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自分の息子に日本人であることの価値観、気概、誇りをどのように教えていけばいいでしょうか?。非常に悩んでいます。
我々は、あまりにも日本人であることに意識をそらしすぎているように思うのです。いまの社会、驚くほどモラルが低下してきているのは、そして日本が活気のない国になりつつあるのは、個人個人のアイデンティティーの喪失にあるのではないかと思います。
どうか、アドバイスをください。お願いです。

A 回答 (10件)

そうやって日本人にこだわるのはいけません。


あくまでわたしたちは、人間です。
こむずかしいことはあえて言いません。
教育問題なら、共産党のページに、参考になることがのっています。

参考URL:http://www.jcp.or.jp/
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なぜ「日本」にこだわるのかが私には理解できません。

べつに「日本人として」という枕詞が無くとも、「一人の人間として」自分はこうありたい、というのがアイデンティティーというものではないでしょうか。
自らのアイデンティティーを、国家に依存するのは、(当人にとってはそれ自体がアイデンティティーになるのでしょうが)結局他者に「自分」を規定してもらっていることなのではないかと、私は思います。

半世紀前の敗戦後、国家の価値観が、「全体主義」から「個人主義」へ180度転換してしまったとき、自信を喪失したのは、国家に自らのアイデンティティーを一任していた人たちだったのではないでしょうか。

本当のアイデンティティとは、周りの人(そして人の集合体である社会)の価値観に惑わされることの無い、「これが俺なのだ」という自意識ではないでしょうか。
たとえば、今の時代、駄洒落を吐くと、たとえそのせりふの間が絶妙であっても、みな「オヤジギャグ」として白ける、白けて見せなければならないような風潮がありますが、そんな中でも、自分が面白いと思えれば、大声で笑ってのける、というようなことだと思います。

話が脱線しました。

「何々として・・・」の、「何々」に入るのがどうあれ、価値観や、気概、誇りというのはとても大切なものだと思います。社会のモラル、責任感の低下は、まさに誇りを持つことを忘れた大人たちによってもたらされたものだと、私は考えるからです。

私は未だ父親にはなっていない人間ですが、一人の子供であった経験から言わせてもらいます。

気概や誇りというものを、「こうあるべきだ」と口に出して「教育」する必要はありません。

むしろ、気概や誇りを理屈で説明してしまうと、それによって形成された気概や誇りというのは、その理屈を打ちのめす別の理屈が現れたとき、簡単に崩壊してしまうことでしょう。

あなた自身が、今の立場に誇りを持って、一生懸命に生きていれば、それは自然に子供に伝わることでしょう。ものの本にかかれているような、小手先のテクニックなんて必要ありません。たとえ不器用でも、子供への愛を素直に表現し、子供へ伝えたいことを身をもって実践すれば、伝わるはずです。
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父親というよりも、人として何をすべきか。


このことを、もう一度すべての人が問い直すべきでしょう。

子供が生まれて、父親になったとき、私は自分の人生を、「自分のため」のものから「他者のため」に切り替えました。
親ばか、子煩悩になったわけではなく、自分が人として先ずやらなければならないことは、
自分の子孫が、末永く行き続けられる下地作りをすることであると、見極めをつけたからです。

私の個人的な思いですので、どれだけの方に受け入れられるのかはわかりませんが、
人の最も重要な使命は、人を生かすことだと思います。次に生まれ来る『人』のために自分が生きている。
見方を変えれば、『他者』(この場合人以外のすべてのものを指す)のために生きる。

日本人が古来から持ち続けた生活習慣に『結い』があります。
相互扶助のことですが、地域の活動は『結い』無くして成り立たなかった、金で済ませるわけに行かない時代には、人が自分を『従』として『主』を他者として生活せざるを得ない。
たとえて言えば、カマキリの雄の悲哀、姥捨て山の必要性。

「他者の為に自分がある」をすべての人が、当たり前のことだと認識することが、人の世をあるべき姿に改善する最も早道だと思います。

私は聖職者でもなければ、世捨て人でもありません。
外から見れば、ちょっと変わった職人さん、程度だと思います。
しかし、知る人ぞ知るこだわり(これをアイデンティティーと称しても良い)を持ち、日々増殖させています。
仕事のすべてに、上記の考え方を反映させ、事業として成り立たせる。
私の仕事に触れたか方々は、誰もが満足する。(『誰も』とは「他者」すべてに対して)

何をやるかよりも、なぜやるのか、行動に考えを滲み出す。
『古きをたすけ、新きを知る』、他を説得するよりも、己が態度で示す。
わが子はこの父を毎日見て暮らしています。
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私は女性なので父親ということに関して経験をすることはできませんが、母性について最近研究をしていて、ある意味面白い文献を見つけました。

林道義氏の「父性の復権」という本です。最近、父親にかかわらず日本人に欠けている「全体を見て指導をする」という父性を説いた本です。参考になるかわかりませんが、忙しいとは思いますが、時間を割いて読まれてみると、今の自分のメタ認知ができるかもしれません。
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私も父親を経験中です。

私の場合、子どもには今は死語となった、努力、礼節を知る、物を大切にする、卑怯者にはなるなということを教えております。併せて、自分で考えることの大切さや他人に対する思いやりを教えることも必要だと思います。しかし、言葉で子どもに教えるだけでなく、父親自身が実践する必要があります(これがしんどい)。
 これまで、日本人の美徳とされてきたことを否定する思想が蔓延しているのは非常に嘆かわしい。何の価値判断もなしに、欧米が良い日本は駄目というのは間違っていると思います。日本人の美徳は、仁義礼智忠信孝悌という儒教思想ともののあわれを知る繊細さだと思います。勤勉というのも日本人の専売特許でしたが、既に死んでおります。「仕事を出来て一人前、そろそろ結婚してはどうか。」という考えも崩壊し、今では、「仕事は半人前、けだものごっこの同棲生活」となっています。この世の中の風潮に対抗するには、並大抵の教え方では駄目かもしれません。しかし、このままでは日本という国は滅んでしまいます。
 この世の中の風潮がこれから未来永劫続くとは思えません。bombさんのような方があらわれ、再び、日本の良さに気づくときが来ると思います。この世を批判的に見ることも教え、本当のあり方を身を以て教えることも大切だと思います。 
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cse_riさんの意見に賛成ですね。


お父さんが、お父さんなりに一生懸命生きている人間ならば
私はそれでいいと思うんです。
そういう姿を、大人も子供もお互いに真剣に目を向けようという
風潮が薄らいできている印象を受ける昨今ですけど、
だからこそ、カギになるのは、「お父さん像」という印象を
堅固なものにすることにあるとは、私は思えないんです。
ただひたすら、bombさんが、父bombさんとして「お父さんらしく」
一生懸命生きている姿を示して欲しいと感じるんです。
父親像を演じる事、こんな事20年もやっていられません。
それに、そういう演じた父親像は言い換えれば「仮面父親像」と
いえるのかもしれない。そういう姿としてしか子供に
伝わらなかったら、初めから意味はないんですよね。

それとですね、ただひたすら「自分らしさ」を貫くだけでは
ダメだと思うんです。
そういう生き方を家族に理解してもらう、家族の生き方を理解する。
こうした家族としてのごく当たり前なコミュニケーションを
暖めて続けて欲しいと感じます。せっかく家族なんですから。
たまたま私の父も教師なもので、時折意見をぶつけ合わせる事も
あります。でも、そういうバトルが一しきり終ると、
「なるほどだからお父さんらしいんだな」という印象が後に残ります。
それは確かに時折良い勉強になるんです。(いつもじゃないですけど)
だからですね、決して一方通行であってはいけないと思うんです。
自分は人の言う事が聞けない。自分の事が伝えられない。
それなのに子供に「それをやれ!」と言い聞かせるのはとても難しいです。
子供の視線からは「お前だって出来てねえじゃん」と確実に
映っているんだと思うんですね。
「自分らしく」をただひたすら子供に受け継いで欲しい。
「自分らしく」をただひたすら見つめて磨いて欲しい。
「自分らしく」を家族と共感しつづけていて欲しい。
親としてがんばる事って、やっぱりそういう事だと感じるんです。

いつの日か子供が
「パパっていつもだらしないね。」と言ったとしたら、
「うん。だらしないよね。でも、パパはいつも頑張ってるんだゾ~」
と言って聞かせてあげられる家族。
子供が大きくなったその時、
「親父って、いつもだらしねえな」と言った子供に、
「確かにだらしなく見えるでしょうけど、あなたはお父さんほど
一生懸命生きているの?」と言って聞かせてあげられる家族。
そういう家族を維持していく事、そういう家族に「お父さん」という
人間らしさを投影していてくれる事。
子供にとって一番意味のあるお父さんってそんな人なんじゃ
ないかなぁと、それが私なりの「理想のお父さん」なんですね。
なんだか生意気にも…でゴメンナサイ。
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「恥」と「甘え」のバランスを知ってほしいですね。


そして、感受性豊かな人間、子どものうちは喜怒哀楽を惜しみなく表現できる子になってほしいですね。昨今のキレる原因のひとつには、感情表現能力の欠如があるといえますし。
人を差別するのではなく、人とのつながりから自己を確立できる人間になってほいいです。


だらだらと書いてしまいました・・・
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bombさんのご質問は,「自分の子供をモラルある人間として育てるにはどうしたらよいか?」と言うことでしょうか?また,そのような気持ちは,今の世の中の若者の醜態を目の当たりにしたときに出てきたものでしょうか?



とにかく,bombさんのご意見には私も同感であり,つまらないテレビの番組で見られる馬鹿な若者の姿,実際に町に出てみたとき,直面する若者の醜態・・・.一体この若者は,年月を経てどんな人間になっていくのだろうか,こんな人間で将来は埋め尽くされるのだろうか,と,とても不安に思います.

私にも一人息子がおりますが,自分のアイデンティティーを確立するために,最低限の「道義をわきまえた」人間になってほしいと常に切望しております.これができれば,自分のことは自分で分かるときがくると思います.従って,こうなってほしいと,希望を伝え,指導するのではなく,普段の家族の暮らしの中で何気ない行動の中にいろんなことが含まれていると言うことを,自然に身につけてくれるよう,私の姿を見せることだけにしています.

この方法では,とても遅いように思われるかも知れませんが,私は,このようにして自然に身に付く方が,いつまでも体に染みついて,将来の自分の財産になるものと信じています.(例えば,自然に人に挨拶ができる,人を敬うことができる,人を助けることができる,・・・など).その結果,この子が,自分で進む道を決めていくでしょう.価値観というものは,時代や,環境によっていろいろ異なるものですが,その根底にある「道徳心」はいつの時代も同じであると考えます.

あまり,うまく表現できませんでしたが,ご参考になればうれしく思います.
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まずご自分で日本人としてのアイデンティティを確立できるかどうかが、


一番重要なポイントになってくるかと思います。

私は、父親は背中で人生を語れればそれで十分なのではと思うんですよ。
もっとも背中で人生を語るには、それなりに人格形成がされていないと
できないんですけれどね。

中国の故話でこんなことを聞いたことがあります。

ある家庭で、父親は読書家であったが、母親は教育ママであった。
そんな中で母親が「あなた、子供の勉強を見てあげなきゃダメじゃないですか」
それに対して父親が「いつも見てやっているではないか」

つまり、直接教えるのではなくて、態度で手本を見せているという訳です。


>我々は、あまりにも日本人であることに意識をそらしすぎているように思うの
>です。いまの社会、驚くほどモラルが低下してきているのは、そして日本が
>活気のない国になりつつあるのは、個人個人のアイデンティティーの喪失に
>あるのではないかと思います。

この言葉にはとても共感します。まさにそのとうりです。
けれども、日本人らしさを取り戻すには、個々人で努力するしかないんですよね。
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すごく難しいのですが、まず安易な結論から。


強者、弱者の関係がある「父」ではなく、
「人」としての尊敬を勝ち得、
多くのコミュニケーションの中で、
後ろ姿と共に、横姿、前姿を見せる。
ということに尽きるのではないでしょうか。

日本の父親、全員が危うい存在というのが私見です。
今現在、小さい(bombさんはわかりませんが)子供を
持っている父親は、ある意味歴史のはざかいきですからキツイですねえ。

まず、「どの様に教えていけば」についてですが、
教えるという前提が確立できている家庭は決して多くありません。
算数を教えるんじゃないですから。(一般的にです)
私はbombさんがおっしゃる事象以前に、
「父権」ですとか一昔前の「家族」という関係が崩壊していると思っています。
多くの家庭において「父親の座」はただの習慣的事実であり、
現実に即した「本来の居場所」ではありません。

過去、農耕や狩猟を糧としていたとき、家長の存在とその決定事項は、
家族の存続さえ左右するほどの重要な問題であり、
これは日本では「男がメイン」の仕事でした。
そして、それに相応しい「場所」が家の中に存在したのです。
「応接セット」はそれに関わる名残ですが、
上記のような重要要件のお客様は、2001年に何回来訪したでしょう。
ちなみに我が家は0件です。


現在の我々父親は、「金を持ってくる」だけでは前述の「尊敬」は勝ち得ません。
「オレは会社で偉い、だから大変」といっても、
尊敬ではなく、同情されるのがオチです。
そして、子供も奥さんも自然に尊敬できる人を尊敬し、
その人から物事を教えてもらう気になるもののです。

わけがわかんなくなっちゃうと、「オレは偉い」とか言っちゃう人がいて、
これは開き直ったとき脅迫(食わせてやってる)ですからカッコ悪い。
永遠に尊敬されず、ましてや「教える」ことなどはできません。

現代の父親は、家族ひとり一人が、家庭以外の外部の世界と
つながっていることを、まるごとすべて認識し、容認した上で、
「あらためて、まるごと愛す」ことが必須という時代だと私は思っています。

「教える」ということの前提として
ある意味でテクニックの問題になってしまいますが、
この前提がないと「日本人であることの…」も、
「アイデンティティーはなぜ大切…」かも、
「美味しいたこ焼きの作り方」も伝授できません。
継続することで、「尊敬」が勝ち得、PAPAの言葉が
家庭のコンセプトになってきます。


テクニック(私の成功例)

・お仕事の領域を生かした家族サービス
・ママより美味しいお料理を作ってみよう。
・子供が作っているプラモデルに相応しいジオラマを作る。
・お金のムダづかいを見せずに、ユーフォーキャッチャーでGETしよう。
・運転中に交通道徳を教えつつ、たまにはレースしよう。
・周りの注目が恥ずかしいことを、お父さん主導でやろう!(絶対)
・(ダミーで)株を買わせよう。(損益は還元)
・自然に親しもう。(完璧、男が主役)
・勉強させよう、何でも良いから「父」から情報をあげよう。
(まずはくそ勉強(足し算とか)。あとは特化した子供が興味あることを噛み砕いてそこらの大人程度に!!。
 あとが大事で、興味は無限に広がりますが、親は大変っす。ちなみに、ウチの子はビッグバンとDNA、世界の建築(イイな~、欲しい、だけですが)が好きです。


DNAの理解度について(言葉、そのまま)(sexはまったく未知)
パパと、ママのDNAで、私はできてる。デオキシリボ核酸でトシシンと、グアニンとえーアミンだっけ、ねじれた梯子でえ……、おっちょちょいはママ、くさいのはパパ。papa困ってるでしょ。
株よ!!セレラジェノミックス、
株の話してばかりなんだから、覚えちゃうでしょぁ(*_*)

コツ:会話にガキを混ぜる。

決して家族こびるのではなく、「パパすごい!」と言わせたら勝ち!!
以降、あなたも「教えられ」ます。

※リクエストありましたなら他の実践例も公開します!
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