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同じ業務上過失致死罪に問われながら、医療ミス等の容疑者の写真は報道されないにもかかわらず、手動踏切操作ミスの容疑者の写真だけ報道されるのはなぜ?

A 回答 (7件)

私も全く同感なんですが、強いて理由を述べるなら、遮断機の操作ミスで死亡事故が起こった場合、操作ミスが直接「死亡」という事実に直結するのに対し、医療ミスは死亡との直接的な関係を証明することが難しい場合が多いからではないでしょうか? もちろん事実上では医療ミスが原因だとわかりきっていますが、完全に専門分野での話ですので、他の要因を考慮したりあるいはでっちあげたりすることもあるでしょう。


もうひとつは、医師会という存在も大きいと思います。
良くも悪くも組織を大事にする医師会ですから、個人のミスも組織だってフォローすることになるでしょうね
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この回答へのお礼

なるほど。因果関係を立証するのが難しい、というのは一理ありそうですね。ただ、過去の「患者取り違えミス」の容疑者は、在宅起訴され、有罪判決が下ったのに一度も顔写真が報道されることがなかったのはやはり解せません。なんだか、医療ミスだけ特別扱いのような気がして不公平に感じます。

お礼日時:2005/03/18 19:02

 おそらく、報道機関の職業差別によるものであろうと想われる。


 そもそも、これほど自己責任が求められている現代にあって、30メートルもあるという、普段から危険といわれていた踏切をわたる際に、左右を良く確認し、電車が来ないかどうかを、確認しなかった被害者にも、疑問も覚えるのである。
 報道機関の報道からは、自己責任に関する報道は聞かれず、踏切を渡る際には、左右を確認するという極普通の常識すら報道されなかった。
 テレビ報道というものが、いかに、欠陥をゆするものであるかということ、テレビ報道に携わるものが、いかに人間ができていないかを心して、眉につばをつけて報道を見るべきであろう。
 或いは、現代の衆愚は、もうテレビに毒されていて、それを見越して、自己責任など持ち出すことが、テレビ局への反発を呼ぶと考えて、テレビ局は、報道しなかったのかもしれない。
 だが、テレビ局は、自分たちの都合の良いときだけ、「自己責任」を振りかざしているから、馬鹿らしいのである。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
被害者の落ち度、実は私もこの点については気になっていました。六本木ヒルズの回転扉事故にしても、ヒルズ側にも責任があるが、小さな子供に注意を向けなかった母親にも落ち度があるのではないか、と思ったからです。
報道のあり方をめぐっては、色々疑問に思うことがありますね。

お礼日時:2005/03/20 22:59

さらに言いますと、「マスコミから見て反撃されないだろう人は叩かれる」ということでしょう。


例えばある種の方の犯罪は名前どころか、あったことすら報道されない事が多々あります。
ネットの発達で今のマスコミに疑問を感じる人が増えてきましたね。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
>ネットの発達で今のマスコミに疑問を感じる人が増えてきましたね。

仰るとおりです。「ホリエモン」の登場で、マスメディアがどう変わるのか、ちょっと話がずれますが、ふとそう思いました。

お礼日時:2005/03/20 17:39

私も同じ疑問を感じます。



私の答えを端的に言えば、「たたきやすい人は、たたかれる」ということです。

まず第一に、顔写真を公表するのは何のためなのか、それが私にはよくわかりません。
世間では、「悪いことをしたヤツを懲らしめるために、さらし者にする」という受け止め方をしている人が多いのではないでしょうか。
その発想の延長として、「重大・凶悪・悪質な犯罪の容疑者なら写真を公表、軽微な事件の容疑者だったら、公表しない」というように、(無意識にかもしれませんが)思っている人が多いように思います。
このスレッドでのここまでのやり取りを拝見すると、何となく、そういうことを暗黙の前提にして、話の流れができているように思えてならないのです。
もし、そうだとしたら、ちょっと待ってください。

報道機関は裁判所ではありません。人を罰するのは新聞やテレビの仕事ではないはずです。
また、容疑者=犯罪者ではありません。懲らしめのために顔を公表するのなら、それは有罪確定後であるべきでしょう。

顔写真は氏名・住所などと同じく重要な個人情報ですから、公表するには明確な必然性がなければなりません。
例えば、公開指名手配されている容疑者の写真を公表するのは、誰でも理解できます。みんなに顔を知ってもらう必要性が明らかにあるからです。
しかし、今回の踏切保安係員の場合、一般公衆に顔を見てもらう必要があるのでしょうか。その係員がどんな顔をしているかというのが、報道するに値する情報(つまり、公衆が事故について判断するために不可欠ないし有益な情報)だとは、私には思えないのです。すでに○○駅の職員で氏名は△△であると公表されているのですから、容疑者の特定はこれで十分だと思います。もし、しいて写真を出す理由があるとしたら、「その人がどんな顔をしているのか、見てみたい」という、単なる好奇心に応えるため、ということしか考えられません。

医療ミスの場合と踏切事故の場合で、顔写真を公表する必要性に差があるとは、私は思いません。
医療事故の場合も、「○○病院の△△医師」と報道すれば十分で、顔写真を出す必要性はないでしょう。顔写真を見て、一体何がわかるのでしょうか? こんな顔をした人なら、いかにも事故を起こしそうだ、とか余計な先入観を与えるくらいが関の山でしょう。

顔写真を公開すべき場合もあり得ることを否定しているのではありません。
しかし、顔写真を公開するには、明確な理由があるべきで、それは容疑の重さとは別問題です。
医療ミスであれ踏切事故であれ、容疑者の顔写真を漫然と公開するのは如何なものかと思います。

事件報道において、容疑者、被害者、その他の関係者の個人情報をどの範囲まで公表すべきかという点について、明確な基準はなく、各報道機関の判断で行なっているのではないでしょうか。
その結果として、「たたきやすい人をたたく」ということになりがちだと思います。今回の踏切係員の場合も、まさにそんな感じだと、私は思います。
今回の踏切係員とは反対に、公務員がかなり悪辣な不正行為をしても、氏名さえ公表されない例が多いこととあわせて考えると、さらに疑問に感じます。
(「○○警察署の△歳の巡査部長」などという、中途半端な公表をよく見かけますね。)

もう一つ、身柄拘束されている容疑者の写真は、警察が公表しなければ、報道機関は公表したくてもできない、ということもあると思います。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。確かに、仰るとおり本来は有罪判決確定後に顔写真を報道するのが筋です。しかし、実際は判決が下る頃には、事件そのものが人々から忘れ去られるからなのでしょうか。人々にインパクトを与えたいのか、捕まった時点で「容疑者」=「犯罪者」とマスコミはしたがるようです。もちろん、これには「冤罪」の危険性があり、問題ある姿勢ではあります。ただ、私個人の意見としては、もし容疑者が事件を犯したのが明白で、かつ世間を騒がせるような酷いものであれば、たとえ法的にはまだ犯罪者ではなくとも、「懲罰的な意味」で顔写真を報道するのも良いのではないか、と考えます。例えば医療ミスにせよ、私達に直接のメリットがなくても、医療スタッフはミスを犯さないようもっと気を配るでしょう。つまり、「抑止力」として働くのではないか、と思うのです。
 疑問なのは、同じ交通事故の加害者にしても、顔写真が報道される場合とない場合がある、この差は一体なんだろう?ということ。私だけでなく結構同じような疑問を持つ方が多くいらっしゃるのを知り、ますますこの顔写真報道について疑問に思えてなりません。
 

お礼日時:2005/03/19 18:04

私も同じような考えを持ちますが、理由は#3の方と同じ。

今回の踏切事故は会社という組織が絡んでいながらも直接操作をして事故に至らせたのは操作員。これは誰が見ても列車運行のシステムに故障がない限りは明らか。過去にも同じような事があったということは報道の通り。

一方、医療事故は直接そのミスが死に至ったかは誰が見ても明らかではありません。

つまり逮捕はされても、その先起訴されるかされないかです。検察が起訴、不起訴の判断をしますが、事故の場合は事実がある以上は起訴されるでしょう。しかし医療ミスの場合は証拠不十分で不起訴処分になる可能性が大きいため顔写真は載せないのでしょう。しかし、医療ミスでも起訴され、被告扱いになれば顔は載っていますよね…
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この回答へのお礼

 ご回答有難うございます。例えば、少し前に看護婦が憂さ晴らしに患者の爪をはがして捕まりましたが、顔写真報道は一度もなかったように思います。また他の例では、勤め先の病院に対する嫌がらせで、入院患者を殺害して、何食わぬ顔で新しい病院に勤務していた看護婦が逮捕されましたが、それでも、勤め先の病院を映すばかりで顔写真報道がありませんでした。どう考えても、今回の容疑者より酷い事をやっているような気がするのですが・・・・・。なんだかおかしいと思いませんか?

お礼日時:2005/03/18 19:13

私的な意見ですが、医療ミスの場合は病院がミスを認めてしまうと責任を問われるので容疑者をかばう場合が多いと思うのです。


ただ、今回の踏み切り操作ミスについては会社が容疑者をかばう形にはしにくいと思うのです。
私は事故のあった竹ノ塚が最寄り駅なのですが
あそこはほんとに開かずの踏み切りで警報機は絶えずなっています。ほんとにわずかな隙をついて踏み切りをあげなければ多くの人々が足止めされるようなところなのです。経済的な理由で高架にも出きず、かといってあまりに人を待たせ続ける理由にもいかないので、容疑者を人身御供にしたと言うところなのではないかと勘繰っています。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
仰るように、まさに「人身御供」ですよね。彼ばかりに報道が集中しているようで、なんだか可哀想な気がするのです。イライラしながら待っている人たちが沢山いるのを目の当たりにすれば、少しぐらい無理してでも踏み切りを上げて通してあげたいな、と思うのが人の情だと思うのです。もちろん許されるべきことではないのですが。彼にも責任はありますが、問題のある踏切を何も対策を講じることなく放置した会社側の方がもっと責任が重いだろうし、もっと報道の対象になってもいいのでは、と考えます。

お礼日時:2005/03/18 18:53

 私もおかしいと思いますね。

写真が入っている事件と、入っていない事件の違いを考えてみました。
 医療ミスというのは、普段から同じ作業(手術)をしているから、流れ作業的なものとして医者は処理しているのではないでしょうか。もちろんそうでない医者もいるでしょうが、熟練者になればなるほど、「命を救う作業」ではなく「流れ作業」として無意識に認知してしまっているとは思えないでしょうか…。
 今回の写真報道に関しては、容疑者が事故を起こす時点で何らかの悪意を持って事を進めることによっての結果が、このような事件が起こったのだと思われてしまいます。写真報道をするかしないかで、報道を見る側としては単なるミスだと同情が沸き、写真が出ることによって憎しみが増すような気がします。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
今回の容疑者は、日頃から開かずの踏切を善意で上げていたそうで、だからこそ彼だけ写真報道されることに同情しました。確かに写真報道されると憎しみが増すような気がしますよね。

お礼日時:2005/03/18 18:37

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