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「人間50年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり
ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」

信長が好んだ敦盛ですが意味を教えていただけますか?

「生」は「せい」と読んで良いのですか?それとも「しょう」?

最後に、現在に置き換えた場合、人間50年とはどのような生き方だと思いますか?個人的考えで良いので教えてください。

よろしく御願いいたします。

A 回答 (9件)

『平家物語』自体が、当時流行した「末法思想」や「浄土教」の影響を受けているでしょうが…


 天人で一番寿命の短い四王天の天人ですら、その1日は人間の50年。人間から見たら想像を超えた長寿ですね。しかし、四王天の天人も「トウ<※立心偏に刀>利天」に比べたら、またその天人も「兜卒天」に比べたら… しかし、いくら長寿であろうともいつかは死を迎える。死はすべての生命に平等に与えられる。いくら長生きをし、いくら栄華を誇っても、それはただ生きているというだけで、きわめて空しい生き方である。であれば真実なるもの(『平家物語』では仏教でしょうが)を求め、いかに生きるかが重要であるという意識でしょうね。あるいは今川義元を“下天の夢”を見ている天人に見立てたかもしれませんね。
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この回答へのお礼

なんかすごいですね・・・
文章読んでて感動してしまいました。
また、いつか機会があったら
よろしく御願いします!

お礼日時:2005/07/22 21:49

仏教教義に関する極めて深く詳細な知識にただただ敬服いたします。


ただ、その教義を、いかに現実に生かすか・・時代に合わせ解釈するかも大事かと。
勿論、本来の意味・時代背景を正確に把握してできることですが。その点では、回答者サイドでは、ありましたが、仏教教義への造詣の深さに感服し、勉強になったことを感謝しています。
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この回答へのお礼

皆さん、たくさんのレスありがとうございました。
最後にyuhkohさん、まだご覧になってましたら信長がなぜ「敦盛」を好んでいたか、ご自身の考えがございましたら教えてください。

私は「人間50年下天のうち・・・」を直訳するとNo.5ということは理解できましたが、信長の感情はmontebiancaさんがNo6で答えてくださったようなものではなかったのかと考えているのですが・・・

お礼日時:2005/07/18 09:06

 ちなみに、「四王天」に住む天人は、最も寿命が短く、題二番目の「トウ<※立心偏に刀>利天」は人間の100年を一昼夜として1000歳、第3番目の「兜卒天【とそつてん】」は人間の400年を一昼夜として4000歳…、というように階層があがるにつれ、寿命が延びます。


 しかし、この天人ですかいつかは「死」を迎える、再び六道のいずれかに輪廻する… ですから仏教では天人道への転生を願わず、輪廻からの解脱や、浄土への往生を説きます。
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信長も、「この世に生を受けたかぎり、死は避けられない、天人に比べると・・無神論者の信長が天人を信じたかどうかは疑問だけど・・短い人生、精一杯生きねば、今こそ決戦(決断)の時だ」と、桶狭間の戦に向かったのではないですか?


現代も同じで自分の人生・命をかけて決断しないといけない時もある・・短い人生、精一杯生きねばならない、のは同じということでいいんじゃないですか?
誤訳とは思いませんが。
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 インド思想に基づく六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人)の世界観で、「天人道」は28の世界に分かれ、そのうち第一番目の「四王天」は、四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天<毘沙門天>)が支配する世界であり、またの名を「下天」といいます。

ここは、人間世界の50年を一昼夜として、500歳の寿命を持ちます(この世界観は仏教にも受け継がれます)。
 ですから、人間世界での50年間は、「下天」に住む天人からすればたった一夜の夢のようであるという意味であって、当時の人の平均寿命が50歳という意味ではありません。
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この回答へのお礼

みなさんありがとうございます!

人間50年は天人からすればたった一夜の夢のようという意味なんですか・・・

ネットで調べてたら、短い人生なのだから思うがままに生き抜くべき、のような訳し方をたまに見るのですが訳し方が間違ってるんですねぇ。

お礼日時:2005/07/16 21:49

#3の方の回答で正解ですが、一言付け加えて言うならば「人生50年」・・信長の時代には「人間は長生きしても50年」という意味で使われています。


平均寿命では、ありません。平均寿命が50年(それ以上)になったのは明治以降です。
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「人の一生は、所詮50年にすぎない。

現世は天上の世界の時間に比べたら夢や幻のようなもの。命あるものはすべて滅びてしまうもの。」
室町時代から流行った伝統芸能「幸若舞」の『敦盛』のなかの一節で、源平合戦の一の谷の戦いで、義経の軍勢が平家の陣を急襲し、逃げ遅れた武者を源氏方の熊谷直実が捕らえたところ、歳若いことに心を痛めたが、逃がすこともままならぬと泣く泣く首をはねた。後に、世の無常を感じ出家した。この直実の嘆きの言葉で、首をはねられた若武者が平敦盛(平清盛の弟、経盛の息子)。

人生のはかなさ、世の無常を語るもの。と、ある本で読みました。


(今の世もかわりないです)
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「人間50年」とは、50歳になるまで何を悟り、達成すべきか等ではなく、単に信長の時代の平均寿命が50歳前後だった故に「人間50年」なのです。

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しょう 仏教的な歌だから。



どのような生き方でなく、人間にはいずれ死が訪れるならば、どのように死を迎えるかを歌ったものだと思います。
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