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なぜ、靖国神社にはA級戦犯がまつられてるんですか?
こんなことするんだったら、日本の為に戦って亡くなっていった全兵隊をまつるべきだと思うんですが。
なぜまつられてるのか、どなたか教えてください。

A 回答 (10件)

ひらたく言えば、靖国神社というのは


「天皇軍」の「私設応援団」です。

ジャイアンツの私設応援団の価値観が、全野球ファンの価値観を拘束しないようなもんで、「そういう考えもある」の一言。

(薩長と会津の「白虎隊」、どっちが「国のため」を思っていたか、そんなことは別問題。逆指名や江川事件の正当性が客観的にどうあろうと、とにかくジャイアンツを応援するのが私設応援団)

戦前は、天皇主権でしたから、天皇軍=日本として、私設応援団でも国を代表する応援団として扱われました。
いまでも靖国神社にいくと、大砲やら魚雷の展示がしてあって、「天皇軍は正しい戦争をした」という前提です。


しかし、長崎の本島市長銃撃事件のときなど、
「昭和天皇に戦争責任がある」という発言に対して「天皇はその気がないのに、軍部が勝手にはじめたんだから、天皇に責任はない」という議論がけっこうあったんだけれど、その基準からすれば、靖国神社は昭和天皇の意に反していることになりますね。

まあ、私設応援団だから、勝手だけど。
首相という公的な立場にある人が、それをたたえることで非難されているわけです。
(そのへんのおっちゃんが発言するのと、ナベツネが発言するのと、同じ中身でも意味がちがう)
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 靖国神社は、戊辰戦争の後、戦没者たちを祀るために東京招魂社として明治天皇の意向によって建立されました。

そして、その後の日清戦争、日露戦争含め、1945年の先の戦争の終わりまでに亡くなった兵士達を神として祀っている場所です。
 戦後は、政教分離の原則から国家の管理を離れ、一宗教法人となっています。

 そもそも、なぜ政教分離が必要であるかと言うと、一宗教の価値観を絶対視し、それに沿って政治を行うことは価値観の多様性を認めないことになる、つまり、国民の自由を著しく損なう恐れがあるからです。よって、首相が公用車を使って「内閣総理大臣」として参拝すること、また、国が神社に対して、誰を祀るべきか口出しすることは、政教分離の原則に反する恐れが非常に高いがために問題となるわけです。

 しかし、現実には、戦没者の靖国神社における合祀は、遺族援護法・恩給法の原簿を基準に、厚生省引揚援護局と靖国神社の官民一体に行われていたのが実質のようです。そして、戦犯と呼ばれる人達が合祀されるに至った経緯を簡単に説明すると、昭和27年のサンフランシスコ講和条約の後、未だ釈放されない戦犯に対する同情の声が国民から上がりました。政府はこの世論を背景に恩給法・遺族援護法を改正し、戦犯の遺族も、戦没者の遺族と同様に遺族年金などを受給出来るようにし、また、受刑者本人も恩給を受けれるようにしたのです。
 これにより、戦犯はA級、B・C級の区別無く国内においては犯罪者としないとされました。そして、祭神の対象が戦犯にまで及んだことを受け、靖国神社は厚生省の協力の下、戦犯を合祀することにしたのです。

 では、なぜ戦犯に対する同情の世論が起こったのか、これが靖国問題の根本ではないかと思います。東京裁判の正当性の問題もあるかと思いますが、当時の国民には、処刑された戦犯に対する負い目があったのではないかと私は思います。
 先の戦争の責任は、政治指導者だけでなく、国民全体にあったにも関わらず、戦犯とされた人を処刑することで国内の戦争責任問題を決着させたことに対する負い目が同情として表れたのではないかと思います。また、同じ戦犯でも、起訴されなかったり、刑期を終えた人は後に勲章をもらったり、岸信介(東條内閣時の商務大臣、A級戦犯容疑者とされるも起訴されなかった)は総理にまでなっている。処刑された人に全ての責任を負わせた過去がそうさせたのだと考えます。

 小泉総理は「人間は死んでしまえばみな平等とするのが日本の文化」旨の発言をし、これに共感したのか、国民の7割近くが首相の参拝に賛成という資料もありますが、靖国神社においては、戊辰戦争のとき朝敵であった会津藩の白虎隊や、西南戦争で戦死した西郷隆盛は祀られていません。また、被差別出身の人も祀らなかったようです(現在もそうであるかは不明)。また、戦場以外でなくなった一般市民も祀られていません。つまり、靖国神社は天皇のために死んだか否かで祀るか否かを決めているのです。首相の「死人は平等」発言は、靖国神社に対する見解を誤っているか、国民を欺こうとしているかのいずれかであると思います。
 
 人には内心の自由が保障されています。ですから、参拝したい人にはする自由があります。しかし、国が宗教に介入することはしてはならないことで、首相の参拝もまた同様であると思います。また、個人の宗教観をも無視して祀ることも問題です。また、当時の政治指導者に道義的責任があるのは事実ですし、「天皇のために戦え」という誤った考えの下に犠牲となった兵士を、天皇のために死んだか否かという基準で死者を選別する靖国に祀ることは、それこそ死者への冒涜ではないかと考えます。
 靖国に参拝するのは当然と、特定の信仰を国民全体に強要しようとする現在の風潮に私は危機感を覚えます。
 
長くなってすいませんm(__)m。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1078716
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靖国側が祀る対象として特に選定することはなく、遺族年金の対象者の原簿に載ればもれなくその対象になります(一般兵士も載っています)。


そしてその原簿にA級戦犯の名前が載り、合祀されるようになったのは以下のような流れからです。
昭和30年前半に服役中の戦犯が釈放(四千万を越える署名が集まる)。
それにあわせて遺族援護法や恩給法が改正(あの共産党も賛成しています)
原簿に戦犯の名前が載るようになった昭和41-53年にかけて合祀完了。

問題は多々あるかと思いますが、例えば宗教問題ならアーリントンのように埋葬式そのものは各宗派自由に選択させるというような曖昧さを持たせて解決を図っていけば良いと思います。
ちなみにアーリントンは間違いなくユダヤ・キリスト教式ですが、それ以外の宗派の人たちも当然ですが大勢祀られています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/27 23:47

もともとは招魂社という名称で、確か明治時代に作られ、各地方にも、いわば分家の形で作られた、戦死者 (戦場で死んだもの) を、神道に従って祭る目的で作られ、その後名称変更し、東京九段の (いわば本家ともいうべきもの) 靖国神社、各地方は護国神社になりました。



敗戦時までは、順次戦死公報が入るたびに氏名が登録され、「死んで靖国に入ること」 が帝国臣民としては名誉である、という教育 (あるいは洗脳) がなされていました。敗戦後も、戦死が確認されたり、抑留中に死亡した者、A 級を除く B、C 級戦犯として処刑された者 (山下奉文陸軍大将、本間正晴陸軍中将など) を随時祭っていきました。このとき、当時の占領軍、国民感情もあり、A 級戦犯として処刑された東條英樹陸軍大将 (開戦時の内閣総理大臣) 以下は、祭られませんでした。

戦後は、殉職した自衛隊員も順次祭っていたのですが、キリスト教信者であった隊員を遺族の了解なく祭ったことにより、訴訟も提起されています。

その後 A 級戦犯も合祀されたことから、ここ 2、3 日話題となっているような、靖国参拝問題を国際的に惹起しています。

およそ国家が引き起こす戦争で実際に戦場で殺し合いをするのは、名もなき庶民です。また、本土空襲で、非戦闘員が何人殺されているでしょう。みな戦争の犠牲者なのです。そのために千鳥が淵に、戦没者御苑が設けられ (戦没、という言い方にはごまかしがあるんですが、それはおいておいて) ここは、特定の宗教施設ではありません。靖国神社は、天皇の名の下に戦場に送られ、殺された人間を、天皇を現人神とする神道一派の宗教施設であって、個人の宗教観を無視して (少なくとも戦後は信教の自由が認められている筈です。キリスト教の信者を神道の神社に有無を言わせず祀ることには、大きな問題があります) 自己満足のため祀っている、のが実際です。

その意味では、過去の陸軍刑法、海軍刑法により処断された者以外は、国家による強制で全員祀られています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/27 23:51

靖国神社にだれがまつられようともかまわない。


信仰を強要されることには絶対反対する。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/27 23:50

誤解があるようです。


靖国神社と「A級戦犯」の問題はそうした問題ではないでしょう。

ひとまず、以下のサイトをご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD% …

改めて質問の趣旨を整理されてはいかがでしょうか。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/27 23:50

非常にセンシティブな問題ですね。


私の認識ですと、日本のために戦って無くなった人全てがまつられているはずですが。
だから、死んでも九段の森に行けば会えるなどと、出征を控えた若者が、家族に言ったのだと思います。

もちろんA級戦犯だろうと日本国家を担っていたのだから、そのルールに基づくとまつられるわけです。

だから、日本国家のため、好きで死のうとしたわけではない日本軍韓国人兵士、中国人兵士もルールに基づいてまつられていることから、海外からの怒りの声があがったり(そもそも参拝自体に不満が寄せられますが)、A級戦犯は分祀すべきだとか、各種議論が国内でもあるのはご存知の通りです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/27 23:49

一般の兵隊の霊も祭られています。


当時侵略された、中国 朝鮮からみたら、
戦争したリーダーの霊に 一国のリーダーが
御参りすることは その侵略戦争を肯定すること
 ではないか、ということですが、
日本人は 連合国(戦勝国)からみれば
 A級戦犯の彼らであっても、 日本のためを思って死んでいった英霊です。だからA級戦犯も一緒にまつられているのです。
その末裔である、我々はその死を無駄にしてはならない・・・・・・。
ということですが、
当時の日本の状況を考えるとやもうえないこであった。
と首相は考えているのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/27 23:49

別にA級戦犯を奉っているわけではありません。


そもそも明治維新後の戦没者を奉るために作ったもので、その後の戦没者のためにあるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/27 23:48

一般の兵隊の霊も祭られています。


当時侵略された、中国 朝鮮からみたら、
戦争したリーダーの霊に 一国のリーダーが
御参りすることは その侵略戦争を肯定すること
 ではないか、ということですが、
日本人は 連合国(戦勝国)からみれば
 A級戦犯の彼らであっても、 日本のためを思って死んでいった英霊です。だからA級戦犯も一緒にまつられているのです。
その末裔である、我々はその死を無駄にしてはならない・・・・・・。
ということですが、当時の日本の状況を考えるとやもうえないこであった。と首相は考えているのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/27 23:47

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