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タイトルの通りなのですが何故簡単に信じられるのでしょうか。
世界中で正式には誰も認めていないし「心霊現象」と言われる事が素人考えでも他に解釈がいっぱい有るのにです。
教養の有る人でも、恐らくこのカテの方々でも、例えば「心霊写真」。
変なものが写ったとしてそれを即心霊写真だと騒ぐのはどんな真理なのでしょうか。
それを否定すると不機嫌にすらなります。
この人たちの心理を是非教えて戴きたい思います。

A 回答 (10件)

私は、論理的な思考による判断より、非日常という刺激を求める気持ちの方が勝るからだと思います。



人間は、大きくなった大脳によってパターン認識や想像力が発達して、その副作用として見えないものが見えたり、理解できない現象の空隙をありえない推論で埋めたりする生き物です。この能力は誰にでもあるので、全員が神秘的体験してても不思議ではありません。

しかし、そこから論理思考回路が作動して、この不思議な体験は、実際は、発光・屈折・反射などの自然現象に違いないとか、脳内物質のなんらかの作用による幻聴・幻覚・幻想だろう、などと推理・実証していく人もいるでしょう。
反面、論理思考回路は作動せず、非日常という刺激を愛する行動に出る人もいます。また、郷愁や感傷の甘い誘惑へ向かう人もいるかと思います。

ディズニーランドが娯楽として保証するのは非日常性ですし、宇宙戦争が保証するのは恐怖という娯楽です。
論理思考などといった面倒なことをして、退屈な結論に着地するより、たやすく手に入る「神秘」へ気持ちが向かうのも無理はないことでしょう。なんせ、ノーコストで信じるだけで手に入る快感なのですから。
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この回答へのお礼

>>非日常という刺激を求める気持ちの方が勝るからだと思います。
有難うございます、それですね、それが真実かと思います。私は知らずのうちに他人の楽しみを奪っていたのかも知れません(笑)
>>なんせ、ノーコストで信じるだけで手に入る快感なのですから。
この締めくくりには恐れ入りました。他の回答者さん達にも「良く分かりました、有難うございます」という心境です。

お礼日時:2005/07/14 13:12

先ほどお礼(?)に質問があったので、補足します。



(1) 親しい人の後ろ姿を見て、その人であると確信を持った事は無いのですか?

(2) たとえ幻覚であってもかまいません。大切な事は、私にとってその姿が、近所の親しいおじいさんであったと言う事です。
  それが幻覚や見間違いであったと、立証されたと しても、その見間違った所以は、おじいさんが挨拶に来てくれたのだと理解します。

(3) これは既に答えています。おじいさんが、最後の挨拶に現れたのだと思っているのです。
  またこれも先の回答に書きましたが、私がその姿と会った後で、
  それより2日前に亡くなっていらしたことが分かったのです。
  もうひとつ書きましたが、「心霊現象」として面白がっている輩には批判的であり、ホラー、怪奇現象などは怖いです。
  なぜなら、それは人を怖がらせようとした、人間の意図があるからです。
  ですから、検証する事に関心はありません。

さて、あなたはまず、私が幻覚を見た、勘違いであると決めてかかる事から始めました。
→「まさにこうゆうことを聞きたかったのです」
それは、先に私が書いた、別の価値観が存在することの否定ですね。

私の書き込みを見て、「うわっ、でたよ~!」に近い事を思わなかったと言えますか?

あなたが期待しているのは、心霊現象を信じる人だと思いますが、
私は霊の存在を疑っていないということなのですが.....。
つきつめると、哲学になりそうですね。
我思う故に我あり。

現象をおもしろおかしく検分する事も可能ですが、自分の親しい人が、
自分に分かる形で現れたということを、「ただ受け入れた」だけなんだけど...、
誠実に言葉を選んだつもりですが...また耳を塞いじゃうかな?


20才くらいの男の子が書いてるのかなぁ?と勝手に想像しますが、理解出来ない事は、
即否定するんじゃなくて(否定も検証の手がかりですが)、それをあるがまま受け止め、受け入れることも大切なんだけど...。うーん。

そして私の体験は、私にとって疑う余地の無い事柄だったというだけで、
他の人が信じようが信じまいが、価値観はひとそれぞれなのだから、関係無いんです。

他の方へのお礼(通常は補足に書きます)にありましたが、あなたのお友だちの体験も、
その人にとって価値がある事柄なので、検証を必要としていないんです。
そう感じている友だちの言葉を、親しい人を亡くした友人のまっすぐな言葉として受け入れるか、
受け入れないかはあなたの問題なので、色々書きましたが、あなたが霊の存在を疑わない人を信じようが、
批判しようが、これまた関係無い。

個は個であるのだから、個である存在が、個である私と別にいてもそれは構わないんじゃないか、ゆえに疑わない、という結論です。
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この回答へのお礼

実にご丁寧な説明有難うございました、yellowgreenさんのお気持ちがとてもよく分りました。

他の方達もほぼ同じような考えなのでしょうね。
先ほど申し上げた私の三名の知人も同じような事なのかも知れません。
話がかみ合わないはずです。片方は信じたいと言う立場、私は真実を突き止めたいと言う立場。

他の回答者さん達にもお礼を申し上げます、有難うございました。長年不思議に思っていた事柄が目から鱗が落ちた思いです。これからはそういう目で見ようと思います。

お礼日時:2005/07/14 12:46

こんにちは。



基本的に、「人間はわからないものを理解したい」という気持ちがありますよね。
(このサイトなんかは、そんな気持ちの上で成り立っていますし。)
で、自分の理解できない「何か」を説明するものがない時に、
好奇心だったり、恐怖だったりがわいてきます。
そのわかりやすい説明のひとつが”霊”というものなんじゃないでしょうか。

例えば、質問文にある心霊写真の場合は、
普通に考えたらありえないものが写っていた…そこに”霊”という概念を当てはめてみると、
その人なりに「なるほどそうか」と納得できる。
でも、納得できちゃったもんだから、その”霊”の概念の真偽については問わない…と。
もし、その時の説明に科学的なもので、納得できちゃえば、
霊の概念なんていらないわけですから、霊を信じるには至らないのではないでしょうか。
まぁ、その科学的理屈ってものが、少々ややこしいもんですから、
「霊がいるから写った」という簡単な方を選ぶっていうのもあるかもしれません。

ここが、霊を信じる第一ステップで、あとは信頼できる(と一方的に思っている)人に、
霊についての断定的な説明を受ければ、心霊を深く信じるのではないでしょうか。
そんな経緯を経ても懐疑的な人は、そのままかもしれませんけど。

わたしの場合は、いくつか一般的に霊体験と呼ばれるようなことを体験しているのですが、
「あれはなんだったんだろう?」って疑問から、文献とかいろいろ調べていって、
霊の概念を持ち出さなくても、全て説明できることがわかったんです。
でも、多くの人は、文献を調べるなんてことしないでしょう。
誰かの伝聞から、納得出来た理論を抽出して、
それを補足できる情報を積み重ねていくことで、それを揺ぎ無いものにしていく。
そこで、反する情報で修正できる人は、そこで信じ込むことはないでしょう。
でも、その情報を拒否する方が楽ですから、自然とそっちを選ぶ方が多いかも。

自分の積み上げてきたものを崩されるのって、
自分を否定されたと思って怒る人がいます。
霊の存在を否定されて怒るのって、そういう理屈だと思います。
(このサイトでも、回答に噛み付く質問者がいますが、その類ですよね。)

心霊を全面的に信じきっている人って、
学者や見識者が真面目にそういう研究していることも、
心霊マニアの様な人たちが日々情報を収集して議論をしていることも、
知らない人が多いんですよね。

以上が、わたしの思っている霊を信じるメカニズムみたいなものです。
素人考えですので、実際にそうなのかどうかわかりません。
いろんなケースがあるでしょうし。

あと、身近な人が亡くなったとか、
そういう経験をしたり、そういう時には「いつまでも側にいて欲しい」という願望や、
依存的な要素もあるかもしれませんね。

肯定にしろ、否定にしろ、批判されて感情的になってしまう人は、
冷静にその現象を分析できていないわけですから、
どっちもどっちだし、真実を見失っている可能性もありますね。
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この回答へのお礼

大変バランス感覚の有る貴重なご意見有難うございます。
>>「あれはなんだったんだろう?」って疑問から、文献とかいろいろ調べていって‥
凄いですね、具体的な内容は分りませんが普通そこまでしませんよ。
実は私も同じような人間なので質問のようなことを長年感じていた訳です。
でもうらやましいですよその体験は、私も是非経験したい。
心霊を信じる人の心の動きが良く分かるようになりました。

お礼日時:2005/07/14 13:06

#6です。

質問があったのでお答えしますね。

>しかしもしもですよ、霊が実在するならそんな重大な事を何故世界中で正式な報告が只の一度も無いのでしょう?

では質問者さんの言う「正式な報告」とは何ですか?そして、誰が「正式」という判断を下すのですか?あなたですか?

>他の可能性は本当に全く無いのですか?

他の可能性があったとしたら、では何なんですか?質問者さんなら、他の可能性を証明することができますか?

霊を信じてる人がなぜそんな簡単に信じるかが不思議とのことですが、宗教的な教えから信じている人、実際に自分で見える人、理由はその人その人によって違うと思いますよ。

ある霊的な現象がそこにある場合、自分の経験や知識ではどうにもこうにも説明がつかないときに、それを
霊だと思う、そういう人も多いのでは?
私はたぶんそのタイプだと思います。
だって、ごく普通の人ならそれを科学で証明するだとか、そんな技術持ち合わせていないんですから、自分の経験や知識と照らし合わせて判断するしかありませんものね。
そして、なにも自分の経験で説明がつく出来事なら、あえてそれを霊だなんて思わないでしょう、誰も。

だから、それを「なんで信じるの?」なんて思う必要もないと思いますよ、理由は人それぞれですから。
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この回答へのお礼

丁寧なお答え感謝します。
で私の言う「正式な報告」の意味ですが霊(と言う実体が)の存在を問題にしている訳ですから当然物理学者の研究の範疇です。原子物理学者とか、実験物理学者とか光学関係の研究者とかです。

判断は勿論私ではなく、何度も何度も実験、観察、検証を行って間違いが無ければ存在すると判断すれば良いことです。
他の可能性ですがこれも上の過程で当然判断できる事です。くどいようですが誤解をなさらないで下さい、純粋に何故?と言う気持ちだけです。

実は私の友人で「家の北側でドンと音がし10分程したら叔父さんが亡くなったと連絡があった、だから俺は霊の存在を信じるよ」とか別の友人は「音楽を録音していたらテープにウ~ンと言う音が入っていた、その日の夕方近所のおじいさんが亡くなった、あれはやっぱり霊だったんだ」とか又お寺の奥さんは「本堂でコトンと音がすると三日以内に檀家で誰かが亡くなる、霊が居る証拠です」とまあこんな具合なのです。

三人とも立派な社会人です、だから余計に何で?どうしてそう来るの?「霊」以外に音が出る原因は無いの?と言う事です。

お礼日時:2005/07/14 00:39

あくまでも私の場合ですが、


見えないけど空気があるのが当たり前なように、
見えないけど霊がいるのは当たり前、
みたいに小さい頃から思っていました。

なぜでしょうね~、普通に信じてましたね。
でも、面白半分に肝試しに行ったりするのは賛成できません。
だから、質問者さんの言うような「心霊写真だと騒ぐ」人物には当たらないかもしれないです。
騒ぐ以前に、そんなの当たり前だと思っているから。

私の場合は、霊とか超能力とかを完全に否定してる人を見ると、逆に「どうしてそこまでして信じないんだろう」と思ってしまいます。
霊でも超能力でも、わざわざ否定する必要もないと思うんですけどね。

霊を信じてる人たちが否定されると不機嫌になるのは、前の回答者さんたちがおっしゃってる理由だと私も思います。
霊に限らず、その人にとっては絶対だったり当たり前だったりすることを「何そんなこと信じてるんだよ」と全否定されたら、誰でも気分は害しますよね、きっと。
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この回答へのお礼

回答有難うございます、貴重な方ですね(からかっているのでは有りません、念のため)

いるのが当たり前ですか?そこまで信じている方は珍しいと思いますよ。大半の人は半信半疑かと思います。
世の中には色々な方が居ると思いますが私の場合は信じるとか信じないとかではなく、存在するなら確認したい、と云う事なのです。
しかしもしもですよ、霊が実在するならそんな重大な事を何故世界中で正式な報告が只の一度も無いのでしょう?

いえ決して貴方の価値観を否定しているのでは有りません、そう感じたら申し訳有りません。
何度も言うようですが簡単に信じる人の気持を知りたいのです。仮にそれらしい現象が有ったとして即、霊である、と確信する人の気持ちが全く分らないと云う事です。他の可能性は本当に全く無いのですか?と。

お礼日時:2005/07/13 23:26

私は一度だけですが、出会いました。


近所に一人で蔵していたおじいさんが、ひっそりと亡くなられたんですが、
一人暮らしだったので見つかった3日前に亡くなっていたそうです。
でも、見つかる前日に私はおじいさんに会いました。
いつも立っている場所ではなく、別の場所で背中を向けていましたが、
なんだかうす青みがかってるなぁと思いながら挨拶せずに通り過ぎました。

こうゆう話をすると、「怖い」と思う人が、質問者さんが批判されている方々だと思います。
でも、実際は怖くないんです。
子どもの頃から優しくしてくれたおじいさんだったので、お別れに現れてくれたんだなぁと思っています。

でも、その体験の前から霊の存在は信じてます。
それどころか物にも魂があると思ってます。
日本人ですから、八百万の神様がいらっしゃると思ってます。


「心霊現象」として面白がっている輩には私も批判的です。
第一、スプラッタ、ホーラーなんかは怖くてだいっきらいです。

「霊体験」っていうと俗っぽくて嫌ですが、私がはっきり霊に会ったのは、その時一度きりです。
『嘘だ』と批判するのは勝手ですが、ひとそれぞれに価値観があります。
人の価値観を簡単に否定してしまえるのは、ご自分の視点をただ狭めるだけです。

まぁ、あなたが好きな人や映画やアーティストを、友達にこてんぱんにののしられたら不機嫌になるのと同じ心境です。
気軽に、人の興味を否定するのはやめましょう。

蛇足。
と、こんな風に逆の意見をまじめにぶつけられると、聞こうとせずに、何を言ってるんだ?と批判の気持ちがフツフツとわくでしょ?
その気持ちが、あなたの知りたい心理です。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答、貴重な体験談有難うございます。正にこれですよ!私がどうしても知りたかったのは。

この文章からして貴方は教養の有る、優しい、加えて冷静な方だと思います。
その貴方が何故?と言う心境なのです。趣味に口を挟む気持ちは全く無いことを予めお断りしておきまが。
その上で疑問があります。

(1)背中を向けていた人をどうして近所のおじいさんと確信したのか、しかも声もかけていないのに、顔を確認した訳でも無いでしょうに。姿形が似ていたから?同じような服装だったから?

(2)その「人」がそのおじいさんだったとしても貴方の幻覚という事は絶対に有り得ないのか?白昼夢と云う事は絶対に無いのか?

(3)もしも「霊」だとして目で見えた訳だから(幻覚では無いとおっしゃるでしょうから)そこにおじいさんの形をした何かがあった訳で、それは一体何なのだろう?とは考えないのですか、そう云う事にはあまり関心が無いのですか?

こういう文を書くと誤解されそうですが何度も言いますが、ケンカを売っている訳でも貴方の価値観にケチを付ける訳でも勿論揚げ足を取る積もりも全く有りません。只「何で?」と言う純粋な疑問からなのです。

お礼日時:2005/07/13 23:04

世界中で一番尊敬を集めている人、仏陀とイエス、その他、マホメットなど


みなある意味、心霊現象を経験しているんですね。
貴方のいう心霊現象とはかなり違いますが。心霊写真のレベルではもちろん
ありませんよ。
唯物的思考だけでは未来は一歩も進まないと言う事ですね。
質問とはずれてしまいましたが、世界も日本もその核になるような歴史的活躍をしたかたは、スピリチュアルな考えを持っていたという事は知っていても損はありませんよ。
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この回答へのお礼

宗教的な観点からの回答有難うございます。

質問文を読んで頂ければお分かりかと思いますが私は精神的な事、宗教的な事を決して価値が無いと言っているのでは有りません。何故すぐ霊に結びつけるのか?と言う疑問なのです。高度な教育を受けている筈の日本人がです。

スピリチュアルな考えはとても大切だと思います、これが全く無ければ人間は「頭の良いケダモノ」と言われても仕方有りませんね。
実際科学者などもそういう精神的な物を大事にする人はむしろ一般人よりも多いのでは有りませんか。

しかし彼らは物事をすぐに霊に結び付けたり等はしないと思いますが。

お礼日時:2005/07/13 22:25

先日、半分廃墟と化した会社の倉庫を整理することがあったのですが、誰もいないとわかっていても広く薄暗い部屋はなんとなく薄気味悪いものです。



私は心霊なんてものは信じませんし、特になぜ信じるのかといった事について考えたこともありませんでしたが、そういった「理由のわからない恐怖」が「何かいるにちがいない」→「霊魂だ!」と味付けされてしまうのではないかな、となんとなく思います。

霊は信じる人の心の中に存在する(あるいは作り出される)ものであると思うので否定はしません。

この世の中には失笑してしまうような単純なトリックの「心霊」もありますが、現代科学では説明できない現象もあることは確かです。
それらを「解明できない事象だが理由はあるはず」と受け取るか、「わからない、理由がないのは霊のしわざだ」と受け取るかの違いではないでしょうか。

しかしながら、理系にはトンと理解できませんな… 心霊。
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この回答へのお礼

早速のご回答有難うございます。私の考えにかなり近いものが有ります、ほっとしました。

確かに薄暗い所では得体の知れない怖さと言うものは有ります。でも理性が「霊なんて物は居ない」と話しかけ本能が「しかし気をつけろ」と忠告するのだと思います。実際イカレタ人間が一番怖いです。

「殺人事件発生!調査の結果犯人は霊である」と言う正式な発表は只の一度も、恐らく世界中で誰一人聞いたことなど無いでしょうね。

お礼日時:2005/07/13 22:04

まぁ、未知なる物に対する憧れでしょうね。


「ネッシー」
「ビッグフット」
「宇宙船(UFO)」
これらに対するスタンスと一緒でしょう。
   
でも、これらに共通するのは、
存在が証明されていない事と、
存在しない事が証明されていない事です。
        
存在しない証明が出来ないのですから、
あまり人の夢を壊すような事を言ってもね・・・
       
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この回答へのお礼

>>あまり人の夢を壊すような事を言ってもね・・・

No.1のかたと同じご意見ですね、一種の趣味ですか。
私には昔も今もただの一度も存在が確認されていないものを怯える人の心理が分りませんでした。

趣味なら仕方が無い、これからは温かく見守ろうと思います(笑)

お礼日時:2005/07/13 21:44

こんばんは、一つの趣味みたいなもんだと俺は思っています。

映画「リング」「呪怨」とか人気ありますし、自分の趣味馬鹿にされたら怒りますからね。

ちなみに俺は心霊は信じていません。まだ一回もあったこと無いからです^^;

でも信じていなかったけど心霊体験して信じてる人も俺の友達にいますよ、亡くなった親戚が夢に出てきたとか聞きますし。
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この回答へのお礼

始めまして、早速の回答有難うございます。
ウ~ン趣味とは気が付きませんでした。では霊を信じて怯えるのも一種の趣味なんですかねえ。
もしもそうならマゾヒストですね、これは新発見です。
これからはそういう人達に対する態度を少し変えてみようかと思います。貴重なご意見有難うございました。

お礼日時:2005/07/13 21:38

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