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様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、なぜ戦ったのか不思議に感じていました。  普通考えるとあり得ないですよね。  あまりにもキレイゴトすぎるというか ・・・ もし自分が北部の白人兵士だったら、黒人奴隷を開放するために戦場に行って南部の白人と戦えますか?

結局は62万人もの犠牲を出して戦争は終結したのですが、朝鮮半島のように同胞どうしが国内で戦う悲惨な歴史をアメリカはもっているわけですよね。

そこでお聞きしたいのですが、有体にいってアメリカの南北戦争とは結局は 「黒人奴隷による安価な労働力」 を南北で取り合ったというのが正しい考え方でしょうか?

もしそうなら、リンカーン大統領はなぜ偉人というか歴史に残る大統領として今でも語り継がれるのでしょうか?

仮に 「たしかに労働力の取り合いだったとしても、結果的に奴隷制の廃止、またその後、黒人奴隷の人権も認められるキッカケになったじゃないか」 という意見があったとしても、実際にアメリカで黒人が白人同様の人権を認められるのに南北戦争後、約100年以上もの時間を要しているわけすよね?

つまり奴隷解放、人権回復というのは南北戦争がなくても20世紀に入ってからの時代の趨勢で実現されていたというか ・・・

それとなぜ英語では南北戦争ではなく、Civil War (市民戦争?) と表現されるのでしょうか?

A 回答 (3件)

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。



アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですから自由貿易を望みます。
ところが新興工業地域の北部にとっては、まだ生産性が低い自国製品では進んだ英国製工業製品に太刀打ちでがきません。
イギリスからの輸入品との競争に弱い北部工業地域は、保護貿易を主張します。
南北戦争とはこのような国内産業のあり方、対外政策のあり方をめぐっての戦争だったわけです。
だから南北戦争では北部は南部に打撃を与えるための戦術として奴隷解放を主張したと思われます。(現に「勝つためなら奴隷のことなんてどうでもいい」というような発言も残っています。)

そして北軍の勝利となり、国内産業保護的な政策をとることができるようになり、これを背景としてアメリカ国内における工業が飛躍的に発展するわけです。
これがいわばアメリカ版産業革命です。

Civi lWarと呼ばれるのは多分対外戦争ではないからでしょう。

リンカーンが語り継がれるのは別に奴隷解放を主張したからではなく「人民の、人民による、人民のための政府」という演説が有名になったためでしょう。
日本でのリンカーン人気は、有色人種差別に苦しんだ明治の頃の日本人が、「奴隷解放宣言」を真に受けて広く紹介したためと思われます。
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この回答へのお礼

とても詳しくご解説いただき、有難うございました。 根本的には貿易政策の違いによる南北間の対立だったようですね。 奴隷解放なんて二の次、まずは自分たちの産業育成のために戦う、というのが真実だったように感じました。

考えれば、当時のイギリスは南北戦争中のアメリカを一体どのような目で見ていたのか、興味深いものがあります。

対外戦争でなかったために、Civil War、なるほどそうかも知れませんね。

また、たしかにリンカーン大統領は米国民にとって最も偉大な大統領のひとりと思いますが、日本での紹介のされ方が奴隷解放ばかりが強調されすぎて、あまりにもキレイ事のような印象を受けたものです。

やはり真実を見据えたうえで、正しく評価したいものですね。

お礼日時:2005/02/10 10:39

他の方も言われている通り、自由貿易vs保護貿易の対立が主な争点と考えるのが一番自然だと思います。


農業国or工業国の選択と言ってもいいと思います。
もし南部が勝てば(おそらく南部主導の統一というのは考えられないので2つの国ができるということになるのでしょうが)、南部は19世紀~20世紀のアルゼンチン・ブラジルのような感じで、豊かな農業国として発展したのではないでしょうか。

とはいっても貿易政策の対立だけで、あれほどすさまじい戦争になるというのも考えづらいので、いろいろとつもりつもった対立が一気に吹き出したってことなんでしょうか。
奴隷解放が大きな争点であったことも確かだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございました。 仰るように戦争の原因はひとつだけという事はないようですね。 貿易政策の対立、奴隷労働力の確保、あるいは南北間の地域格差や、もしかするとイギリス系やフランス系といった民族対立も複合的に絡まったのかも知れませんね。

お礼日時:2005/02/10 10:48

南北戦争は黒人奴隷の取り合いと見られる一面もあるといえますが、それも含む原因で、南部独立の動きを阻止するための戦争でした。


南部は当時の社会では集約農業牧畜国で自給自足が可能でどちらかといえばフランス系でその点でも独立志向が濃厚でした。
こに反し北部は鉱工業が盛んで原料食料を南部に依存していましたしイギリス系でした。
このような対立原因が複雑にからみ南部の分離独立は国家の存立を脅かす事になつたのです。
単なる黒人奴隷の取り合いではありません。
Civil Warとよばれるのは結果的に内戦であるからです。
リンカーンが事実上合衆国の統一を達成完成した大統領とみられるので尊敬されているのです。
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございました。 南部に独立の運動があったと聞いた事があります。 もし南北戦争に南部が勝利していれば、今頃は大農業国となっていたか、あるいは南北で別々の国家になっていたかも知れないなあ、と感じました。

お礼日時:2005/02/10 10:43

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