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アニメ新世紀エヴァンゲリオンの「世界の中心でアイを叫んだけもの」というタイトルの話の解説をお願いします。
ハーランエリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」のオマージュと聞いたのですが、エヴァンゲリオンの当該話を見ていません。あらすじ程度とどの辺がオマージュ(パクリではないらしいと聞いたのですが)になっているかを解説してもらえるとありがたいです。
「世界の中心で愛を叫んだけもの」は既読です。

念のため
「世界の中心で愛を叫ぶ」は未読です、そしてこの質問とはまったく関係ないです。

A 回答 (3件)

ハーランエリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」は当方、未読なのですが、エヴァンゲリオンにおける当該する回(=テレビ版で最終話とされる回)は見ました。



憶測で申し訳ないのですが、恐らく「自らへの問いかけ」であるとか「自分の原点や願望、目的を経て、存在価値を見出す」といったところが、「オマージュ」とされる所以ではないでしょうか。

この回に関しては、ファンの中でも、またそうでなく客観的に見ていた人の中でも賛否両論で、上手に説明ができるかわかりませんが、あらすじ(エヴァ)を私なりにまとめます。

主人公・シンジは自分の中で問いかけを始める。初めて「親友」と思える存在・カヲルを自らの手で殺してしまったことで、本当にそれが正しかったのかと悩み始める。人類補完計画を背景に、次々と心の闇を曝け出していく他の登場人物たちに囲まれ、シンジは精神的に逃げ場がなくなってしまう。
なぜ生きるのか、という作為的に造られた命を持つレイの問いかけからシンジの自問自答がどんどん広がる。ほめられたいという願望、エヴァに乗りさえすればそれが叶うという手段の両方が目の前にあるけれど、コレに乗り続けるということは、結局、父親の畏怖や母親の優しさに依存しているに他ならない。
そして、究極的なアスカの一言。
「そのうちEVAがなくなれば何もできなくなるのよ。あたしみたいに。」
コレに返すことばがないシンジ。しかしいつかは離れなくてはならないと決心する。最終目標は「自分の価値を見出すこと」。これに辿りついたシンジは、今までのように内罰的になることもなく、周囲から「おめでとう!」と拍手され・・・・

と、こんな感じです。
恐らく、「愛」を「アイ」と変換してサブタイトルに使用しているのには様々な理由があると考えられ、正に「愛」と解釈してもよし、「相」「哀」「合」「逢」「遭」等、ストーリー全体を通してのキーワードを「アイ」に托しているような感も否めません。
後続する映画版のこともあり、テレビ版のこの回については、最終話とするにはどうにも無理があるように見える人も多いらしく、私も何ともコメントがしづらいところなのですが、恐らく庵野氏は「外側からの評価」に頼りすぎている日本人に向けて、彼なりに加工を施した形で何とか輩出した・・・・と、こういった解釈が一番無難かと。
登場人物がそれぞれ、顕著に欠落した部分を持っていて、パーフェクトではないということを前提に、この最終話が組まれているので、作り手としては難しかったと思います。
「世界の中心で愛を叫んだけもの」に対するオマージュであるかどうかは、私にもわかりませんが、パンドラの箱的イメージには合致するかと思います^^ 庵野氏がそこにポイントを置いたかどうかは不明ですが(;⌒▽⌒A)

(わかりにくい説明でゴメンなさいm(_ _)m EVAの中でもこの話は、本当に説明しづらい回なので・・・・少しでも参考になれば。失礼致します)
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この回答へのお礼

お礼を入力したつもりだったのですが、何故か反映されてないようです・・・。
長文ありがとうございます。エヴァの当該話が説明しづらい話だとは知らなかったんですが、だいぶ理解できました。
なんとなくvivienne2さんの説明を読むとアイ=「I」=主人公なのかな? とふと思いました。
大変参考になりました。

お礼日時:2005/03/08 21:13

テレビ版の第弐拾五話・最終話と、映画版の第25話・第26話は、漢数字と算用数字とで同じ話数があてられていることからもわかるように、同じ時間進行で起こった出来事を、違う視点からそれぞれ描いた、いわばコインの裏と表の関係の話です。



映画版では、ゼーレによるネルフ襲撃~人類補完計画発動~終局までが描かれ、テレビ版では、人類補完計画が進む中でのシンジの内面世界が描かれています。

人類補完計画とは、おおまかに言うと、脆弱な人類の心の足りない部分を補完し、より高次の生物へ進化するための儀式のようなもので、シンジが乗ったエヴァンゲリオン初号機を中心として起こり、全人類の運命がシンジの願望一つにゆだねられます。

テレビ版最終話は、そのような立場に置かれたシンジが、初号機の中(自我の境界があるともないともつかない曖昧な世界)で悩み苦しんで葛藤した末に、一つの答え(自分の居場所、存在意義)を見つける、というストーリーを指して、「世界の中心でアイを叫んだけもの」と名づけられたと思われます。「アイ」は英語の一人称のIと愛をかけているのでしょう。

「愛を叫んだけもの」のほうは読んでいないのでわからないのですが、おそらく題名をオマージュしただけで、ストーリーにはさしたる関係はないのでは?というのが私の意見です。違ったらごめんなさい。
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この回答へのお礼

入力したつもりだったのですが入ってなかったです。おおまかな流れが良く分かりました。
>「アイ」は英語の一人称のIと・・・
というのは納得ですね。(見てないけどそんな気がします)

お礼日時:2005/03/17 17:45

庵野監督は最終話付近にSF小説のタイトルをもってくるという「お約束」がある。


というのをどこかで読みました。

エヴァのサブタイトル自体なんらかの引用になっているのが多く
「世界の中心で…」も
単なるタイトル引用なのかもしれません。
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この回答へのお礼

「お約束」・・・それも、ありそうですね。
だとするとオマージュ説は覆りますね。
ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/08 21:21

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