it

A. You will can get it.
B. You will be able to get it.

A は間違いなので、強制的にBを使わなければなりません。


私は、話の中で、「出来る」「出来ない」をしっかり表すとき、つまり、行為者のあいまいなフィーリングより、その行為が達成される、されたかどうかに重点を置いて表現するのは、be able to だと思っていますが、どうですか?
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。
今まではcould=canの過去形 だけだと思っていましたが、自信なげに言う時にも使うという事を、今回初めて知り1つ勉強になりました。
ですが・・・うまく使いこなせるかは、ちょっと。(汗・・)

ちなみに「2.」については、しっかり理解出来ました♪

場面、場面で覚えていく。それが1番かもしれませんね。アドバイス、ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/28 11:30

私も「そこらへんどうなの?」と思ったのでNYの友達にチャットで聞いてみました。

「似たようなもんだ。couldの方を好む人が多いかも。でも同じだよ」と返事がきました。んで「なんでそんなこときくの?」と逆に質問されました。そこで「知り合いに聞かれたから」といったら「なんでそいつはそんなこと知りたいの?なんでぇ?そんなこと知ってそいつはどうしたいわけ?」と質問されました。つまりどっちでもいいじゃんかというノリです。つまり、私なりに考えたのですが、Ganbatteruyoさんがおっしゃってる通り、「深入り」してもつまらんということで心が落ち着きました。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。
そして、NYのお友達に聞いてくださって、ありがとうございました。
どっちでもいいんじゃない~?・・・ですか。
そうですね。英語に関して、まだまだ初心者の私。間違っていると言われると、どうしても「完璧な英語」を追い求めて頭を抱えてしまいますが、
要は、自分の気持ちを相手に伝える事!なんですよね。
これからは、もう少し軽い気持ちで、英会話に取り組んでみたいと思います。
アドバイス、ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/28 11:23

アメリカに37年住んでいる者です。

 私なりに書かせてくださいね。

これはcan/couldとbe able toの表現に何か関係がある、と思うから問題が起きてくるのです。 手っ取り早くおぼえて使えるようになるにはこの考え方を捨てるべきものなのです。 つまり、be able to はcanである、とかそれに似た教え方をするからいけないともいえます。

特に言葉と言うものを習うときに類似点を気にして覚えようとすると今度はニュアンスがどうの、使えるときと使えないときがあるから気をつけるようにしなさい、と言うような指導が出来上がってしまうのです。

そうではなく、canを知るときに、canと言う助動詞がどういうものであるか、どのようなフィーリングを持っているときに使われるのか、を知るのです。 そして、be able toはどのようなときに使われる表現なのかを知るのです。

そして、あれっ、似たフィーリングとして使う時もあるんだ、と気がつくだけで良いのです。 これ以上を「深入りする」からわからなくなってしまい、頭の方はそれを「整頓」させようとあせる事になるのです。 使える英語、英会話学校の目的ですね、を習うのであれば、深入りせずにフィーリングを感じるだけで良いわけです。

また、couldをcanの過去形だと言う事も忘れてしまって良いと思います。 ただ、canを使う時にかこだったら「同じスペル」のcouldを使うんだ、と言う事を身につければ良いだけのことなんです。

助動詞とはフィーリングそのものを出すのに便利な単語だと知っていれば良いのですね。  そのフィーリングを体系付けた「可能、能力、推測、、、、」などのように分類した箇条書きみたいな知識は英語を使えるようになるには邪魔な事なのです。 英語学を習っているのではないのですから。

1)出来ると思うよ=2)I think I can do it.=3)出来ると思うよ。
4)やってみるね=5)I think I can do it=6)出来ると思うからやってみるね。

出来ないかもしれない=I may not be able to do it=出来ないかもしれない
自信ないな=I may not be able to do it=できる自信あまりないな。

起こる可能性はあるね=That can happen=起こらないとはいえないだろう
起こってもおかしくないね=That can happen=起こる可能性はあるんだから起こってもおかしくないね。

1)はふと思った日本語でのフィーリング
2)はそれを英語で言うと
3)はその英語のフィーリング
4)は違うときのフィーリング
5)はそのフィーリングを出す一つの英語表現、見た目には、学校英語ではバツを食うかもしれない表現。
6)はなぜその表現が英語の表現として使われているのか。

となります。

この考え方と覚え方は、子供が学校から帰ってきて、「お母さん、何か食べるものない?」というのと「お母さん、おなか減ったよ」という表現と比べて、英語を使いこなせるようになりたい人は、この二つの表現は全く同じフィーリングなんだと言う事に気がつかなくてはならないと言う事なんです。 どちらも、「お母さん、おなかが減ったよ?」と言うフィーリングをお母さんに伝え食べ物にありつきたい欲求を満たそうとしていると言う事ですね。 この「母さんに伝え食べ物にありつきたい欲求を満たそうとしている」と言う事が「この場面を誰かに説明する、いわゆる状況説明」になるわけですね。 だから、このせりふを横で聞いた人はこのせりふからいろいろな事を感じ取れるわけです。 

ですから、

何か食べるのない?=Do we have something to eat?=おなかが減ったよ。

つまり、Do we have something to eat?と言う表現は、お母さんが、何かあるかどうかを知っているかどうか聞いている疑問文ではない、と断言できるわけです。 日本部の訳して、「私たちは食べられる何かを持っていますか?」と訳しても???となりますね。 もう少しましな訳として「何か食べるものがありますか」としてバツを食わなくても、何を言っているのか輪から無くてはその「丸」は使える英語の習得にはなりにくいと言う事になるのです。 じゃ、どうしたら、習得になるか、と言うと、なんで、この子供はこの質問をしなくてはならないのか、つまり、フィーリングは何なのか、と言う事を考えると言う事なんですね。 そうすることで今度自分が同じようにおなかが減ったときに奥さんに聞くとは、Honey, do we have something to eat?と言う表現がすらりとでてくるわけです。

余談と言うよりも、英語教育について長い文章を二つほど書いたのでその「補足」ともなる説明をさせてもらうとこの質問の回答にもつながると思います。

上の例で、おなかが減った、と言うフィーリングを呼んだときにつかもうとしないにもかかわらず、Excuse me, do you have a watach?と言う表現だと、今何時だか知っていますか?と言う意味だと言い、今何時ですか、と聞きたいときはDo you have a watch?と言う表現が使えるというのはなぜでしょう。 What time do you have?も同じ事ですね。 あたかも慣用句として覚えてしまっていると言っても良いくらい覚えてしまっていますね。 別に時刻を持っているかを聞きたいわけでもないし時計を持っているかどうかを聞きたいわけでもないのにこの表現を使うと言うことはこの表現を使って「今何時?」と言うフィーリングがあるときにこの表現を使うと知っているからなんですね。 そして、英語を使っていると確信できるわけです。

だから、何を言いたいのかというフィーリングを土台にして英語を覚えていく事がどんなに大切なのかを今回のご質問の回答の一部としたいと思います。

参考になったと感じましたら左側にある「参考になった」ボタンを押してくださいね。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。
”フィーリングを土台にして英語を覚える”・・・とても参考になりました。
文法中心で英語を話そうとするから、こんがらがってしまうのかもしれません。
can と be able to の違いを思い悩むより、とりあえず口に出して、その都度覚えていく。
そんな感じでやってみたいと思います。どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/11/28 11:24

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