プロが教えるわが家の防犯対策術!

いい年して非常識で恥ずかしいのですが、どなたか教えて下さい。
戸棚を整理していたら、今年のお正月に扉にぶら下げていた正月用のお飾りが出てきました。故郷のようにどんど焼きの習慣のないところに住んでおり、初詣にも年内に先に行ったので、処分(という言い方ではいけないと思うのですが。罰当たり)できないで忘れていたものです。

これをまた使うのはいけないだろうと思いますが、具体的に、どんなことが起こるからいけない、という言い伝えがあるようなら、この際知りたいと思います。地域によって違うかと思うので、地域も併せて教えていただけると有り難いです。
小さいもので、高くもなかったものです。

ついでに、クリマスリースの場合は繰り返し使えますか?

よかったらどうぞ教えて下さい。

A 回答 (5件)

 例えばあなたが訪問先で、掃除もしてなくて、時期外れの調度品がしてあったときどう思いますか? 「私は歓迎されていないのでは」と感じませんか。

「心さえこもっていればそんなこと関係ない」とよく言う人がいますが、心を込めようと思えば、逆にそんなことしませんよね。「心さえ…」とよく言う人は単なる面倒だからそう言って逃げることも多いですから。
 それと同様です。古くなったお飾りだから悪いことがおきるのではありません(またそのように原因を外に押し付けようという考え方自身、賛同できません)「古い飾りでもいいや」あるいは「『悪いことがおきるかもしれないから』新しいのにしておこう」という意識は、「もてなす」という誠意が感じられません。神仏に対してそうなるのであれば、人に対してもそういった低い意識でしか接することができなくなります。つまり精神の堕落です。これ以上の「いけないこと」はないでしょうね。

古くなったお飾りですが、神送りの日に庭先で燃やすか(付近住民の迷惑にならないように)、地域の寺社にお願いして引き取ってもらうか(古いお札を納めるところを設けている寺社もあります)してください。
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この回答へのお礼

お答えいただいてありがとうございます。

そもそも「八百万の神をお迎えするためのものだ」ということを知らなかった(考えたことがなかった)から、単なる習慣として何も考えずに飾っていた心構え自体、問題だなと思いました。
実家を出てからは神棚も仏壇もない生活をして、それが人生の3分の2になってしまいました。無神論者とは言え不遜な生き方をしてきたもんだと反省しています。
ただ、古いお飾りを使うつもりは最初からなく、「なぜいけないとされているのか」を知りたいと思いました。悪いことが起こらないなら使おう、というつもりは全くなかったことは弁解したいです。
人が来るとわかっていればもちろん掃除ぐらいはします(笑)。

お礼日時:2004/12/23 19:47

丸いものを「たま」といいますね。

そして霊的な存在を「たましい」といいますよね。このように丸は神聖な形です(おそらく太陽や月からの連想でしょうか)。鏡餅も丸いですね(鏡は太陽の象徴です)。
 これはその年に帰ってくる神(先祖)、このような神を「年玉(としだま)」といいますが、この年玉が宿る神聖な餅だから大切にお供えされるのです。そしてその神の力の宿った餅を、食べる事によりその力を得る。それもできるだけ大人数の方がより力が強くなるという考えです。ここから転じて、霊力の備わった食べ物を振る舞う事を、いつのまにか「年玉」と呼ぶようになり、さらには金品を贈るようになりました。
神に供えた物を食べる事により、それも大人数で、その力を得る。だから、祭りや結婚式、法事などで食事が大切にされるのもこういったところにも起因します。

なにぶん僧籍の者なので説教じみましたが、ご先祖のお墓参りが難しくとも、こういった点だけは忘れずに、ご自宅から日々の感謝の祈りを捧げる、いつもとは違ったお正月を過ごされたらよろしいかと思いますよ。
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この回答へのお礼

なんどもご教示いただきありがとうございます。

なるほど、だから大きな鏡餅を割ってみんなで食べる、という風習になるんですね。
お年玉の由来なんて今は知る人も少なそうですが、私も今度は少しはものを考えるお正月を過ごしたいと思います。
お坊さまでいらっしゃいますか、なるほど専門家ですね(笑)、いい勉強をさせていただいてありがとうございました。

お礼日時:2004/12/24 21:42

追記 そもそも正月ってなんでしょうか。

古くは米の収穫祭だとされています。餅が飾られるのもその名残です。そのため神である「先祖」を家に招いて祀る日です(日本人にとっての「神」とは、その根源を突き詰めれば「先祖」となります)。
 家で先祖を祀るというと普通は盆を連想しますが、この両者は一体の関係です。盆は儀式こそ仏教化していますが、こちらも仏教以前からあった、麦や野菜の収穫祭が始まりでした(そうめん・うどん・瓜などをお供えしますね)。
 日本人にとっての先祖(神)は、恩恵をもたらす優しい面と、災いをもたらす荒々しい面の二面性があり、気候的に平穏な春に招かれる先祖は前者、気候が不順な夏に招かれる先祖は後者にあたります。そのため夏に祀られる先祖は「魂を鎮める」必要性があります。日本に仏教が伝来したとき、当時の日本人は「仏教は罪を滅ぼしてくれる力がある」と認識しました。つまり「死者が犯した罪が滅びる」ことにより「魂が鎮められ」て「災いが起きなくなる」という風に、仏教を日本風に解釈し、積極的に鎮魂儀礼に取り入れました。そのため、盆行事が仏教化していき、そのことにより「先祖を祀る日」と認識され続けてきたのです。
 対して正月に祀る先祖はすでに鎮められているため、鎮魂のための特別な儀礼を特に必要とせず、そのことが先祖を祀る日であるという意識を希薄にさせました。いつごろからそのような意識になっていったか。大学時代、平安中頃の日記に「“東北では正月に先祖を祀る”と記されていた」と教わりました。つまり、このころからすでに都では正月が「先祖を祀る日」であるという意識が薄くなっていた証拠ですね。
 ですから、正月も「単なる習慣」というだけでなく、収穫祭に象徴される先祖へ感謝と平安を祈る日と認識していただけたら幸甚です。よって初もうでも有名な寺社に行かれるのも結構ですが、本義に立ち返り、まずは地域の氏神や鎮守を祀る神社、当家の檀那寺、先祖の墓のお参りすることをお勧めします。
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この回答へのお礼

そ、そうなんですか! 目からうろこがぼろぼろ落ちました、すごく勉強になりました。ありがとうございました。
考えたことなかったのですが、餅を飾ったり食べる理由も併せて知ることができて、よかったです。

私の母や姉たちはこういうことを知ってるんだろうか、、、私はもちろん知らなかった(考えてもみなかった、関心がなかったこと自体が問題ですね)ので娘に伝承できません。日本の文化をあとの世代に伝えること、私はまるきり駄目だなあとあらためて思いました。
うちだけでしょうか、、、。
先祖のお墓参りも、しようと思えば6桁の金がかかるので(交通費)、長くやってません。これほどの罰当たりはあまりいないかもしれませんが。残念です。

お礼日時:2004/12/24 18:58

言い伝えは分からないのですが。


最近はプラスチック製のものがあったりすると、神社でも、燃えないゴミ(地域によって違う)になるので、その部分は外して持ち帰えって家で捨ててもらうそうです。
その場合、紙等に包んで捨てれば大丈夫です。
我が家は、毎年燃えないゴミで普通に捨てていました。

クリスマスリースは、捨てたりしなくても大丈夫です。
毎年リースを変える場合でも、前のリースを別にアレンジして飾ったりするのも素敵だと思います。
テーブルアレンジとか、小さい物なら真中にキャンドルをおいてみたり、今年のリースは玄関に前のは寝室にとかでもいいと思います。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。

>毎年燃えないゴミで普通に捨てていました。

そ、そうなんですか! 平気でした? いいのかなあ、、、。せめて分解してばらばらにしてから捨てましょうかねえ。(ばらばらにしてから紙袋に入れる。これで万全?)
最近はクリスマスリースと兼用できるものもありますよね。結局ただの飾りなんですけど、割り切ることもできない中途半端な私です。暮れの忙しい時におつきあいいただきありがとうございました。

お礼日時:2004/12/23 15:13

 あーゴミ箱に(/_・)/ポイッ  ●~*  しちゃってください(^_^)v



 しめ縄とかは、八百万の神々を迎える為の案内板みたいなもので、去年のが飾ってあると「あーここは去年来たからいいや、次行こうっと」ってなるので、毎年新しい物に付け替えます。

 まあ、その後の迷信ってのは沢山出てくるとは思いますが

 とりあえず、ってことで。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。

ゴミ箱にポイして平気ですか? たたりがないんだろうか、、、なんて梅図かずおの初期の漫画を読み過ぎたかもしれない。
毎年新しくしなければならない理由はわかりました、ありがとうございます。

お礼日時:2004/12/23 15:03

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